時代が追いつくのを、50年弱待っていたADHDの話
2026年になって、ふと思うことがあります。
「ああ、これは子どもの頃に頭の中で思い描いていた世界だな」と。
AIによる同時自動翻訳。
人間が細かく命令しなくても、それなりに形になるアウトプット。
コンピュータが、ようやく“道具”として自然に存在しはじめた感じ。
決して最先端を走ってきたわけではありません。
ただ、ずっと同じ方向を見ていただけ。
気がつけば、時代のほうが、ゆっくりこちらに近づいてきました。
小学生の頃から、少しだけズレていた
小学生の頃、勉強は比較的できる方でした。
クラスで1番ではないけれど、だいたい2番か3番。
今思うと、かなり変な子どもです。
会社四季報を読んでいました。
好きな政治家は浜田幸一。
周囲にそんな小学生は、当然いません。
でも、自分では「変わっている」という自覚はあまりなかった。
ただ、世の中の仕組みや、数字や、裏側の構造に興味があっただけです。
中学生の頃に芽生えた、妙な確信
中学生になると、成績はオール5くらい。
勉強そのものは、特に苦ではありませんでした。
この頃から、妙な確信がありました。
「英語は、そのうち機械が勝手に翻訳するようになる」
「これからは、間違いなくコンピュータの時代になる」
誰に教えられたわけでもありません。
周囲で「AIブームだ」なんて言っている人も、ほとんどいなかった時代です。
それでも、なぜか自分の中では、そう思えていました。
だから進学校には行かず、地元の工業高校を選びました。
うまくいけば、防衛大学校や豊橋技科大にも行けるかもしれない。
そんな、少し背伸びした想像もしていました。
プログラミングと、自分の限界
高校に入って、現実を知ります。
コンピュータプログラミングが、どうにも合わない。
FORTRANで躓き、自分には論理的思考力がそれほどないことを、はっきり自覚しました。
コンピュータの中が
「1と0の電気信号でできている」
という説明は理解できる。
でも、それが
ゲームになり、
翻訳になり、
社会を動かすものになる、
その“飛躍”がどうしても見えなかった。
周囲で「AIがすごい」などと言う人はほとんどいませんでした。静かで、手応えのない時代です。
だからこそ、「これは自分の道じゃないかもしれない」と感じたのだと思います。
工学部ではなく、あえて教育学部へ
大学進学を考えたとき、
「工学部の情報系に行く」という選択肢も、もちろんありました。
ただ当時は、全国に
・教育学部総合教育課程
・教育学部総合科学課程
といった、文系とも理系とも言えない“中間的”な学部が増えていました。
「これからは情報教育が大事になるらしい」
そんな話も、進学前から知っていました。
だから、工学部のど真ん中ではなく、少し文系の匂いがする教育学部を選びました。
コンピュータから完全に離れたいわけではなかったのです。
最初から、教員免許を取るつもりはありませんでした。
英語の単位が必須なのも分かっていたし、「それは最初から取らない」という前提で進学しました。
大学での情報と、投資との出会い
大学の情報系の授業は楽でした。
工業高校で学んでいた内容が、ちゃんと下地になっていたからです。
そして、株への興味も続いていました。
もちろん、ネット証券などありません。
現金を持って、東京証券の店頭へ行く。今思えば、とてもアナログな投資体験です。でも、「市場に参加している」感覚は、今よりずっと生々しかった気がします。
「一番いい会社」に行きたかった
就職では、印刷会社を選びました。
理由は、とてもシンプルです。
日本で一番、いい会社に行きたかったから。
「いい会社」の定義はいろいろありますが、当時の私にとっての基準は、かなり投資家的でした。
財務内容が良いこと
格付けが高いこと
簡単には潰れないこと
そういう条件を満たしていたのが、その印刷会社でした。
結果的に配属されたのは、インターネットサービスの企画職。
世の中は、いわゆる第3次AIブームの入口。
ニューラルネットワークやGISを語る同期もいました。
私はというと、Macは持っていたけれど、インターネットはまだ高価で、契約どころではない時代。
時代の中心にいながら、少し距離を取って眺めている感覚。
この感覚は、その後もずっと続きます。
(この先は、少し身バレが怖いので省略します)
投資で学んだ「距離感」というスキル
社会人になってから、投資ではいろいろな失敗をしました。
特に短期売買は、完全に向いていませんでした。
値動きが気になり、
含み損で気持ちが乱れ、
メンタルと一緒に資産も削られる。
ADHD気質の自分にとって、
刺激が強すぎる投資は、長く続かない。
そこでたどり着いたのが、
「増やすより、壊さない」という考え方です。
判断回数を減らす。
距離を取る。
仕組みに任せる。
派手さはないけれど、続けられる投資。
そして、2026年の今
2026年。
AIは、ようやく現実の道具になってきました。
同時自動翻訳が当たり前になり、「英語ができない」という前提そのものが、少しずつ崩れています。
子どもの頃に思い描いていた未来は、想像よりずっと遅かったけれど、確かにこちらへやってきました。
私は、この世界を作った側ではありません。
でも、「こういう方向に進むはずだ」という直感と、
「距離を取りながら関わる」という姿勢だけは、ずっと変えてこなかった気がします。
このNOTEでは、投資の話をしながら、
実は「時代との付き合い方」を書いています。
焦らない。
比べない。
壊さない。
時代が追いつくのを、50年弱待っていたADHDの投資家が、
今、静かに考えていることを、ここに残していきます。

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ADHD気質で投資に疲れていた私が、長期・分散投資で落ち着いて続けられるようになった記録です。共感いただけたら、チップで応援してもらえると嬉しいです。