【小説】「誰も見ていないところで」第七章
朋樹「ぼくのせいかも」
「なんか、桂木さんたちの話よくわからなかったなぁ。兄ちゃんは?」
公民館で佐藤さんについてもらって、桂木さんと高山さんから話を聞いたけど、ふたりとも同じような話をくりかえすだけで。
桂木さんは「樫村さんには期待してた、頑張ってほしかった」
高山さんは「樫村さんには支援員としての自覚を持ってもらいたかっただけ」って。
「うん、あんまりピンとこなかったね。特に桂木さんは、自分のせいでママが自殺しちゃったかもって思ってるから、あんまりいろいろ話したくないだろうな」
「そっかぁ。あと、お赤飯を食べてないのも本当かなぁ」
「それは本当じゃない?嘘つく必要ない気がするんだけど」
「でもさ、ママすごいよね」
「何が?」
「だってさ、四月十一日に桂木さんにひどいこと言われたでしょ、でも四月十七日に、桂木さんと高山さんにお赤飯渡そうとしたんでしょ。ぼくならイヤなこと言う人に、自分が作ったものあげようとか思えないもん」
「そうだね……ママはどういうつもりだったのか、こればっかりはわからないな」
兄ちゃんが寝転がって、天井を見つめている。
「そうだ、警察の人から返してもらったスマホあるよね。桂木さんからどんなメール来たのか見てみない?」
ぼくはそう言って、ママの写真の横に置いてあるスマホを充電器につなげた。
「ぼくたちパスワード知ってるもんね」
写真を撮ったり、ちょっとしたアプリを使わせてもらうためにママからスマホを借りるときがあり、ママは暗証番号をぼくらに教えてくれていた。
「あ、電源入った」
兄ちゃんがぼくから取り上げるようにして暗証番号を押した。ちぇ。
ママのスマホの待ち画面は、この家にひっこしてきたばかりの4歳と1歳のぼくらだった。自分のことだけど、かわいいなぁと思う。
「へへ、かわいいね」ぼくが笑うと、
「でも、その頃は朋樹が全然寝てくれなくて、ママも寝不足で大変だったって言ってたよ」
「悪かったなぁ、でもママ、今はゆっくり寝れてるから、許してほしいね」
「出た、朋樹の超ド天然のブラックジョーク」
兄ちゃんがニヤッとした。兄ちゃんを笑わせられると超嬉しい。
「あぁ、これひどいよ」
兄ちゃんは、桂木さんからのメールを読んで、難しい顔をした。
「『樫村さんは、「支援」を「承認欲求を満たすための手段」だとはき違えてらっしゃいませんか?』これが特にひどいよ……。承認欲求って意味よくわからんけど、なんかひどいことを言ってるっていうのはわかる」
「うん、なんか言いすぎってかんじする。人格否定された、ってこういうときに言うんだ。ママは桂木さんのせいで自殺したんじゃないかって思えてきてしまうね」
「うん、まあね。そうじゃなかったとしても、実際これを読んでママは寝込んじゃったしね」
「もう、桂木さんが逮捕されればいいのに」
「そうだね……でも桂木さんが逮捕されたって、ママが帰ってくるわけじゃないから」
兄ちゃんが泣きそうな顔をしていた。
ぼくは思い出して言った。
「ママは日記とか書いてなかったのかな」
「あ、そういえば手帳にいろいろ書いてたって警察の人が。見てみようか……ダメかな」
「見ちゃいけないかなぁ……でもママが自殺なんかしてないって知りたいよ。いいんじゃないかな。ママ許してくれるよ!」
二人で、ママが一月から使っていたお気に入りの手帳を開いた。
ママに黙ってゲームの時間をオーバーしちゃうときみたいにドキドキした。
「わんぱくきっず」「ほっとすぽっと」などのママの予定から、「始業式」「心電図」「歯科検診」など、ぼくらの学校の行事なんかも書き込まれていた。
「ママ……あんまり字きれいじゃないよね、漢字の書き順違うと字のバランス悪くなるよ!って結構うるさかったのに」
兄ちゃんと顔を見合わせて少し笑い、ぼくらはママの予定表をじっと眺めた。
ママが死んじゃった四月十七日以降も予定が書きこまれているのに、ママはもういない。ぼくは、そのことが不思議でしょうがない。
