台湾の民主主義は、なぜ途中で壊れなかったのか
――2008年に見た台湾と、いまの台湾の間にあるもの
台湾は民主主義がうまくいった国だ、と言われることが多い。選挙は定着し、政権交代もあり、市民の政治参加も活発だ。ただ、正直に言うと、ずっと引っかかっていた。本当にそんなにうまくいっていたのか。少なくとも、昔から「いい国」だったわけではない。
自分が初めて台湾を訪れたのは2008年、台北への三日間の一人旅だった。今の台湾を知っている人が想像するほど、洗練された国ではなかった。
台湾は「最初から民主的」ではない
これは最初に確認しておきたい。台湾の過去は、民主主義の優等生とはほど遠い。長期の戒厳令があり、白色テロがあり、強い権威主義体制が続いていた。現在の姿から逆算して「台湾人は民主主義的な国民性を持っていた」と説明するのは、かなり無理がある。台湾の民主主義は、後から作られたものだ。
蒋経国は民主主義者だったのか
よく語られるのは、蒋経国が民主化を決断した、という話だ。ただ、ここは美化しすぎない方がいい。
彼は民主主義に目覚めた理想家というより、このままでは体制が自滅すると分かっていた現実主義者だった。強権を続ければ反発は溜まる。後継者問題は詰んでいた。国際的な孤立も進んでいた。権力を守るために、権力を弱めるしかなかった。それでも、普通はここで自滅する。
普通は、ここで壊れる
独裁体制の終盤で、権力者が自分からブレーキを踏む例は少ない。歴史を見れば分かる通り、ほとんどは弾圧を強め、反発を煽り、最後は暴力的に終わる。だから蒋経国の判断は、今でも不思議に見える。
ただ、彼が自滅しなかったこと以上に重要なのは、その後の台湾が途中で諦めなかったことだと思う。
2008年の台湾は、今ほど「いい国」ではなかった
正直に言えば、今みたいに「住みやすそう」「洗練されている」という印象はなかった。タクシーに乗れば、運転手がお釣りを返そうとしない。観光客だと見るや、少しでも多く取ろうとする空気があった。夜市は活気があったが、衛生状態は悪く、安心して食べられる環境ではなかった。街を歩けば、ヤクザの影響が色濃いエリアも目についた。
その後も食の安全問題は続いた。2014年には、廃油を食用油に混入させていた業者が摘発され、台湾全土に衝撃が走った。
民主化はしていた。選挙もあった。でも、成熟している感じはしなかった。これは台湾を貶しているわけではない。むしろ、民主主義の導入直後に起きる、ごく普通の状態だ。問題は、多くの国がこの段階で失速することだ。
民主主義が一番つらい時期
民主主義は、導入した直後が一番つらい。文句が増える。意思決定が遅くなる。生活がすぐに良くなるわけでもない。人々は思う。「自由になったのに、あまり楽になっていない」「前の方がマシだったのではないか」。ここで多くの国は、権威主義に揺り戻る。
だから一度、馬英九に戻った
2008年、台湾は馬英九を選んだ。これは民主主義の失敗ではない。民主主義に疲れた社会が、一度「安定」を選んだということだ。馬英九は経済と秩序、中国との関係改善を前面に出した。理念より、まず回す。荒れた民主主義を一度落ち着かせる。当時の空気としては、かなり理解できる選択だった。
自分が2008年に見た台湾の空気は、まさにこの文脈にあったと思う。
重要なのは「一回で終わった」こと
台湾の分かれ目はここだ。揺り戻しはあった。でも逆戻りはしなかった。馬英九は二期で終わり、路線は固定されなかった。多くの国では、安定志向が恒久化し、強権が戻り、選挙が形骸化する。台湾は違った。試して、違うと分かり、また選び直した。
この「選び直せた」こと自体が、民主主義が根付き始めていた証拠だ。
台湾が選んだ設計思想
台湾は、独裁と失敗を経て、ある方向に振り切った。人は必ず間違える。だから制度で縛る。何度も選び直せるようにする。
これは「優れた指導者が現れれば国は良くなる」という発想の真逆だ。誰がトップになっても暴走できないようにする。間違った選択をしても、次の選挙でやり直せるようにする。台湾の民主主義が生き残ったのは、国民が賢かったからでも、政治家が立派だったからでもない。「人は間違える」という前提を制度に組み込んだからだ。
これらの歴史を踏まえて、オードリー・タンが舞台に上がった。vTaiwanとJOINが生まれた。どちらも民主主義の判断を支援する仕組みだ。「人は間違える。だから制度で補う」という設計思想が、デジタルの領域にも拡張されている。
李登輝は「原因」ではなく「通過点」
ここで李登輝を英雄として語るのは簡単だ。確かに彼がいなければ、壊れていた可能性は高い。ただ、彼一人が民主主義を作ったわけではない。彼は、時代が開けた扉を、間違えずに通った人だ。冷戦の終結、国際環境の変化、民主化の波。同じ条件は、他国にもあった。台湾はそれを途中で投げなかった。
台湾がやったのは、派手なことではない
台湾がやってきたのは、教育と記憶の継承と議論の訓練だ。とても地味なことだ。民主主義を「正しい理念」として教えるのではなく、「壊れうる制度」として扱い続けた。だからこそ、今も政治に対して距離が近い。
今もすごくいいわけではない
もっとも、今の台湾がすべて解決したわけでもない。台北駅や萬華駅の周辺には、帰る場所のない人たちが暮らしている。貧富の差は拡大し、物価は上がる一方で賃金は大きく上がらず、生活に苦しむ人は増えている。
台湾の民主主義が「完成した」とは思わない。ただ、壊れずに続いている。その継続自体が、簡単ではないことだと思う。
結論:時代は味方した。でも、それだけではない
「時代が台湾に味方した」。この言い方は、半分正しい。でも、時代が味方したあとに、どう振る舞ったかが違った。一度は疲れた。一度は戻った。それでも諦めなかった。
台湾の民主主義は、伝統でも奇跡でもなく、失敗しかけた時間を含んだ、かなり現実的な成果だ。そして、それが「ここ最近の話」であること自体が、台湾の民主主義がまだ生きている証拠なのだと思う。
台湾によく行く。何が好きなのかと聞かれることがある。食事が好きなのかと聞かれることも多いが、そんなことはない。確かに美味しいが、それが目的ではない。
なんとなく台湾の発展が好きだった。でも、なぜ好きなのか、うまく言葉にできなかった。今回、この文章を書いて、ようやく言語化できた気がする。
「人は間違える。だから制度で補う」。この設計思想に、どこか惹かれるのだと思う。
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