【小説】「誰も見ていないところで」第一章
直樹「待ちくたびれた夜」
ママが死んだなんて、どうしても信じられない。
僕が中学生だったら、高校生だったら。泣かないでいられたのだろうか?
朋樹も泣きわめいているけれど、どこまでわかってるんだろう。もう会えないって本当にわかってるのかな。
朋樹は、最近は学校へ行ったり行かなかったり、行ったとしても一、二時間だけとか、給食からとかで、ママに送り迎えしてもらっていたんだから、これからはどうなっちゃんだろう。パパが送り迎えできるのかな。
あの日、僕が学校から帰ると、家には朋樹とママがいて、朋樹は給食だけ食べてママに迎えにきてもらっていたと言っていた。そのあと、朋樹はママと一緒に公民館へ行く予定だったのに、急に今日は行かない、今日は兄ちゃんとゲームがしたい気分だと言い出した。
気まぐれな朋樹に怒るんじゃないかと思ってママを見ると、食卓のテーブルに座って、ぼんやりしていたので、「ママ、大丈夫?」と僕は声をかけた。
「あぁ、うん、ちょっと立ちくらみ。それならママだけ行くけど、二人で大丈夫よね?チャイムが鳴っても出ないでね」
そう言って、ママは《鉄分》と書いてある袋から取り出したサプリメントを何個か飲みこんで、三時より少し前に家を出た。
二人だけになった家のなかで、しばらくマイクラで盛り上がった。本当は一時間って決められていたけれど、ママがいないのをいいことに二時間もやってしまった。少し疲れたし、そろそろママが帰ってきてもおかしくないし、やめようかと僕が言うと朋樹は素直に従い、それから二人でレゴでお城を作って、ぬいぐるみたちを登場人物にして遊んだ。
時計を見たら、五時二十分だった。
「風山ほっとすぽっと」は五時までで、風山中央公民館は家から徒歩十分の距離だから、片付けとかしてそろそろ戻ってくるだろうと思った。
「ママ早く帰ってこないかなぁ」「もうお菓子も食べちゃったし」などと言いながらテレビを観て二人で待っていた。
僕はママに電話してみた。
固定電話のそばに書いて貼ってあるママの携帯電話の番号を押し、発信ボタンを押す。何度か呼び出し音が鳴るが出ない。もう一回かける。出ない。ママ、早く帰ってきて。
僕は、ママのことだから誰かとおしゃべりが長引いてるだけだろう、と思おうとした。ママの立ち話はいつもどうしても長くなる。ただ、人とたくさんしゃべって帰ってきたほうがママの機嫌がいいことも僕はわかってる。
だけど、五時半になっても帰らず、朋樹が「ママ遅い」と騒ぎ始めた。僕は公民館まで迎えに行ってみようか、と思った。だけど、行き違いになったときに、「勝手に家を空けないで。ママが心配になるでしょ」と怒られることが想像できて、家でじっとこらえた。以前、そういうことがあって、心配性のママはすごく怒ったから。そんなママの息子だから僕だって心配性なんだよ。ママ早く帰ってきて。パパ、今日も遅いのかな。早く帰ってきて……
急に、救急車のサイレンの音が聞こえてきた。公民館の方角とそのあたりの位置で止まった、気がした。
……火事?消防車の音まで聞こえてくる。公民館じゃないよね?さすがに僕は胸騒ぎがして、怖くなってきた。
急いでパパの携帯電話に電話した。
だけどパパも出なかった。もう!誰でもいいから誰か!
