異次元の扉としての「ワインとそれをめぐる記憶」第2章: 銀座ペリニィヨン - ランブロワジーへの軌跡
1970年代後半、私はリーダーズダイジェストをめくるたび、辻静雄先生の気品と知性が宿る文章に魅了された。
先生の記述は、饗宴の記録にとどまらず、感覚と記憶、文化と歴史を巧みに織り交ぜながら、読者を美食という異次元の扉へと誘う。
特に『ヨーロッパ一等旅行』には、星が煌めくレストランでの至福の体験が記されている。
それは私の心に遥かな理想郷の夢を宿し、やがて夢は現実へと姿を変えていった。
──銀座 - 光と影の迷宮──
1984年、私は社会人としての第一歩を踏み出し、叔母の会社に勤務することになった。
銀座四丁目——日本の商業の中心地であり華やかな光と影が交錯するこの街。
その懐へと足を踏み入れたとき、私はまだこの街が私にもたらす運命を知らなかった。
昼と夜で表情を変える銀座の街並みは、まるで果てしなく続く迷宮のようだった。
そしてその迷宮に飲み込まれるように、私は営業職としての激務に身を投じた。
容赦のない日々は、わずか3か月で15キロの体重を削り取っていく。
だが、それは単なる消耗ではなかった。
目まぐるしい日常の中で、私の身体はまるで新たな世界へと鋳直されるかのように変化していった。
銀座の舗道を駆け抜けるたびに、心地よい達成感と高揚感が胸を満たす。
昼間の賑わいと夜の静謐——その対比の美しさを知るにつれ、私はこの街の奥深さを少しずつ理解し始めた。
あの頃、銀座の光の中に立つ自分とその光の背後にある静かな影を意識する自分がいた。
華やかなショーウィンドウに映る姿とその裏側で、日々の挑戦や葛藤に向き合う心。
華やかさと孤独、期待と不安。
その狭間で揺れながら私は営業職としての自分を磨き、銀座という迷宮の奥深くへと足を踏み入れるたびに、この街の持つ不思議な魅力に引き寄せられていった。
銀座という劇場の舞台裏で繰り広げられる静かなる闘い。
その体験はやがて私を美食とワイン、そして自らの存在意義を求める旅へと誘い、洗練された美学の世界へと導いていった。
光と影が織り成す銀座の迷宮——そこは、私にとって単なる職場以上の意味を持つ場所となったのである。

── ペリニィヨンとの出会い、それは美食という異次元への扉 ──
仕事の合間、私は無意識のうちにフレンチレストランを巡ることを習慣としていた。
それは厳しい現実からの逃避ではなく、精神の深淵を覗き込み、洗練された異文化の美学を静かに沁み込ませる旅だった。
美食とは単なる味覚の悦楽を超え、知覚と記憶が交差する詩のような体験であることを、私は次第に理解していった。
その旅路の中心にあったのが、「ペリニィヨン」と「ドン・ピエール」と云う二軒の店である。
ペリニィヨンは、私にとって思索の場そのものだった。
銀座レカンでサービスをしていた四人の方々とシェフによって営まれるその空間は知的な対話の場であり、感性が静かに研ぎ澄まされる場所だった。
オーナーの一人、秋元さんのことは、レカンが開業した当時叔母に連れられて訪れた記憶とともに、鮮やかに私の内面に刻まれていた。
あのとき味わった空気の緊張感と期待感が、後に私をペリニィヨンへと誘ったのかもしれない。
シェフの園田さん、そしてスーシェフの鈴木さん。
彼らが織りなす厨房の光景は、調和と均衡を思わせた。
軽やかな動きの奥に宿る正確無比なリズム。
ガラス越しに見えるその光景は、まるで舞台上の舞踏のようであった。
フランベの炎が一瞬立ち上り、けっして広くない厨房に陰影をもたらすとき、時間が静止したかのような感覚に包まれた。
期待が胸を満たし、五感が静かに溶け合う——それは精神と肉体が完全に調和する美の瞬間だった。
ペリニィヨンは、そのモダンなスタイルと洗練された雰囲気で、特別な夜を過ごすにふさわしい場所だった。
