【器と魂の不一致】16Personalities で演技しながら回答してみた
はじめに
今回は、前回書いたMBTI®と16Personalitiesの違いについて述べた記事を基に、自分の診断結果を考察をしていく。
見出し画像は最新の診断結果。100%直観型らしい。すげぇ。完全に感覚を放棄したんだね。
前回の記事はこちら。
前回は分析結果について淡々と述べ、両者の違いや、結果への違和感の原因を説明することを目的としており、自分の経験談は限りなく抑えたつもりである。
対して今回は、私、芥川自身の経験や自己分析などをメインに、誤認識、否、INFPとでた診断結果を半分ほど信じてしまっていた過ち、などについて語りつつ、なぜ最終的にENTJとして腑に落ちたかについて自由に語っていく。まとまりのない感じになると思うが、あえてそのまま出してみる。前もって自分語り系の記事だと言っておく。
MBTI公式のセッションに関して
私自身はMBTI公式のセッションに関して以前から興味はあるものの、受ける気は一切ない。将来的に気が変われば、一つの経験として受ける可能性はあるが、セッションの結果を鵜呑みにするつもりはないと言っておく。ていうか人に自分を定義されるのめちゃくちゃ嫌なので絶対にしたくない。それがサポートという形とはいえ、干渉されるのは確かだろう。うん、嫌だな。自分のことは自分が一番理解している。ここ最近はことさらそう思う。自分に嘘をつかなくなったからENTJだと腑に落ちたのだ。ここまで自分の足でたどり着けたことが重要なのであって、他人の承認や公式認定とか必要ない。
性格は診断するものではないのなら、他人が干渉するセッションだって同じことでは?と思う。積極的な他人からの干渉や思考の誘導を拒絶する私には向いていないのだ。サイトでの診断は少なくとも自己回答の結果で、人間的独自の解釈や偏見が干渉しないので逆にそこまで思わない。が、少なくとも「人間と会話を交わす」以上、おそらくだが私の第一印象などにも性格は左右される可能性がある。第一印象で苦労してきた私にとって他人を信用できないのも無理はない。人間の目は意外に節穴なことがある。私を優しい人間だと買い被ってきた多くの人間が、私の本性を見抜けなかったように。人は他人を正しく認識できない。必ずその人のフィルターがかかってしまう。だから結局、自分を知るには、極限まで自分自身と向き合うしかないと私は考えている。たとえ精神が狂っても。私は結果的に前に進む足掛かりとなったので、自分の闇も含めてすべて観察していくこの過程を踏んだことを後悔していない。
そもそも、他人に自分のことを口頭で説明すること自体が面倒だし、信用できない相手にプライベートを話すのも聞かれるのも嫌いなので、たぶん他人を目の前にすると私は演技してしまう。
なので意味がない。演技しなければいいと言われればそれまでなのだが、それは私自身にもどうしようもない。他人を目の前にした時、気づいた時には頭で考えている自分の本心よりも、その場その場に適した「セリフ」で回答をしてしまうことがあると自覚しているので、セッションで適切な結果が得られるとは限らないと自分では考えているため。
ただ、実験として、他のタイプを演じて公式の目を欺けるかを試してみたい気持ちは或る。好奇心が。いや、そんなことはしないですよ。きっとね。
私は過去に、一時期メンタルクリニックにもかかったことがあるが、医者が必ずしも正しい診断をできるとは限らない。はじめに受ける心理カウンセリングは少なくとも精神的に疲労している私の話を聞いている風だったが、薬を処方する医者との診察は淡々としたものだ。今思えば、私はあの時でさえ演技していたかもしれないと感じている。
いくら資格や偉い肩書を持っていたとしても、人間なので。こちらが正直に症状を述べないと、適切な判断ができないはず。それを上回る症状が客観的に見てとれるなら話は変わってくるが、もし私に客観的に分かるほどの精神的症状がでているのであれば、人間社会で上手く生き伸びてこれなかっただろう。
他人を知り、己を知ることが目的
こういうたぐいのものは、結局自分で解決の糸口を手繰り寄せるしかない。自分が自分の過去と認知の癖をわかっていればそれでいいのだ。
心理機能やMBTI理論については本を読めば書いてあることなのだが、私も本だけで理解するのは難しいタイプなので、いろんなタイプを自認する人間の多種多様な考え方を観察してようやく理解できた。
他人を知り、己を知ることでようやく視界が開けていく。
ただ、ほとんどの人がこの心理機能を理解するところに高いハードルがあると思われる(自分も理解に時間を要した)ので、セッションを受けるのは、まずMBTIの理論を理解するのにはいい機会なのかもしれない。
性格は診断するものではない
サイトでチェック形式で回答して表される診断結果は自分の回答した内容を一般化して文章にまとめたものであり、当たっていない可能性は限りなく低い。もし何もかも当たっていないならあなたは回答に嘘をついているということになる。もし解説の一部に違和感があるのなら、MBTI®で心理機能について学んで自分の認知タイプを知っていけばいい。
16Personalitiesではそもそも、割と当たり障りのないところまでしか公開されていないし、他人から観測できる部分にフォーカスが当たっている印象がある。キャッチーなキャラクターと偉人や名言などの引用もあって、確かに客観的なキャラクター性は非常に分かり易い。
反面、自己理解の面においてはバーナム効果で意外と他のタイプでもありえるかも、と思えてしまうような書かれ方になっている。心理機能を知らない人間なら、何がこの二者を分けているのかすぐには判らない人も多いだろう。
特に、同じ枠組みのタイプ間で揺れたり、第一機能ー第二機能の2つに同じ機能を持つタイプで揺れやすい。中には頭の外向内向だけで揺れるタイプもいるし、気分次第でJとPが揺れる人も多いだろう。しかしそれは自分の本質を理解するための「MBTI®︎」と必ずしも一致しないということを、MBTI®を理解すれば自ずと見えてくる。
しかしその誤解を招いているのが、16PersonalitiesがMBTI®︎の独自形式であった四文字のアルファベットを引用してしまっている点だ。タイプの結果が同じ文字列になっていることが誤解を生んでいる。MBTIを正確に使用していないならその表記は避けるべきで。
また、16Personalitiesが実は心理分析や性格分析理論のキメラであることを知らない人がほとんどだろう。
とはいえ、どちらも性質や目的を理解した上で、こちらではこの結果、こちらではこの結果、というふうに個別に理解できている方はそれで問題はないと思う。
また、そもそもそこまで気にしていない人も、それはそれで問題ではないと思っている。
MBTI®の本来の目的
MBTI®の本来の目的は次の通りだ。
