短編小説 初恋 「原稿用紙二枚分の文芸賞」
私は特別な子どもだった。生まれた瞬間からの記憶があったのだ。私の手をずっと握っていた母親の手のぬくもり、父親が美しい女の子に成長するようにと美紀と名付けてくれたこと、そのいちいちを鮮明に覚えていた。そのことについて別段おかしいと思わずに七歳の誕生日を迎えたのだが、年よりも随分落ち着いて見えた私を父も母もやはり心配していたようである。私はそこで初めて彼らに自分の能力について話したのだった。彼らは最初半信半疑で私の話をきいていたが、話の辻褄が合うことをお互い確信し合うと私に強くこう言った。「美紀ちゃん。このことは決して他の人に話してはいけません。私たち以外の誰にも。お父さんもお母さんも美紀ちゃんのことがとても大切だから」私にはその日から世界に対する秘密ができた。秘密を持つということは人を自然と成長させる。私は最初から小さい大人だった。クラスの誰とも話が合わずに、放課後はそそくさと家に帰った。高校生になる頃私には初めて恋人ができた。相手は七つ年上の人だった。同級生の男子とはどうにも話が合わなくて通っている塾の講師と懇意になった。大学を卒業したら是非一緒になって欲しいとプロポーズまでされた。彼のほうが私にぞっこんだったのである。高校を卒業して初めて彼と関係を持った時、私は自分の中にあった記憶の話を彼にしてみたいと思ったのだが、すんでのところでやめておいた。自然と涙が溢れ出した私に彼は「疲れちゃったんだね」とポツリと言った。そして優しくキスをした。今では安心しきったのか、でっぷりと太った二児の母親をやっている。そして彼に初めて恋をしている。それはまるで感情というものを初めて持った人のように。赤ちゃんの頃からの記憶は今ではほとんどなくしてしまった。写真の中の弛緩しきった笑顔の私はとても幸せそうである。
(784字)
花澤薫様主催「原稿用紙二枚分の文芸賞」に参加しています。
