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感想・独白 CARNIVAL(ネタバレあり)

この感想は、批評空間に投稿した長文感想を減筆修正、手直しして書いているものです。良かったらそちらも見てみてください、あんまり内容変わりませんけど。




たぶん、私はこの作品の半分も理解できていないし、楽しめていないと思う。

その理由に文学作品からの引用がある。
私の浅い知識では1割も紐解けてはいないのを前置きした上ではあるが、相当に文学作品の影響を受けているのは疑いようもない。
これについては考察している人がいくらでもいるのでいちいち触れない、というか触れられない。

作品全体を通して見れば太宰治、「人間失格」だろうか。「銀河鉄道の夜」に「グスコーブドリの伝記」など宮沢賢治もある。どこで見たか忘れたが「曾根崎心中」もあったかもしれない。中原中也が多用されるのはエロゲライターあるあるだろう。

繰り返すが、私の浅い知識の一部でも重なる要素を見つけられたということはそれを何倍もするほどの作品が眠っていることは疑いようもないのである。
その差を埋めなければ十分に理解はできないのではないか、という半ば強迫観念にも似た感情が私の中にあるためこんな面倒くさい感想を書いている次第なのだが。

まぁこんなくどい楽しみ方を自分に強要せずとも、割り切って言ってしまえば別に考察する必要もないのだし、もっとライトに楽しんで良いのだ。だってこの作品を楽しんだ人たちはそういう視点を持っているはずなのだし。

そういう視点で見えてくる魅力の一つが「サスペンス性」である。
これからどうなっていくんだろう、主人公はどういう存在なのか、ヒロインはどう関わってくるのか。当然主人公の二面性もそのファクターである。
いくつかの章を経ることにより、同じ時間軸の他視点を経験できる。どこで伏線に気づくかなどは人により違いはあると思うが、最後までやればお話のほとんどは理解できるのではないだろうか。
もちろん最初の章だけで全てを理解できた、という人もいるかもしれない。最後のENDで理解できたという人もいるだろう。

段階的に開示されていく情報と、それを描写する心理表現が秀逸なのだ。無理に山場を組み込まずとも自然と構築されているのは見事だった。



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と、なんだか分析してみてもちっともまともな感想にも、批評にもなりはしないんだ。
それは結局、最初に申し上げたように、私がこの物語を理解できていないし、また共感もできていないからなのだ。

言いたいことはたくさんあった、思い付いたこともあった。

母親を殺しはしたが、嫌いだったのだろうか、いや好きだったのだろうな。何故かってそう見えたという他ないのだけども。
いや、あんな環境ではいずれ心に悪が芽生えることは道理だったのだしそれは別人格という形で発露してはいる。
でもさ、それは正当防衛なんだよ。カルネアデスの板か、いやそれは緊急避難かな。

腐っても家族なんだしさ、やっぱり仲良くしたいって気持ちはあったはず、万華鏡はその象徴だ。
そういえば私も小学生の頃に両親の不仲を解消するために安っぽいリングをあげたことがあったんだ。躁状態だった母親は泣いて喜んでいたね。
まぁ翌日にはゴミ箱なのだけども。一緒だね、学君と。
先ほど共感できていないと述べたばかりだが思いのほか共感できているのかもしれない、撤回しよう。

さて、いささか急だが銀河鉄道の夜から一節を引用させてほしい。

「ぼくのおっかさんが、ほんとうにさいわいになるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんの一番のさいわいなんだろう」

「ぼくわからない。けれども、誰だってほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくを許して下さると思う。」

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』カムパネルラのセリフより引用


カムパネルラの母親は幾分真っ当なのかもしれない、では学君の母親の如く毒親の幸せなんて祈ることはないのか。

個人的にだが、否である。やっぱりね、笑うと嬉しいんだ。でもまぁ、怖いんだ。でも愛おしいんだ。
たぶん精神が衰弱しているんだろうね、そんなときに歪な愛は染みるんだな。
まぁ、あれだ、彼は本当は孝行者だったんですよ。

「お母さん、僕は本当は孝行者だったんですよ」

中原思郎 著『兄中原中也と祖先たち』より中也の言葉


さてはて何が幸せなんだろうね、私にはわからないし、ついぞ賢治にもわからなかったんだろうか。
みんなの幸いのために身を焼いた蠍は幸せなんだろうか。自己犠牲って聞こえは良いけれども思考停止にも思えてくる。
生きるほうが、戦いだって言うじゃあないか、ちなみにこれはガンダムからの引用だ。

あぁ、そういえば父親からのレイプに耐えることは、家内安全のための自己犠牲なのかな。家庭という箱、その外側を保つために内側が腐っている状況を見るに、なんの意味があったのかは疑問だけれど。
そもそも匣(はこ)っていうのは中に詰めるものこそが重要でね、匣の形をどうこう論じるようになるのは本末転倒なんだ。
でも周りは形しか見えないから、綺麗な箱ですね、素敵なご家庭ですねって。
理紗さんは綺麗だって、でもその見映えのする外見、つまり箱だね。これのせいで父親の情欲を呼び起こしてしまったのだから実に皮肉だ。

パンドラの箱には希望が残っていたって言うけれども、たぶん九条家には希望はなかったんだ。でも救いがないわけじゃない、学くんだ。彼はこの世界を救う勇者として引きずり込まれたといえるかもしれない。
そう考えると九条家という箱は例えるならミミック、人喰い箱かな。ちなみにミミックというのは本来、真似る者という意味合いで、あの宝箱に擬態するスタイルはドラゴンクエストが由来らしいよ。

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この感想にもなっていない、勢い任せで1時間ほどで書いた、尻切れトンボな感想を読んだ方、ありがとう。
他にも思ったことはあるんだけどもどうにも言葉にならないし、文章に起こせないんだ。

まぁ何が悪いと論ずるなら、私の知識と感性の中途半端さだね。
まったくバカなのに、認めたくはないのだ。バカならバカらしく踊れば良いのに後方彼氏面して腕組みしている。
そんなんじゃあ何処の輪にも入れはしないし、ひとりぼっちの傍観者なのに。

そういえば小説版があるそうですね。なんでも本編の後の行く末が書かれているとか。
理解が進むのかも、単に面白いかもと思いつつも私が手を出すことは多分ない。
ぐちゃぐちゃな私の頭はもっとぐちゃぐちゃになっていきそうな気がするから。
この作品に限っては考察をするのも読むのもやめよう、今の私には受け入れる余地がない。

小説も批評も、もう読みたくはありません。読むとすればやっぱりエロゲなのです。

いつか余裕と落ち着きが持てたら、ちゃんとプレイしなおしてみたいですね、小説と一緒に。

「小説も批評も、もう読みたくはありません。読むとすればやっぱり詩です」

安原喜弘著『中原中也の手紙』より引用

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