完璧なものより、未完成で歪なものに惹かれる
完璧なものを見ると、少し距離を感じる。
綺麗に整った言葉。
無駄のない人生観。
正しく整理された感情。
理想的な人間関係。
丁寧に成功している人たち。
もちろん、すごいとは思う。
努力もしてきたのだろうし、見えないところで苦労もあるのだろう。でも、なぜか自分の中には入り込んでこない。
たぶん、自分の人生がそこまで整っていないからだと思う。
世の中には、綺麗な言葉が多い。
「自分らしく生きよう」
「無理しなくていい」
「ありのままで大丈夫」
「努力は裏切らない」
どれも間違ってはいない。
でも、ときどき綺麗すぎる。
こちらはもっと中途半端で、矛盾していて、だらしなくて、感情も整理されていない。昨日と言っていることが違う日もあるし、自分で自分がよくわからない時もある。
だから、完成された言葉を前にすると、「そういう人生を送ってきた人の言葉なんだろうな」と感じてしまう。
うまく共感できない。
むしろ惹かれるのは、未完成で歪なものだ。
少し不器用な文章。
途中で揺れている考え。
感情がまとまりきっていない会話。
言葉選びに迷った跡が残る文章。
そういうものを見ると、少し安心する。
人間がいる、と思う。
完璧なものは、美術館みたいだ。
綺麗で、完成されていて、触れてはいけない感じがある。
未完成なものは、生活に近い。
机に置きっぱなしのメモ。
途中までしか飲んでいないコーヒー。
言い直された言葉。
うまくまとまらない独り言。
そういうものには、呼吸がある。
創作でも同じだ。
全部が説明される作品より、少し余白があるほうが好きだ。キャラクターの感情が綺麗に整理されているより、少し矛盾しているほうが人間らしく感じる。
現実の人間も、だいたいそうだからだ。
優しい人が急に冷たくなることもある。
嫌いだと思っていた人を気にすることもある。
夢を語った翌日に全部投げ出したくなることもある。
人は一貫していない。
だから、一貫しすぎているものを見ると、少しフィクションに感じる。
もちろん、未完成だから偉いわけではない。
雑でいいとか、壊れているほうが深いとか、そういう話でもない。ただ、自分はどうしても、“完成していない途中感”に惹かれる。
たぶん、自分自身がずっと途中だからだと思う。
まだ整理できていない。
まだ答えも出ていない。
まだちゃんとしていない。
そういう状態のまま生きている。
だからこそ、同じように歪で、未完成で、少し不格好なものを見ると、「ああ、これでも存在していいんだ」と思える。
世に溢れた綺麗な言葉たちに、うまく共感できない日がある。
でも、誰かの少し歪な言葉には、妙に救われることがある。
たぶん、自分が求めているのは正しさより、生活感なのだと思う。
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