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松山文創園区で考えた。日本の地方創生に足りないもの。

松山文創園区を歩いた。

台北市内、MRT市政府駅から歩いて10分。日本統治時代に建てられた煙草工場の跡地が、今ではクリエイターの聖地になっている。

平日の昼下がり。

回廊を歩く。高い天井に木造の梁が残っている。床は磨き込まれたテラゾー。窓から差し込む光が、埃を浮かび上がらせる。古い建物特有の、空気の重さと静けさ。

「金點設計獎 POP-UP SHOP」という看板が目に入った。台湾版グッドデザイン賞の受賞作を集めたセレクトショップ「Design PIN」。中に入ると、鹿の角を模したアクセサリースタンド、木製の関節を持つロボット型デスクライト、鳥かごの形をしたBluetoothスピーカーが並んでいた。どれも洒落ている。手に取ると、作り手の体温が伝わってくるような質感がある。

別のコーナーには「TGA Select」のロゴがあった。Taiwan Good Agriculture。台湾の農業部門が推進する、農産加工品のブランドだ。厳しい基準をクリアしたデザイン性の高い製品だけが選ばれ、海外展開や高級スーパーでの販促ルートに乗る。

農業政策とデザインが、同じ棚に並んでいる。日本で言えば、農水省の「GI制度」と経産省の「グッドデザイン賞」が一つの売り場で連携しているようなものだ。縦割りの壁を、売り場というアウトプットで飛び越えている。

窓辺に、白い人形が座っていた。

頭が大きな丸い球体で、顔がない。足を投げ出して、窓枠に腰掛けている。その隣のベンチでは、地元のおじいさんがサンダルを脱いで休んでいた。ペットボトルの水と、蛍光イエローのタオル。観光客が写真を撮る横で、おじいさんは静かに目を閉じていた。

観光地なのに、生活がある。

展示と日常が、同じ空間に溶け込んでいる。「活用されている」という感じがしない。「生きている」という感じがする。

僕はしばらく、窓辺の光景を眺めていた。


帰国してから、調べた。

松山文創園区は2011年にオープンしている。1937年に建てられた煙草工場が1998年に操業停止。2001年に台北市の歴史建造物に指定され、そこから10年かけてリノベーションされた。開業から現在まで、さらに15年。

2023年には年間800万人が訪れた。2024年は1000万人に届く勢いだという。敷地内には台湾設計研究院やiF Designなど100以上のクリエイティブ機関が入居し、500以上のファッションブランドを支援している。2011年以降、1万以上のブランドがここを通過し、80%が商業的成功を収めた。

なぜ、こうなれたのか。

調べていくと、いくつかの構造が見えてきた。

まず、2002年に台湾政府が「挑戰2008:國家發展重點計畫」を策定し、文化創意産業の育成を国家戦略に組み込んでいる。「文化政策」ではなく「産業政策」として位置づけた。文化は守るもの、産業は育てるもの。定義の違いが、長期投資を可能にした。

次に、松山文創園区には「5段階支援モデル」がある。週末マーケットで試す。園区内ギャラリーで育てる。独立店舗を持つ。大型商業施設に進出する。海外展開する。インキュベーションから国際展開まで、パイプラインが設計されている。

そして、Design PINやTGA Selectのような「買える場所」を行政がインフラとして整備している。賞を取って終わりではない。生活者の手に届くところまで設計している。

台湾は「待った」のではない。「待てる設計」をしていた。


では、なぜ台湾はそんな仕組みを作れたのか。

調べていくうちに、一つの仮説が浮かんできた。

台湾にとって文化創意産業は、単なる経済政策ではなかった。「台湾とは何か」を定義するプロジェクトだった。

1990年代、李登輝政権のもとで「社區總體營造」という政策が始まっている。日本語で言えば「町おこし」に近い。各地域の歴史や伝統文化を掘り起こし、住民が共同参加することで、地域へのアイデンティティを育てる。中華民国という上から押し付けられたアイデンティティではなく、自分たちが暮らす土地への愛着を、下から積み上げていく運動だった。