MBTIは他の性格検査とは異なります。MBTI(エムビーティーアイ:Myers-Briggs Type Indicator)は、個人をタイプに分類したり、性格を診断したりすることが目的ではありません。回答した個人一人ひとりが、自分の心を理解するための座標軸として用いることを最大の目的にしています。
私がはじめてMBTI®やら16Personalitiesなどの性格診断というものに出会った頃はまだ学生だった。昔から心理学には興味があったので、惹かれるのは自然なことだった。当時の16Personalitiesはまだ、日本語版の質問内容の翻訳がハチャメチャだった。近頃、診断が新しくなったなどと言っている方を見かけるのだが、ちなみにいうと、質問の本質は全然変わっていない。
変わっているのは日本語訳の精度と文法が正しくなり、少しばかり読みやすくなったという点。また、なぜか語尾が「~ですね」という口語に近づいている点。一体なぜ距離を詰めてきた?昔より大衆向けにデザインされている意図を感じる。しかし初期のころは、Google先生が雑に直訳したかのようなつたない日本語で、日本人が診断するには読解力が必要だった。
そんなMBTI®はおろか、16Personalitiesさえ流行っていなかったのころの、私の16Personalitiesでの診断結果はなんと
INFP
である。
ENTJとINFPを誤診?
いやいやまさか(笑)ENTJとINFPを誤診?ないない!ありえない!
と思ったそこのあなたは、まだMBTI®の本質までは理解していないだろう。
かくいう私が、当時そう思っていた。「ENTJってこんな感じの人たちなんだ」「私はENTJとは程遠いよね~」「ENTJのような気迫は私にはないよ」「今の私ではENTJには程遠いけど、なったほうがいいんだろうな」「敵として据え置くのには最適だ」なんてことを想像していた(でもなんかこの発想の時点でENTJの片鱗が見えてる気もする)。
前回の記事でも細かく書いたが、ENTJとINFPは主機能こそ真逆だが、補助機能が同じ直観機能なのだ。その外向内向も異なってはいるが、誤診してもおかしくはないと思われる。また、INFPをよく観察していくと分かるが、不健全時のINFPの様子は意外とENTJぽかったりする。ストレスが意外と人に向けられるタイプだと思われる。本人の意思に反して。
対してENTJは不健全時には極端に人を避け一人になろうとする。人を頼ることができない。ストレスは自分の内側に向いていく。他人に当たり散らすようなふるまいをする人は性格以前に終わってはいるのだが、そう思っているためか、他人に不満やストレスをぶつけても意味がないと分かっているのでそうしない。人からの干渉を極度に拒絶する。
また、スマホのメモに控えてあった診断結果を探しまくったところ、2020年のメモに、ENFPやENFJの結果も残っていた。ところが、S:感覚を得意とするタイプは一度も出たことがなかった。これには自分自身でも自覚があり、私は特にS型の感覚機能に少し苦手意識があり、五感から得られる情報に依存していない自覚があった。空腹感や睡魔などに非常に疎いのだ。倒れるまで、起き上がれなくなるまで体調不良に気づかないということは多々あったし、風邪や熱を自覚することもほぼなく、自分は風邪をひかないし熱もあまり出ない、と思っていた。しかし後に、全然元気で自覚症状はないのに熱が出ていることがあると知る。それでも鈍麻は治らない。
おそらくこの特徴は自分が幼少期に抱えていた家庭環境の問題が関係しているので、MBTIや性格云々だけの問題ではないのだが。
そういった面でも、心理機能の序列第三機能(代替機能)に「Si:内向感覚」が来るINFPの結果はありえない話ではなかった。そもそも心理機能の内外もよくわかっていなかった。言いたいことはわかるのだが、実感として偏りが内なのか外なのか、理解できていなかった。
そして心理機能を学んでいくうちに「N:直観」も毎回のように出ていることに気付いた。よって当時の私は、主に「NF」を得意としているのだ!という結論に至っていた。やがて私はこの結論が少しばかり誤っていたと気付いていくことになる。
16PersonalitiesでINFPが出ていた頃
この頃の私は演技を学んでいた。舞台は集団でのモノづくりである。音響や照明、観客、脚本、舞台美術。そして演者が身体や声、表情、感情などあらゆる道具を使って、一人の人間が一人の人間の人生の一部分を生き、人の性格や生き方をもろに表現する。芝居の稽古という環境で、切磋琢磨する日々を送っていた。人より上に上り詰め、より良い役やチャンスを得るために必死だった一方で「誰を蹴落としてでも頂点に立つ」という思想を心の底から軽蔑していた。身近にそういうタイプがいて、引いていたというのも正直あるかもしれない。
私は芝居とは人と人とで創り上げていくもので、名義上に主役や脇役などの差は在れど、その誰もが欠けてはいけないパーツの一つだと考えている。そんな総合芸術の一パーツである役者という人間が、人を蹴落としてまで這い上がって得られるものに価値はない、というのが当時の私の価値観だった。役は自らをアピールして勝ち取るものであるという主張も理解できる。しかし一方で、実はほとんどの場合、監督や脚本家などの舞台の裏を支える客観的な大人の目によって、最適な人材を選別しているという「与えられるもの」なのである。役というものはなろうとしてなれるものではなく、往々にして、既に持っている人間が演じた方が、それっぽいものに見えるのだ。そこに演者自身の内面や価値観、人生経験などは一切関与しない。それを想像してアウトプットするのが芝居であり、優秀な役者である。こんなにロジカルに考えている人もいれば、そうでないタイプの役者もいるとは思う。しかし役者という人種は往々にして、すこし自分をよく見せようとする。役者にはそれが容易にできるのだ。なぜなら他人を演じるスキルを持っているから。
そこに立っているだけで、あの人物に見える、さらに動き声を出せばよりその者にしか見えなくなる。それが重要なのだ。「あてがき」という言葉もあるくらい、役者本人の持つ素質に合わせて脚本が書かれることもある。
このように、人の感情を深く考える芝居をしていたという背景もあり、おそらく当時「INFP」や「F型」よりの診断結果になっていたのだ。なぜなら人は他人に感情的優しさを求める生き物で、私はそれに応えるスキル「演技」を持っていたからだ。
しかし今思えば、かなり根を詰めて無理をしていたように思う。なぜなら、与えられる役柄が、おおよそ本当の自分とは乖離していたからだ。乖離しているのにもかかわらず、演じることができる。問題はここだった。数多の作品や人間観察をしてきた経験から無意識にできていたのだと思う。
自信の無さという共通点
INFPは自信がなさげな様子が外に割と漏れてしまっている感じがある。その真意はなんにせよ、謎の自信なさげなおろおろと周りの様子をうかがう雰囲気が出がち。
