「過去を大事にする=前に進めない」という思い込みを壊した先に訪れる未来|#読後エッセイ #続•創作大賞感想
あれは確かにあった筈なのに、もしかするとすべて幻だったのではないか──
そんなふうに過去の記憶を疑ってしまったことが、あなたにも一度はあるだろうか。
たとえば、過去にもらった嬉しかった言葉。
ふとした瞬間に蘇る、胸の奥が震えるような出来事。
今となってはもう同じように会えない相手だからこそ、その記憶はいつまでも特別で、ときに心許ない。
時間の経過とともに、事実と記憶の境界線が少しずつ曖昧になっていく。
けれど、それでもなお、思い出すたび背中を押してくれる過去が、確かにある。
今回ご紹介する、弘生さんの『「逢いに来ました、真野先生」』は、自分にとって大切な過去を、そっと肯定してくれるような作品だった。
※以下、前半はネタバレを避けた作品紹介、後半はネタバレありの個人的な考察や解釈を綴っています。後半に入る前に「ネタバレ注意」を示しますので、そこまでは安心して読んでいただけますが、先入観なく物語を楽しみたい方は、ぜひ先に弘生さんの作品をお読みくださいね。
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まずは、あらすじを読んでもらいたい。
「藤見まれ」とはいったいどんな存在?
過去の約束とは?
“描けない絵”ってどういうこと?
など、あらすじだけでも数々の「気になる」が湧いてくる。
本作は、伏線の置き方が丁寧かつ親切で、素直に読めば自然と気づける設計になっている。作者の配慮と技術、そのバランスの良さが印象的だ。あれこれ考察しながら読み進めるのも面白い。
また、絵を描けない真野の心理は、文章を書けなくなったことのある私にとって共感できる部分が多かった。そんな経験のある方にも読んでもらいたい。
ちなみに、ホラーが苦手でも全然大丈夫なので安心してほしい。
私もホラーは大の苦手だが、まったく問題なかった。
さて、本作は伏線と回収の妙を楽しむだけの作品ではない。
私は「この作品全体が一つの“芸術”である」と自信を持って言える。
全編にわたり、絵描きである弘生さんならではの感性と描写で物語が創られている。
けれど私が言う“芸術性”とは、美術というテーマや専門知識を用いた描写のことを指しているのではない。
私がこの作品のとんでもない芸術性に気が付いたのは、以下の一節を読んだときだった。
一番奥の細長い部屋に、この美術館の創設者が一番愛したというシュールレアリスムの作家、ハンス・ベルメールのデッサンが展示されていて、恐ろしいほどに衝撃を受けました。
枝垣さんは、直視していられないと、そそくさその部屋を出て行きましたが、ぼくは魅入られてしまって動けなくなっていました。
シュールレアリスムの作家、ハンス・ベルメール。
恥ずかしながら、私は本作で初めてその名を知った。
スマートフォンの検索窓にその名を打ち込む。
知らないものをすぐに調べる自分の性格を心底良かったと思った。
もちろん調べずともストーリーの理解に支障はない。
けれど、調べれば調べるほど、このシュールレアリスムの思想こそが物語の核なのではという予感が胸を支配したのだ。
小さな画面に表示された衝撃的な画像。
枝垣さんが「直視していられない」と背を向けたのも頷ける。
ただ私は、初めて見たその画像の不気味さの奥に、どこか救いを求めているような印象を受けた。
そして、その感覚は案外的を射ているのかもしれないと感じた。
が、理由の詳述は後半に譲る。
とにかく私は、この作品そのものがシュールレアリスムの思想を体現していて、それが本作に圧倒的な深みをもたらしている思うのだ。
ラストの展開。作者である弘生さんのなかでは、きっと答えとなる解釈があるのだろう。そうでなければ、ここまで一貫した伏線は張れないと思う。
けれど、私たち読者があらすじ時点での疑問を解決する結末に辿り着いたとき、「……ん?……ということは?」と少し考えてしまう部分がある。その部分の解釈は人によって自由でいいのかもしれない。
そしてそれこそが「曖昧なものに意味を見出そうとする営み」として、シュールレアリスム的な要素を孕んでいるように思うし、そこに美意識的な魅力を感じるのだ。
抽象的な表現しかできないのがもどかしいので、ここらで前半を終える。
※この先、核心ネタバレを含みます※
事細かな考察は山ほどあるが、字数の都合上、特に印象的だった点を大きく2つに分けて綴り終わろうと思う。
盛大なネタバレを含むので注意願いたい。
1.私なりに読んだ「シュールレアリスム的構造」
現実の解体と再構築のプロセス
教え子たちが真野のもとへ“まれ”に関するものを次々と返しに来る展開。
これは、既存のものを一度バラバラにし再構成することで、新たな意味を浮かび上がらせる、シュールレアリスム的構造と重なる。
無意識や夢の中にこそ真の現実がある
登場人物の正体が明かされる終盤、現実と幻想の境界が揺らぐ。