そこでは一皿ごとに時間が解体され、感覚と思索が複雑なレースのように織り上げられていった。
一方、ドン・ピエールはより日常的な場であったが、そのカジュアルさの中にも確かな美学が宿っていた。
昼はチョリソーのスパゲッティにデュポネを添えて、そのピリッとした風味が単調な時間に軽やかなリズムを与えてくれた。
夜にはグランメールの特大サラダ、そして豊かで堂々たるメイン料理。
食後を締めくくるのは、デザートとハイチ産ピーベリーコーヒーの芳醇な香り。
その香りは、一日の終わりにふさわしい深い余韻を私にもたらした。
それはまるで、一つひとつの食体験が私の存在を形作る細胞のように沁み込んでいくようだった。
ドン・ピエールで過ごした日々の一皿一皿から自らの過去と現在を読み解いていたのである。
そこには一種の儀式性があった。
当時、私はまだ自分の好むワインの輪郭を掴みきれていなかった。
しかし、それこそが美食の醍醐味であったのかもしれない。
毎日異なるグラスワインを味わい、その度に新たな可能性を探る。
その過程で私は、ワインもまた記憶と時間を閉じ込めた詩そのものなのだと気づいた。
こうして、ペリニィヨンとドン・ピエールでの日々は、単なる美食の記憶を超え、私の内的世界を形作る重要な断片となった。
美食を通して私は、時の流れと記憶、そして自らの存在を問い続けていたのである。
── 美食の舞台、銀座劇場の夜 ──
数年にわたり毎日のように通っていると、昼のお客さん、夜のお客さんの顔も次第に覚え、やがてレストラン全体がまるで劇場のように思えてくる。
そこには繰り返される日常とは異なる時間の流れがあり、一夜ごとに新たな物語が紡がれる。
私はその劇場において、時には静かな観客として、時には主演者として、ペリニィヨンという舞台に身を委ねるのであった。
照明は控えめに落とされ、テーブル上のハロゲンランプがまるでスポットライトのように放つ光が、コンテンポラリーアートのように煌めくシルバーの飾り皿を舞台の主役として際立たせる。
さっとシルバーの飾り皿が下げられ、新たな一幕の幕開けを告げるように、料理が静かにテーブルへと置かれる。
その光に照らされた料理は、まるで舞台上の主役のように浮かび上がり、繊細な香りをまといながら、これから紡がれる味覚の物語を静かに告げていた。
ここでは、メートル・ドテルやソムリエとの間で、洗練された即興劇が展開される。
彼らは、観客である私の期待を超える名優たちであった。
言葉は必要ない。
ただ一度視線を合わせるだけで、あるいは指先のわずかな動きだけで、彼らは私が何を求めているのかを察し、瞬時に舞台の進行を調整する。
その所作には、熟練の俳優が舞台上で生み出す間合いと同じ、緊張感と優雅さが漂っていた。
料理が運ばれるたびに、新たな幕が上がり、ワインが注がれるたびに物語が次なる展開を迎える。
この舞台において、観客と主演者の境界は曖昧だった。
私自身もまた物語を構成する一部であり、食の儀式を通して時を超える旅を演じていたのだ。
すべては一つの完璧な演出——味覚と記憶、視覚と想像が織り成す銀座劇場の夜。
それは、単なる美食の体験を超えた、精神と身体が一体化する美の瞬間だった。
── ランブロワジーのマダムとの邂逅、それは珠玉の瞬間への前奏──
銀座のレストランに日々足を運ぶうちに、昼と夜で異なる客層の顔ぶれが、自然と記憶に刻まれていった。
ある日の昼下がり、私は1階のドン・ピエールでチョリソーのスパゲッティを味わいながら軽やかなデュポネを口にしていた。
ふと視線を上げると、目の前のテーブルに小柄なフランス人マダムとやんちゃそうな表情を浮かべた少年が座っている。
彼女たちの佇まいには銀座の喧騒を離れたパリの気配がそっと漂っていた。