ENTJは目標が高すぎるがゆえに、そこに到達できていない間、内面では実は自分はまだまだ未熟だ、という感じで自信がないと思っていることがある。一見自信があるようには見え、あまり表面化せず、自信がないことを打ち明けるとまじめだとか思われやすい。
今思い返せば、私は後者だった。
芝居をすることは好きだった。今でも好きだし、チャンスがあるなら挑戦してみたい。しかし、自分にはどうも、気を抜くとスッと魂が抜けて俯瞰視点になるようなところがあった。特に、全く共感できない人間にはいくら努力しても共感できなかったのだ。逆にあまりにも共感できる生い立ちや性格、価値観の人間には激しく同調し、稽古中にも関わらず、読み合せで少し感情を込めた程度で哀しくもないのに涙が止まらない、なんてこともあった(この時はストレスと心労もあったと思う)。
この向いているのか向いていないのかわからない、両極端な性質に頭を悩ませられ、自分を見失ったこともあった。上手くいかない日々の中で、演出監督である講師に目をかけられていながらも、その期待に反し失礼ながらもどこか自分に自信が持てなかったのだ。講師にもその謎の自信の無さを指摘されていた。そしてこんなにも期待してくれて、色々とアドバイスをくれる講師の期待に、まだまだ十分に応えられていないような気がして、そんな自分を激しく責め続け、どうすればもっと向上するかと考え続けていた。
「『役を演じる役』を演じる自分」を見ている私
今思えばいい役ばかりをもらっていた。嬉しい反面、こんな私でいいのだろうかという不安が常にぬぐえなかった。おそらく人に気にいられやすい見た目や雰囲気が功をそうしていたのだと自分で自分を納得させていた。なぜ自分が気に入られたのかといえば、おそらくいつでも舞台の真ん中や、できる限り講師の視界に入る場所で、自分の存在と能力をアピールしようとやる気を見せていたからではないか。
普段はそんな自信ありげな態度で、仲間からもそう見られていたにもかかわらず、本音をこぼす時に垣間見える謎の自信の無さはどういうことなんだと聞かれたことがあった。
「目立つし、積極的だし、いい素質を持ってるのに、どっか影があるような自信なさげな時があるんだよ。よく解らん奴だな」というようなことを言われたのを未だに覚えている。今思えば「影がある」こともそれはそれで役者としての一つの素質ではあるが、なんとなくそれがネガティブなものだと言われているように感じていた。
私は結局、どこまでも底抜けに明るいキャラを演じなければいけないのか、と虚無に至った。そこで糸が切れたのかもしれない。
器と魂の不一致。これは私が思春期に差し掛かったあたりから抱えていた私の唯一の悩みだった。
器と魂の不一致
私は「役を演じる役」を演じる自分になることで精いっぱいだった。この頃は本当に自分を見失っていた。後から気付いたのは、無理に合わない役に本心から寄り添わなくていいということだった。まじめが過ぎるあまり、役にすべて寄り添い、自分も本心から同じように感じていなければ真に演じているとは言えないという強迫観念があった。しかし、与えられた役を淡々とこなすことでも、得られるものはあるはずだ。
そして私は、誰かを演じることを「手段」として捉えていたことに気付いた。演じることが楽しいという瞬間ももちろんあったが、常日頃自分を抑え込んで、誰でもない当たり障りない何かを演じていることに疲れ果て、結局好きだった芝居を愉しめなくなってしまった。演じたいという気持ちではなく、演じなければいけない、という命令に従って行動するようになっていた。舞台の上でなくとも、人に望まれる人間を演じていなければ、人前に立ってはいけないような気さえしていた。常に自分自身の本心を抑圧していたのだ。
自分自身の気持ちを無視し続けた者の末路
この経験は、明らかに自分自身の気持ちを無視して思考で判断して行動していた者の末路といえるだろう(他人事)。人の気持ちや考えていることはわかるのに、自分の気持ちはわからないのだ。
今ではそんなことはすっぱりやめて、できる限り自分の気持ちに耳を傾け、それを自分の中でだけでもアウトプットするように意識している。物語を書くときはそのキャラクターの気持ちに思いをはせることができるのだが、自分の日記となると話が変わってくる。
これまで個人的な日記を書く際にはつい、何をした、どこへ行った、という行動ログと写真だけの簡素なものになりがちだった。そこで、意識的に自分がどう感じていたか、美味しかったか、嬉しかったか、楽しかったか、幸せに感じていたか、など些細なことでもアウトプットするようにした。
また、これまで無視してすぐさまポジティブ思考に転化しがちだったネガティブな感情からもできるだけ目を背けず、自分の中でだけでも感じていたという事実をアウトプットして記録するようにしている。自分の気持ちを人に伝えて共有したい、などと感じられるようなレベルには至らないだろうが、それでも自分で自分を理解し、大切にするためにはこの試みは役に立っていると考えている。
話を戻そう。
狙った性格タイプの診断結果を自在に出す
ちなみに現在の私は一応、数年前から作家・クリエイターとして個人的に活動している一般人だ。これも作家の演技なのかもしれないとすら思っている。芝居の場からスパッと離れて精神的休養をしつつ、芝居をやめる前からすでに次の目標を定めていた。その目標に向かう中で、このMBTIとやらは使える、と思った私は暇さえあればMBTIについて学んでいた。すべてのタイプを考察しまくり、初期の頃なんかは何ヶ月もほぼ毎日ありとあらゆる動画やサイト、書籍を調べまわった。そうして心理機能についてあらかた理解した。このような目的思考からなる思考回路、それに伴う誰に強制されるでもない突拍子もない行動力もかなりENTJっぽいと後から気付いた。思い立ったが吉日なのだ。見通しが立つまでは腰が重く徹底的に下調べを尽くすが、見通しがスパーンっと通った時のENTJの行動力は鬼である。明日野郎とは程遠い。「今!今やりたい!今すぐ!」そんな感じなのだ。これがせっかちと言われる所以なのか。気付いた時には体が動いていて、考えながら行動できるタイプだ。
そんな学習期間を経た今の私には16Personalitiesで狙った性格タイプの診断結果を自在に出すことなど朝飯前なのである。(この人は本来の意図とは異なる使い方をしているよ。良い子は絶対にマネしないでね)
別にこれはなんの特殊能力でもない、個人的な遊びである。質問内容をよく読んでみると、ほとんどの質問の、F or T、S or N、J or Pのどれをわける質問なのかがわかる。
少し閑話休題:AとかTとか
ちなみに16Personalities独自の指標であるAorTもあるが、これは正直よくわからないので考えるのを放棄している。だってAとかTとか、なんですか?

