ニューヨーク州弁護士への道③
私は、子供のころから海外が嫌いだった。
小学生のとき、家族で海外旅行が計画された際は、私は拒否し、父親と二人で日本で過ごした。
大学生のとき、友人の間で安い旅費で東南アジア旅行が流行った際も一切興味をそそられなかった。大学の卒業旅行は沖縄だった。楽しかった。
TOEICも一切興味がなかった。英語も嫌いだったし、海外に何らの興味もなかった。
社会人になり、前職で偶然台湾の事業を検討する機会を得て、初めて海外というものを考えた。空港に降り立った時、日本とは違う匂いや雰囲気を感じた。
現職にきて、面接時に「英文契約やります!」と言ってしまったがゆえに、英文契約や海外のビジネス支援をやらされたとき、初めて英語というものに向き合った。一番最初の米国企業との電話会議、先輩が逐次訳して私に説明するので、相手方の米国企業の法務部長は、私のことをお偉いさんだと思ったらしい。
そして、一人で海外出張に行かされ、海外で四苦八苦する経験も味わった。
自分はバンドマンではないのだし、もらった機会は使ってみよう、と思った。留学が何たるかわかっていないが、とりあえず面白そうだと思った。
2017年始、上司に「まだ米国留学する道は残されていますか?」と聞いたところ、もちろんあると言われ、会社からの助成を受ける以上、どのようなキャリアを描くのかプレゼン資料を作れ、と指示を受けた。
初めて「キャリア」というものを意識した瞬間だった。
自分で、大学を卒業してからの道のり、および、留学をして何をしたいかを描け、という。
正直、かなり何となくで書いたのだが、9年経ったいま、案外そこまで外れていない予想だった気もする。
詳細は割愛するが、当社の留学支援条件は、他社よりもシビアなものだった。当時はわかっておらず、留学してから色々と気づかされたことも多かったが、それでも当時の時点で「これでよいのか?」と自問自答した。
そこで、仲の良かった他部門の管理職にリアルな待遇を聞かせてもらったり、転職エージェントにも話を聞いてみたりした。
もちろん、全員が正直な話をしていることはなかったと思うし、綺麗な理屈もなかったのだが、自分みたいな半端モノが米国に留学できる機会などこれしかないだろうな、と思った。もうそれで十分だった。
2018年夏からの留学を目指し、2017年の春頃より、留学準備のための英語の勉強をスタートした。
とにかく米国に行けばいいのだと思ったのだが、色々情報収集するうちに、米国ロースクール留学とは何なのか、わからなくなっていった。
というより、どんどん自分自身のことを考えさせられるようになっていった。それだけ、何も考えていなかったということでもあるのだけど。
