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【新企画】キラー センテンス①

こんにちは。すーさんです。

画像はnoteの内容には無関係ですが、
お気に入りのお酒2種類です。

画像右の「翠」はSUNTORYさんの商品です。あくまで僕の分析ですが、SUNTORYさんは他社さんよりもお酒に苦手意識がある、または興味がない若年層をターゲットにされていると思います。だから遊び心があります。コマーシャルや、商品のオプションもポップな印象です。

まずSUNTORYの商品はパッケージが良い感じなんです。
ジャケ買いをするとだいたいはSUNTORYさんの商品がカゴに入ります。

檸檬堂はコカ・コーラさんです。
最近何故か檸檬堂シリーズをお店で見かける事が減ってきました。
梶井ファンとしては是非とも入れ替わりの激しい飲料業界をなんとか生き残ってほしいです。

大阪市内の梶井のお墓にもいつも複数の檸檬堂が供えられています。
先日は米津玄師さんのCD『レモン』も置いてありました。 
最近はもう麻痺してきていて
「レモン=正しい」という思考になっています。AIにすら理解してもらえなさそうな人間でございます。はい。

改めてこちらのブログにお越し頂きありがとうございます。
成人の方はビールでも飲みながら気楽に読んで頂けますと幸いです。

最近つくづく感じていますが、
結局はお酒を飲みながらブログとかYouTubeを観ている時が一番幸せですよね。
そんな時、人間は一番優しくなれます。
余裕があって、何も目指していない状態
だから焦りや嫉妬やフラストレーションが
無いからでしょうか。

あと、これはビール好きのバイアスがかかっているだけかもしれませんが、ビールのCMって、良いものばかりだと思います。
どれを観てもワクワクします。
爽やかな風が吹く草原でビールを飲む系が多い為、当然かもしれませんが。 
なんか「5月の土曜の午後2時」という感じのワクワク感です。

いつか、5月の晴れた土曜の午後に、爽やかな風が吹く草原の白い木製のベンチに腰掛けて優雅にペールエールのビールを飲みたいです。
このnoteの本題とは無関係ですが、これはこれで共有したかったのです。

このnoteでは僕の大好きな作家 梶井 基次郎をテーマに色々な角度から掘り下げていきます。以下、初回の記事も是非ご覧ください。

今回の流れは以下の通りです。


■始めに

言葉は強い力を持っており、
内容と使い方次第では薬にも凶器にもなり得ます。

いつかの誰かの一言が今も僕達を
苦しめたり、支えてくれていたりします。
僕達自身の言葉も誰かに何らかの影響を与えていることは間違いありません。

そして良い言葉は脳内で熟成され、
その人にとって年々大切な言葉へと
変化していきます。
一方で悪い言葉は脳内で腐敗していき、
その人の心を徐々に蝕んでいきます。
熟成と腐敗は紙一重。。

また、人の心が池だとすれば
言葉はそこに投げ込まれる石です。

敏感な人の池は水がサラサラしており
いつまでも水面の波紋がおさまらずに
揺れ続けます。

そしてやっとおさまった頃には
また次の石が投げ込まれます。
石を投げた本人はもう居ません。
世の中ではそんなことが色々な所で発生しているのでしょう。
でも沼になりきれない自分が居ます。

だから言葉の扱いには
細心の注意を払わなければいけないです。

そんな事は分かっているのに、
感情のコントロールがうまくいかなくて
酷いことやいい加減な事を言ってしまうことがあります。 

だから僕は自分に言い聞かせます。
「相手を傷つけるよりは、ただ黙ってぼーっとしているほうがマシだ」と。

また言葉は身の丈とTPOに合ったものを使おうと思います。
ついさっきYouTubeで知ったような
アカデミックな言葉を得意顔で使うなんて
いうのは最も避けたい事態です。

服に関しても結局は
「誰が着るのか?」と
「サイズが合っているのか?」
だけ気をつければ大事故にはならないと思います。

■今回の目的

今回は梶井基次郎の作品で
僕の心に響いた文章(以下キラーセンテンス)を紹介します。
厳密には「響いた」どころか、
「これは発明だ!」と言いたくなるような
レベルのものばかりです。 

