生きる意味とは?
ーーと、一度は考えたこと、ありませんか?
わたしは頭の中でずっと答えの出ない問いをぐるぐる考えるタイプなので、
「宇宙とは?」「人間の心がある意味とは?」「自分が存在している定義とは?」といったことばかり考えています。
最寄駅を降りてからずっと考えていて、気づけば家の前にいて、ふっと我に帰る。
わたしのあるあるです。(生きててよかった)
そこで、「生きる意味」について、わたしの中の一つの答えを綴っていきたいと思います。
【1】あなたの生きる理由は?
こう問われると、あなたはなんと答えますか?
生きる理由と問うとピンとこないので、「生きがい」としましょう。
友人と食事を楽しむこと?フェスに行くこと?仕事で結果を出すこと?1人で家でゆっくり映画を見ること?愛する家族と過ごすこと?
きっと、人それぞれたくさんの生きがいがあると思います。
では、なぜ、生まれたのでしょう。
ーー生きるため?
ではなぜ生きるのか...?生まれるため...?ではなぜ...と、永遠ループに陥ってしまいませんか。
【2】生まれた意味
わたしが思うに、生まれてきた意味は、生まれたときには“見えていない”。
生物学的に言えば「子孫繁栄」のために命を宿す、という側面もあるでしょう。
でもそれは、生まれた後に与えられる目的であって、
生まれる瞬間そのものには、意味づけなんて必要なかったのではないでしょうか。
この世にわたしたちが生まれること、意味なんか問わなくても愛しく、美しいのではないでしょうか。
【3】わたしの思う生きる意味
生まれたことに意味はない。
ーーでは、なぜ私たちは生きるのか?
それは、「生まれた意味を見つけるため」ではないでしょうか。
だから、人間は皆、愛する人や仕事、日々の娯楽などに生きがいを求める。
「これが生きる意味だ!」と感じるために。
生まれた意味は、生きた後にしか分かりません。
だから、わたしたちは意味を探して、つくって、
時に迷いながらも、生き続けるのではないか、と。
わたしはそう思います。
もしかしたら「これが生きがいだ」と思ったものも、
明日には変わってしまうかもしれない。
でもそれでいいのです。
変わりながら、積み重ねながら、自分だけの「生きた証」を形作るのが、生きるということなのだと思います。
そして、
──「ああ、自分の人生には意味があった」と思えたら、それで十分なのではないでしょうか。
【4】生まれたことに意味がなくても、存在には価値がある
生まれた「意味」はない。
そして、たとえまだ「意味」が見つかっていなくても、
たとえ今、何もできていなくても。
それでも、存在していることには価値があると、わたしは信じています。
わたしの愛する愛の形──「無償の愛」。
ただ存在があることを愛すること。わたしはその愛の形をキリスト教の言葉を借りて"アガペ"と呼んでいます。
生きる意味を探すのも素晴らしいけど、
生きているだけでもう、十分尊い。
人生とは、ここに在ることそのものを愛し、ここに在る意味を問い続ける、長い長い旅なのだと、わたしはそう思います。
