【小説】「誰も見ていないところで」第三章
葉子の回顧「騒音と孤立」
人間関係のトラブルは、よほど親しい間柄じゃない限り、自分たちで解決するのは無理だろう。
「話せばわかってもらえるはず」と信じきっていた私は、世間知らずだった。
隣人の尾川家とのトラブルは、六年前の春の日にさかのぼる。
当時、私たち家族は、風山町内のアパートから徒歩十五分くらいの今の住まいに引っ越してきたばかりで、直樹は四歳、朋樹が一歳のときだった。朋樹は神経質なところがあり、眠りが浅く、眠ったと思ってもすぐに目を覚ましてぐずってしまい、私は寝不足に悩んでいた。
段ボールだらけの雑然とした新居の中で、どれだけ体力を温存しながら過ごすかが日々の課題だった。
毎朝、直樹を幼稚園に送ったあと、朋樹と過ごす。朋樹が思うように昼寝をしないことにストレスを感じてしまっていた私は、朋樹を連れて公園や育児支援施設で過ごした。直樹を迎えに行った後は、クラスメイトと公園で遊ぶ。朋樹は移動中のベビーカーや自転車に乗っているときに細切れに眠り、夜の睡眠不足を解消していたようだった。
私は帰宅後、ソファに倒れこみそうになるのを踏ん張り、すぐにお風呂かシャワーに入れ、あわただしく夕飯、歯磨き、そして就寝、という怒涛のスケジュールをこなす。夫の帰宅は遅く、いつも子どもたちが寝た後だ。クタクタで、夫を思いやる余裕なんて一ミリもなかった。
引っ越して一ヶ月ほど経った、五月のある夜。
その日は朋樹が珍しくスムーズに寝入ってくれて、私は涙が出るかと思うほど喜んだ。窓から涼しい風が入りこみ、気持ちよさそうに寝ている朋樹からそっと離れ、お菓子でも食べながら撮り溜めておいたドラマの録画を観ようと階下へ向かった瞬間、隣の家から予期せぬ怒号が届いた。時刻は夜の九時半を回っていた。
「お前、宿題やってへんってどういうことやねん」
女性の声だった。——奥さん?
「やれ! おい、今すぐや!」
「今やるわ、うっさいな」
「なんやお前! なんちゅう口の利き方や!」
その剣幕に呼吸も忘れ、階段で立ち尽くしていると、朋樹がぐずり泣きし始めた。
「うそ……」私は絶望した。
——やっと、自分の時間を取れると思ったのに。
水槽に墨汁を注いだように、私はみるみるドス黒い感情に支配されるのがわかった。乱暴に窓を閉め、ぐずる朋樹を抱っこして揺らしながら、隣人の方角を向いて睨んだ。隣家の窓は全開しているように見えた。信じられない。
私が関西弁のキツさに慣れていないとはいえ、ちょっと怖すぎた。怒鳴り声というよりは、叫び声。ましてや、この時間に、窓全開で。その非常識さは、この穏やかな地域ではまず見かけない「人種」に思えた。こんなこと言っちゃ悪いけど、戸建ての家を購入できるほどの経済力と、この粗暴さは不釣り合いだと思った。「紛れ込んだ」という表現をしたくなるほど。
家を買う際、隣にどんな人が住んでいるのか慎重に確認すべきだったのに、私たち夫婦はその手間を怠った。
空き地に二棟同時に建った戸建てで、尾川家の二ヶ月後に契約した私たちにハウスメーカーの営業マンは言った。
「お隣は、ご夫婦と小学生の息子さんの三人家族ですよ」
それを聞いたとき「自分たちよりも少し先輩のパパとママなのかな」と心強く感じた。もしかしたら、何かあったときに助けてもらえるかも、と。
振り返れば、その短絡さには笑ってしまうのだが、そのとき私が勝手に描いた尾川家の奥さんのイメージは、「家庭的で頼もしそうな年上の女性」だった。
実際は、私たち夫婦よりもずっと若い夫婦だった。「家庭的」や「頼もしさ」からは一切かけ離れた風貌の。
宿題のことで怒られていたのは、当時小学五年生の信輔くんで、家の前で会えば挨拶もしてくれるし、礼儀正しく、小学生にしては大人びた顔つきをした子だった。だから、あんなふうに夜遅くに母親から恫喝されなければならない理由があるようには見えなかった。たまたま忘れていたとか、疲れていたとか、それだけだろうに。直樹も朋樹もまだ幼児で、宿題くらいであんなに怒られる理由が、私には余計理解できなかった。
それから一週間ほど経ったある日の夜、また隣から大音量の怒声が耳に届いた。
「おい! あやかァ! おまえ車のライトつけっぱなしにしとんちゃうぞ!」
——奥さんだけじゃなく、旦那まで……? こんな時間に大声で。常識というものがないのか。夫婦そろって。
それもそうか、常識のある人間は、常識のない人間と一緒になったりしないだろう。
窓を開けなければいいのだけれど、夜風を室内に取り込みたい。それに、そう毎日大声は聞こえまいと油断していたら、これだ。
それからも、あやかが信輔くんを怒鳴る声、あやかと旦那が言い争う声、旦那が信輔くんを恫喝する声が届いた。ときに、信輔くんの反発する声、泣き叫ぶ声が聞こえてくることもあった。
そして、ほぼ毎回、朋樹は目を覚まして泣いた。
そんなことがわずか一ヶ月のうちに四、五回ほどあっただろうか。
エアコンを使う季節までの辛抱だという思いもありながら、「今後のことも考えたら、迷惑していることを伝えなければ」という思いが強くなっていった。後から振り返れば、理解してもらえる相手ではなかったから我慢の一択だったのに、どこか「この非常識な夫婦に“公共心”というものを教えてやらなくちゃ」という気持ちがあったかもしれない。
困った私は、町内会の方にお願いして、回覧板か、あるいは直接尾川家に注意をしてもらえないかと、夫と連れ立って斜め向かいに住む班長さんに相談しに行った。六十代と思われる温厚そうな男性で、転入時に挨拶したきり、会うのは二回目だった。