僕は今回紹介するキラーセンテンス達に
出会った時、心身ともに固まりました。
「こういう瞬間のために読書をしているんだよな」と感じました。
そんなセンテンス達を紹介出来ることが今から楽しみです。

■キラー リリック

まずはその前に「音楽編」ということで
キラー リリック(歌詞)を紹介させて頂きたいです。
その後、本題の「キラー センテンス」の
紹介に入らせて頂きます。

・『ナビゲーター』THE BLUE HERTS
このnoteのコンセプトは当然梶井基次郎ですが、甲本ヒロト&真島昌利は準レギュラーのような感じでこれからも取り上げることになりそうです。
そのくらい僕はヒロト&マーシーが大好きです。

『ナビゲーター』はヒロト作詞作曲の楽曲です。
ブルーハーツの活動期間は10年です。
(1985年結成、1995年解散)
発売したアルバムは計8枚です。

この曲が収録されているアルバム
『BUST WASTE HIP』(4枚目)は1990年発売です。
彼等のキャリアの中では「中期」といわれており、個人的には凄く好きな時期です。

世間が思うブルーハーツは基本的に初期の彼等をイメージしているものが多いと思います。
『リンダリンダ』『人にやさしく』『キスしてほしい』『TRAIN TRAIN』的なイメージです。

もちろん初期の楽曲も素晴らしいものばかりというのが大前提ですが、時の経過とともに彼等も少しずつ「ブルーハーツでいる」ということに疲れてきたのではないでしょうか。

中期以降の彼等は良い意味で吹っ切れます。
『BUST WASTE HIP』では「僕らはそんなに良い奴らでもないんです。その点はよろしくね」と宣言しているようにすら感じます。
今まで使わなかったような物騒な単語や、
皮肉っぽい表現、ブラックなコンセプトを扱うようになります。

ブルーハーツ4枚目のアルバム
『BUST WASTE HIP』
不気味で皮肉っぽくて格好良いアルバムです。

そんなアルバムの最後を締めくくるのが『ナビゲーター』です。アコギとスライドギターのイントロ、穏やかで切ないメロディーの楽曲です。曲調や壮大さはムッシュかまやつ氏の『やつらの足音のバラード』のような感じです。歌詞の最初から最後まで全てが名言なのですが、その中でもやはり以下のキラーリリックが光ります。

ああ、この旅は気楽な帰り道
のたれ死んだところで、本当のふるさと
ああ、そうなのか、そういうことなのか

『ナビゲーター』THE BLUE HEARTS

多分ほとんどの人が「?」となると思います。

あくまで僕の解釈ですが、
「人間はどこかからやってきて、どこかに帰っていく。だから人生はまたどこかに戻るまでの帰り道にすぎない。つまり生まれた時点で帰り道が始まるのだ」というふうに捉えています。

だから、
たかが帰り道(人生)で苦しんだり悩んだりしすぎる必要は無いんだと、ヒロトが言ってくれている気がします。

例えば、
どこかに出掛ける時、雨に濡れたり、
服が汚れたりするとイライラしたり、落ち込んだりします。
でももしそれが帰り道であれば、
そういったストレスやダメージはゼロではないですが、比較的少ないと思います。
何故ならあとは帰って、風呂に入って洗濯するだけだからです。

人生もそれくらいの気持ちで捉えていきたいです。どんなダメージを受けても、どんな失敗をしても、最後にはもう関係なくなるんだと。だから気にしすぎなくて良いんだと。

まずは導入部分として書き始めたのですが
2000字を超えてしまいました。

これはまたグランデサイズの記事になる可能性が非常に高いです。

■キラー センテンス

ここから本編に入ります。
冒頭でも少し触れましたが、
僕は恐らくキラーセンテンスを見つけるために読書をしているのだと思います。

キラーセンテンスに出会った時、
僕は一旦読書を中断します。
「もうゴールに到着したから、これ以上は何も要らない」という気分になってしまうためです。
そのくらい僕にとっては重要なことなのです。

それでは1つ目を紹介します。 

・『小さき良心』から

まずはこちらをお読み下さい。

この作品は梶井にしては珍しく、
フィクション感(小説っぽさ)が強いです。

概要は以下の通りです。
・主人公は酒場で男に絡まれ、カッとなり杖で殴ってしまう。
・男は倒れ主人公はその場から逃げる。
・その後、事故現場から逃げながら色々なことに思考を巡らせる。殴った相手は今どうなっているのか、今すぐ友人のところへ行って安心したい、今の自分は周囲からどう見られているのか、など。
・そして結末は、、!

