【小説】「誰も見ていないところで」第五章
葉子の回顧「不用意な共鳴」
「あなたは百年に一人の逸材よ」
支援員になってすぐの頃、桂木さんにそう言われたとき、冗談だとわかっていても、驚くほど満たされた気持ちになった。
まるで子どもの頃に先生に褒められたことが嬉しくて、眠れなかったときのように。
「若いのにいろいろとボランティア活動して、偉いわ」
そう地域の人たちから声をかけられる機会は少しずつ増えていたし、専業主婦とはいえ、子育て真っ最中の人間でここまでやっている人は、この地域にはいないだろうという自負もあった。
ただ、今思えばそれは、所属先が欲しかったのと、人から感謝され、認められたかっただけなのだ。
出産前に仕事を辞めてから、私はもう十年以上、社会に属していない。
働きたい気持ちはあったが、どうにも腰は重かった。私は器用に複数のことをこなせるタイプではなく、せめて朋樹が今の直樹くらいにならないと、社会復帰は厳しいと思っていた。近所のワーママたちは、高確率で、近隣の親に子どもの面倒を頼んでいるのを知っている。私は北国出身な上に親はもう亡くなっていて、隣町に住む義親も頼れる状況にはなかった。
そんな「働きたくても働けない」状態がもどかしくて、代替手段のように地域のボランティアをやっている部分もあったと思う。
「利用者に積極的に関わってくれて、あなたには期待しかないわ。この先何十年も支援員をお願いね」
桂木さんからの「百年に一人の逸材」という言葉と合わせたら、「この先何十年も」にうんざりしても、「まんざらでもない」が勝ってしまうのだから、自分の単純さには笑ってしまう。
初めて「風山子育て支援員」として、四名のメンバーと顔合わせをしたとき、私は緊張よりも安堵感に包まれていた。メンバーが全員六十歳以上ということで、お子さんはもう成人済み、お孫さんがいる方もいた。
彼女たちには、あくせくした感じがなく、皆、余裕があるように見えた。桂木さんに高山さん、この二人が主に発言していて、主要メンバーという感じ。田ノ上さんと代々木さん二人は、相槌を挟むくらいの静かで穏やかな雰囲気。
中でも桂木さんは、「風山子ども支援員」のリーダーで、在籍年数も一番長いということで、圧倒的な品と華のある人だった。話し方も理知的で、思慮に富んでいる。こんな方と知り合いになれただけでも、支援員になった価値はあったな、と思えたほどだ。
支援員になって初めての活動は小学生の放課後の居場所「ほっとすぽっと」で、ある月曜日、小学四年生と一年生になったばかりの直樹と朋樹を連れて、公民館へ行った。
公民館の和室に入ると、桂木さんと高山さんがいたので挨拶し、息子たちを紹介した。その場には、他に小二の男の子と小三の女の子がいた。「顔は見たことある」と言って、朋樹は男の子とオセロを始めたが、直樹はどうしていいかわからない様子で、自分のカバンから宿題を取り出しやり始めた。
高山さんが「直樹くん、感心ねぇ」と言って、目を細め、
「中学受験とか考えてるのかしら?」と私の顔を見た。
「あ、本人にやる気があれば……」私が曖昧な返事をすると、
「あなた、何を言ってるの。《中学受験は母親の狂気次第》って聞いたことない?」
高山さんは桂木さんを見て「ねぇ? そうよねぇ?」と言った。
「高山さんたら、自分の考えを押し付けちゃだめよ」と笑いながら桂木さんが言ってくれたので、ホッとした。そんな言葉は聞いたこともなかったから。
そこに、信輔くんが現れた。
信輔くんは、私の顔を見て一瞬目を見開いたけれど、すぐに笑顔になり、「こんにちはー」と言った。
家の前で会うこともほとんどなく、夜間の「騒音」でばかり信輔くんの存在を感じていた私だったので、どぎまぎしてしまった。信輔くんすっかり大きくなって、小柄な私は少し見上げるほどの身長になっていた。
信輔くんは、その場にいた四人の小学生に話しかけ、慣れたようにトランプカードを配り始めた。私は桂木さんにこっそりと尋ねた。
「高校生も、来ていいんですね?」
信輔くんが県内の偏差値上位の高校の制服を着ていることにも私は驚いた。あんな家庭環境で、受験勉強頑張ったんだなぁ……。
「あぁ、信輔くんは特別枠。いいのよ」
桂木さんは満面の笑みを浮かべて言った。
「中学のときも内申点のために、ボランティアさせてもらってました。おかげでギリギリ進学校に滑り込めましたー!」
信輔くんはこちらに向かって、おどけて言った。
「そう、信輔くんは、小学校の頃からずっと来てるけど、最近も月に2回くらいは来てくれているわよね」
「小学生からも人気なのよ、勉強も教えてくれるし、ホントいいお兄ちゃん」
桂木さんと高山さんは笑顔で言った。