ところが、班長さんから聞かされたのは、絶望的な回答だった。
「あぁ、尾川さんは町内会に入ってはらへんのですよ」
町内会に入っていない人に対して、町内会として対応することはできない。そう言って班長さんは残念そうな表情を見せたが、ホッとしているのは一目瞭然だった。その表情で、尾川家がこの地域では浮いていて、誰も関わりたがらないこと、つまり解決策もないということを思い知らされた。
こういうとき、集合住宅なら管理会社に対応してもらえるのに。戸建ての場合は町内会に入っていなければどうしようもないのかと、心底途方に暮れた。購入したハウスメーカーも相談したが、土地や住宅の問題以外で仲裁で入ることはまずないと言われた。
そのときの私は寝不足で追い詰められており、もう引くに引けず、夫と相談した結果、尾川家へ手紙を書くことにした。
尾川様
いつもお世話になっております。
隣の樫村です。
一つご相談がございます。
我が家にはもうすぐ二歳の子がおりまして、眠りが浅く、すぐに目を覚ましてしまいます。少しの音でも目が覚めてしまうので、申し訳ありませんが、子どもの就寝時間には、少しだけ声の音量を下げていただくことはできませんでしょうか。
心苦しいお願いではありますが、何卒ご配慮いただけると幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。
樫村
花柄のびんせんに綴った文章を、私は何度も読み返した。
言葉が丁寧すぎると彼らには気持ちが伝わらないのでは、と不安に駆られたが、文体を崩すのも難しく、また逆上されないとも限らない。
あれこれ思いを巡らせ、翌朝、意を決して、このまま封緘し、尾川家のポストへ投函した。その瞬間、動悸がした。
その日の午後、出かけていた車が車庫に入る音が聞こえ、朋樹と家にいた私は「手紙に気づいてもらえるか、読んでもらえるのか」と身を固くした。
五分ほど経った頃だったか——
「ハァ?こっちかて妊婦やぞ!ふざけんなや!こっちが先に住んどるんやからな!」
あやかの怒声と何かを蹴とばす音が聞こえ、私はドキッとした。どうやら私の書いた手紙を読んだらしいこと、そして彼女が今妊娠しているということを、その暴言から察することとなった。
顔を合わせても私から軽い会釈をするくらいの関係性だったが、その後、あやかは完全に私を無視するようになった。お腹がかなり大きかったので、出産は近いようだった。
そして、その夏、尾川家に女の子が生まれた。
洗濯物をベランダで干していると、赤ちゃんの泣き声が聞こえたので見ると、ピンク色のベビー服を着た赤ちゃんを抱えて、あやかが車で出かけるところだった。
「あぁ、本当に妊娠中だったんだ……」
尚更、あの夜の静寂を突き破るような怒鳴り声を、信輔くんにだけじゃなく、お腹の赤ちゃんにも聞かせていたのかと、いたたまれない気持ちになった。あんな人が母親だなんて、子どもたちはなんと不憫なんだろう——
手紙を投函したことについて、日に日にその後悔は濃くなった。理解されず、関係は悪化し、居心地が悪くなるだけだったのに。少しでも心象を良くしようと選んだ花柄のびんせんも、何の意味もなかった。
その年の暮れに、次年度の町内会班長を頼まれたときに迷わず引き受けることにしたのは、間違いなく、そんな心の隙間を埋めるためだったと言える。私は「味方」が欲しかった。尾川家への困りごとを共有できる仲間が欲しかった。「大変ね」「手紙は最善の方法だったと思うわ」そんなふうに、誰かに「あなたは間違ってなかった」と認めてほしかった。
そして、もう一つ、「親があんなんで、尾川家の子どもは大丈夫か」と同じように心配してくれる人を見つけたかった。
振り返って思うと、尾川家の子どもたちを心配する一番大きな理由は、
「いつか彼らが非行にでも走ってしまったら、私たち家族が安心して暮らせなくなるから」だ。驚くほど利己的だが、突き詰めるとそんな思いがあったように思う。
しかし、尾川家に関心を持つ人間とは誰一人、町内会の活動で出会うことはできなかった。
その翌年、私は町内会の副会長を務めることとなったが、結局、困りごとを解決できるわけでも、味方を得られるわけでもない、ただ「所属すること」が目的となっている町内会で、役員でいるのは本当に虚しかった。
気づけば、あやかやその旦那に応戦する信輔くんの叫び声は、次第に低い声に変わっていき、妹のりんなちゃんの泣き声も加わるようになっていた。
そして、朋樹が小学一年生になったタイミングで私が「風山子ども支援員」になったことで、尾川家とはまた思わぬ形で関わることとなる。
高校一年生になっていた信輔くんが、「風山ほっとすぽっと」の常連だったのだ。
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ayyyaNO.1(。◕д◕。) @xxayakaxx0714・2019/05/14
隣人ガチャ◒マジで大ハズレ。
声がうるさいって隣人が文句の手紙入れてきた。
めっちゃこわない?あとから引っ越してきたの
あっちなんだけど。もうすぐべビちゃん生まれるからおだやかに過ごしたいのにー。たぶん姫♡上の子は頭いい王子だし、
私は最高にラッキーな女(´っ・ω・)っ

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