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【自己紹介-Vol.1】精神科の閉鎖病棟にいた私が人生を必死で立て直した話

はじめまして。
アスカと言います。

早速、自己紹介をする前に、
少し前置きをしておきますね^^

この記事は、


「今の働き方にモヤモヤしている」

「副業を頑張っているのに、
家族との時間が削られている」

「特別なスキルがない自分に
嫌気がさしている」

このような悩みを
抱えている人に向けて書きました。


遡ること15年前。
私は精神科の閉鎖病棟で
人生のどん底を味わったんです。

そこからどうやって今の
「自分らしい人生」を取り戻したのか。

まさに今、悩んで苦しい思いをしている方に
私の経験を通して、


あなたに少しでも希望の光
が差し込むことを祈っています。

一この記事を読んでくださるあなたへ一

私の自己紹介記事は、
2部構成(Vol.1&Vol.2)となっています。
この記事はそのうちのVol.1です。

Vol2.も続けて読んでみてください🙏
あなたのこれからにもきっと、
明るい未来が待ってすよ!
(Vol.2は最後にご紹介してます😊) 



✐✐✐


私は地元の工場で、
毎日せっせと働くアラフォー主婦です。


家族は、
旦那と小4の娘、年長の息子の4人家族。

実家の隣に
マイホームを建てて暮らしています。

再度言っておきますが…。


私は何のタネも仕掛けもない、
これといった特技もない。


なんなら一般常識も怪しい
”THE普通の主婦"でした。

でも、4年前に2人目の子どもが生まれたあと、急にお先真っ暗な感覚に陥ったトがありました。

それをきっかけに副業を始めたことが、
今では唯一の楽しみになっています。

私の表に出せる副業の実績はこちらです⇩

● Webライター歴4年目(執筆記事数200超)

● SEO記事の添削100件の経験あり

● フルタイムパート&子育てしながら、
副業を続け月3万円の収益化に成功

● note別アカウントで、
開始4か月でフォロワー数750人&月4桁の収益達成

● 2025年から新たな挑戦として
「コンテンツビジネス」に出会い
それまでの働き方が好転した


こんな実績をあげられるまでに、
私は20代の頃に一度"地獄"を見た
過去があるんです。

精神科の閉鎖病棟で、
一人ポツンと横たわりながら

『なんで私だけ、
こんな思いしなくちゃいけないの?』

と、それまで流したことないくらいの
大粒の涙が流れていきました。


多分、あの頃見た病室の風景は
一生忘れることはないでしょう。

それほど鮮明に
私の目に焼き付いています。



この自己紹介記事では、
いまでこそ普通に見えるアラフォー主婦の私が、どうやって現在のような平穏な暮らしを手に入れたのか。



そして、なぜ
「コンテンツビジネス」
という働き方を選んだのか。


少し長くなりますが、

私のこれまでの人生を
ストーリー仕立てでお話ししていきますね。




第1章:地獄の始まり
〜社会人2年目、統合失調症との闘い〜

2010年、
リーマンショックで世界中が
不況に苦しんでいた頃。

大学4年生のときに50社以上受けて
やっとの思いで採用してもらえたのが、
某保険会社の営業職でした。

保険の営業は世間一般で言われているように
キツイ、嫌われる、成績を上げてナンボの世界です。

FP2級の勉強をしながら実務に励む毎日。

上司の圧力もあり、
慢性的なストレスを抱えながらの
初めての一人暮らし。

遅いときは夜11時に疲れ果てて帰宅し
翌朝は遅刻ギリギリの出社。

今思えば病気になって
当然な生活をしていました。

社会人2年目のゴールデンウィーク前。

私は、自分では起きれなくなるくらい、
上司からの電話に気づかないくらいに、
自宅アパートで意識を失ってしまったんです。


今振り返ると、おぼろげな記憶ですが…


その気を失う前日、
なんだかふと”外にいる誰か”に
呼ばれている気がして、
靴も履かずに裸足で外を
うろついていた…。

「会社のブラック体質を
変えるのは自分しかいない!!」


なんというか、
変な正義感が私の中で
ストーリーとして出来上がっていた
みたいなんです。


それが行き過ぎた”妄想”であり、
統合失調症の症状だと
のちに気づくことになるわけです。

完全に、
精神的な病気になるまで
疲弊しきっていた…。

そのことに、
自分ではまったく
気がついていませんでした。


その夜、
奇跡的に自分の部屋に戻ってきた私は、
死んだように眠り込んでいたのです。


その翌日、
音信不通を心配した
会社の上司が私の親に連絡し、
母と父が急いでアパートに
駆けつけてくれたようでした。



あとになって聞いた話ですが、
両親は”万が一の事態”が
起きてしまっているかもしれない。


そのことが
頭をよぎったとのことでした。


閉鎖病棟という"地獄"

何が起きているのか、
理解が追いついていない私。

母親に
抱きかかえられるようにして
実家から一番近い
精神科病院を受診させられました。

そこで先生に告げられたのは、
「今すぐ入院しましょう。」
でした。

私は自分の状況が上手く呑み込めず、

なぜ入院なのか?
自分が何をしたのか?
何か悪いことでもしたのか?

