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2,200年ほど前のインドの「スッタニパータ」の言葉

経集『スッタニパータ』(中村元訳—「ブッダのことば」岩波文庫)にはこういう話がでています。
あるバラモン階級の二人の青年が議論をいたしました。ご存じのとおりバラモンとはインドにおけるカースト制度の祭祀階級で、バラモン、クシャトリア、バイシャ、スードラでいう最上層の階級です。
一人は
「バラモンは、父方も母方も、由緒正しく、七世の祖先にいたるまで血統正しい生まれの者がバラモンである」
といい、他の一人は
「バラモンとは、戒律あり、徳行ある者がバラモンである」といい、さんざん議論しましたが、お互いにどっちも譲らず、とうとうお釈迦様のところへ、どちらの言い分が正しいか、裁定を仰ぎに行きました。

その時のお釈迦様の説得の仕方が大変面白いと思い、この文章を書いてみようとの思いに至りました。

まずコオロギと蟻の特徴は、その生まれに基づいている。コオロギからコオロギが生まれ、蟻から蟻が生まれる。四足獣も、魚も、鳥も、すべてそれぞれであるのは、それぞれの生まれにもとづく。
しかし人間の間には、そのような生まれによる差別はない。人間である限り、人間として皆同じような肉体であり、同じような手足を持ち、その他諸々の身体の機能や交合の仕方まで同じである。
ところがそうした人間にあって、色々な区別がつくのは、要するに、それぞれの生活の仕方が異なるからである。

農耕で生活する人は農夫であり、技術で生活する人は職人であり、売買で生活する人は商人、人に使われて生活する人は雇われ人、人のものを盗んで生活する人は盗賊、武術で生活する人は武士、村や国を領有する人は王であって、これらはいずれもバラモンではない。それでバラモンとは清浄なる生活をする人についていうのでなければならない。

世に名があり、姓が付けられているものは、すべて通称であって、その時々に付せられたものが伝えられているに過ぎない。
このことを知らないものは、誤った先入見で
「生まれによってバラモンである」
などという。しかし真実は
「生まれによってバラモンなのではない。生まれによって非バラモンなのでもない。行為によってバラモンなのである」(スッタニパータ650)
「賢者はこのように行為を如実に見る。彼らは縁起を見る者であり、行為とその果報とを熟知している」(同653)
「世間は行為によって存在し、人々は行為によって存在する」(同654)
と。

私はこの正月、なんとなく20年ほど前に購入したこの中村元訳—「ブッダのことば」(岩波文庫)に久しぶりに目を通し始めました。紀元前2世紀頃までにまとめられたとされる
スッタニパータは現代にも生きているんだなあ、と、改めて思いつつ、1月5日まで目を通してしようと思います。

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