「行政書士はやめておけ」——と思っていた僕が、公益認定専門で開業した話
少し前まで、僕は行政書士をやめておけと思っていました。
公務員を20年以上やると、試験なしで資格が取れる。24年勤めた僕にもその権利がある。だから資格を取るのは難しくない。難しいのは、その先で食べていくことだ。当時の僕は、本気でそう考えていました。
それがいま、僕は行政書士に登録しています。2026年6月15日、登録番号は第26082315号。「行政書士渥美洋行政策法務研究所」という看板を出して、公益認定の申請を主力に仕事をしています。
「やめておけ」と思っていた自分が、その行政書士になっている。都合が良すぎると笑われても仕方ありません。だから、なぜ変わったのかを書きます。過去の自分を論破するのが、いちばん誠実だと思うからです。
当時の僕が並べた「やめておけ」の理由
かつての僕は、行政書士をこう見ていました。
全国の行政書士は約5万人。主な仕事は建設業許可や遺言書作成、在留資格申請などの書類代行で、単価は数千円から数万円。開業初年度の売上が数万円だったという話もある。事務所要件を満たすための初期投資に100万円以上かかった知人もいる。単価が安く、数が多く、食べていくまでに数年かかる仕事だ、と。
選挙に落ちたあと行政書士を始めた友人のことも思い浮かべていました。実家が農家で、奥さんが農業を経営していて、その土台の上で農業補助金に特化して、数年かけてようやく回り始めた。うまくいっている方だけれど、それでも公務員時代の収入には届いていないだろう、と。
そして僕は、友人には農業という土台があった、僕にはその土台がない、支えてくれる家業も、収入が戻るまで数年を耐える蓄えもない、だからやらない、と結論づけていました。
いま読み返しても、間違ったことは言っていないと思います。数字はおおむね事実だし、土台のない人間が丸腰で開業して食えないのも事実です。
僕が見落としていたのは、数字ではありませんでした。「行政書士の価値がどこから生まれるのか」を、僕はまだ一度も、自分の身体で分かっていなかったのです。
法人をつくって、はじめて申請書類の重さを知った
流れが変わったのは、2026年4月に自分の会社、AA WAVE合同会社をつくってからでした。
合同会社なら数万円でできる、法人にすれば節税になる。世間ではそう言われています。僕もそのつもりで、軽い気持ちで登記に手をつけました。
甘かったです。
定款に何をどう書くか。事業目的の一行の書き方で、あとでできることが変わる。資本金をいくらにするか、決算月をいつにするか、業務執行社員の定めをどう置くか。ひとつ決めるたびに、その判断が半年後、一年後の自分を縛ってくる。設立して終わりではなく、そこから毎月の社会保険、決算、申告、日々の仕訳がのしかかる。赤字でも法人住民税の均等割は容赦なく来ます。
いちばん堪えたのは、書類そのものと向き合った時間でした。役所や銀行に出す書類は、思いつきでは通らない。様式があり、根拠があり、整合が要る。数字が合わないだけで、審査が止まる。
公務員時代、僕は役所の側で書類を受け取り、審査し、補正を求める立場にいました。書類を読む目は持っていたつもりでした。それでも、自分が申請する側に回った瞬間、書類を一から組み上げることの面倒さに、正直、面食らったのです。
そのとき、ふと気づきました。
この困難を、事業者に代わって引き受けるのが、行政書士という仕事なのだ、と。
かつての僕は、行政書士を「書類を代わりに書く人」として値付けしていました。単価が安い、だから稼げない、と。でも、自分で法人をつくって申請書類の重さを味わってはじめて、値段の付け方が根本から間違っていたと気づきました。
行政書士が売っているのは、紙一枚ではありません。事業者が本業に集中するために肩代わりする、「制度と向き合う膨大な時間と、そこで詰まらないための知見」です。安いのではなく、価値が見えていなかっただけでした。
「稼げない」は正しい。ただし丸腰なら、の話
ここから先は

公務員から民間へ、そして独立へ|40代のキャリア実録
24年間、霞が関で働きました。46歳で国家公務員を辞め、民間企業へ移り、その後、自分の会社と行政書士事務所を立ち上げました。 職務経歴書…
この記事が参加している募集
いつも温かい目で読んでくださり感謝しております。この記事が少しでもお役に立てたなら嬉しいです。皆さんからの応援が私の創作エネルギーとなっています。スキやコーヒー一杯のチップをいただけると創作の大きな励みになります。これからもよろしくお願いします。
