革命前夜
二度目のデブ解放運動が起きたのは、ぼくらの生まれるずっと前のことらしい。一度目なんて江戸時代だっていうし、もう遠すぎてなんのことかよくわからない。
社会の授業で半田先生が説明してたけど、クラスの半分はリモートだったし、出席してた半分もみんな夢の中だった。他人事ではないから、ぼくだけはちゃんときいていた。
余談だけど八月八日はデブの日だってしってるか、と半田先生がいらない豆知識を披露していた。心底どうでもいいけど、夏休みのあいだでよかった。
教科書によれば、六十八年前に、時の首相が長期の天候不順から起きた食糧危機を受けて「デブが国家を食いつぶす」と発言したことがきっかけ、らしい。
この言葉に世のデブたちが一斉蜂起、即時行われた解散総選挙では、デブ中心政治を掲げた革新国民党が一気に議席を伸ばして、政権を奪った。
それからの二年間をデブ革新時代といい、「デブ恋愛機会均等法」「デブタイム法」などの新法を根拠に、病的なまでにデブを擁護するムーブメントが第二次デブ解放運動だ。
革新すぎてデブ政権(教科書の首相は痩せていた)は短命に終わり、政権に返り咲いた友愛民主党によってすべてのデブ法は破棄されて、デブは単なるデブに戻った。
以来、今日に至るまでデブは一般人と区別され、デブはヒトではなくデブとして扱われている。そしてどうやらぼくは、世間一般でいうところのデブらしい。
ぼくが教室に入ると、日直が冷房を「強」にする。ぼくが椅子に座ると、両隣の女子が二センチずつ僕から離れる方向に椅子をずらす。ぼくの給食だけなぜか山盛りだ。
でもこれらは決していじめじゃない。ぼくは彼らと仲良くおしゃべりもするし、不愉快な思いをしたことは一度もない。区別はあるけど、差別はなかったと断言できる。
それなのに。それなのに昨日、ぼくは到底うけいれられない言葉を玉木からいわれた。親友だとおもっていたのに。玉木はいつもと変わらないまま、笑っていた。
玉木の目をみているうちにだんだん理解が追いついて、ぼくは困惑した。玉木の言葉は区別ではなく差別、それ以上にどす黒い欲望の塊にほかならなかったからだ。
昨日からずっと考えてみたけど、どうしてもわからない。言葉の意味はわかったけど、玉木の意思が理解できない。ぼくには絶対うけいれられない。
ぼくはここに、第三次デブ解放運動の幕開けを宣言する。ぼくみたいな小学生に何ができるかわからないけど、ぼくはぼくのやり方でもう一度世界を変える。
あらためてデブの存在意義を問いただす。デブはなんのために存在するのか。女子はぽっちゃり系が許されるのに、男子のデブはデブ一択なのか。
玉木の言葉を聞いたら、世の中の同志もみんな賛同してくれるはずだ。親友だって、いっていいことと悪いことがある。玉木はこういったんだ。「ちょっとだけ胸もませて?」
ここからはぼくの決意だ。覚悟だ。今日ぼくは、目をつぶってぼくの胸をもんでいる玉木をとりあえずなぐった。玉木のうしろで順番まちしていた坂上もなんとなくなぐった。
とたんに教室の空気がかわったけど知ったこっちゃない。デブがキレた! とおもしろおかしくはやし立てたから三浦もなぐった。なぐりながら、涙がでた。
暴力はなにも産み出さない。デブだってみんな力士みたいにつよいわけじゃない。玉木も坂上も三浦もダメージゼロで、すぐになぐりかえされた。デブの拳はやさしすぎる。
革命を起こすには戦士が四人必要だ。隣のクラスの林くんは話したことはないけどいけると思う。弟の大輝がぼくよりもデブだし、大丈夫。あと一人はあの人しかいない。
校長室のドアは分厚く重く、校長先生を世界から守っていた。モンスターペアレンツが入り込まないように結界がはってあるって学校新聞で読んだことがある。
「わたしが最後の仲間だとよくわかったな」
「だって校長先生、デブじゃん」
「デブのくせに人のことデブっていうな」
「デブっていった方がデブなんだぞ、デブ」
校長先生との力くらべは千日手になりそうだった。ぼくの拳は新しいデブの世界を解放するために、校長先生の拳はデブの矜恃を守るために。デブの拳はやさしすぎる。
そのとき給食のカレーの匂いがして、永久戦争は免れた。給食のカレーが世界を救った。デブのとなりにはいつもカレーがあった。いただきますと同時におかわりにいく。
ぼくにはもう時間がない。デブがデブであるために。ぼくにできることはなんなんだろう。どれだけカレーをおかわりしても、牛乳を五本飲んでも、デブの未来がわからない。
どうか力を貸してください。世界中のデブの声がきこえる。男子なのにおっぱいもませてっていわれるのは、もういやだよ。冬なのにタンクトップはやっぱり寒いよ。
ぼくは革命を起こす。
(イグBFC4参加作品です)
