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【小説】「誰も見ていないところで」第四章

直樹「ママがいた場所」

 ママのいない「風山ほっとすぽっと」に行くのは正直イヤだった。
 そこにママがいないってだけで、本当にもういないんだと思ってしまいそうだから。「あそこに行ったらママに会えるんじゃないか」と思える場所はいくつかあって、僕にとっては、風山中央公民館もその一つだから。
 でも朋樹と相談して「一回行ってみよう」と勇気を出して行くことにした。

 僕らはもう「忌引き」がおわって学校に行かなければいけない。朋樹は、引き続き休んでいるけど。
 先生も、困ったことがあったら何でも言ってほしいと言ってくれるし、友達もみんな優しすぎるくらい優しい。普段ちょっかい出してくる子もなんか遠慮してるし。少し居心地悪い。

 パパは、朝出て行かず、家で仕事をするようになった。在宅勤務ざいたくきんむってやつに切り替えてくれたみたい。
 だけど、パパはあれからママのことは何も言わない。

 ある木曜日の午後、僕は学校から帰ってきて、朋樹を連れて、公民館へ行った。ママが死んだ日からちょうど二週間が経っていた。もうすぐゴールデンウィーク。ちっともゴールデンじゃないけど。
 僕らが玄関に入るなり、職員の佐藤さんが気づき、
「あぁ、あなたたち……」と慌てて事務所から出てきて、僕らの前でしゃがんで言った。
「大変やったね……」
 朋樹はこらえきれず佐藤さんに抱きついた。こういうとき、すぐに誰かに甘えられる朋樹の性格がちょっと羨ましい。

 佐藤さんの身長はママと同じくらいだけど、ママよりふっくらしていて、たぶん年齢は五十代だと思う。やさしい親戚のおばさんという感じ。僕は最近は来れていなかったけど、遊びに来ると、いつも笑顔で迎えてくれていた。
 ママも「佐藤さんの顔を見ると、元気出るんだよなぁ」とよく言っていた。
 ママのことを知っている人、ママが知っている人に会うと、こんなに寂しくなるんだ。僕も泣き出してしまったのを見逃さず、佐藤さんは僕のこともぎゅーっとしてくれた。佐藤さんの鼻をすする音が聞こえた。

 僕は、家を出る前に朋樹に話したことを思い出していた。
「朋樹、ママは自殺したと周りの人は思ってる。でも僕らはそう思ってないよね?誰が犯人かまだわからないけど、僕らが犯人を捜していると言ってしまったら、真犯人は、僕らのことが邪魔で、きっと殺そうとする。だからそのことは絶対に外では言ったらだめだよ。ママは自殺だと思ってるふりをするんだよ」

 朋樹はこわばった顔で何度もうなずいた。理解できているとは思うけれど、それがなんだかすごくかわいそうな気もした。
 佐藤さんに僕ら二人が抱きしめられているところへ、藤堂とうどうさんも出てきた。そして、
「佐藤さん、直樹くんと朋樹くんに、ここに座ってもらおか」と言った。
 藤堂さんは、この風山中央公民館の館長さんで、眉毛も目も下がり気味の丸いめがねの優しいおじさんだ。僕らは談話スペースの四人掛けのテーブルに座って、佐藤さんのいれてくれた麦茶を飲んだ。
 藤堂さんと佐藤さんは僕らの向かいに座り、心配そうな顔でこちらを見ている。