——おーい、ママ。今日五月一日は、「ほっとすぽっと」の日って書いてるよ。さっきぼくら行ってきたよ。ママも公民館にいましたか~
「一ヶ月のページには予定が書いてあるけど、一週間ごとのページは日記みたいの書いてるんだね」
兄ちゃんがページをめくりながら言った。
「ちょっとしんどい」「完全無気力デー」「朋樹二時間目で早退」などの文字が並んでいた。きっとそのときの気持ちとか、あとからのふりかえりみたいなものをママはメモしてたんだ。
「見て。桂木さんから厳しいメールきた次の日かな、四月十二日のスペースにこんなこと書いてある」
一番怖いのは悪人ではなく、正義と信じて疑わない善人かもしれない
「なんだろう、これ。桂木さんのことかな?」
ぼくがそう言うと、兄ちゃんが考え込むような顔をした。
「うーん、そうかなって思うけど、でも、僕は桂木さんが《善人》っていう感じもしないな」
「じゃあ、誰なんだろう」
「わからない」
「ねぇ、そうだ。ママがこれを書いた二日前の四月十日のほっとすぽっとに行ったとき、田ノ上さんと代々木さんがいたの。この二人からもなんか話聞けないかな」
「おー、そうしようか。朋樹、いろいろ思いついてホントすごい。佐藤さんに訊いて、二人に会える日に行こう」
兄ちゃんが公民館へ電話して、佐藤さんに確認したら、次に田ノ上さんたちが公民館に来るのは一週間後の五月八日の木曜日らしい。その日の放課後に、ぼくらは行くことにした。
一週間後、公民館へ行くと、事務所から佐藤さんが顔を出して、「直樹くん、朋樹くん、すぐあとに私も行くね」と声をかけてくれた。
藤堂さんはいなくて、佐藤さんだけがいた。あの日と同じかぁ。
「佐藤さん、今日も一人なの?」
「そうなの。でも五時まで田ノ上さんと代々木さんがいてくれるみたいだから、心強い」
佐藤さんは困った顔をして笑った。
和室へ行くと、田ノ上さんと代々木さんと、ぼくのクラスメイトの敬太くんがいた。
「あ、敬太くん!」
敬太くんはこちらも見ずに「うん」とだけ言った。ピース数の多いパズルをやっていたみたい。
敬太くんとは、一年のときから同じクラスだけど、授業中に脱走してしまうことが多くて、途中から「かざやまっこ教室」と呼ばれる別のお部屋で勉強するようになった。だから最近ぼくが学校にあまり行ってないことは知らないかもしれない。ちょっとホッとした。
敬太くんはこちらを見ることもなく、すごい集中してパズルをやっている。兄ちゃんがぼくに「田ノ上さんたちに話聞こう」と言った。
ちょうどそこに佐藤さんもやってきた。
「この子たち、少しでもここでのお母さんの話を聞きたくて、お世話になった人たちからお話聞かせてもらってるんです。ご協力お願いします」と言ってくれた。
ぼくらがあいさつをすると、田ノ上さんと代々木さんが、「直樹くん、朋樹くん、あぁ……大変だったわね」涙声で、かわるがわるそう言った。
「お母さん、一生懸命頑張っていたわよ」
田ノ上さんがハンカチで目じりを押さえながら言った。
「相手のことをよく考えて、その人に合わせた話を選んで話す人だったわ。相手が大人でも子どもでも」
「そうよね、明るい人だけど、いつも気を遣っていたわ。私たちにはそんなに気を遣わなくていいのに、と思っていたの」
代々木さんもそう話してくれた。
「あの、実はママは、桂木さんから四月十二日に怒られるメールを受け取ったんです。亡くなる五日前なんですけど」
兄ちゃんがそう切り出す。
田ノ上さんと代々木さんは顔を見合わせた。
「……本当?」
「はい、長いメールで、ママの悪いところをたくさん書いてて……『立場をわきまえて』とか『支援を承認欲求を満たすための手段だと勘違いしてないですか』とか」
「なんですって」
代々木さんが声を震わせた。
「前に、一緒に支援員をしていた私の友人にも、桂木さんがキツイことを言って、追い詰めたことがあるのよ。結局彼女はやめてしまったわ。まさか、樫村さんにまで」