結構前から、英語版ではより詳細な説明がなされていた。
最近は日本語版にもアップデートがちょこちょこされているっぽい。
16Personalitiesでは英語サイトでのみ、これまでの診断結果を一覧で確認することができる。その英語版サイトで表示される診断結果がこちら。

Assertive:断定的
You’re likely self-assured, even-tempered, and resistant to stress, refusing to worry too much.
あなたは自信があり、冷静で、ストレスに強く、あまり心配しない傾向があります。
ほう。

よしわからん。LEARN MOREを見に行って、Google先生に投げてみよう。
The Identity scale, made up of the Assertive and Turbulent personality traits, affects all other scales and indicates how confident we are in our abilities and decisions. Identity triggers the way we react to the things life constantly throws at us. How do we respond to success and failure? Criticism or feedback from other people? Unexpected events that suddenly change many things or everything? Even the unknown future?
アイデンティティ スケールは、積極的および激動的な性格特性で構成されており、他のすべてのスケールに影響を及ぼし、自分の能力と決定にどれだけ自信を持っているかを示します。アイデンティティは、人生で常に直面する物事に対する反応の仕方を左右します。成功や失敗にどう反応しますか? 他の人からの批判やフィードバック? 多くのことやすべてを突然変えてしまう予期せぬ出来事? 未知の未来さえも?
A・自己主張型は自信家であまり神経質にならない。そうなのかな?
自己主張の強い人は自信があり、冷静で、ストレスに強いです。あまり心配しませんが、これは無関心とは異なります。目標を目指し、成功した結果を望みますが、通常は緊張が達成への道を左右することはありません。過去の行動や選択について考えることに多くの時間を費やすことはないでしょう。自己主張の強い性格タイプによると、終わったことは終わったことです。
自己主張の強い性格の人は、自分の過去から教訓を学びますが、同じ後悔を何度も繰り返すことにあまり意味を感じません。
確かに。
T・激動型は完璧主義で向上心がある。
ストレスの力、発動!
激動の性格の人は成功志向で、完璧主義で、向上心があります。彼らは常に、より多くのことを達成することで、自分の自信のなさを相殺しようとします。彼らは、より良くなろうと努力するのと同じように、プロジェクトや努力も同じ方向に進めます。激動の性格の人は、小さな問題に気づき、それが大きな問題になる前に対処しようとする傾向があります。
「ストレスの力、発動!」などと言う誤解を生む日本語訳が生まれてしまいました。
ストレスは悪いイメージがあるかもしれないが、世界中のタービュレントな人たちは、ストレスがいかに強力な動機付けになり得るかを示している。
確かに。
うん、自信家な向上心の塊なので、どっちもある気がします。わかりません。どんなポイントで評価してるんでしょうね。大きい丸を選んで極端なふり幅になるほど自信過剰なAになる、とか?しらんけど。
2024/10/20 追記:
Assertive(アサーティブ),Turbulent(タービュレント)の意味がピンと来ていなかったが、アサーション(assertion)という言葉は知っており、Assertiveはそれに類する言葉だと理解した。assertiveの単語の意味を調べると、16Personalitiesで説明されているままの意味合いのようだ。
assertive
断言的な、言い張る、独断的な、断定的な
assertive
Someone who is assertive behaves confidently and is not frightened to say what they want or believe
訳:自己主張の強い人は自信を持って行動し、自分が望むことや信じていることを恐れずに発言します。
確かに私は普段から人と会話する時アサーションを意識している。
どちらかと言えばENTJ-Aになるのも自然ではある。多少のことでは取り乱さないし、まあ図太いと言われれば否定できない。
「アサーション」とは自分の気持ちや意見、相手への希望などを伝えたいとき、なるべく率直に、その場に合った適切な方法で伝えるコミュニケーションスキルのことです。
ただ、Turbulentはまだ意味がしっくりきていない。いや意味は分かるが、説明と単語の意味が結びつかない。turbulentの単語自体の意味は、要は、「めっちゃ激しく動き回る(変化する)」って意味。ビジネス英語だと例文に激動の時代という文章があった。
つまりTurbulent型は完璧主義だが、いろんな面で波があるとか、ムラがあって秩序がなく、その結果Turbulent=激動型ということなのかもしれない。確かに私は全体的に見るとあまり大きな波はなく落ち着いて行動する方ではあると思うのでTでないのは妥当か。
turbulent
荒れ狂う、かき乱された、激しい、騒々しい、乱暴な
1a〈風・波など〉荒れ狂う.
b〈感情など〉かき乱された,激しい.
2〈暴徒など〉騒々しい,乱暴な.
turbulent adjective (SITUATION/TIME)
involving a lot of sudden changes, arguments, or violence
訳:突然の変化、口論、暴力が多く含まれる
turbulent | Business English
experiencing many problems, disagreements, or changes:
多くの問題、意見の相違、変化を経験する:
さ、話を戻しますと、16Personalitiesでは本家MBTIにある心理機能ごとの外向内向の指向性を診断結果で見ることができないようになっている。よって私の持論はこうだ。
16personalitiesの指標は2次元であり
MBTI®は3次元である。
前回の記事でも述べたが、16Personalitiesでは基本的に「他人との関わり方」という観点で行われる質問に対して、内向っぽい回答をすれば内向型に、外向っぽい回答をすれば外向に単純に偏りやすくなっているような気がする。あるいは、心理機能それぞれの外向性と内向性の総合的なE対Iの割合で、外向と内向に分かれているのではないかと思われる。心理機能の序列はそれぞれの機能の指向(XeかXiか)が互い違いとなっているが16Personalitiesでは考慮されていない可能性がある。しかし、人付き合いが好きなことと、直観で世界を認識し思考で判断していることに、果たして社交性は関係するのだろうか。しないだろう。普通に考えて、全然別軸の問題だろう。
私は基本的にN型であることが揺らいだためしがない。
自分ならどうするかと真面目に診断した結果の指揮官ENTJと、ほぼ自分の本心だが多少内向的な選択を意識して建築家INTJ寄りに回答した診断結果の差はこの通り。