梶井の基本スタイルである「何気ない日常風景から、主人公が何かを感じ取る」といった話ではなく、本作では「主人公が酒場で知り合った男を杖で殴ってしまい、今逃走している」という、非日常的な出来事があります。

本作の魅力は事件の後、主人公が逃げながら色々考えを巡らせているところだと思います。
「今頃、現場ではどうなっているだろう」
「あんな男は殴られて当然だ!」
「早く友人にこの事を話して気楽になりたい」
など、色々なことを考え続けます。
悩みを抱えながらも歩いていく。人生そのもののような気がします。
本作の主人公は「杖で人を殴ってしまった」という明確な悩みがありますが、僕らも日々、目を逸らしたいような悩みを抱えつつ日々をやり過ごしているのではないでしょうか。

僕はもちろん杖で人を殴ったことはありませんが、色々と葛藤しながら街をウロつく感覚にはものすごく理解出来ます。
 
主人公が逃げながら色々な考えを巡らせるシーンの中でキラーセンテンスが出てきます。
実は、今回特にこのセンテンスを紹介したいがために、この記事を執筆することを決めました。

それが以下のものです。

一つの問題に悩んでいる自分の前に、
問題が次々と山のように積まれてくる。
そして自分はその内の一つも解き得ないでいる。それが苦しい。

鋭利な解剖刀のような普遍的法則が、それさえあればこの拷問的の荒縄を涙が出る程
切りとばしてばらばらにしてやるのに。

『小さき良心』梶井 基次郎

現時点で僕の中ではこれが
「ベスト・オブ・キラー センテンス」です。

世の中にこれ以上切実で格好良い文章なんてあるのでしょうか。。 

何回でも読み返してしまいます。

人間の苦しみと葛藤をこんなにも格好良く、分かりやすく表現されたら、もうこちらはただ圧倒されるしかないです。

キラー センテンス部分をクリアケースに
挟んでキーホルダーにした事もありました。
その後、元の場所に戻しました。
(はい?)

これがキラー センテンスであると思った理由は主に以下3点です。

①共感
「自分が書いたんだっけ?」と思えるくらい共感しました。厳密には共感というか、普段から思っていることを書いてくれたことへの「感謝」に近い感覚です。「代弁してくれてありがとう!」と。

②明快
特に前半に感じるのですが、伝えたい事(悲痛な叫び)が明快かつ明確で、辛いくらいに心に響きます。
とにかく苦しいこの状況を救ってくれる存在を求める気持ち。僕もいつも考えています。 

③タブー?
これは理解してもらえないかもしれませんが、こういった小説的な本の中でここまで悲痛でストレートな独白をしていることに驚きました。
率直に「あ、それやって良いんだ」と思いました。
梶井本人が小説の中の登場人物の立場を借りて、本音をぶちまけている感じが、なんとも心に刺さります。
こんな時、いつも僕は感じます。
「僕は小説、ひいては読書に興味があるというよりはただ鳥肌が立つような感動をしたいだけなんだ」と。

ここからはセンテンスをもう少し分解して僕なりの解釈をお伝えします。

一つの問題に悩んでいる自分の前に、
問題が次々と山のように積まれてくる。

『小さき良心』梶井 基次郎

僕の場合は特に仕事をイメージしてしまいます。まあそのままですね。
もちろん仕事以外もそうですが、せっかく「一つ一つのことを丁寧にやろう」精神で頑張ってやってても、山積みのタスクに圧倒されてしまうのです。
 