そんな状態だったから、
無理やり引っ張られている状況に
反発したくてしょうがなかった。 


暴れるし意味不明な言葉も
叫んでいたので、
一般病棟では無理と判断され
仕方なく閉鎖病棟へ連れて行かれることに。

閉鎖病棟の個室は、
外からしかカギが開けられない仕組み。

そこにあるのは冷たい床と布団一式と、
パーテーションでしきられている和式便器のみ。

窓もありません。
唯一あるのは、扉の小窓だけ。


でも、
その小窓には鉄格子が
はめられている。

薄暗くてひどく居心地の悪い
不気味な部屋でした。

まるで犯罪者のような扱い。

「えっ、私、人でも殺したの?」

本気でそう思ったほど。



地獄の底に突き落とされた感覚…。

それくらい衝撃的で
屈辱的な感情を抱いたんです。

そのとき、はじめて気づきました。

私は、もう普通ではないと。

「一生懸命やっていただけなのに…。

なんで私がこんな目に?

嘘だ、何かの間違いだ!!!

私の未来を返せ!!」


自分が精神的な病気になったことが
めちゃくちゃ悔しかったし、
恥ずかしかった。
なにより、情けなかった。

ものすごくいろんな負の感情が
一気に押し寄せてきました。

数日間は涙が
止まることはありませんでした。

こんなに泣いたことって、
後にも先にも
あの時が最後かもしれない。



もう一生分、泣きました。

✐✐✐

当初の入院期間は半年。

だけど、2か月を迎えた頃には
病院での生活が耐えられなくなり、
私は、父に泣きながら懇願しました。

「お願いだから、帰らせて!!」

家に帰ってからも、
体も心も以前のようには
動かなくなってしまった。

何を見ても何を聞いても
何の感情も湧いてこない。


ただただ、ひたすら
布団の上で天井を見つめる日々。

横になって息をしているだけの生活。

お腹も空かないから、
ご飯の時間も苦痛でした。

でも、この生活もしばらくすると
飽きてきたのか
家の外に出られるようになりました。


家の近くの高台の広場で
ただただ日が暮れるまで座り続けたり、

かと思ったらイライラが募って
どうにかなりそうってときは、
道路わきに座り込んで
意味不明な言葉を叫んでいたり。


そんな状態を繰り返すもんだから
危なっかしくて
結局また再入院となり
そこからまた4か月は病院に缶詰め状態に。

要は、再発のような感じで
病状が悪化してしまいました。


やはり、治療途中にもかかわらず、
途中で家に帰ってしまったことが
間違いだったようです。


でも、私はもちろん
父・母にとっても初めての事態。

大泣きして懇願する私を
納得させるには、
いったん退院させるしか
方法はなかったんですよね。


再入院したあとは
順調に病状は回復し、
閉鎖病棟から一般病棟に
変わることもできました。

そして、きちんと段階を踏んで
退院することもできました。

病状の安定に要した期間は、
約半年ちょっとにも及んでいました…。

家族と大好きな音楽で「命拾い」をした私

今思えば…

母や父そして祖母がいなければ、
私はすでにあのとき
命を絶っていたかもしれません。

ぐったりした様子で
ひたすら寝込んでいる私に、
数日間、夜通しそばにいてくれた母。

私がず~っと、
「こんな自分なんて、情けない。」
「生きているのが恥ずかしい。」
「なんで私ばっかり…。」

と延々と愚痴をこぼしている姿に、
ひとつもイライラせず、怒りもせず。

「大丈夫。アスカは
もうたくさん頑張った。」

「絶対報われるときが来る。」

必ずそう言って、
励ましてくれたおばあちゃん。

父は父で、
「泣きたいときは、
好きなだけ泣けばいい。」

そう、私に何度も言ってくれました。

家族みーんな、2人の弟までも
これまでの私を
まったく否定しなかったんです。

否定していたのは、たった一人だけ。
そう、自分自身だけだったんですよね…。


そして、もうひとつ。

私の心の支えになってくれたのは、
Do As Infinity(伴都美子さん)の
ソロ活動時の曲「Flower」でした。

この曲は、
もう何百回聞いただろう…。


それくらいリピートして
毎日毎日、そればっかり聞いていました。


曲を流していないと
余計なことを考えてしまう…。

そんな恐怖から逃れるためにも
聞いていた気がします。

「涙のしずくで 花を咲かせよう 

肩の力抜いて 今 感じよう 

