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「出来たよ」と呼ばれない食卓 ―― 40代営業職、家庭内で空気化した男の記録


40代、営業職、地方在住、家庭あり。
数字も仕事もそれなりにこなしてきたつもりだが、気づけば家の中での存在感だけが、年々薄くなっている。
事件が起きたわけでも、大きな喧嘩をしたわけでもない。
ただ、ある頃から食事の時に、声を掛けられなくなった。
今日は、そのことについて書いてみる。

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四十にして惑わず。

地方で営業をして、気づけば二十年近く経つ。
毎朝同じ時間に車を出し、同じ道を走り、定時になれば席を立つ。
「静かな退職」状態。
家に帰れば、動画配信サービスでドラマや映画を流す。
それ以外に、これといった趣味はない。
仕事で、数字は相変わらず追いかけているし、上に大きな不満があるわけでもない。
ただ、頑張るという言葉が、いつの間にか自分の中でしっくりこなくなり、毎日が、同じ形で繰り返される。

家には妻と、高校生になる娘がいる。傍から見れば、ごく普通の家庭だと思う。
事件も、大きな諍いもない。
ただ、家の中での自分の立ち位置が、少しずつ薄くなっていった。
いつからかは、はっきりしない。
妻との会話は、ほとんどない。
必要な用件は、日中のうちにメッセージアプリで済ませてしまう。
夕方には、伝えることはもう残っていない。

そのことが一番よくわかるのが、夕食の時間だ。

リビングの奥には和室が続いている。
襖を開け放したままの、続き間だ。
普段、その和室で一人、ソファに腰掛けテレビを見て過ごしている。
夕方のニュース、ネット配信。
音量は控えめにしているため、誰かに文句を言われたことはないが、大きくする理由もない。

午後7時を過ぎると、家の中の音が変わる。
キッチンの物音が止み、代わりにリビングで椅子を引く音、フォークやハシが皿に当たる小さな音がする。
それで、夕食ができあがったことがわかる。
声で知らされたことは、もう何年もない。

食べ始める音を合図に、私は、和室からリビングへ移る。
テーブルには家族が並んでいる。
妻と娘の間に会話はあっても、こちらに向けられることはほとんどない。
自分の席は、テーブルの延長ではなく、少し離れた別のテーブルだ。
娘とは、もう長いこと言葉を交わしていない。
反抗期だと片づけるのは簡単だが、それだけではない気がしている。
話しかける機会を、こちらが作ってこなかったせいでもある。
今さらどう切り出せばいいのか、正直わからない。

腹は立たない。声を荒げる場面でもない。ただ、この家における自分の位置が、夕食の座席にそのまま表れているだけだ。
私の席は、誰かが意地悪で決めたわけではない。
気がついたら、そうなっていた。
ただ虚しさだけがそこにある。

呼ばれない食卓を、静かな食卓と呼び変えることにした。


強がりなのか、慣れなのか、諦めなのか。
答えを急ぐつもりはない。
ただ、今日もまた、椅子を引く音や食器の音で、食事が出来たことに気づくのだろう。

四十にして惑わず、と言った人は、こういう惑いのなさまでは想定していなかっただろう。
似たような夕食の時間を過ごしている人が、案外少なくないのではないかと思う。

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