昔、海に行った時に感じました。波に倒されて、なんとか起き上がった時にはまた次の波に倒される。もうこれは海に限らず、どこでも起こっていることなんだと。

梶井の表現もかなり分かりやすいですね。

次の部分に行きます。

そして自分はその内の一つも解き得ないでいる。それが苦しい。

『小さき良心』梶井 基次郎

これも共感です。「それが苦しい」という表現。ものすごくシンプルですが、本心であるがゆえに心にそのまま届きます。

そしてここからです。

鋭利な解剖刀のような普遍的法則が、
それさえあれば、

『小さき良心』梶井 基次郎

 まず単純に「鋭利」「解剖刀」「普遍的法則」のいずれも響きが格好良いです。
そして共感です。昔から僕もこんなことを考えていました。

普段、僕が本を読んだり、音楽を聴いたり、
映画を観たりする理由はここに集約されています。

例えば僕が本を買う時、
「なんか面白そうだな」「良い暇つぶしになりそうだな」といった一般的な健全な感覚ではなく、「これを読むことで、その瞬間から僕の人生が変わりますように。お願いします。」というような、ある意味では不健康な精神というか、かなり切実な感覚でレジに向かいます。

そういう点では僕にとって本屋は神社の役割を担っていると言えるかもしれません。
「今回こそ何かが変わりますように」と願います。

そして、そんな事を言っている本人も、
実は「普遍的な解決策」など無いことはわかっているのです。

だからこそ、このセンテンスが魅力的に輝いているとも言えます。

続けます。

この拷問的の荒縄を涙が出る程
切りとばしてばらばらにしてやるのに。

『小さき良心』梶井 基次郎

もしも「鋭利な解剖刀のような普遍的法則」があればこんな苦しみなんてバラバラにしてやる。
この、ある意味子供っぽい発想/表現が、いかに切羽詰まっているのかを物語っています。 
なんとも赤裸々な表現です。

また、そんなものなんてあるはずがないのに、漠然と「普遍的法則的」と表現するあたりに怠惰で大雑把で他力本願な精神性も感じます。僕自身がそういう人間の為、痛いほど刺さります。
「そんなこと無理に決まっているだろう」と嘲笑する人達よりも、本人の方が無理だということを悟っているからこそのセリフだとすら思います。
なんというかもう「2周目の価値観」なのです。

しかも「涙が出るほど」にバラバラにしたいのです。怒りと悲しみの混ざった涙なのでしょうか。
個人的には、主人公の顔に笑顔も混ざっているイメージが浮かびます。
怒りと悲しみの先にあるヤケクソな笑顔。
もうこれで全部終わりなんだと、
ザマアミロ!と。

本も、映画も、音楽もnoteだって、
そこに何か普遍的な解決策を求めても
そんなものは無いのです。
だからこそ、世の中の経済が回るのではないでしょうか。

ただ、そんな普遍的なものを見つけたい。
そんな気持ちで僕も毎日過ごしています。

そんな中で実感したのは、
「僕は梶井基次郎に心酔していて、それをみんなに伝えたい。それこそが自分を出せる時だ」というなんとまあ、針の先のような小さな糸口なのです。
きっとこんな想いも普遍的では無いと思います。でも良いのです。
今この時間に「普遍的だ」と思えるのなら。
だって「今週の土日は晴れだってさ!」と言われたらなんとなく気持ちが良くて今週もあと3日間仕事頑張ろう、と思えるじゃないですか。

余談ですが、「嘘」って何なのでしょうか?
「嘘」は「本当」の対義語、と言われますが
果たして、そう言い切れるのでしょうか。

「今週の土日は晴れだってさ!」

もし土日に雨が降った時、これは「嘘」になってしまうのでしょうか。

結果的に「事実」にならなかったのは確かですが、発言者には悪気は無く、むしろ誰よりも土日の晴れを喜び、信じています。

つまりこうは言えないでしょうか?
「『嘘』は『本当』の 『亜種』である」と。
「『本当』になるつもりだったんだけど、なれなかった」という捉え方が出来るのではないか、ということです。

