復職について真剣に考えてみる
休職しているということは、裏を返せば復職しなければならないということでもある。私は気分の浮き沈みがコントロールできず、家族や友達に助けられてはいるものの、「明らかに良くなった」感は正直申し訳ないが享受出来ていない。それは家族や友達が悪いのではなくて、私の心がまだ追いついていないことが原因だけど、それを一体どうしたらいいのかは分からない。主治医とは週に一回診察を受けて、都度薬を変えて調節している。こうして言葉にしてみるとたくさんの人たちに支えられているんだな、と思うだけに、申し訳なさがこみ上げてくる。そして鬱になる。
私の復職期間は1ヵ月とされている。この1ヵ月の間に復職に向けた療養を行い、仕事が出来る状態にまで回復するのが目標だ。ただ、それを判断するのは主治医なので私自身に権限があるかと言われればそうではない。復職に向けてルーティン化した生活を送るようにしている。どんな生活を送っているかはこの記事を見てほしい。↓↓
《🌱鬱で休職している私の一日》
何故ルーティン化しているかというと、私は耳タコができるほど言っているが発達障害者であり、ADHD優勢とはいえASD(自閉症スペクトラム/アスペルガー症候群)も持ち合わせているので、こうしたルーティン化された生活はとても落ち着くのだ。だからこれも、復職に向けた一種の取り組みと言える。シェアラウンジは回数券も買って、後戻り出来ないようにした。こうしたルーティン化した生活は普通の人にとってはつまらないかもしれないけれど、私にとっては安心材料そのものでしかない。
じゃあ仕事はどうかというと、確かに通勤して仕事をする面ではルーティン化と言えるが、仕事内容は日々変化していくのでこれに当てはまらない。noteだって書く記事は変えてるけどこれは楽しいから行っているのと、カテゴリーは主に「うつ」と「発達障害」の2つに絞り込んでいるので大きな変化はない。それに比べて仕事は、今日何をしようから取り掛かり、脳のキャパシティが普通の人より狭いと言われる「ハッタツ脳」で試行錯誤しながら取り組むのだ。その、今日は何をしようのなかにルーティン業務があると嬉しい。私はそういう仕事が得意だ。
だけどルーティン業務だけをやるわけにもいかないし、会社に「そういうの」だけやらせてください!なんて言える訳もない。だから、復職のことを考えると胸が痛くなる。自分で自分が不安なのだ。だっていま、びっくりするほど仕事のことを思い出せない。健忘性なんとかで、嫌なことは忘れようとしているのかもしれない。おまけに鬱の症状で思考力が低下している。フツウに生活していて思考力が低下しているって分かるんだ、と客観的に思ったことがある。そうなのだ。何も考えられなくなる。特に休職に入ったばかりのときなんて、ベランダにでてインフィニティチェアに座り、ぼーっと空を見ることしかできなかった。それすらも何故だか、涙が出るほどつらかった。
私が復職したら、職場の人はどんな感じで迎え入れてくれるのだろう。ちょっとぎこちないのか、笑顔で出迎えてくれるか、親身に寄り添ってくれるか、そのどれかがきっといい。復職するのは緊張する。だって、頭に「私、休職しました」の吹き出しがついている様なものだから。休職っていっても体の病気じゃないし、こいつメンタル弱いんだなと思われるのがオチなのかな、と、こう復職のことについて考えるとどんどん憂鬱な気持ちになる。世の中の復職した人は、素晴らしい、凄い、凄すぎる。人混みをかき分けて大きな拍手を送りたい。
復職したら気を遣われるだろうし、休み休みやってねとか言われるかもしれない。罵倒されるよりましだけど、私の心の弱さが露呈して素っ裸にされるくらい恥ずかしくてみじめな気持ちになる。かといってフツウに接してもらっても仕事量が追い付かない。まあ、なんとわがままなこと。
復職について真剣に考えてみたら道がうねうね曲がりくねってよく分からない結論になった。多分、休養が足りていないんだと思う。そう思う。
だから残り2週間もしっかり休もう。休もうぜ、自分。
この記事もまた、ルーティン化された生活に組み込まれたシェアラウンジで書いている。
とても居心地がいい。
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