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正論で人は動かない

正しいことを言えば、人は動く。

以前は、どこかでそう思っていた。

仕事をしていれば、誰かに何かを伝えなければならない場面がある。

「期限は守るべきだ」
「報告はきちんとするべきだ」
「組織として決めたことには従うべきだ」

どれも間違ってはいない。

むしろ正しい。

だから、正しいことをきちんと説明すれば、相手も理解してくれる。
理解すれば、行動も変わる。

そう考えてしまう。

しかし、実際にはそうならないことがある。

正しいことを伝えたはずなのに、相手の表情が曇る。
納得してもらおうと説明を重ねるほど、反発される。
こちらが正しさを証明しようとすればするほど、相手との距離が広がっていく。

なぜなのだろう。

正論について考えるようになった。


正論は正しい。

だからこそ、厄介なのだ。

正論をぶつけられた側には、逃げ場がない。

「あなたの言っていることは正しい」

と認めれば、

「では、それができていない自分が間違っている」

というところまで認めることになってしまう。

もちろん、正論を伝えた側には、そこまで相手を否定するつもりはないかもしれない。

行動について指摘しただけかもしれない。

しかし、言われた側はそう受け取らないことがある。

「自分の事情は分かってもらえていない」

「自分の考えを否定された」

そう感じれば、自分を守りたくなる。

「でも、あのときは……」

「私だけではありません」

「そんな簡単な話ではありません」

と反論したくなる。

これは、単に自分の非を認めたくないからではないと思う。

人には人なりの事情がある。

そして何より、その人にはその人なりの「正しさ」がある。


職場で意見がぶつかるとき、

「正しい人」と「間違っている人」

が争っているとは限らない。

むしろ、

正論と正論がぶつかっている

ことの方が多いのではないか。

例えば、

「この子には時間をかけて個別に対応するべきだ」

という考えがある。

子どものことを考えれば、正しい。

一方で、

「一人の教員に負担を集中させず、学校として持続可能な仕組みにするべきだ」

という考えもある。

これも正しい。

どちらかが間違っているわけではない。

見ているものが違うのだ。

立場が違えば、見える景色も違う。

だから、自分の正論をさらに強く主張して、

「こちらの方が正しい」

と証明しようとしても、なかなか人は動かない。

むしろ相手は、自分の正しさを守るために、さらに自分の主張を強くする。

正論と正論のぶつけ合いになる。

そこに、納得は生まれにくい。


では、どうすればいいのだろう。

私は、まず相手の考えを理解することなのだと思う。

「なぜ、そう考えたのか」

「何を大切にしているのか」

「何を心配しているのか」

そこを知ろうとする。

そして、

「そう考える理由は分かる」

「その立場なら、そう考えるのも理解できる」

と受け止める。

ただし、ここで大切なのは、

理解することと、同意することは違う

ということである。

相手の考えを理解したからといって、その考えを採用しなければならないわけではない。

同じように、

相手の考えを受け入れることと、その考えを採用することも違う。

ここは、管理職としてとても大切なことだと思っている。

相手の話を聞く。

その考えに至った背景も理解する。

その考えの中にある正しさも認める。

それでも、

「今回は、その方法では進めない」

と判断しなければならないことがある。

では、その判断は何を基準にするのか。


組織には目標がある。

学校であれば、

どんな子どもを育てたいのか。

どんな学校をつくりたいのか。

子どもたちに何を保障したいのか。

そのために学校経営方針があり、重点目標がある。

管理職が判断するときに基準にすべきなのは、

「私はこうしたい」

という個人の思いではない。

組織として何を実現したいのか。

そこだと思う。

だから、意見が対立したときに問うべきなのは、

「どちらが正しいのか」

ではない。

「どちらが、私たちの目標の実現につながるのか」

である。

相手の意見が正しいこともある。

それでも、組織として採用できないことはある。

そんなとき、

「あなたは間違っています」

と否定する必要はない。

「あなたの考えは分かる。その考えにも正しさがある。ただ、私たちが目指しているものを実現するためには、今回はその方法では進めない」

そう説明すればいい。

そして、

「だから、この方向で一緒にやってほしい」

と協力を求める。

それが、人を動かすということなのではないかと思う。


ここで、もう一つ大切になるのが「納得」である。

納得というと、

「相手も自分と同じ考えになること」

のように思ってしまう。

でも、本当にそうだろうか。

自分の意見が採用されなくても、人は納得することがある。

「自分の話をきちんと聞いてもらった」

「自分がそう考えた理由を理解してもらった」

「なぜこの判断になったのか説明してもらった」

そう思うことができれば、

「私は違う考えだけれど、今回はこの方向でやろう」

ということはできる。

つまり、

納得と同意は違う。

組織にいる全員が、まったく同じ考えになる必要はない。

むしろ、そんな組織はほとんどないだろう。

経験も違う。

立場も違う。

価値観も違う。

当然、「正しい」と思うことも違う。

管理職が目指すべきなのは、全員を自分と同じ考えにすることではない。

違う考えを持ったままでも、同じ方向へ進める状態をつくること。

それが大切なのだと思う。


そう考えると、管理職は「一番正しい人」である必要はない。

管理職だから正しいわけでもない。

管理職だから、自分の考えを通していいわけでもない。

むしろ管理職に求められるのは、意見がぶつかったときに、

「私はこう思う」

ではなく、

「私たちは何を目指しているのか」

に戻すことなのではないか。

その目標を基準に判断する。

そして、その判断に至った理由を伝える。

必要なら相手の意見も取り入れる。

それでも最後には、管理職として判断する。

そこから逃げることはできない。


正論そのものが悪いわけではない。

正しいことを伝えなければならない場面も当然ある。

ただ、

自分の正しさを証明することが目的になってはいけない。

議論に勝っても、相手が動かなければ組織は変わらない。

相手を言い負かしても、その後に協力してもらえなければ、目標には近づかない。

だから管理職に必要なのは、

正論で勝つ力ではなく、

目的に戻す力

なのだと思う。

相手の正しさを理解する。

自分の正しさも持つ。

その上で、

「では、私たちは何を目指しているのか」

と問い直す。

そして、異なる考えを持つ人たちと同じ方向へ進んでいく。

管理職の仕事は、自分の正しさを証明することではない。

異なる正しさを持つ人たちが、同じ目標へ向かって進めるようにすることなのだと思う。

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