エネルギーが外向型でE型,メインの心理機能はNT型で,判断機能はJ型。

エネルギーが内向型のためI型,メインの心理機能はNT型で,判断機能はJ型。

感情型と言っても、ほとんど真ん中の方に位置している54%。
4%だけ感情に偏っている。JとPの割合もほとんど真ん中。
対して直観型であることはほぼ振り切っている。
自己主張型であることは一貫している。
揺れるとするならば感情と思考で、素直に回答した結果では、感情型の中ではINFPしか出たことがない。N直観型は何度やっても変わらない。
16Personalitiesでは心理機能の指向性がわからない。考慮されていないのだろうか。
しかも今気づいたが、16PersonalitiesはNの機能の日本語訳が「直感」になっている。MBTI®では「直観」と明確に定義され表現されている。
直観機能・N
「感」ではなく観察の「観」、感じるのではなく「観る」。ユングが示した「直観機能」には、「直感」も含まれている。 直観機能は第六感、つまり「6th sense」を使って情報を集める。ユング的「第六感」は、実際に見たり聞いたり触れたり"できない"ものから情報を得ること。
感覚機能・S
五つの感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)の「感」
この五つの感覚を使って情報を集めること。実際に見たり、聞いたり、味わったり、体験しているときは「感覚機能」を使っている。
よって誰しもが感覚機能を使っているはずだ。
ということは、本を読むのが苦手だったり、動体視力が低いとか、何かに良く体をぶつけるとか、ぶつけたのにあまり痛みを感じにくいとか、そういった経験が多い人は、感覚機能を用いることが苦手な可能性が高い。本を読むのが苦手といっても、読んでいるうちに自分の頭の中で空想が広がっていって思考が飛躍し、読むこと自体に集中できないタイプは直観優位の可能性が高い。かといって運動できないとかは偏見で、少なくとも私は幼少期あらゆる運動をしてきた、どちらかといえば「運動神経がある」と言われるタイプだ。
ただ確かに、感覚型を第一か第二の機能に持っていて自認もしている人は、五感で感じられる趣味を持っている傾向がある。スポーツが好きだったり、食べることが好きで、しかもその感覚が鋭敏なので自分がどの程度食べられるか、どの程度動けるかなどと言ったことが、深く考えなくても経験を身体で覚えていて良くわかるのだろう。NとSというのは非常に自覚しやすい機能だと思う。
直観型の私は、何かにつけて思考が飛んだり、さっきまで考えていたこととは全く無関係の話題に意識がそれて次はそれについて永遠と連想を続けるなど、よく上の空と表現されるが、まさにその通りなのだ。それに比例するように、考え事をしているととんでもないドジをやらかすことがある。コーヒーマシンにカップをセットしないままボタンを押して、机や床がコーヒー浸しになって初めて気づくとかね。他にもいろいろあるが、割ととんでもないドジエピソードを持っているのも感覚機能が弱い人の特徴なのかも。
心理機能の一覧:MBTI®と16Personalitiesの違いを比較
ここからは数年前に、個人的にスプレッドシートでまとめていたタイプ別の一覧を引っ張り出してきてキャプチャしたものを使って両者の指標の違いを分析していく。MBTI®公認の書籍である『MBTI®へのいざない』にて説明されている表を参考に、分かり易いように整理して一枚のシートにまとめ、16Personalitiesでのカラーリングを当てている。


Seを主機能に持つのはESTPとESFP。どちらも頭がEでSの文字が真ん中に入っている。

ちなみに「主機能と第三機能の指向が 4文字の頭の文字の EかIを決める」というのは、学びながら法則性に気付いて「そうじゃん!」と一人で思っていたので入れているが、本で解説されているところなどはまだ見つけられていない。けどたぶんどこかに書いてると思う。たぶん。だって二番目と四番目より一番目と三番目のほうが割合の合計値は大きくなるはずだから、主機能と第三機能の指向性がその人の特徴となるのは必然的だよね。
ここでMBTI®における心理機能の概念と比較してみる。MBTI®ではそれぞれこのような心理機能の並びになっている。
ENTJの心理機能
表-裏
Te - Ti
Ni -Ne
Se - Si
Fi - Fe

ENTJの場合、判断機能である「Te:外向思考」が主機能であり、「Ni:内向直観」が補助機能となっている。
INFPと比べてみる。
INFPの心理機能
Fi - Fe
Ne - Ni
Si - Se
Te - Ti