「誰も見ていないところで行き過ぎた指導があると、誰にも気づかれずに言われた人はただ落ち込んでしまうだけよね。吐き出せる人がいたらよかったけど……樫村さん、私たちには言えなかったかしらね。亡くなる前の日に会っているのに。あぁ、こんなことになって。まだ小さい息子さんたちもいるのに……悔やみきれないわ」
田ノ上さんがハンカチで目全体を押さえている。
「そうですよね、ボランティアって皆さんの善意で成り立ってるものだから、年齢とか立場とか関係なく、フラットにお互いのいいところを見ながら尊重し合えたらいいんですけどね……」
佐藤さんが言う。
「私があの日……樫村さんから不登校支援の日も作れないかって相談あった日の夕方、桂木さんにばったりスーパーで会ったのよ。それで、すぐに彼女に伝えたの。もしかして、それが彼女の逆鱗に触れたのかしら」
田ノ上さんは、壁にかけてあるカレンダーを見ながら、言った。
「あの人は、自分に一番最初に話がないと怒る人よね。何より面子が大事なのよ」
代々木さんが低い声で言った。
「だとしたら、私がうかつに話したのが悪かったわ。でも、メンバー内で活動中についでに話すことってあるわよね……そんなことにまで目くじら立てていたら、何も話せないわ。樫村さんも困っている様子だったから、少しでも早くお伝えしなきゃと思って、会えたついでに私からつい話してしまったの」
田ノ上さんが、取り返しがつかない、という顔をしていた。
「ごめんなさいね……こんなことになるなんて……」
「……あ、いえ」
兄ちゃんが困っている。
なんだか、みんなママが自殺したと思い込んでるし、本当に自殺なんじゃないのと思えてきた。だって犯人なんていそうにもないもん。
「不登校支援って、ぼくのために考えてくれてたの」
ぼくは誰にきくでもないけれど、そう口にしていた。
「そうね、朋樹くんが学校に行かなくても楽しく行ける場所があればいいな、ってママは考えてくれていたのよ」
田ノ上さんが優しく教えてくれたけど、ぼくは我慢ができなくなってきた。
「じゃあ、もとはと言えばぼくのせいじゃないか。ぼくが学校行きたくないっていうから、ママを疲れさせちゃったんだ。それで桂木さんにも怒られて。ぼくのせいだ!」
「朋樹のせいじゃないよ」
兄ちゃんが言う。いや、ぜったいぼくのせいだ!
イライラが抑えられなくなって、ぼくはめちゃくちゃに叫んでいた。兄ちゃんが、ぼくをおさえようとするので、もっと暴れた。
すると、パズルをしていた敬太くんがいきなり「ワーッ!」と叫び、外に飛び出した。
「あっ! 待って! 敬太くん!」
佐藤さんも和室を飛び出した。
ぼくもあわてて玄関のほうへ行くと、靴下のまま飛び出した敬太くんを佐藤さんが靴を履いて追いかけている。
「僕も行ってくる!」そう言って、兄ちゃんも敬太くんを追いかけた。
「兄ちゃん! 気を付けて!」
公民館には、田ノ上さんと代々木さんとぼくが残っていた。
「あぁ……敬太くんはね、ときどきあんな風に飛び出したり、帰ったはずなのに、家に着いてないってお母さんから電話がきたりするのよ」
「えーっ、ここでもそうなの」
「あの日も、そうだったって。私は後から聞いた話だけど、敬太くんが帰ってきてないってお母さんから連絡来たから、佐藤さん、心配になって探しに行ったのよ。だから、樫村さんが一人になったのよね」
田ノ上さんが言った。
「しかも、あの日は桂木さんと高山さん、二人して四時くらいに帰ったって、私佐藤さんに聞いたわ。用事があるなら仕方ないけど、二人同時に先に帰るってどういうことなの」
代々木さんは少し声を小さくしてひそひそしてるけど、ぼくにはちゃんと聞こえた。
「それにしても敬太くんのお母さんも、こういうの何度もあるんだから、迎えに来てくれたらいいのに……公民館も人が足りてないのに」
代々木さんがついでに敬太くんのお母さんにも文句を言っている。