2002年に陳水扁政権(民進党)が文創政策を本格化させたとき、人類学者の陳其南が政務委員として参画している。陳其南は「社區總體營造」の理論的支柱だった人物だ。教育、文創、地域づくりの3つの政策を横断的に担当し、縦割りを超える調整役を果たした。

2009年に馬英九政権(国民党)に交代しても、文創政策は継承された。政党が変わっても、「台湾ブランドを育てる」という基本路線は引き継がれた。

あくまで仮説だが、台湾が「待てた」のは、文化創意産業が国家アイデンティティの形成と結びついていたからではないか。

「台湾とは何か」を世界に示す。そのためにデザインを育て、クリエイターを支援し、発信する場所を作る。「なぜやるのか」が明確だったから、政権が変わっても、時間がかかっても、続けられた。


翻って、日本はどうか。

僕は24年間、霞が関で公務員をやっていた。今はテック企業で経営に近いところにいる。

日本でも似たようなリノベーション事業は山ほどある。廃校をコワーキングスペースに。旧庁舎をカフェに。倉庫をギャラリーに。

でも、15年かけて育てた事例を、僕は知らない。

3年で成果を出せ。5年で自走しろ。補助金が切れたら終わり。イベント頼みで平日は閑散。「活用」はされているが、「生きている」感じがしない。

なぜ、日本は「待てない」のか。

予算単年度主義。議会への説明責任。短期成果へのプレッシャー。失敗を許さない文化。元公務員として、思い当たる構造はいくつもある。

でも、制度の問題だけではない気がする。

日本には「なぜやるのか」がないのではないか。

地方創生も文化政策も、「やったほうがいい」レベルの話であって、「やらなければ国が揺らぐ」という切迫感がない。誰も反対しないが、誰も本気で推進しない。だから予算がつくときはついて、切られるときは切られる。担当者が異動すれば、熱量も一緒に消える。

台湾には「台湾とは何か」という問いがあった。日本には「日本とは何か」を文化政策で定義しようという意志がない。少なくとも、僕が霞が関にいた24年間、そういう議論に出会った記憶がない。

正直、少し悔しかった。


僕には、まだ答えがない。

「なぜやるのか」を作ればいい、と簡単に言えるものでもない。台湾のアイデンティティの問いは、中国との関係という切実な政治状況から生まれている。日本がそれを真似ることはできない。

松山文創園区の窓辺で、白い人形とおじいさんが並んでいた光景を思い出す。あの「空気」は、15年かけて醸成されたものだ。そしてその15年を可能にしたのは、「台湾とは何か」という問いへの国民的な関心だったのかもしれない。

日本でも、あの空気を作れるのか。作れるとしたら、何が必要なのか。

「官と民の翻訳家」を名乗っておきながら、今の僕には翻訳すべき「答え」がない。あるのは「問い」だけだ。

同じ問いを持っている人がいたら、話を聞かせてほしい。

文化施設の運営に関わっている人、自治体で地方創生を担当している人、リノベーションプロジェクトを手がけている人。日本で「待てた」事例を知っている人。あるいは、「待とうとして失敗した」経験を持っている人。

この問いを、一緒に考えたい。


【フォトギャラリー】松山文創園区

全体図
松山文化創造園区と敷地内にある誠品書店のホテル のちにここに泊まります。
Design Pinの入り口
Design Pin
TGA Select Taiwan Good Agriculture
おしゃれなクレヨン
こんな感じで絵が描ける
実は工具
そのほか色々
照明も色々と
狭そうな場所に押し込められる
日本のグッドデザイン賞受賞
可愛いカバン
おじさんにシンクロ

#地方創生 #公務員 #文化政策 #台湾

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Hiroyuki A いつも温かい目で読んでくださり感謝しております。この記事が少しでもお役に立てたなら嬉しいです。皆さんからの応援が私の創作エネルギーとなっています。スキやコーヒー一杯のチップをいただけると創作の大きな励みになります。これからもよろしくお願いします。​​​​​​​​​​​​​​​​