乾いたココロに花も咲くはずさ 

君が抱えるもの ほら降ろせばいい」

「Flower」作詞:小川まき 作曲:大西克巳 より

この歌詞が私の、
悔しい・情けない
つらい・しんどい・逃げたい

そういった負の感情すべてを
ゆっくりと溶かしていってくれたんです。

社会人2年目で味わった
屈辱的な経験。

それは、15年経った今でも
私の脳裏に焼き付いて
離れることはありません。


こんなに苦労して努力してきた自分が
報われないなんて絶対おかしい!
イヤだ!!許せない!!!

こんな経験をしてきた私だからこそ、
これからは最高な人生にしてみせる!!


私の心の奥底で、
煮えたぎる”何か”
くすぶったまま。

この15年間、この想いが
消えることはありませんでした。

✐✐✐

それから私は、
保険営業の仕事を1年くらい休職し
その後、退職。


無気力な状態が続くなか…。

なにか仕事を見つけないと
今後もずっと、下手したら死ぬまで
家に引きこもることになってしまう…。


そんな人生が現実味を増していることに、
突如として恐怖を感じ始めました。


それ以降は、
自分で何とか気持ちを奮い立たす毎日。

派遣会社に登録し、
「女性でも安心して働ける」
たったそれだけの理由から、
医療事務を始めることに。


ふたを開けてみると、
結局その職場も
ブラックではあったのですが、

家族がそばで支えてくれたので
なんとか働けていました。


精神的な病気の症状も
薬の効果もあってか、

さほどひどくならずに
寛解というカタチに収まってくれたんです。


そして、そこで運よく
一人の男性スタッフの方(今の旦那さん)
と出会うことになります。

さらに、
2人の子どもにも恵まれました!!!

あれだけどん底を味わった状況から、
よくぞここまで這い上がった私。

神様はちゃんと私のこれまでの頑張りを
見ていてくれたんだな。

神様ってホントにいたんだな。

そう思ったのを覚えています。



第2章:母として生きる中で感じた新たな「虚無感」

2人目の子どもを出産し、
1年間の育休を終えて復職したのが
5年前の春のことです。

娘は4歳、息子は1歳を迎えていました。

早く自分の生活スタイルを確立して、
心にゆとりを持ちたいなぁ。

そんなふうに思っていたんです。


そこから3ヶ月が経過し、
生活スタイルがほぼ確立されたときです。

これからはもっと、
心と身体のバランスが取れて
ラクになるかと思った矢先…。


なぜか私の心の中に、

得体のしれないモヤモヤした感覚が
渦巻いていることに気づいたんです。


「自分の人生はここまでか…」

「もう、これからはしばらくは
子育てと仕事を繰り返すだけなんだな…」


簡単に言えば、
"燃え尽き症候群"のような
そんな感覚です。


母親として生きる生活が
主軸になってしまうことの寂しさ。

もう当分は、
自分よりも子どもを優先する
生活しかできなくなる。

それは子どもが生まれたら
当然のこと。

でも、
予想外に悲しくなっている
自分がいたんですね。

今振り返ってみるとあの状態は、
"遅れてきた産後うつ"
だったのかもしれません。


20代前半に
統合失調症を患った経験から、
私はこう思いました。

今の自分のままじゃダメだ。
また精神的に参ってしまう…。

自分の心にできてしまった
"大きくて深い心の闇"を
なんとしてでも晴らしたい!!

そんなことを日増しに考えるように
なっていったんです…。

夜中のネットサーフィンで見つけた
Webライターの仕事

私が自分らしく生きるために、
今の私でもすぐにやれることは…?

そんな、すがるような想いから、
子どもたちが寝静まったあと
夜な夜なスマホで、
ネットサーフィンをする日々が続きました。


在宅でできる仕事、副業、スキルアップ…

さまざまなワードで、
検索を繰り返していたんですね。


そんなある日、
私が行き着いたのが
"Webライター"という仕事でした。

最初は、
「文章を書くだけで本当にお金になるの?」
と半信半疑でした。


詳しく調べていくうちに、
自分のスキルだけで稼げる
Webライターという仕事が

それはそれはカッコいい職業だと
感じるようになったんです。


在宅で働ける

初期投資が少ない

文章を書くことが好き



さらになんと言っても、

"文章で誰かの役に立てる"

