見出し画像

『カペリンの奇跡』#08                                      プロローグ 《スタビレの帰還》                       第八章 【刻まれた名前】

マガジンはこちら▼

エレカが、小さなモーター音を響かせて、美しく整備された植物公園を抜ける。

木漏れ日が眩い。

(ここは、まるで別世界だ……)

この1カ月あまり、休む間もなく戦地を駆け巡ってきた。
スタビレは軽い目眩を感じて、道路わきに静かに車を停車させた。

両手で顔を洗うよう撫でる。
大きく息を吐くと、ハンドルに寄り掛かるように突っ伏した。

「父さん……」
目を閉じると、脈打つような音が耳の奥で響いてきた。

記憶とも夢ともつかない光景が、頭の奥にあふれ出してくる。
ぼんやりと、ゆっくりとした映像が霧の向こうに見えてきた。

現場で水道管の点検を終え、工具を片付けている父だ。

向こうで、小さな男の子が泣いている。
騒乱の叫び声が聞こえてくる。

発煙弾の煙が立ち込め、そこへ、大勢の警官隊が押し寄せてきた。

火焔瓶が子供の近くに落ち、火の手が上がる。

しばらく、呆然と見ていた父がふいに子供の方へ走り出した。
子供をかばうように抱きしめる。

父が叫ぶ!

「スタビレ!!」

「父さん!」
スタビレは飛び起きた。

胸いっぱいの息を、声をあげる様に吐いた。

今の夢は……夢なのか……とてもリアルな夢だった。

どのくらい眠っていたのだろう。

小鳥のさえずりが遠くから聞こえていた。
戦場に身を置いていた昨日までとは、まるで違う。

スタビレは少しずつ“今”を実感していた。

額の汗をぬぐい、シートに身体を預けると、気を取り直して車を進めた。


広大な芝公園には、おびただしい数の慰霊碑が並んでいた。

戦没者慰霊碑の案内所を尋ねると、父の墓所を教えてもらった。
寂しく歩き出したスタビレに、案内係のおじいさんが呼び止める。

「ちょっと待ちなさい」

そう言うと、近づいてきて、一輪。
静かに、花を手渡してくれた。

「大変だったね。」
「ご家族に……無事を伝えに来たんだろう。」

その瞬間、父の死が実感として湧いてきた。

「あ……ありがとうございます。」

目が涙でいっぱいになった。

スタビレはお礼を言うと、歩き出した。

おびただしい墓標。

芝に埋められた父の名が刻まれた小さな石碑。
手向けられた花。

「……父さん、」

しゃがみこんで、静かに祈りをささげていると。
締め付けられるような頭痛がしてきた。
鈍く重い脈打つような感触。

ふらり、と立ち上がったスタビレに不意に閃きが走った。

ゆっくり振り返えると、十数メートル先に一人の女性が佇んでいる。

長い黒髪をなびかせた、黄色いワンピースの少女。

リーリエ……
スタビレが想いを寄せていた『リーリエ』だ。

「無事に帰って来たのね。」

リーリエはそう呟くと、やさしく微笑んだ。

スタビレが思わず駆け寄ろうとした瞬間――
彼女の姿は、音もなく、“すうっ”と消えてしまった。

「リーリエ……?」

スタビレは辺りを見回すと、その場に立ち尽くした。
静けさが戻る。風が頬を撫で、木々のざわめきが聞こえていた。

幻だったのか……。

そのとき、ふと足元に目を落とす。
リーリエが立っていた場所の小さな墓標……

「……?」

スタビレは墓標の前にゆっくりしゃがみこむと、刻まれた名前を指で撫でた。

「……べセール。」

彼の名が口からこぼれでた。

震える手で手紙を握りしめていた。
頭が真っ白になっていった。

握りしめたその手紙が、彼のすべてを物語っていた。

次章 第九章 【静寂の破綻】
憔悴しきった少年に不思議な感覚が宿り始める。
その時、静寂を破るサイレンが鳴る……
「君に帰れる場所はあるのか。」


いいなと思ったら応援しよう!