ADHDサラリーマンとして生きるということ
結論、むちゃくちゃ辛い
とにかくミスが多い。時間の感覚や数字に弱すぎるなど常人ではあり得ないミスを高頻度で起こしてしまい、そのたびに自信を無くしてしまいます。
特に私が悩まされているのは、人の言っていることを集中して聞けないこと。途中で違うことを考えたり最初の指示を脳内で始めてしまったりで3つ頼まれたら1つは確実にやり損ねます。
今回noteを始めたのは私と同じようにADHDや発達グレーの人に、孤独じゃないんだよと励ましたい、、というのは偉そうですが、この社会を生き抜く方法を考えて試してシェアしていってみんなが楽しく生きていられる社会にしたいと思ったからです。
私もまだ道の途中で失敗ばかりです。でもなんとかして生きていかなくてはいけません。同じような苦しみの中にいる人の力に少しでもなれたらと思っています。手始めに自分の半生をご紹介します。同志の皆さんにとってはあるあるがたくさんあると思いますので楽しんで?いってください笑
最後の「これからの生存戦略」に皆さんに一番伝えたいことを書きました。
そこだけでもいいので見てもらえたら嬉しいです。
小中高時代
私は物心ついた頃から忘れ物がひどく宿題をまともに提出したことのほうがおそらく少なかったです。
他の人が普通にできることが、全くできませんでした。
時間通りに起きて、時間通りに学校に行き、先生の言うことを聞く。
どれひとつとしてまともにできませんでした。特に遅刻癖がひどく、毎回5分〜15分程度の遅刻をしていました。
ただ、当時の自分は不思議には思っていたものの、それほど気にしていませんでした。
私の頭の中は常に自分の好きなことでいっぱいで、他人が入り込む隙間などなかったのです笑
小中高も成績は低空飛行だったのですが、とくに数学は深刻なほどできませんでした。数字という概念がいまいちピンと来なかったのです。
高校は地域の受け皿と揶揄されるマンモス高に進学しグレもしないし勉強もしない、ゲームに熱中するという無気力高校生でした。
受験間際の3年生後半で、MARCHの過去問を解いてみたところ当然全く解けず、そりゃそうかと思いつつも何故かこれちゃんとやったらできそうだなという無知ゆえの自信が湧き、親に頼み込んで浪人させてもらいました。
今の所唯一発揮されたADHDの良い面が浪人期で、勉強してテストの点を挙げるというゲームに集中することが出来たことで1日8〜10時間勉強することができました。自分の興味のある教科が運良く私文3科目にまとまっていたことも相まって、そこそこ名の知れた大学に滑り込みました。
ほんとうに親や周りのサポートの賜物でギリギリ生きていました。
ありがとう。。。
大学で頭角を(悪い意味で)現す
大学は自由でした。
これまで、なにかと先生には注意されることが多かった人生だったが大学ともなると注意されることもなくのびのびと過ごしていました。
そして、のびのびと過ごし過ぎてしまっていました。全く単位が取れていなかったのです。
あたりまえですが注意されない=問題ないということではなかったのです。
というのも、初日のシラバス解説や大学卒業のシステム説明を出席していたのにも関わらず全く聞いておらず、関心の外に置いてしまった為、必修にも卒業要件にもならない興味があるだけ授業を取ってしまっていたり、そもそも1限には間に合わなかったりしていました。
ADHDあるあるだと思うのですが、スマホいじっていて話を聞いていないとかではなく、相手の目を見て話を聞いていても全く頭に話が入っていない状態が授業でも発生してしまっていました。試験日を忘れてすっぽかしたり、間違えて違うクラスで受講していたり散々な大学生活でした。
それでも大学は楽しくすごしました。学風がバンカラを尊ぶ雰囲気がありその潮流にうっすらと乗ることで誤魔化していました。型破りっぽい雰囲気でやっていましたが、そもそも型をやれず頑張った結果の成果物が破れた型だっただけなんです。。