noteに限らず、様々なメディアには、
フェイクニュースや誤った情報が溢れています。
確かに悪意を持って人を騙すのは、時には犯罪行為にもなります。

ただ一方で「これは正しいからOK」「間違えているからダメ」というような短絡的な判断にも気をつけるべきだと思います。

一般的に呼ばれている「嘘」には「本当」に近い遺伝子情報が組み込まれているのではないか、ということなのです。

「将来は野球選手になりたい!」
「君を絶対に幸せにする!」
「僕は嘘をつかない!」

もしこれらが実現しなかった時、
すぐに嘘つき呼ばわりしても良いのでしょうか。

野球選手になるために毎日練習を重ねて、一歩ずつ野球選手への道を歩んだことが嘘になるのでしょうか。

極論ですが「嘘」は「本当」の近くにいるように思います。

余談から本題に戻します。
最後に改めてキラー センテンスをお読みください。

一つの問題に悩んでいる自分の前に、
問題が次々と山のように積まれてくる。
そして自分はその内の一つも解き得ないでいる。それが苦しい。

鋭利な解剖刀のような普遍的法則が、それさえあればこの拷問的の荒縄を涙が出る程
切りとばしてばらばらにしてやるのに。

『小さき良心』梶井 基次郎

「鋭利な解剖刀のような普遍的法則」で
「拷問的の荒縄を涙が出る程」に
「切りとばしてばらばらに」したい、というの心の叫びは、実現性は低いものの「嘘」ではなく、もしかすると長い進化の過程で「本当」になるかもしれません。

そういう意味では梶井は「『本当』の亜種」を
生み出す名手なのかもしれません。

先日紹介した『Kの昇天〜或はKの溺死〜』において「Kが昇天する」というのも、亜種なのです。

こちらの記事です。

そう考えると
「嘘」は「本当」の「一つの成分」とも言えるかもしれません。

これは
「現実」と「仮想」の構図にも似ている気がします。

2025年現在において
「スマホやゲームなんかよりも
 外に出て人との会わないと!」
というような平成初期の「ありがたき教え」をお話される方は減りましたが、
それでもまだ「『仮想』は『現実』の対極」
という考えをベースに持っている人も多いと思います。
でもこれも対極なのではなく、
「『仮想』は『現実』の一つの成分」という捉え方が適切なのではないか、と思います。

すみません。
おしゃべりに夢中でどこかで間違えて左折しました。本線に戻ります。

「うまくいかない現実がなんとかなれば良いのに」という梶井基次郎の悲痛な叫びが約100年後に僕も含め多くの人の心を動かしているという事実。
これはもはや「本当」になっているのではないでしょうか。

すみません。熱くなりました。

もう一つキラー センテンスを紹介して今回は終了します。

・『冬の日』から

この話の概要は以下の通りです。
・主人公の尭(たかし)は肺が悪く、そのせいかいつも陰鬱な気持ちで過ごしている。
・郵便局や、銀座に行ったり、家で友達とお茶を飲みながら話をしたりして過ごすが、基本的にはいつも暗く内省的な思想/思考である。

内容として本当にこれだけです。ドラマティックな事は何も起こらず、ただ尭の感情の機微を詳細まで記した、日記のような作品です。

ただ、これこそが「梶井文学」の真骨頂だと思います。
もう、繊細な感情がぎっしり詰まっており、キラー センテンスの宝庫といえます。

ちなみに梶井作品には似たようなタイトルのものがいくつかあり、僕も未だに整理しきれていません。

『冬の日』
『冬の蠅』
『雪の日』
『雪後』

これは「ややこしくて困る」という話ではなく「書きたいことに軸がある作家はやっぱり信頼出来るなぁ」という話なのです。

作家だけでなく、ミュージシャン、映画監督、芸人さん、YouTuberなどあらゆる表現者がいらっしゃいますが、僕が好きなのは「とにかく好きなことを好きなだけやる人」なのです。
だから「意図せぬワンパターン」が強いのです。

結局はそういう価値観の人に魅力が感じられます。

このあたりは芸人さんのYouTubeを観ているとハッキリ分かります。
言い方は悪いかもしれませんが「YouTubeに魂を売っていない」芸人さんが好きです。

ケンコバさんは一番理想的なスタンスです。
恐らくご自身のチャンネルは持たずに、バイクや漫画など興味のあるジャンルのチャンネルからオファーがあれば出演するというスタイルです。

後は『ざっくりYouTube』(ジュニアさん、小籔さん、フットさん)、『カミナリの記録映像』(カミナリさん)あたりが大好きです。
YouTubeっぽいこともやりつつも、基本はやりたいようにやっています。