やがてオーナーのお一人である松本さんが2階のペリニヨンから階段を降り、微笑みながら声をかける。
すると、軽やかなフランス語がふわりとテーブルを包み込んだ。
松本さんが私に、「パリから着いたばかりのランブロワジーのマダムと息子さんですよ。」
その一言に、私はふと彼女と目を合わせ、静かに会釈を交わした。
言葉は交わされなかったが、その瞬間、私たちの間に小さな舞台の幕が上がったように感じた。
銀座の一角で、パリの二ツ星レストランの片鱗が交錯する——それはただの偶然ではないように思えた。
レストランは舞台と化し、そこに集う者たちは見えない糸で結ばれた出演者となった。
マダムの控えめな仕草、少年の無邪気な笑顔、そして松本さんの流れるような動き——それらが静かに調和し、即興劇の一幕を紡いでいく。
私はその舞台の静かな観客でありながら、同時に物語を織りなす一片でもあった。
思えばこうした珠玉の瞬間こそが、私の記憶の襞に柔らかな光を宿すのだった。
この銀座の昼下がりもまた、時を超える美食と記憶の交響曲を奏でていたのである。
── 時を超えた聖杯、『DRCラターシュ』とボランジェ RD1976の饗宴 ──
銀座のレストランに足繁く通ううちに次第に顔馴染みの客たちとの自然なつながりが生まれていった。
それは偶然の積み重ねのようでありながら、必然にも思えた。
ある日のこと、私はドン・ピエールで開催されるプライベートなワイン会に声をかけていただき出席することとなった。
ドレスコードは「何か一つピンクのものを身につけること」。
私は控えめにポケットチーフを選んだ。
休日の昼下がり。
穏やかで心地よい天候のなか、特別なワインが供されると聞き胸が高鳴る。
ワイン会が定刻に始まり私は静かに席に着いた。
だが、その瞬間、目の前の光景に思わず息を呑んだ。
堂々たる存在感を放つ6000mlの巨躯は、まるで時を超えた聖杯のようだった。
『DRCラターシュ』のマチュザレムボトル——その重厚な姿は、静謐さを纏いながら、まるで時の流れを支配しているかのようだった。
そのとき、同じテーブルでオーナーの松本さんが私を紹介してくださった。
紹介されたのは「リカーショップ愛」の安井康一さん。
安井さんはにこやかにシャンパーニュを一本取り出し「一緒に楽しみましょう」と微笑んだ。
彼が取り出したそのボトル——それこそが、ボランジェ RD1976だった。
一口含んだ瞬間甘味と酸味が音楽のように調和し、緩やかな旋律を奏でながら広がっていく。
驚くべきことに、その味わいは舌の上で消え去るどころか、時を遡り記憶の奥底に沈んでいた何かをそっと呼び覚ました。
それは、忘れていたはずの幸福が、ふいに輪郭を取り戻し静かに甦る瞬間だった。
不思議なことに、『DRCラターシュ』の荘厳な存在感を前にして、私の記憶に最も深く刻まれたのはボランジェ RD1976であった。
その完璧な甘味と酸味のバランスが、私を新たなシャンパーニュ観へと誘ったのである。
その日、私は安井さんと数時間にわたり、ワインの世界をめぐる尽きることのない対話を交わした。
彼の人間味あふれる穏やかな表情と笑顔は今でも鮮明に思い出される。
そのときの空気や波動までもが記憶の中で再生されるかのように。
時を超えた聖杯とともに味わったあのひととき——それは、単なる美食の記憶を超え、私の人生を織りなす欠かせない珠玉の断片となった。

── パリ、ランブロワジーでの覚醒 ──
それは、まるで夢の中の出来事だったのかもしれない。
1987年の大晦日、パリのヴォージュ広場。
空気は冷たく澄み渡り、冬の光が石畳を淡く照らしていた。
私は「ペリニィヨン」の松本さんの紹介を受け、「ランブロワジー」の扉を開いた。
ベルナール・パコー氏の料理を味わう──それだけのことが、なぜこれほどまでに私の記憶の深層に刻まれているのだろうか?
