寂しさがくれた優しさ──妻の話
僕の妻は、明るくて、いつもニコニコ、誰に対しても優しい人です。
おしゃべりが好きで、人の気持ちにとても敏感で、ちょっとした変化にもすぐに気づきます。
誰かがつらそうにしていたら、黙ってなんていられない。
すぐにそばに行って、少しでも心が軽くなるように声をかける。そんな人です。
でも、最近の妻は少し様子が違っていました。
「これって、五月病なのかな……」と、
ぽつりとこぼした日がありました。
ストレスがうまくコントロールできず、心も身体も疲れ気味。
気づけばエナジードリンク(栄養ドリンク)を飲んで、なんとか動いている。
そんな姿を見るたびに、「頑張りすぎてるな」と思っていました。
「私な、元気で明るい人でいようと思ったら、
何かしてないと無理やねん」
先日そう言った妻の言葉が、心に引っかかりました。
そんな妻が、以前ぽつりと話してくれたことがある。
それは、幼少期のことでした。
「小さい頃、成績がいいときしか親に話しかけてもらえなかった。
春休みも夏休みも冬休みも、初日から最終日まで、ずっと預けられていた。
寂しかった。悲しかった。
ちゃんとしていないと愛されないって、ずっと思ってた」
その言葉を聞いたとき、胸が痛くなりました。
明るくて、人に優しくて、いつも笑っている妻の中に、そんな深い寂しさがあったこと。
それが今も妻を苦しめているかもしれないということに、改めて気づかされたのです。
でも、妻は続けてこう言いました。
「でも、その寂しさがあったから、介護や看護師の仕事を選ぼうと思えた。
誰かのつらさに気づけるようになったのも、自分が寂しかったからだと思う。
つらそうな人を放っておけないのは、自分が誰かに寄り添ってほしかったからかもしれない」
妻は、過去のつらい記憶を否定せずに受け入れて、そこから「優しさ」を育てていました。
それはとても静かで、でも力強いことのように思えました。
人は、過去を変えることはできません。
でも、その過去にどう向き合うかで、未来は変わります。
妻は、幼い頃の寂しさを、誰かのために使える優しさに変えていた。
その姿を見て、僕は「強い人ってこういう人なんだな」と思いました。
「過去は変えられない。でも、それでいいんだ」
そう言って笑った彼女は、少し泣きそうな顔をしていたけれど、
とても穏やかで、どこか誇らしげにも見えました。
妻が教えてくれたことが、もう一つあります。
「不安でいっぱいの人のそばにいるとき、
大事なのは、知識や正論や未来の希望を語ることじゃないんだよ。
ただ、ライオンみたいに、黙って、堂々と、そばにいてくれること。
それだけで、人って安心できるんだよ」
その言葉を聞いたとき、僕自身もハッとしました。
たしかに、不安になっている人に対して、つい正しいことや励ましの言葉をかけたくなる。
でも、そうじゃない。
ただ“揺るがない存在”としてそこにいることが、何より心強いんだと。
それは妻が、ずっと欲しかったものだったのかもしれません。
だからこそ、誰かにその安心を届けられる人になった。
その姿に、僕は何度も救われてきました。
人に優しくできる人は、きっと、自分が一番寂しかった人なのかもしれません。
でも、だからこそ、人の痛みに寄り添える。
だからこそ、「大丈夫だよ」と心から言える。
妻の人生は、それを証明しています。
今この文章を読んでくれているあなたが、
もし、自分の過去に苦しんでいたり、今の自分が嫌いだったりしても、
それでも、大丈夫です。
過去は変えられないけれど、自分は変われます。
寂しさを抱えたままでも、優しさを育てることはできる。
そして、その優しさは、きっと誰かの救いになります。
僕は、そう信じています。
※同じような過去を持つ誰かに、
妻の言葉がそっと届けばいいなと思って、
今日はこの話を書きました。