「あの……」
 僕は勇気を出して口を開いた。
「あの、一番最初にママのことを見つけたのは佐藤さんなんですよね?パパから聞きました」
 佐藤さんはあわてたように藤堂さんを見た。藤堂さんが軽くうなずいたのを見て、佐藤さんは話し出した。
「そう、あなたたちのパパにも話したことなんやけどね、私はあのとき、ちょっと緊急の用事で外に出とって、樫村さんにお留守番を急遽お願いしたんよ。三十分しないくらいで戻ってきたんやけど、樫村さんの姿が見えへんから、かしむらさーんって呼んで……」
「その時間って、佐藤さんしかいなかったんですか?」
「そう」
 藤堂さんが口を開いた。
「僕は休みで、佐藤さんだけがおって。もう一人事務のパートさんがおるんやけどね、三時までの勤務で帰ってん。もうずっと職員が足りてへんくてね……これは大人が何とかしなきゃいけない問題なんやけどね」
「あの時間、もう他の部屋には誰もいなかったんですよね」
「ええ。あの日、女性コーラスの活動日やったけど、一時から三時までやったから。五時までの活動は、ほっとすぽっとだけやったんよ」
「子ども支援員の人は他にいなかったんですか」
「あぁ、あの日はね……」
 佐藤さんは天井を見上げたかと思ったら、目を閉じてうつむき加減で言った。
「あの日、本当は最後まで桂木さんと高山さんもいる予定やったんよ。だけど、あの二人、先に帰ってしまってん……用事があるとかなんとか言うて。四時くらいやったと思うわ」
 ふぅ、とため息をついて、佐藤さんは藤堂さんを見た。
「じゃあママは、あのとき、本当に公民館に一人きりだったんですか……」
 僕は、思わず出てきてしまった涙をTシャツのすそで拭いた。朋樹もつられたのか、目をこすっている。
 ここ二週間ほど、僕らの目は、一つだけ壊れたままの学校の蛇口みたいになってる。

「誰かおったら、ママが死なんで済んだのにね……ほんまにごめんなさい。あのとき、私が抜けんかったら。せめてもうひとり、誰かがおったら」
 佐藤さんは片手で額を押さえた。
——あ、困ったなぁ。
 佐藤さんはママが自殺したと思ってるから、一人にしなきゃよかったと思ってるのか。でもそうじゃないんだ。本当に誰もいなかったのか、誰かがいたなら、その人がママを殺したんじゃないか?って。それを知りたいんだけど……本当に誰もいなかったんかな。

 いや、誰かがいたはずなんだ。
「あの、もう一つ、ちょっと訊きづらいことなんですけど」
「はい、なんやろ、答えられることなら」
「あ、朋樹。ちょっと和室の前まで行って、ほっとすぽっとのチラシを持ってきてくれへん?」
「うん、いいよ」
 朋樹ががぶがぶのスリッパを引きずるように歩く後ろ姿を見て、僕は声をひそめて言った。
「あの、パパが警察の人と話しているのを聞いたんです。ママは、和室の向かいにある倉庫で……首を吊っていたんですよね」
 僕は言い終わって、自分の心臓がものすごく速く大きな音を立てていることに気づいた。自分の発した言葉とその意味が一致しているのかもわからなくなった。それでも、この話を朋樹には聞かせられないことだけはわかっている。

「あ……」
 固まってしまった佐藤さんの代わりに、藤堂さんが僕の方を見て言った。「直樹くん。ごめんよ、これ以上は、僕らから君たちに直接話すことはできひん。もちろん、聞かれたことにはできる限り答えたいし、隠したり嘘をつくつもりはないからね。だからこそ……慎重にしたいんよ。もしよければ、お父さんとまた一緒に来てもらえへんかな?」
「あ……わかりました。いや、いいんです……」
 僕は、一体何を訊きたかったんだろ。ママが最後、どこにいて、どういう状態だったか知りたい。自殺じゃないって知りたい。
 でも怖い。ママが首吊りなんて嫌だ。自殺でも他殺でも、どっちも嫌だ。   

 ママが帰らなかった日から四日後の夜、警察の人が二人でうちに来た。パパから二階で寝てなさいと言われたけど、僕はどうしても気になって、朋樹が眠ったのを見届けてから、すぐに部屋を抜け出し、階段の上で聞き耳を立てた。

「……司法解剖と現場検証、所持品の分析を終えましたので、樫村葉子さんのご遺体を本日、葬儀社にお引き渡ししました」
「はい……」
「亡くなった当日の説明と重複するところもあるかと思いますが、改めてご報告します。ご遺体が見つかったのは、風山中央公民館の倉庫内です。床から二メートルの高さにある天井のフックに災害用のロープをかけて首を吊った状態で発見されました。死因は頚部圧迫による窒息死で、首吊りの形態としては、足が着かない状態であったこと、また踏み台に使ったと見られる段ボールがすぐ近くでつぶれていたこと、また、公民館にはその時間帯に奥様以外いなかったこと、現場に争った形跡なども見られないことから、自殺の可能性が高いと判断されました」
「……でもなんで、葉子はそんなところで……」
「奥様の持ち物から、“もう死んでしまいたい”“私が死んだらあの人はどう思うだろう”といったメモが見つかっております。明白な遺書ではないこと、また周囲の状況との齟齬そごも考えられるため、我々としても明言は避けます。ただ、ご主人からも、葉子さんがかなり落ち込んでいた話を伺いましたし、今の段階では、自殺の可能性が最も高いということで、捜査を一区切りにしたいと考えています」