話を戻します。
『冬の日』の中で今回は以下を紹介します。

窓の外の風景が次第に蒼ざめた空気のなかへ没してゆくとき、それがすでにただの日蔭ではなく、夜と名付けられた日蔭だという自覚に、彼の心は不思議ないらだちを覚えて来るのだった。 

『冬の日』梶井 基次郎

初回の記事でお話しましたが、梶井の魅力は「本当は明るく生きたいのに、つい暗くなってしまう」という所なのです。
このパターンの作家は以外と少ないのではないでしょうか。
「本当は暗いのに、明るい作風/キャラクターで頑張る」
「本当は明るくて人生充実しているけど、同情を呼ぶ、暗く影のある作風でやっている」
などのケースが多いと思います。

でも梶井は違うのです。
本当はキラキラしたいのです。
イケてる感じでやっていきたいのです。

でも実際にはキラキラした作品など一つもなく、大抵は暗く、病気がちで、影のある世界観なのです。でもそこに真実性が感じられるのです。

上記のセンテンスを詳しく見ていきましょう。

これは「夜が来てしまった」という状況を尭の目線で詩的にかつ陰鬱に表現している場面です。

この中で僕が大好きなのは
「夜と名付けられた日陰」の部分です。
初めて読んだ時からずっと感動しています。
こんな洒落た、かつ暗い表現があるとは。

確かに科学の観点から考えると、
夜というのはその場所が太陽の反対側に位置する事で、地球自体の影に隠れている状態であると言えます。
ただ、それを「夜と名付けられた日陰」と表現出来るのは才能かもしれません。一般的な固定概念では、夜自体を影として捉える事は無いからです。

改めて辞書で「夜」の定義を調べると、
「日没から日の出までの間」だそうです。

そういった点から考えると、
「夜」を時間以外の概念で表現した点も画期的です。つまり夜というのは時間帯や状態ではなく、単なる大きな日陰だと。

これこそ発明品のようなセンテンスだと思います。

このセンテンスからも滲み出ていますが、先程お伝えした通り、あくまで梶井は夜が嫌い、というよりは不安や恐怖を感じるのでしょう。だからこそこのような素晴らしい文章が出来るのです。
もしも梶井が「夜にはロマンを感じるから好きだ」という価値観であればまた違った方向になっていたと思います。

良い表現かは分かりませんが、
「エセ ポジティブ」よりも
「ガチ ネガティブ」の方が人の心に響くのです。

改めて感じましたが、梶井は影が好きですね。今後「影」をテーマにした記事も書きたいと思います。

■まとめ

ここまで読んで頂きありがとうございました。今回も最後まで楽しく、というか熱中しながら書けました。
読んでいる皆さんよりも、常に書いている僕の方が楽しんでいられる状況が理想です。

たまにバンドのライブを観に行きますが、やっぱり本人達が勝手に楽しんで、気持ち良くなっているバンドが一番ですね。
お客さんが4人でも、1万人でも関係なく楽しんでいるだけのバンドこそが本当の表現者だと思います。

絶対に「◯◯の為に」とか言わないで欲しいです。

今回記事を書いていて発見したのは、
10000字の記事というのは、
書く内容や取り上げるネタの数によって「10000字じゃ収まらない」
「10000字も埋められない」 
など、感じ方が大きく異なるということです。

今回、取り上げるキラー センテンスの個数に迷いました。
『小さき良心』のセンテンスまでで7500字くらいになった為、あとはそこの内容を膨らませようかと考えました。ただやっぱりそんな数字合わせの姿勢ではうまくいくはずもなく、結局は『冬の日』の方も書きました。

すると今度はあっという間に10000字に達しました。

予定の有無によって1日の長さが違って感じる、というやつですね。

ここまでで梶井の記事を3つ書くことが出来ました。「書いた」というよりは「脳内の想いを活字に落とし込んだ」に近い感覚ですが、非常に充実感があるとともに。
取り組めば取り組むほど、僕は梶井を何も知らないのではないか、という感覚になってきています。
とても不思議な現象です。

ただ、それすら嬉しい、と思えてしまう自分は不思議を超えて、不気味です。

最後までお読み頂きありがとうございました!


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