という点にも
すごく魅力を感じたんです。


久しぶりに目指すべき目標ができた!
と感じたときって、

その瞬間から日々の生活が
パッと明るくなるんですよね。

たとえ、母になったとしても
自分のために頑張れることがある


この感覚は、
私の生きる希望になりました。


第3章:Webライターとしての4年間~苦悩と限界〜


最初はクラウドソーシングサイトに登録し、
1文字0.1円という安い案件から始めました。
1000文字書いても100円。
ときには、それ以下の案件もやりました。

とてもじゃないけど
生活の足しになるような
金額ではありません。

だからこそ、早い段階で見切りをつけて
辞めていく人がめちゃくちゃ多くいる
業界なんです…。

それでも、
自分が書いた文章が
Webサイトに掲載されて
誰かに読んでもらえるという事実が、
私にとっては大きな意味を持っていました。


学生の頃には、
そこまでやりたいことが
見つからなかった私。

そんな私にとって、
「はじめて、
やりたいことが見つかった!」

その喜びのほうが
大きかったんですよね。


でも実際は、
仕事に結びつくまでの時間が
非常に長かった。

継続的に仕事をもらえたのは、
Webライターを始めてから
約1年後のこと。

それまで、
試験的なお仕事(テストライティング)
に何度も何度も落ち続ける毎日。

そんな日々を続けていた
2023年12月頃には、

「もう一人で、もがいてても仕方ない。
もっともっとスキルアップしなくては!」

という思いから、
大金をはたいてライタースクールの
入会を決めたんです。

さらには、
Xを通じて知り合った方の
Webライター講座も受講したりと、

これまでにないくらい、
本気でがむしゃらに取り組んだんです。


そして1年後の2024年12月。
やっと最初の継続案件を
掴むことができたわけでした^^

でも。、やっぱり限界の日が来てしまった…


100円。

ときには、それ以下の案件もやりました。


とてもじゃないけど

生活の足しになるような

金額ではありません。


だからこそ、早い段階で見切りをつけて

辞めていく人がめちゃくちゃ多くいる

業界なんです…。


それでも、

自分が書いた文章が

Webサイトに掲載されて

誰かに読んでもらえるという事実が、

私にとっては大きな意味を持っていました。



学生の頃には、

そこまでやりたいことが

見つからなかった私。


そんな私にとって、

「はじめて、

やりたいことが見つかった!」


その喜びのほうが

大きかったんですよね。



でも実際は、

仕事に結びつくまでの時間が

非常に長かった。


継続的に仕事をもらえたのは、

Webライターを始めてから

約1年後のこと。


それまで、

試験的なお仕事(テストライティング)

に何度も何度も落ち続ける毎日。


そんな日々を続けていた2023年12月頃には、

「もう一人で、もがいてても仕方ない。
もっともっとスキルアップしなくては!」

という思いから、大金をはたいてライタースクールの入会を決めたんです。


さらには、Xを通じて知り合った方の
Webライター講座も受講したりと、

これまでにないくらい、本気でがむしゃらに取り組んだんです。

そして1年後の2024年12月。

やっと最初の継続案件を
掴むことができたわけでした!

だけど、限界の日が来てしまった…


2025年の春には、
最高月収3万円を達成!

スキルゼロ・経験・実質も当然ゼロ
だった頃と比べたら、
見違えるほどの成長を遂げた私。


「やっとの思いでここまで来た!!」

「これで正真正銘の
Webライターの仲間入りだ!」

と、喜んでいたのも束の間…

たったの半年で
限界の日が来てしまったんです。

そのお仕事を続けているうちに
私の心の奥底では、

またしても"なんだかモヤモヤしたもの"

が次第に大きくなっていったんです。

活動しているわりに
評価されているわりに、
それほど収益が伸びていかない。

家族でお出かけしていても、
隙あらば納期に焦っている自分がいる。

子どもと一緒に遊ぶ
余力なんて残されていない。

子どもの話もろくに
聞いてあげられない。

実はその頃の私は、
めちゃくちゃ早く起きて
作業していたんです。

それはもう、
朝活の域を超えてしまうほど。

クライアントワークで
すでに完全に疲弊しきっていた私。

収益を上げるには、
もっともっと案件を増やすしかない…。


でも、これ以上案件を増やすなんて
もっと無理!

ダメだ、もう限界だ…。


ここまで、読んでいただきありがとうございました!!

この続きは、【自己紹介ーVol.2】へと続きます。

家族との時間を犠牲にせず、
自分のペースで働ける道はないのか?

絶望の淵で見つけたのは、Webライターとは全く違う
”ネット上に自動販売機を作る”
というなんとも怪しい働き方でした…

【自己紹介ーVol.2】の中身

【自己紹介ーVol.2】では、
私が出会った”新しい働き方”について紹介しています。

私がどうやってワクワクする未来を描けるようになったのか、
その核心部分について触れていきますよ^^






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