まるで長い夢の中で幾度も繰り返し見た情景のように、あの瞬間は私の意識の奥底に沈殿し、今もなお消え去ることなく輝き続けている。
到着するとマダムであるダニエルさんが奥の部屋へと案内してくれた。
そこはオランジュリースタイルの部屋。
古いタピスリーが壁を彩り、ライムストーンの床には黒いカボッションが嵌め込まれていた。
その静謐な佇まいは、まさにヴォージュの館にふさわしい。
席に着くと、ベルナール・パコーさんとダニエルさんが出迎えてくれた。
ムッシュ松本の紹介で東京から来たことをダニエルさんがパコーさんに伝え、ご挨拶をしてから早速料理に取り掛かってくれた。
最初に供された一皿は、『ピーマンのバヴァロワ、トマトの酸味クーリー添え』—— その名を聞くだけで、あの時の舌の上に広がる冷たく滑らかな口当たり、赤ピーマンと完熟トマトの持つ微かな甘みと酸の絶妙なバランスが蘇る。
赤いトマトのクーリーに浮かぶピーマンのバヴァロアは、クレーム・フルーレットでムースに仕立てるとオレンジ色に染まり、添えられた繊細なグリーンの葉とともに印象的な一皿となる。
「エイのむしり肉,キャベツ添え」
「仔牛の胸腺ウイーン風,ケッパー入りサバイヨン添え」
「キャベツのフォアグラ詰め,トリュフのクーリー添え」
「苦いココアのスフレ」等々。
しかし、驚くべきことに衝撃はこの料理だけにとどまらなかった。
あの日のランブロワジーで味わったすべての皿が、私の記憶の中では純粋な美の結晶となり、時を超えてなお輝きを放っている。
これほどまでに魂を揺さぶられた食体験は、私の人生において他に存在しない。
あの日私はひとつの絶対的な基準を得た。
フランス料理という宇宙の果てに触れ、二度とその領域に辿り着くことはできないのではないか——そんな甘美でありながら残酷な予感とともに。
「これほど美しい料理に出会うことは、もう二度とないのかもしれない。」
その午後の余韻が消えぬまま、新年の1月1日、私は再びランブロワジーの扉を叩いた。
大晦日の奇跡は一日限りの幻想ではなかった。
再び供される料理は前日の感動を一分の狂いもなく再現し、私は同じ幸福の頂点を二度経験するという希有な瞬間を得た。
不思議なことにその時のワインの記憶は曖昧だ。
おそらくワインはただ料理を引き立てる脇役に過ぎなかったのだろう。
あるいは私の意識がすべて皿の上の芸術へと向けられ、ワインの存在を超越していたのかもしれない。
まるでプルーストの『失われた時を求めて』のように、私はあの日の味を思い出すことで、あの時間そのものを再び生きることができる。
あのテーブルに座り、ベルナール・パコー氏の手が生み出した芸術を前にしたあの瞬間が、今もなお私の中で息づいている。
ヴァレリーが詩の一節に永遠を封じ込めたように、私もまたこの記憶を言葉に刻もうとする。
だが言葉がいかに繊細であっても、あの味を完全に再現することは不可能だ。
「ランブロワジー」、それは単なるレストランではなく、私の中の「異次元の扉」そのものだった。
未だにそれに匹敵する体験はない。
そしておそらく、それはこれからも変わらないだろう。

── ランブロワジーの記憶、日本にて ──
日本に戻った私は、「ペリニィヨン」の明永さんに、あの1987年の大晦日と1988年元日のランブロワジーでの体験を興奮気味に伝えた。
「今まで食べたフランス料理の中で、一番美味しかった。」
それは決して誇張ではなかった。
むしろ、どんな形容を尽くしても、あの味を言い表すには足りないとすら感じた。
明永さんは笑いながら、「そこまで凄いというのは、周りの雰囲気とかもあったんじゃないですか?」と信じてもらえなかった。
私は一瞬、言葉を失った。
確かに、パリのヴォージュ広場という舞台、ベルナール・パコー氏という巨匠の存在、そして新年を迎える高揚感が、あの料理の味わいをさらに特別なものにしたのかもしれない。
だが、それでもあれは単なる気分や状況に左右された一瞬の陶酔ではなく、純粋に料理そのものが放つ絶対的な輝きだった。
それから数ヶ月後、私は広尾にある老舗フレンチ「プティ・ポワン」を訪れた。
店内に漂う、落ち着いたクラシックな空気。
シャンデリアの下で煌めくグラスの光。
その夜、ふとした会話の中でソムリエにランブロワジーでの体験を話すと、思いもよらない言葉が返ってきた。
「実は、私も同じ時期に行って、おっしゃる通りの印象を受けました。」
その瞬間、時が巻き戻されるような感覚に包まれた。
あの日、あの場で、私が味わったものは、決して私だけの幻想ではなかった。
あの料理の持つ圧倒的な完成度は、偶然や状況の産物ではなく、純然たるフランス料理の真髄だったのだ。
私の人生の中でワインにおいては「世紀のワイン」と呼べる出会いがいくつかあった。
だが、料理全体を通じてそれに匹敵する体験は今なおあの時だけだ。
その後間もなくランブロワジーはミシュランの3ツ星に輝いた。
あのランブロワジーの記憶は、今もなお色褪せることなく、私の中で時を超えて存在し続けている。
2025年3月6日加筆修正