「ええ、そうよね……でも五時までは駅前のパン屋さんでパートしてるから、おうちに帰るのはどうしても五時十五分くらいになっちゃうんですって。佐藤さんから聞いたわ」
「ねぇ、こんなふうに、公民館から佐藤さんも藤堂さんも誰もいなくなっちゃうことって、けっこうあるの?」
ぼくは気になってきいてみた。
「そうね、敬太くんが来た日には、何度かあったわ。私たちだけで留守番したことあったし、桂木さんたちのときも、あったみたいよね」
「そうなんだぁ」
「そういえば、信輔くんが追いかけてくれたこともあったよね。さすが高校生、若いからすぐに敬太くんに追いついて、助かったって藤堂さんが言ってたわ」そう代々木さんが言った。
「へぇ、じゃあ敬太くんは信輔くんとも友達になってるのか」
あの日にママが一人になることは、めずらしいことじゃなかったんだ。
そのとき、頭のなかで何かが引っかかった。
「朋樹くんは、話す言葉があれね。関西弁と違うわね。直樹くんも」
田ノ上さんが言った。
「うん、ぼくのママ、北海道の人だから」
「あぁ、そういうことね。お母さんの話す言葉に影響されるわよね。私たちも二人とも関東出身だから、子どもたちも関西弁に染まり切れなかったわ。だから、わかる」
代々木さんが言った。
「桂木さんも愛知だし、高山さんは石川だったわよね。みんな、結婚とか転勤とかいろんな理由でたまたまこの京都の風山町に住んでるだけなのよね」
「そうよね、せっかく縁があって出会えたのに。なんで仲良くできないのかしらね。子どもたちには仲良くしましょうって言ってるのに、イヤね」
田ノ上さんと代々木さんが、困った顔をしながらぼくに笑いかけた。
佐藤さんと兄ちゃんはなかなか帰ってこなくて、結局戻ってきたのは三十分後だった。そのまま敬太くんのマンションまで送ってきたみたい。
ママが帰ってこなかった四月十七日も、佐藤さんはそうしたって言ってた。
<高山和子の日記:2025/4/17>
「不登校支援」って言葉が嫌い。
美樹も小四の頃に一時期不登校になりかけたけど、昔は「神経症」「登校拒否症」って、ちょっとした病気扱いだった。不登校は恥、甘えと言われていたから、姑からも責められて。私は美樹が泣いてもわめいても学校へ連れて行った。だから今でもそのイメージがどうしても抜けない。
私だって、それが良かったかはわからない。美樹、たまに日本に帰ってきてるみたいだけど、うちには寄らない。寂しい。子育てで後悔しているか?そんなわけない。私は頑張ってきた。美樹はダメだったけど、浩一のことは名門中に合格させることができたんだから。
樫村さんから、不登校児向けに午前中のほっとすぽっともできないかという話が出たらしいけど、これ以上忙しくしたくない。それに、あの頃の自分がダメ出しされているようで、複雑な気持ちになる。
今日は桂木さん、樫村さんにいつもより冷たかったように見えた。四時に先に帰るのも急に言い出して。「私は先に失礼するわ、片付けは樫村さんにお任せしていいと思うけど、あなたはどうする?」って。私だけが樫村さんと残るのはなんとなくシャクで、一緒に帰ってしまった。
それにしても桂木さん、最近少し調子に乗ってる気がする。PTA会長もやったことないくせに。私は小学校、中学校、高校でもやった。リーダーの素質あるってずっと言われてきた。支援員のリーダーを桂木さんが長年譲らないのはどうかと思う。
追記:
さっき桂木さんから電話あり。樫村さんが公民館で亡くなった、自死の可能性とのこと。信じられない。夕方サイレンがうるさかったけど、それだったのか。そのうち私たちのところにもきっと警察が事情聴取に来ると思うとのこと。どういうこと?何か疑われるようなことがある?先に帰ったことがそんなに悪いこと?
もう、なんで子育てボランティアで、こんな面倒な思いをしなければいけないのか。
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