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冷凍庫 シロクマ文芸部


ダラダラ書いてたら長くなっちゃった


冷凍庫  【2745字】

 冷凍庫から聞こえる声を何と喩えたらいいのだろう。
 季見子は分厚いガラス窓の向こうにぶら下がったいく筋もの黄緑の帯にジッと目を凝らした。
 それは救い出してくれるよう求める声でも、恨みの募った声でもないように思えた。

 季見子は今年、無事に大学生になった。周囲からは危ぶまれていた志望の大学にすんなりと合格してしまった。振り返ると、これまで強く願ったことは悉く叶ってきた。そう思えた。母が重い病気になった時も、父の町工場が倒産しそうになった時も。
 世の中がバランスよくできているのだとしたら、いったい何を手放したのだろうと、季見子はときどき考える。

 長い夏休みに入って、東京で一足早く単身生活を始めていた一つ年上の従兄弟、承太郎に一年ぶりに会った。承太郎は季見子とはレベルの違う理系の大学に通っている。
 季見子は気を遣わなくていい承太郎が気に入っていたが、その整った顔立ちは共感を得る道具としては機能していなかった。なにを考えているのかわからない不思議な男だけれど、何かを問いかけると必ず答えをくれた。
 アルバイト先の昭和商店街の何でも屋のバックヤードで待ち合わせをした時、季見子は承太郎を建物に招き入れた。
 ぞんざいな鉄骨の枠組みの中にやけに白い冷凍庫がでんと居座っている。
「これ、聞こえるでしょ?」
 季見子は唇に人差し指を立てた。
「ああ、これはモーターの音、コンプレッサの音だよ」
「そうじゃなくて。よく聞いて」
 承太郎は首を傾げ、顎の下に手を置いたが、すぐに向き直って首を振った。
「そ、そうなの? モーターの」
 確かにモーターの音もする。唸るようなモーター音。しかし季見子に聞こえるのはそれだけではなかった。それは人の声。人の話し声に違いなかった。店主に言うのは憚っていた季見子だったが、承太郎を介することで、この声が聞こえない人もいるのだということを知った。

 翌る日の夕刻、といってもまだ外は明るかった。アルバイトを終えた季見子が帰り支度をしていると、店主の牧野が声をかけてきた。
「キミちゃん、悪いけどちょっと手伝ってくれないか?」
 季見子はもう服を着替えてしまったことを暗に示したが、牧野はお構いなしにさっさと歩き出した。
「どこに行くんですか?」
「裏の倉庫、ちょっとしたことだから……」
 牧野はバックヤードに入ると、すぐに冷凍庫の扉を開けた。
「ちょっと持っておいてほしいんだ。閉まらないようにしっかりと」
「え? ストッパーはないんですか?」
「あるよ。でも甘いらしくてね、時々閉まっちゃうんだ。閉じ込められるとお終いだよ」
 苦笑いのような微笑を浮かべて、牧野は冷凍庫に入っていった。
 聞こえる。人の声が。まだ若い男性が話している。ごにょごにょとその内容までは季見子にはわからなかったが、誰かが会話していた。ごく平坦な声で。
 牧野は一抱えもあるパッケージを胸に抱いて出てきた。季見子が扉のノブから手を離した瞬間、それははっきりと聞き取れた。
「マキノノヤロウガ」
 牧野は背中を向けたまま外に出て、車に荷物を積み込んだ。その表情は窺い知れなかったが、特に何も感じてはいないように見えた。
「もういいですか?」
「ああ、いいよ。ありがとう」
 季見子は車が出ていく音を聞いて、もう一度冷凍庫の扉を開けてみた。先ほどは感じられなかった冷気がドッと流れてきて、思わず後ずさった。耳を傾けても何も聞こえない。しかし季見子が扉から手を離すと「いいんだ、いいんだ」と、それだけがはっきりと聞きとれた。季見子は纏わりつく冷気を感じつつ店を出た。
 まだうすら寒い空気が後を追ってきている。そんな気配を感じながら、まだ活気が残る商店街を歩いていく。アパートの方へ曲がろうとしたとき、正面から承太郎が歩いてくるのが見えた。
「おい、承太郎。こんなとこで何してんの?」
「ああ」
 承太郎は向きを変えて季見子の横を歩き始めた。
「あれなんだよね〜」季見子は承太郎の澄ました横顔を見上げた。
「あれって?」
「例の冷凍庫あるじゃない? あれって店の規模からして大きすぎない?」
「店だけで使ってるとは限らないさ。また何か聞こえたのか?」
「あー、えーっと、うん」
「たぶんモーター音が人間の声の波長に近いんだと思うよ」
 もっともな推察だった。しかしいくらそうだとしても意味のある言葉を発するはずがない。
「そうだろうけどさ、マキノノヤロウガとか言ったのよ」
「へぇ、そうなると聞き間違いか、もしかするともしかするぞ」
「なによ」
「まぁいいや、そのうち消えてなくなるさ」
「なくなんなかったら?」
「調査団を送り込む」
「どうやって?」
「キミを精神科に連れていく」
「あー、全く信用してないな」
「キミは誰かから『洗濯機が話してる』って言われたらどう思う?」
「うーん、たしかにそうね。こいつヤバいって思うね」
「従兄弟だからってそれはおんなじさ」
「で、何の用だったの?」
「なんでもないよ。もうすぐ免許合宿に行くからさ、晩ご飯でもどうかと思って」
「承太郎、彼女いないの?」
「いないよ、そんな面倒くさいもの」
「よく言うよ。そのうち酷い目に遭うから」
 承太郎はそれには何も反応しなかった。妙に達観したところのあるこの男の顔を季見子はしげしげと見た。

 夏休みはバイトに明け暮れた。相変わらず冷凍庫は話していたが、もはや気にならなくなっていた。
 アルバイトの最終日、飲料の補充のためにバックヤードに入ると、いきなり声がした。
「キミって子のことが」
「え? あたしのこと?」
 しかし、それで声は途絶えた。
「もしかして承太郎?」
 しかし答えは返ってこない。
 季見子は冷凍庫の扉を開いてドアに板を噛ませた。ヒラヒラとしたカーテンの向こうにはほとんど何もなかった。三つ四つ、大きなパッケージがあるだけだ。
「何を保管してるんだろ」
 白い息と共にそう声を発したとき、噛ませておいた板が跳ね上がり、扉が瞬足で閉まった。扉に駆け寄ったが冷や汗も出ない。ガラス窓を叩いて訴えても、おそらくどうしようもないことは薄々脳裏にあった。
 季見子は後ろの壁まで下がって、腰を下ろした。寒い。当たり前に寒い。夏の薄着では取り繕い用もない。
 間もなく怖いより先になぜか承太郎の顔が浮かんできた。早くも脳は生命の危機を感じているようだった。寒さは遠のき、暑くさえ感じた。
「承太郎」
 極寒の中でその声は綺麗に響いた。
「バカだなぁ。来ちゃダメだろ?」
「承太郎、どうして」
「俺はいいんだよ。悲しむやつなんていないから」
「ご両親は悲しまれるでしょ?」
「本当の親じゃないんだ。でもここはいいところだ。いくらでもいっしょにいられる」
「バカ。死んじゃったら何にもなんないよ」
「あはははは。心配すんなって」
 承太郎は季見子の目の前、息がかかるほどのところにいた。
   了


モー!


小牧部長さま
よろしくお願いします




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