TeとFiが共通してメインの機能(全8種類ある中の4つの内に含まれているということ)であり、大してNとSは指向性が逆行している。そしてINFPはTeを苦手とし、ENTJはFiを苦手としている。16Personalitiesで診断していた際に逆転してINFPの結果が出ていたのは、私が理想的な人格と思想を本心だと思い込んでいたからだ。しかしその時点でもうINFPとは程遠いだろう。しかし当時は自分でも自分のこの作為的な選択に気付いていなかった。嘘をついている自覚すらなかったのだ。これが真に何者かを演じるということではないか?とさえ、今なら思ってしまう。
TとFの違いは言動に現れやすい。私は昔から自覚的に感情を利用していたところがあり、対して感情がきっかけで動くという機会はめったになかった。Nが知覚機能であるため、情報収集の仕方はNよりであることは間違いなく自覚できている。しかし知覚機能は世界の捉え方なので、ほとんど表面化されない。
しかし、知覚機能で得た情報を判断的に使用する感情機能か思考機能かの違いは表に現れる部分であり、人間社会で生きている上でこの判断機能は建前に邪魔される。つまり嘘をつくことが可能である。本当は逆のことを考えていても、空気を読んで周りの望む反応やふさわしい対応を返すということが、人間にはできてしまう。
私は協調性を大事にしなければいけない、と自分に言い聞かせて生きてきた。それは能動的に協調してきたのではなく、人生経験のなかでそれが適切だと学んだからだ。本音では思っていなくとも、周囲に合わせられるというこざかしいことが息をするようにできてしまっていた。その為に自分は感情を上手く扱えるし、自分の感情はわかる、と誤解していたのだ。この周囲に合わせられる点は自分の本心を隠して人を優先するINFP的でもあり、周りを考慮しがちな外向型(ここでは頭にEがつくタイプ全般を指す)っぽくもある。
しかし今になって、客観的にINFPというタイプを見ていて思うのは、感情を使う、というよりはむしろ、感情を感じざるを得ない、という感じに思える。私の内側ではその感覚があまりない。どちらかと言えば感情を探さなければすぐに見失ってしまう。これも腑に落ちるエピソードがある。
感情的ですぐに逆上し、言わなくてもいいことまで言って罵り、時にヒステリックになり文句を互いにぶつけ合う両親の、耳をつんざくような言い争いを聞き続け、幼い私はついには自分の中の感情を切り捨ててしまったのだ。こんな不快な感情も、哀しいという気持ちも恐怖心も、毎日感じれば疲れ果ててしまう。私はこの環境に適応しようとした。そう考えると、感情を切り捨てることはあまりにも合理的だ。人の生存戦略や深層心理というものは割と笑えないレベルで合理的にできているなと思う。結果論だけど。
思考機能と感情機能は判断機能である。よって、私が正直に思ったことをすべてハッキリと言っていれば、感情的かどうかは他人からも見てわかるだろう。学生時代の私はよく天然だといわれたが、それは普段はニコニコしてあまり自己主張しないで大人しくしているのに、SNS上の文面や気の置けない友人の前では割と辛辣なことを言うからだったと思われる。自分で言うのもなんだが自分の考えや価値観には割と自信があり、周囲からの印象や嫌われるかもしれないなどという恐れが一切なかった。それに、他人からの承認も必要としていなかった。外に発信している段階で割と自分のなかで自信があっての行動だからだ。まだ腑に落ちていない考えや理論はそもそも外には出さない。
勝手にフォローして勝手に見ているのだから、他人にどうこう言われる筋合いはない、などとも思っていたのだ。むしろ、誰がどの程度自分についてこられるのか観察していたところはある。本当の私を見てもなお興味を示す人間を観察していたのだ。これは根本的に人が寄ってきやすいからこそできていたことで、人が寄りつきやすい分、信頼できる付き合う人間を選ぶためにしていたことだと思う。別に悪いことじゃない。と思う。
それに加えて、日ごろあまり自分の気持ちを表現しない。表現しないのが普通過ぎて、自分は感情をあまり表現していないのだ、ということを自覚できていなかった。誰かと喋るとき、自分の発言に対してこのように帰ってくるだろう、と頭の中で会話を組み立てる癖があり、これが何手か先のやり取りまで想像して動くということなのか、と理解した。しかもその間に感情を感じるプロセスが挟まることがほぼない。人間と会話しているというのに、まるで一人で脚本を書いているかのような思考回路だ。そこに一喜一憂することもほぼなく「ああ、そのパターンできたか。たぶん相手はこう思っているのかな、これが知りたいのかな。じゃあ返事はこうかな」「いまここでこれを言うべきだな」などと想像して返事をする。まるでゲームをプレイするかのように。こういうゲーム脳な思考はNT型の特徴でもある。
……INFPと見受けられるキャラクターたちが、こんなことを考え、口にするだろうか。INFPに謝罪しなければいけないなと思う。
INFPの仮面を被って擬態して社会に潜んでしまい、誠に申し訳ありませんでした。
さて。この通り私の周囲からの印象は感情タイプのものとは程遠く、周りの人間と比べてかなり落ち着いている印象だったと思う。偏見的にいえばキャラクター性としてはINTJっぽかったのではないかと考察していた(過去の自分を考察するとかいう謎行為)。
感情を表に出さない、というよりは、あまり出す必要がないし、そもそも日常であまり感情に突き動かされるようなことがない。映画やアニメでしか泣けないのは、もしかすると、感情を感じる能力が鈍いことに起因しているのではないかと思った。そもそも物語で泣けることや、人とうまく関われることを、人に共感できることと混同していたのが問題だった。
時々涙が出ることがないわけではない。だが、そういう時は決まって「悲しいな」とは思っていないのだ。大体の場合、疲労とストレスと自律神経が原因だと思っている。
すごく悲しいから泣く、ということがあまり実感としてない。例えば、卒業式で「今泣くところ」というところでは泣けた方だし「泣くな泣くな」と強く律すれば涙を引っ込めることができる。たぶんこれは芝居をしてきたことが原因だと思う。コントロールできる分、感情感知能力が劣っていることが自覚できた。
16Personalities で16タイプすべて演技しながら回答してみた
というわけで、同じ日の内にいくつかのキャラになりきって回答したみた結果を羅列していく。この画面は診断した結果を自分のプロフィールとして表示したページ(JP版)で、拾ってきたものではないことを念のため記載しておきます。
分析家(ENTJとINTJは上記で掲載したので省略)


外交官(INFPは上記で掲載したので省略)



探検家




番人




うん。狙った通りのタイプを出せて満足。以上。
回答時間がかかったモノはTになってる傾向があるかもしれない。個人的な見解。個人的に即決で選択肢をあいまいにせず極振り(真ん中よりやどちらでもないを避けて、できるだけ端っこの〇を選ぶ)で回答したタイプはAになっている印象。
2024/10/24 追記:
以上ですべてのタイプを診断で想定通り出すことができました。
一部、個々に載っていないタイプは、Accountにログインしていないブラウザで回答した結果となっているため。ESFPとかは前に試しでやった時のスクショなのでログインせずにやってました。