私生活の方でも、遅刻が原因で彼女に振られるというのを2回繰り返し、バイトではミス連発しバイトなのに始末書を書いたこともあります(ちなみにこれの提出も遅れています)。この辺りはいつか細かく書いていきたいと思います。
落ち込むこともありましたが、本当に能天気な性格でそれほど気にしてはいませんでした。ただ、他の人のようにできないんだなあと自信は全くなくなっていました。のび太に共感する毎日でしたが、彼は永遠に小学生なのである意味救いがあるのかもしれません。
就活
就活では1浪1留というロウリュウコンボという足枷があるなかで、意外と善戦していました。というのも一瞬の間自分をよく見せる技術だけ異様に発達してしまっており、3DAYインターンでは活躍するものの5DAYインターンくらいになると、ボロが始め遅刻したりしていました。
ギリギリのところで金融機関に就職することができました。金融業界を選んだのは、ストックビジネスをやっているところならラットレースのように走り続けなくてもいいから余裕があるんじゃないかとか、就活四季報で一番業界水準が高いからというアホ大学生丸出しの理由でした。
これがのちに悪夢となるとは当時はつゆとも知りませんでした。
出オチ社会人
入社後の研修では、最初の印象だけ良く出来る筋力を遺憾なく発揮し配属先の課長からはコイツは伸びるぞ〜と言われていました。
まぁ当然、出オチです。むちゃくちゃミスをします。会議招集は日付も時間も本文もちがう、招集対象も足りてないという1撃5コンボみたいなミスもかましてしまいました。
あの時の課長の引き攣った顔が忘れられません。
遅刻もテレワークなのにしていました。5分前に会議開始だなと思ったあと、ちょっと作業のつもりが集中してしまい、気がついたら時間をけっこう過ぎてしまっているなどが頻発。タスクもザルで水をすくう程度にしか取りきれておらず漏れまくり。先輩になんでやってなかったの?と聞かれても、忘れていた、もしくはそもそもあるのを知らなかったという感じでした。
またここでようやく私は、あれ??普通じゃないかも???と思うようになったのです。
大学は良くも悪くも個性的な人が多く気が付かなかったのですが、会社はまともな人ばかりで、〇〇くんってなんか不思議だね〜とか面白いね〜言われることが多くなってきました(優しいね)。
ちなみに仕事で関係がある人はこんなマイルドな表現ではなく真っ直ぐにイカれ人間であることを教えてくれました。
それでも愛想の良さだけはあったので、先輩方にはしょうがないやつとして可愛がってもらっていました。
ただ、社会人歴も上がっていくとそう言ってもいられず、だんだんと詰められることも多くなっていて、周りが活躍する中で私だけ新人のような注意を永遠と受けているのはとても苦しい状態です。
頑張っても工夫しても新たな問題が見つかり、ミスを起こし、どうにも行き詰まっています。
これからの生存戦略
1年目の時から俺は労働に向いていないと薄々勘付いていたので、なんとかこの労働から抜け出す方法を検討してきました。
その方法を試しここで共有していきます。
私と同じADHD同志諸君、ともに生き抜いていきましょう。
できれば、ADHDや発達グレーの人が自分らしく生きていける世の中を作っていきたいと思っています。
最後にここまで読んでくれたあなたに、私が心に常に置いている言葉を贈ります。
「あなたは何があっても価値がある存在です。たとえ仕事ができてもできなくても、人間の価値に変わりはありません」
私はこの言葉にある本で出会い、救われました。実践的なノウハウも便利ですが、心を支えられたのはこの言葉でした。
その時私が救われたように、これを読んでくださっているあなたの救いになってくれれば良いなと思います。
繰り返しますが、あなたは価値があります。
誰にもその価値をなくすことはできません。だから自分がダメな人間なんだ社会の役に立たないんだと否定しないでください。私も今でもそう思ってしまうことがあります。でも頑張ってこの言葉を口にするようにしています。
今後もADHDや発達グレーでも社会で生き抜く方法を考えて実践し発信していきます。
ぜひフォローしてお待ちください。