それからどのくらい経っただろう、十分くらいだっただろうか。固定電話が鳴った。ママ⁉ 留守番電話に切り替わるの待った。「直ちゃん、朋ちゃん」というママの声が聞こえてから受話器を取る約束をしているのだ。いきなり受話器を取って、「ママは今いません」と言っちゃうと不用心だから。僕が小学生になったときから、そのルールを徹底している。
「ただいま、電話に出ることができません。ご用件のある方は、ピーという発信音のあとにお話しください」
ピー
この長いのんびりした機械音に、このときほどイラついたことはなかった。留守番電話に切り替わった瞬間、「直樹! 直樹!」とパパの慌てたような声が聞こえた。その声を耳にしたとたん、僕は何かが起きたんだとすぐに分かった。慌てて受話器を取る。
「もしもしパパ⁉ ママが帰ってこない! 公民館で火事じゃないよね?」「直樹、朋樹は一緒にいるか?うん、うん、よかった。ちょっと聞いて。火事じゃない。でもママが……ちょっと怪我したから、パパはこれから行ってくる。二人で、絶対家にいて。鍵は閉まってるね?お腹が空いたら、何か、食パンでも食べて待っ……」
「ケガ? ケガなんだね? ママは大丈夫なんだよね?」
パパが言い終わるのを待てず、叫びながら、僕は泣いていた。怖くてたまらない。そうなってやっと、朋樹が心配そうにこちらを見ている。
「うん、ちょっと行ってくるから。ふたりで何でも観てていいから、家にいてね」パパはそう言って電話を切った。
ママがケガ? なんのケガ? それで救急車? 消防車まで来て何? そう思っていたら、パトカーのサイレンの音が聞こえてきた。
ちょっと待ってよ、ママは本当にケガ? 大丈夫なんだよね?
僕は、電話の前で動けず、朋樹が「兄ちゃん、どうしたの?」と不安そうな顔をしてこちらを見ている。
朋樹が泣きわめくと困る。叫び出したいくらいの不安な気持ちを僕は必死に抑え込んだ。
「……朋樹、今日はパパもママも遅いから、晩ごはんに食パンを食べていいんだって」
「そうなの? やったー! あれ、でもママがお赤飯つくったって言ってへんかった?」
「あ、そうやった」忘れてた、ママが家を出る前に言ってたんだった。
「さっきお赤飯作ったから、お腹すいたら食べて。ママも帰ってきたら食べるから、全部は食べないでよ。ねぇ朋樹、聞いてる?」
ママはお赤飯が好きで、別におめでたいことがなくても、よく作る。遠足のお弁当に入れられたこともあって、「樫村、なにそのご飯?」と友だちに笑われたことがあった。「お赤飯だよ」というと、近くにいた女子たちが顔を見合わせてひそひそ何か言っていた。よくわからないけど、なんだかすごく恥ずかしかった。
そんなことを思い出しながら、僕らはママの作ったお赤飯を食べた。
朋樹が「今日の豆はいつもと違いますねぇ」と言って、食レポ気取りなのがおかしい。ママにも残しておこうねと、朋樹が食べきってしまわないよう声をかけた。
ママがいつも「朋ちゃんは食い尽くし系だからホント油断できないよね。まぁ、食べ物を粗末にするよりはいいけどさ」と言うのを思い出し、僕は少しだけ不安な気持ちが和らぐのを感じた。
食べ終わったあと、朋樹は、本棚にあった「日本全国ご当地ごはん」という図鑑のような分厚い本を読み始めた。朋樹は「食べられる肉の部位」や「簡単・火を使わないおやつ」などの食べ物や料理に関する本ばかり揃えて、いつもなめるように読んでいる。
僕は歴史の漫画を読むことにした。でも何も頭に入らない。心臓が痛い。
少しすると、朋樹がそわそわ歩き始めたので、
「ねぇ……ママが帰ってきたら僕が急いで消すからさ、YouTube観ちゃおうか」と持ち掛け、しばらくマイクラの実況動画を観ていた。
それから、学校で流行っているボーカロイド曲の動画を観ながら二人で歌った。朋樹は楽しそうに歌っていた。
兄弟だけの、長い長い夜だった。
パパは帰ってきたけど、ママは帰ってこなかった。
——お赤飯、せっかく残しておいたのに。
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