Note: We don’t recommend retaking our personality test more often than every 6 months.
注意: 性格テストを 6 か月に 1 回以上再受験することはお勧めしません。
はい、重々承知してます。今回のテストはすべて実験です。実験、しますよね?このテストを作る以上、ちゃんと正確な結果がでるかテストしてますよね。はい。
私自身普段から、人と接する時はあえて相手に合わせて演じている自覚があるが、そうでなくても診断結果を自在に操ることがこんなにも簡単にできてしまうのである。他を知り己を知るを体現していると思う。
正直言って、現実で自分を「指揮官です」「ENTJです」とか、絶対言いたくない。これは知らない人間が読む記事だからこそ書けているのである。だって指揮官ってなんか大げさなことしか書かれてなくて恥ずかしいんだもの。大抵ENTJと言われる人物やキャラクターは嫌われ役の悪役だし、悪役って自ら名乗らないからこそ悪役だし。悪役好きだけど。ただやはり、自分が好きな映画の主人公はENTJとされていることも多く、やはり共感できる人物であることは確かで、悪役を好きになりがちなところも、それはそれで自分がENTJであることを大いに裏付けているというジレンマ。クルエラとか爆豪勝己とかボア・ハンコックとか、Peaky Blindersのトミー・シェルビーとか。あとはINTJキャラも共感という観点で好きになりがち。Peaky Blindersはドラマ全シーズン一気観してさらに何週かした後で、自分も同じタイプだと分かり、振り返って「え、私こんなんか?」となった。しかしトミーの言動に理解ができ、信用出来て結構好きだ。それでいて、同じ立場ならそうするだろうと思うこともあった。
爆豪勝己も同じ感じで、漫画一話時点で出久よりも爆豪派だった。それは爆豪がいじめっ子だという観点よりも深い所で、爆豪は自分に自信があって、彼には彼なりのなんらかの葛藤を抱えていると分かっていたから。他人から助けられるということを屈辱と感じているからこそ、それを悪気なくむしろ善意を以てぶつけてくるデクに辛く当たっているのが透けて見えた。私が信条とする、優しさを以て悪を征するという概念は、このようにして適応される。デクのような優しさは善であることは確かだが、時には人を傷つけ得る。
漫画だから分かり易いのもあるが、私はデクよりも爆豪勝己の葛藤の部分に共感した。爆豪に共感したとか言うと誤解されそうだが、いじめとはするのもされるのも無縁の人生なので一応弁明しておく。
たぶん私のことをいじめようとする奴は、私の周りにいる友人たちに阻まれてきたと思うので、今思い返すとそういうとこも結構人を取り巻くENTJっぽいなとか思ったりする。別に取り巻きを作っていたつもりは一切ない。みんなごく普通の対等な友達だ。仮に私へのいじめがあったとして、私はそういう悪意を別に何とも思わないし、むしろ弱いなと感じるし、なんなら受けて立つ。「やるんか?ああ?覚悟しろよ」となるほうだ。(行動を抑えたとしても本心はこう)
それなのに、学生時代は特に、頼んでもないのになぜか周りの人間が守ってくれることが多かったなと。そんな友人たちの背中を見て、別にそこまでしなくてもいいんだが、とか若干他人事のように思っていたりもした。私が誰かの後ろについていくというよりも、私の周りに人が群がるという状況が常だった。嫌味みたいに聴こえるかもしれないのであまり人前では言えないが、事実なので仕方ない。
別に嫌われるとかは気にしてはないのだけど、私がENTJだと分かった状態で接すると、絶対に周りの人を怖気づかせてしまうというか、そうなるときっと相手は私に変な先入観を抱いて、気に入られようとする振る舞いをされるから嫌だなと。本当の信頼に値する人間関係を構築しずらいだろう。
だからこそ他のタイプを演じてしまうのかもね。昔から人に媚びを売られることが多かったからこそ、基本的に人を信用していないのもある。
ENTJの幼少期
キャラクター性で考えると、正直子ども時代はESTPっぽいとこもあったかもしれないと思っている。ENTJっぽいエピソードも、ESTPっぽいエピソードもあるし、INFPっぽいエピソードもある。
私は基本的に受動的なコミュニケーションスタイルで、興味のある人以外にはあまり話しかけない。しかし何気ない会話とかはふつうにできる。その生まれながらのコミュ強の性質故かはわからないが、昔からなぜか周囲に人が集まってくるので、ずっと不思議に思っていた。別に何かしたわけでもないのだ。みんなで何かをやろうとか、そういう呼びかけをしたり、幹事とかをやりたいというタイプでは全くない。そういうのはめんどくさいし、もっと向いてる人がいるから。
しかしこれまでの人生を、一貫してENTJだとして考えてみると、そのことについても、何となく腑に落ちたところがある。私個人としては当時、なぜみんなが自分に話しかけてくるのか不思議に思っていた。たぶんそれは私が他者を明確に拒絶せず、割と誰とでもフラットに関わっていたからだと思われる。私も話しかけられて嫌な気はしていないし、誰とでも仲良くなれるタイプだった。
中学時代には、小学校時代のスポーツクラブの仲間だった子のほとんどが札付きの不良になってしまい、それでもなおその不良たちからよく可愛がられ(当時の私は体格が小さく、小学生の頃からみんなの妹扱いされていたので)、そんな不良と仲がいい、一見何の変哲もないただの運動部の私を見ていた同級生の立場に立って振り返ると、確かに敵に回したくはない人種であることは確かだ。
不良に気に入られている子は客観的に見ても確かにアレだ、なんか、アレだと思う。別に私自身は全然ギャルとかヤンキーでもなかったのに、不良たちと平気で喋ってる女子ってなんか怖いかもしれない。でも同級生だし小学生のころは普通に遊んでたから。かといって不良と常につるんでいるわけではなく、クラスでのお馴染みのメンバーもちゃんといたし、部活仲間もいるし、文化部の友達もたくさんいたし、クラスが変わっても仲がいい親友と呼べる子もいたし、とにかくネットワークは広かった。その分噂されることも多く、それは不快だったが。
まあそういった周囲の人間関係の広さもあってか、いじめなんかとは無縁の人生だが、生意気な男子とは真っ向から平気で対立した。これはまあ自分でもうん、否定ができない。ガキ大将タイプの男子とその腰巾着たちとは因縁があり、事あるごとにちょっかいをかけられていい加減うざかったので、敵視してよく言い合っていた。うん。ああ、なんか、うん。振り返るほどしみじみと実感させられる。ウザい男子に真正面から対抗して、わざわざクラスにちょっかいをかけにきた野郎どもを追い返したりする女子って、気が強くて普通怖いよな。できれば味方にいて欲しいよな、わかる。マジで実写映画クルエラの幼少期を見た時は心当たりがあったし、女版爆豪勝己だった可能性全然ある。あ、自殺教唆とかは絶対してないよ!するわけない。
ENTJは君臨している?
ENTJは君臨しているとか言ってる人がいるが、私もそう見えていたのだろうか。あな、恐ろしや、無自覚ENTJ。まあ、無自覚だからこそ本質なのだが。
野外系の運動部で仲間も多く顔も広い。委員会に属したり、男女関係なく誰とでも接するタイプでもあったので、尚更他の生徒からすればちょっと近寄りがたい感じだったと思われる。とはいえ後輩からは好かれていた。また、慣習的な体育会系の厳しい謎ルールがあり、自分たちが後輩の時代では上から理不尽なミーティングがされることもあり不快だった。それ故に自分たちが最高学年になったら緩めようと提案したこともある。キャプテンとかではなかったが、結構意見を言って、それが通る方ではあった。
こんな学生時代だったにも関わらず、少し成長した高校時代以降には自分をINFPだと思い込んでいたのが笑える。というかこれまで、自分が特別外向的だとか社交的だとか、思ったこと自体が一切なかったのだ。だから自分は内向的だと思い込んでいた。
だが他人から見れば明らかに外交的なタイプだという。上には上がいる(ESTPとかESFJとかENFJとか)んだけどなあ、なんて思いながら、過去を振り返ると、強く否定もできないのであった。
自分を他人事のようにキャラクターだと思って振り返ると面白い。
自分が毛嫌いしているタイプこそ自分の本質である可能性
MBTIとはそもそも自分の中の認知の癖、思考の癖を見極めるためのものであり、それは決して気分で変えられるものではない。
むしろ、気分で気ままにふるまっている油断した状態の時や、極限状態での判断にこそ、自分の本来の性質が現れる。人から見た自分は、決して正しい姿ではない。
それを理解し、普段の自分の思考回路と周囲の評価をよく思い出して自分を偽らずに回答すれば、16Personalitiesでの診断でもあらかたのタイプ傾向は割り出せるだろう。
それから一つ言えることは、意外と毛嫌いしている性格タイプが自分の本来の性質である可能性があるということ。私はこれだった。よって、劣勢機能に来る心理機能は、人は本能的に補おうとするものなのではないかと考えている。生い立ちにもよるかもしれないが、私の場合、ないものを補おうとし、人から評価される部分を伸ばそうという本能が強いので、これは妥当だといえる。
ちなみに私は、16Personalitiesを何も否定する気はないと明言しておく。コンテンツとして面白いから。
とはいえ、4文字のアルファベットを勝手に使っている以上は、もうハッキリと「MBTI®を参考にして作りました!」と言ってしまった方がいいと思ってしまう。16Personalitiesはこの診断結果を販売して金儲けしてるんだから、もしもいつか本家から「パクリだ」と訴えられたとき、この会社がどう言い訳するのか非常に興味がある。
本家も本家で書籍や、正式に認められた人によるサポートで自分のタイプを割り出すセッションを定期的に有料で行っており、これ以上他の診断系サイトが無断でMBTIを名乗ろうものなら、色々と策を講じ得ることは目に見えている。
何でもMBTI®の生みの親であるマイヤーズ・ブリッグス氏はMBTIの研究に際し、あのカール・ユングご本人に直接、彼の築き上げてきた心理学の知見を基礎に研究を行ってもいいかと許可を取りに行ったそうだ。見習ったほうがいい。
私は今のところ一度もお金落としてないです。どっちにも。
あと、最初に診断した時の結果はアカウントを作っていなかったので残っていないが、スマホにスクショが残っていた。