 パパが聞いたことのない声で泣き出すのが聞こえて、もうこれ以上は聞いちゃダメだと、僕は慌てて部屋に戻った。

 あの夜の警察とパパの話を思い出して、僕はガタガタ震え出した。今度は藤堂さんが僕を抱きしめて、腕や背中をゆっくりさすってくれた。
 葬儀会館では、パパには「ママは自殺なんかじゃないと思う」って言ってほしかった。だけど、パパは、警察の話を信じてしまっているみたいだった。

 それなら、僕らでなんとかママの無念を晴らしたい。だけど、「兄弟探偵」なんて、無理かもしれない。子どもにはできないことが多すぎる——

「兄ちゃん、チラシ持ってきたよ」
 戻ってきた朋樹が、僕に褒められると思って嬉しそうな顔をしている。
「ありがとう、朋樹」
 そう言うのが精いっぱいだった。

 僕は椅子に座り直した。
朋樹はとっくに退屈して、談話室の壁に展示されているイラストを見て回っている。
 僕は、持っていた地元新聞の切り抜きを佐藤さんと藤堂さんに見せた。

地域活動女性  風山中央公民館で死亡
警察が自殺の可能性も視野に 風山町

17日午後、風山中央公民館内の倉庫で、同町在住の無職女性(43)が倒れているのを職員が発見し、その場で死亡が確認された。女性は地域の子育て支援に携わっており、当日も活動のため来館していた。
目立った外傷や現場に争った形跡はなく、女性の持ち物の中から心境をうかがわせるメモが見つかったことから、警察は自殺の可能性も視野に捜査を進めている。

「これって、倒れているって書いてあるけど……倒れていたわけじゃなくても、こんなふうに書かれるんですか?」
「えぇ、樫村さんのこと、そう書かれとるね。私も読んだわ」
 佐藤さんはうつむいてそう言った。ママの死に関する決定的な話は、僕らだけじゃ聞かせてもらえないんだった。首吊りじゃなくて、倒れていたらまだよかったんだけど……でも佐藤さんの言い方だと、倒れていたわけじゃないんだろうな、という気がした。

「そうそう、亡くなる前の日の水曜日、樫村さんはわんぱくきっずに来てくれとって、そこに来てた2歳の女の子が、落とし物箱にあるキーホルダーを欲しいって、泣いてしもて。そのとき、樫村さんがあやしてくれて、なんとかなったんよ」
 藤堂さんが、僕を見ながらゆっくり話してくれた。
「そうですか……」
 僕は、玄関にある落とし物箱を横目で見た。ぬいぐるみみたいなキーホルダーと軍手、ハンカチが入っているのが見えた。
「あの、また変なこと聞きますけど……信輔くんのお母さんって、最近公民館に来ましたか?」
 僕は一番怪しいと思っている人のことを、やっとの思いで訊いてみた。
「え、信輔くんのお母さん?いやー、ここに来たことあるんかな?私は会ったこともないかも。なんで?なんかあったん?」
「いえ……ちょっと気になって……」
 疑っているなんて、とてもじゃないけど言えないや。

「直樹くん、あなたのママには、公民館でいろいろと協力いただいていたのに、こんなことになってしまって、あなたたちに顔向けできひんほどつらい。でも樫村さんが、一生懸命子育てやボランティアを頑張ってはったことを私は見てたつもり。そのことだけは、いろんな人に伝えていくからね」

 誰も見ていないところで、ママは亡くなったかもしれない。
だけど、ママのことをちゃんと見ていてくれていた人はいたんだ。
 僕は「良かったね、ママ」と言いたくなった。