真野の記憶、教え子たちの証言、まれの痕跡──本来交わらないはずの視点がシュールレアリスム的に混在する。
私は、キャンバスやスケッチブックといった“記憶が宿る媒体”を介することで、異なる視点が交差し、論理を超えた「真実」が立ち上がったのではないかと解釈している。
ベルメールの球体関節人形
“グロテスク”とも“美”とも取れる、見る者の感情を揺さぶる造形。
彼の作品には、欲望・痛み・救済・再生などの感情が投影され、不気味さの奥に「救いを求める気配」や「人間らしさへの渇望」がにじむ。
直接的に重ねるのは乱暴かもしれないが、「綺麗だけど悪趣味」と評されたまれもまた、自身の“不完全さ”に意味を求めた瞬間があったのではないだろうか。
音楽的な芸術性についても触れておく。
作中に登場するラヴェルの『ボレロ』も印象深いのだ。
フルートのソロから始まって徐々に楽器の種類とともに音が増えて、最後にひとつの燃える星になってパーンと一瞬で消える。
訪問、痕跡、記憶。徐々にピースが集まり、最後に──
大きく燃え上がる炎、鼓動はボレロの一定のリズム、星になって、雨が焚き火を消しにくる。
第15話 光を喰う黒水晶〈2〉での回収が見事だ。
2.『月下美人』と「藤見まれ」
ラストシーン、まれは自作の油画『月下美人』を、実際の白い花の隣に並べる。
この『月下美人』という明確な固有名詞の使用には、きっと意味があると私は考える。
お得意のこじつけになるかもしれないが、私の個人的な解釈はこうだ。
一夜限りで咲く花、夜に咲く花
一夜限りで咲く月下美人の花は、人知れず闇に咲き、翌朝には萎む。その姿は、誰もが見られるわけではない、真野だけが気づけた、まれがもつ象の美しさと重なる。葉状茎を持つサボテン科の多肉植物の特異性
平べったく奇妙な見た目で、葉のような茎から花を咲かせる特異な姿は、どこか不思議で、美しい。作中で描かれるまれの存在と重なる部分があるように思う。ピンク色の蕾と白い花
月下美人の蕾に走るピンク色の筋は、筋繊維のようにも見え、まれの“ピンク色”と重なるように感じた。筋繊維が断裂と再生を繰り返す構造であることを思えば、ピンク色を擦る描写には「痛みと再生」が宿っているように見える。その後に咲く白い花は、まれが最後に見出した光の象徴とも読める。開花を待ち続ける月日
一年に数回、それも一夜限りの開花。その瞬間に立ち会えることを願って待ち続ける時間は、「描けたの?」と繰り返し訊ね続けるまれの姿とも重なる。
そんなまれ自身の象徴ともいえる『月下美人』の絵を、実際の花(現実)と並べる。
そして、見たくないものや感じたくないものを隠してしまう、負の物語や感情を閉じ込めたソレを、地中に埋め土に返す行為。
「忘れないけど忘れるよ……」
それらは、大好きだったことも希望も、思い出も絵も、喜びも苦しみも、忘れないけど──
過去を漂っていた気持ちは置いて、前を向いて現実を生きていくという決意に感じた。
藤見まれ。
「不死身まれ」と読めるこの名もまた意味深い。
はじめは、単にまれが不死身=生きている暗示かと思ったが、「不死身」にはもう一つの意味がある。
『どんな困難にもくじけないこと。また、その人やさま』
その名が、まれの光ある未来を、そっと肯定しているように思えた。
錫杖のような音色が聴こえる。
まれが前を向けたことで、遺念は解き放たれただろう。
過去が変わったわけではない。
けれど、あの日のままの記憶に新たな意味が見出されることで、未来が前向きに変わる瞬間を、私はこの作品に見た。
(3,000文字)
※この記事は、「創作大賞2025|あなたの作品の魅力を深掘る“本気の感想記事”書きます!」企画の応募作に寄せた読後エッセイです。
大変お待たせしてしまって申し訳ございません。
弘生さんの『「逢いに来ました、真野先生」』は、
欠けたものや未完成なものに、どこか惹かれてしまう方
過去ばかり見ている自分に少し後ろめたさを感じている方
もう逢えない人との記憶に背中を押された経験がある方
絵画や美術などの芸術作品が好きな方
そんなあなたに、ぜひ読んでみてほしいです。
📖作品を読む
🕊️ちょいと余談(おまけ)
もはや恒例になりつつあるので、今回も載せてみる。
読みながら1話ごとに軽くメモした感想たちです。(※大いにネタバレを含みます。途中段階での珍しく鋭い展開予想や持論も書いてます。笑)

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※注意事項
本記事の内容は、すべて私個人の読解や解釈、思索に基づくものであり、著者の公式な意図とは異なる場合があります。
本記事では、応募作『「逢いに来ました、真野先生」』の各話から引用を行っております。文字数の都合上、出典は「第〇話 話タイトル」の形式で統一し、作品タイトルを省略しています。
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どうかご理解いただければ幸いです。