この場にすっかり馴染んでいる信輔くんを見て、新参者の私はふと違和感を抱いたが、これはもしかすると疎外感かもしれない。
四十過ぎの主婦が高校生に張り合うってどうなの、と恥ずかしくなった。
それから、私は直樹と朋樹を連れて、ある週は月曜日、ある週は木曜日と曜日はまちまちだったが、週に一回ほっとすぽっとに顔を出し続けた。そして、数ヶ月が経った頃、あることに気づいた。
「桂木さんと高山さんペア」か、「田ノ上さんと代々木さんペア」という組み合わせでしか従事しておらず、ペアの組み換えを一切していないことに。そのどちらかに私が追加されているような感じ。
水曜日の未就園親子の「わんぱくきっず」でも同じだった。
毎月、月間予定表というのを代々木さんが作って全員に配ってくれているのだが、それを見れば、組み合わせが固定されているのはより明確だった。
波長の合う者同士というよりは、派閥と呼ぶのが正しいだろうか。このくらいの年齢になっても、また、地域のボランティアであっても、そういうものがあるのかとちょっとした発見をした気になった。
信輔くんは、中学時代の同級生と公民館に来ることもあったし、一人でふらっとやってきて、小学生がいないときは、自分の宿題をしたり、支援員とただ話したりという日もあった。
「学校から家に帰っちゃうと、保育園に行くのがダルなるから、ここで時間つぶしてるほうがラクなんです」
「そっか、そうだよね。一回家に帰っちゃうと、また坂道を登らなきゃいけないしね」
信輔くんは電車で高校に通っているようだ。駅から家に帰るまでの途中に、公民館と保育園があるので、りんなちゃんのお迎えまで、ここで過ごすのが都合がいいという。
「信輔くん、妹さんのお迎えって毎日……?」
「はい、母は遅いんで」
私はあやかに対し、「息子に育児押し付けてんじゃないよ」と内心毒づいた。
実を言うと、私は信輔くんがほっとすぽっとに出入りしていると知った瞬間、とっさに「気まずい」と思った。なにしろ、過去に信輔くんの母親と私がトラブルになっていることを、当時小学生だったとはいえ、賢い信輔くんが知らないとは思えないし、自分の親と揉めた隣のおばさんのことなんて、どうしたって警戒するだろうと思ったのだ。
ところが、それは考えすぎだったのかもしれない、と思う出来事があった。
「樫村さん、うちの親がいろいろすみません。非常識でご迷惑かけてますよね」
他の人がいないちょっとした隙に、信輔くんが私にそう言ったのだ。全てを理解しているような表情で、ごくさりげなく。
高校一年生の、見た目は大人に差し掛かっているとはいえ、まだ親の加護が必要な子どもが、そんなことを言わなければいけない現実。そして、子どもにそんなことを言わせてしまう親の不甲斐なさ。悲しみなのか怒りなのか、得体の知れない感情が一気に押し寄せた。
そして、思い出した。亡くなった私の母親のことを。
私が小学五年生の頃のこと。
母は、昔から思ったことをすぐに口にしてしまうところがあった。それは家庭内にとどまらず、近所の人や、学校の先生や同級生のお母さんにもつい余計なことを言ってしまう、ちょっとしたトラブルメーカーだった。
「私なら、子どもにそんな思いはさせないわね。だから息子さん、万引きなんてするのよ」
学校から帰ると、母が誰かと電話で話す声が聞こえた。
「誰に言ってるの? それ言っていいことなの?」と思った次の瞬間、
「なんで、本当のことでしょ。図星だから怒るの?」
笑顔をひきつらせて、母が反発している。
電話の相手と不穏な空気になっているのが嫌でもわかった。最終的にはなぜか母が怒って電話を切っていた。
そうなのだ。母は人を怒らせておいて逆切れする人だった。
ある日、学校からの帰り道、同じ団地に住んでいる早苗ちゃんが公園で友達とおしゃべりしているところに出くわした。
彼女は私に気づくと、急に笑顔を消し、こう言った。
「葉子ちゃんのママって、嫌なこと言う人だってうちのママが言っていたよ。葉子ちゃんとも遊ばないほうがいいって」
私は言葉を失った。
逃げるように帰り、布団をかぶって泣いた。
——なんで、うちのお母さんは……。
子どもは親を選べない。その理不尽さに耐え続けた子ども時代。父は気が弱く、母には何も言えない人だった。姉はそんな両親に早々に見切りをつけ、高校卒業とともに家を出たが、妹の私は逃げ遅れた。
かつての自分の姿に、信輔くんの姿がカチッと重なった。
「なんか、あんな母で、すみません」
そんなこと、恥ずかしくて私には絶対に言えないセリフだった。
大学生の頃、母が亡くなったとき実はホッとしたなんて、誰がわかってくれるだろう。もちろん涙なんて出なかった。
——信輔くんは、すごいな。