「ありがとうございます。あの、今日もほっとすぽっとはやってますか?」「あぁ、開いてるわよ。……今、桂木さんと高山さんが和室にいるけど」
「あの、行ってもいいですか?」
 僕と朋樹は佐藤さんに連れられて和室に行くと、その向かいにママが最期の瞬間にいた倉庫があった。ここを見せてくださいと言えるのは、まだまだ先な気がした。

 和室に入ると、小学生は誰もいなかった。桂木さんと高山さんだけがいて、こちらを見て、僕らに気づくとビクッとした。
「あぁ、樫村さん……このたびは、本当に残念なことでしたね……」
桂木さんと、高山さんは僕らに頭を下げ、しばらく上げなかった。どうしていいかわからなくて、朋樹と顔を見合わせた。
 朋樹が不意に口を開いた。
「桂木さん、ママにひどいこと言ったんでしょ。性格直せとか、無神経とか。ひどいよ。ママずっと泣いてたんだよ」
「えっ!なんでそんなこと、ヤダ、ちょっと待ってぇ」と桂木さんが慌てている。
 高山さんは桂木さんに対して驚いた表情を向けている。佐藤さんは、ちょっと怒ったような顔をしていた。

 僕はそこにいる全員の顔をゆっくりと見ていた。
 朋樹はなにも考えず、思い出すままに言っただけだろうけど、まるで「桂木さんのせいでママは自殺した」と相手を責めているように聞こえて、「よし、いいぞ」なんて思ってしまった。他殺だと思っていないことが周りにアピールできて、真犯人を探すのになんとなく有利なんじゃないかって。
 それに、桂木さんには僕も文句を言いたかった。僕はママが自殺だなんて思っていないけど、心のどこかで、5%くらいは、もしや桂木さんのせいでママは……と思っている……のかもしれない。

「え、あなた、そんなこと言ったの?樫村さんに」
 高山さんが桂木さんを責めるような目で見ていた。
「いや、もちろん、彼女一生懸命やってくれてたわよ。期待してたから、ちょっと厳しいことを言ったのね、私は」
 桂木さんは慌てているけど、口は笑っていて、僕はものすごく腹が立った。朋樹も桂木さんのことを睨んでいる。でも、訊けることは訊かないと……

「あの、良ければ、ママのこと、最後の日のこととか、もし知っていることがあれば……教えてくれませんか」
 僕がそう言うと、佐藤さんも続けて言った。
「私からもお願いします。この子たち、お母さんが最後の日にどんな様子だったかとか知りたいと思うんです。聞かせられそうな範囲のことでいいので教えてあげてくれませんか」
 佐藤さんは最後は声を詰まらせていた。
「えぇ、わかることは何でも話すわ」
 高山さんがそう言って桂木さんを見た。桂木さんもうなずいている。なんか信じられないけど。

「あ、そういえば私、あの日樫村さんからお赤飯をいただいたんですよ」
思い出したように、急に佐藤さんが言った。
「えっ!ママ、お赤飯持ってきてたの?」
 朋樹が驚いて訊いた。僕もびっくりだ。
「そう、私に一パックくれたんやけど、『あと二パックは桂木さんと高山さんにもおすそ分けする』って樫村さん言ってはって。桂木さん、高山さん、食べました? 味、どうでした?」

あの日、ママの帰りを待っている間にぼくらも食べたお赤飯。
ここにいる全員が食べてたんだ。
「いえ、私はもらってない」
 高山さんが不安そうに言った。
「え」
 佐藤さんが驚いて固まっている。
「私も残念ながらいただいてないわ」
 桂木さんはきっぱりと否定した。
「そうですか……なんでやろ。渡しそびれたんかな」
 佐藤さんがつぶやくように言った。
「本当に私たちに渡すなんて言ってはったんですか?」
 桂木さんは信じられない、という顔をしている。
「ええ、言ってたんですよ。トートバッグと別に紙袋で持ってきてて。あのとき、倉庫でも和室でも見た記憶ないんやけど……まぁ、警察に持っていかれてしまったんでしょうかね」

 朋樹が、家から持ってきたメモ帳にえんぴつで何か書いている。

「消えた二つのおせきはん、どこへ」
 僕の相棒は、なかなか頼もしいかもしれない。


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