コメント欄では楽しいキャッチボールがしたい。
noteにエッセイを書いていると、いただくコメントはバリエーション豊かだ。
正直に言うと、「読んでくださった」と実感できるコメントは本当に嬉しい。
文章の温度に触れたうえでいただけるさりげない一言。
たとえ短くても、その一行の奥に「受け取ってもらえた」という気配がある。
一方で、戸惑うコメントもある。
記事の流れとは関係のない自分語りや、こちらの気持ちに触れないまま飛んでくるアドバイス。
まるで、コメント欄が一方通行の“主張置き場”になっていると思うときがある。
悪気がないのは分かってる。
でも、その言葉は私へ向けられた球じゃないように感じてしまうから。
胸の前で構えたグローブが少し虚しい。
noteのコメント欄って、言葉のキャッチボールができる場所だと私は思っている。
お互いの距離や温度を確かめながら、想いの届く範囲にゆっくり投げ合うもの。安心感や、ワクワクを重視したい。
けれど、ときどきドッジボールみたいに、スピードも方向もこちらの都合と無関係な球が飛んでくることがある。
もちろん、びっくりしたとしても、「面白い!」と思えば受け取ってみたい。
でも、無理に受け止めなくていい。
避けてもいいし、拾わずにそのまま見送ってもいい。
そして、たとえ優しい球でも、いつも私の手の届かない場所に投げられたら、受け止められない。
届かない球を追いかけ続けるのは、もうキャッチボールじゃない。
私はこれからも、楽しくキャッチボールができる人とやり取りしたい。
文章を読んで、感じたことを投げ返してくれる人たちと、無理のない距離で言葉を交わしたい。
心地よくない球には、受け止めない自由を持ちたい。
それは、自分の心を守るための境界線だから。
今日も明日も、そして来年も。
言葉で楽しく遊べる人たちと、良いキャッチボールができますように。
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