仲介者 INFP
その頃から長らくの間、それはつい2023年1月頃までは診断結果が仲介者で、自認INFPだったのだ。INTJやENTP,INTPが出ることもあったが、総合的に見てどれもしっくり来ていなかったがまあわかるといった具合だった。しかし、ENTJだけは明確に忌避していた自覚がある。自分がENTJであるという想像すらしたことがなかった。しかし今の自分にはこの理由がはっきりと説明できる。
当時の私は、INFPのような精神性を以て生きていくのが一番いい、という理想を抱いていた。つまり2023年頃までの私は、INFPの演技をして生きていたということになる。しかもこの頃まで演技を学んで日々芝居に取り組んでいたので、「演技をする心優しい人間を演じている人」だったわけだ。シェイクスピアもびっくりの人生が舞台な人生である(この価値観は未だに変わっていないが)。
更に、2021年頃の私は一時期強い抑鬱状態に陥り、社会不安障害の疑いがあると診断された。今思うと適応障害の傾向もあった。頭痛と不眠に悩まされクリニックに行き、処方された薬を2~3カ月服用していた。また、診断こそ受けていないものの、通院をやめた後に軽い統合失調的症状に見舞われていた自覚がある。自分の過去やトラウマと正面から向き合って深く掘り下げていた時期で、丁度通院をやめて薬も飲まなくなった後の時期でもあり、あれは離脱作用で不安定になっていたのだろうか。
他者とのかかわりを極度に避けるという症状や、この経験からして、私は私自身にINFPであることを強いていたが、それはあまりにも強いストレス負荷であったと判明した。そしてようやく自分を解放することができたのだった。他人にコントロールされることを過度に嫌うあまりに自分が自分をコントロールしていると思いたかった。都会の喧騒から距離を置き、過度に認識しないようにすることで何とか落ち着くことができた。
確かMBTI関連の書籍にも20代前後の年齢の時期には、自己分析を必要とされながら、自分のタイプを誤認したまま、進路を決定することが多いと書かれていた。
あと、当時の16Personalitiesは質問文がハチャメチャな日本語だったので、質問の真意をあまり理解できていなかった可能性が大いにある。
最後に
以上のように、両極端に思える二つの診断結果は、実は割と無理な話ではないということが分かった。一見両極端に思える二つのタイプでも、どこが似ているのかを理解することが重要だと思う。
私はここ数年間、本格的に学び始めたのには訳がある。このツールを、利用するためだ。自分を知り、他人を知れば、また自ずと自分が見えてくる。すべてのタイプを観察していった結果、自分という存在が浮き彫りになってきたのだ。自分の中の直観だけでとらえていた人間観察の結果を裏付ける根拠が欲しかったのだ。
ENTJをまるで遠い存在のように感じていたが、灯台下暗しとはこういうことなのだろうか。他人から見れば、割と早い段階でそう見えていたのかもしれない。ちなみに他己診断は日常ではあまりお勧めできないし、日常生活で出会う人間には、よっぽど信頼のおける長い付き合いの相手出ない限りは言わない方が身のためだ。これらはあくまで自己理解を深めよりよく生きていくための道具であり、武器ではないのだ。
基本的に、こういうところは確かに〇〇〇〇ぽい、という話はありでも、特定のこのタイプだからこういうことをする、というのは順序が逆で、誤った使い方である。あくまでMBTI®の16種類の4文字たちは、あなたの性格から導き出された「回答」なのであり、「回答」が先に存在しているのでは可笑しな話である。このタイプだからこれは不得意だ、と決めて動くのは演技であり、実在の人間に対して決めつけるのはあまりよろしくはない。
私も一時期、だからか、などと多少納得してしまったこともあったが、全部が全部納得していたわけではなかった。自分はINFPという結果が出たけど、ここは言われているほど苦手じゃないからあまり当てはまらないな、と感じていた部分がある。それに直観型であるということも腑に落ちたところがある。自分の中で捉えたひらめきを上手く他者に伝わる形で性格に言語化するのに苦労するのはこのためか、と。こんな長い文章をつらつらと書けるのもそうで、これが私のナチュラルボーンな個性なのだ。
この手の理論は、冷静に自己の苦手な部分を見極めて、それを伸ばしたり、得意な部分を見極めて、より上達させるなど、自分の現状をしっかり把握した上でサポートツールとして使っていくのが最適だ。(公式も言ってるし私も常々そう思う)
私は今後も自分に今足りていなくて、今後伸ばしたいスキルは何か、と見極め、時代の流れも考慮して、必要な力を着実に手に入れながら一歩一歩前進していきたい。
それでは。
Q,芥川
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