あの若さで、親と自分は別だと考えられているのか。どうかこのまま、まっすぐに育ってほしい。あんなおかしな親に振り回されることなく、幸せになってほしい。
「信輔、お前もう帰んの?」
「うん、りんな迎えに行って、今日はカレー作るわ」
時々、閉館時間より早めに帰る信輔くんに絡む同級生のおかげで、彼の暮らしぶりはより漏れ伝わってきていたし、支援員のなかで信輔くんが「特別枠」と言われているのは、彼がほっとすぽっとで小学生の相手をしてくれているからだけではないことにも、私はうすうす気づき始めていた。
支援員になってそろそろ1年が経とうとしていたある日、ほっとすぽっとの片付けをしていると、桂木さんと高山さんが、「信輔くんにこれ、渡したいわね」と話していたので振り返って見ると、「やんぐこあらの会」と書かれた小さなカードを持っていた。ゆるキャラのような可愛いコアラの絵も描かれている。
その下には、「未来を生きる君へ。誰かのお世話で疲れてない?」というメッセージがあった。
「あの、それって……」
気になって尋ねると、桂木さんが言った。
「信輔くんには、支援が必要だと思うのよ」
そう言って、別の大きいパンフレットを私に見せた。
ヤングケアラーに支援の手を
「NPO法人 やんぐこあらの会」
その文字を見た瞬間、私は「そうか、彼は《ヤングケアラ―》なのか」と初めて気がついた。その単語は知っていたのに、信輔くんとは結び付いていなかった自分を恥じた。そのパンプレットを読めば読むほど、妹のお世話を日常的にしている彼はヤングケアラ―以外の何者でもなかった。
尾川夫妻のりんなちゃんに対するネグレクトをカバーするための働きすらしているのだから。
私は、桂木さんと高山さんに、尾川夫妻の話をした。夜間の怒鳴り声、その口調。最近は以前よりは減ったが、信輔くんが叫んで反抗していたこともあることを。
二人は神妙な顔で私の話を聞き、「やはり早急に支援に繋げなければならないわ」と言った。
ヤングケアラ―に該当する子どもは、まずはつらい現状や心境を吐き出し、経験者や同じ思いを持つ仲間とつながりを持つことが大切であり、彼らにそういう場所を提供している団体だとパンフレットには書いてある。
しかし、私は、信輔くんがわざわざ電車に乗ってこの会場へ行って、思いを吐露している姿を想像することができなかった。
なんとなく、信輔くんはこの公民館で支援員や職員、そして同級生や小学生たちと関わることで心のバランスを保てているように、私には見えていたのだ。
とはいえ、私は専門家でもないし、支援員歴も浅い。何も言えず、黙っていた。
春休み、夫の代休の金曜日に、私たち家族は車で一時間ほどの萱野辺プラザという大型ショッピングモールへ行った。進級前に直樹と朋樹の上靴や服を買いたかったのと、私も遠出してリフレッシュがしたかったのだ。
フードコートで食事をしていると、少し離れたところに見覚えのある子が見えた。
信輔くんだった。
うわ、あやかには会いたくない、ととっさに顔を伏せようとしたそのとき、信輔くんの隣に、同級生らしい可愛い女の子がいるのが見えた。
二人は手をつないで、人ごみの中に消えていった。
「彼女……?」
「ママ、どうしたの?」
「ママ? なに?」
直樹と朋樹が代わる代わる私に尋ねてくる。
「あっ、なんでもないよ……ふふ」
心の中に、パッと花が咲いたようだった。
まるで私も高校時代に戻ってクラスメイトにでもなったかのように、彼らの交際を応援している自分がいた。
どうか、信輔くんがこのまま思い切り青春を謳歌できますように。
——そう祈った。本気で。
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すけしんÿÿ@s1lentSh1n0627・2025/03/13
なんか近所のおばさんたちに変な名前の
団体行くよう勧められてマジで引く。
俺をラベリングしないでくれ。
ちなみに宗教とかじゃないよw
そんなとこに行くヒマあったら
彼女と会うよね。高校生ですからw
#もっと一緒にいたい#結局惚気#スミマセン#普通が一番

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すけしんÿÿ@s1lentSh1n0627・2025/03/28
彼女と春休み#萱野辺プラザ へ。
誰にも会わんように電車とバスで
時間かけて行ったけどサイコーに楽しかった。
なんこれ?こんな幸せなん?デートって
二人でキーホルダGET!
あー春休み終わるなー俺には土日がないんだー
クラス替えやだなー彼女と離れたくないー
#スキすぎてヤバイ#エスバニ

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