居場所があれば、いなくならない
こんにちは。
今回の記事は、
私の一方的な人生の考え方や感覚ですが、
正直な思いで言葉にしていきます。
キーワードは、居場所。
ここからいろいろと言葉が枝分かれした内容です。
居場所。
自分が居る場所。
安心できる場所があると、心地良いですよね。
自分の領域を侵されない空間。
誰にとっても必要だと思います。
人には居場所が必要です。
他の生き物にも、居場所が必要です。
犬も、猫も、鳥も、虫も、海や川の中でも。
意思をもつ者は、自分で居場所を探します。
そして自分が納得できる場所で生活します。
意思をもつものだけではなく、
モノにも居場所が必要なんじゃないか。
ある日、こう思うようになりました。
断捨離をしてから気がついたことです。
それまでは、
私が所有欲を満たしたいがための買い物。
手に入れてしばらくは満足しているけれど、
だんだんと使わなくなって、
いつの間にか興味を失う。
また新しいモノを買って、また溜め込む。
こんなことの繰り返しでした。
モノに対して、まったく失礼な話です。
結果的に、
モノにも決まった居場所を作ってあげると
紛失することがなくなりました。
いなくなることが、なくなったのです。
いつも、私の脳の目では見えています。
あそこにしまってあるから大丈夫。というように。
たくさんのモノに目移りすることが減ったからです。
愛用すると、愛着が湧く。
それにモノが応えるように、側にいてくれます。
モノが多かった頃は、
人の多い街中や交差点のように、
すぐに人混みに紛れて見失ってしまう状態でした。
誰かを、何かを
探す時間は、できるだけ少ない方がいい。
探し求めている時間は、恋しくて仕方なくなります。
今まで放っておいたのに、です。
当たり前と感謝は、やはり対極にあります。
普段からありがとうと伝えると、つながり続ける。
いなくなって、ありがたさに気づく。
なんで、普段からお礼を言わなかったのだろう。
人は亡くなったあと、誰もが称賛される。
生きて一緒にいる間に、お礼を伝えられたはずなのに。
こんな経験、ありませんか。
私は、あります。
こないだまで一緒にいたのに、
いつの間にか離れていなくなってしまう。
人の社会でも実際にあることです。
誰もが、
そう思ったり、思われたりしたことがあります。
離れていく。
どんな時にこの現象が起こるのかといえば、
興味をもたれなくなった時です。
目を向けられなくなった時です。
人も、生き物も、モノも、たぶん同じです。
自分に目が向けられていないと感じると、
別の安心できる居場所を探すようになります。
子供は親に対して、「ほら見て」と言います。
居場所を守るために。
この場所に居続ける意味がない。
ここにいても仕方がない。
こんなふうに思う瞬間があると、離れたくなります。
思い切って環境を変えるために飛び出した行動は、
誰もが幸せを求めているものです。
私がnoteの世界にまた訪れるのも、
ここにひとつの居場所を求めているからでしょうか。
最近は、そんなふうに感じます。
言葉と文章をいろんな角度から味わうことで、
成長できる感触があるからかもしれません。
読書に没頭している時間に似ています。
これまで人に話すのをためらってきたこと。
考えていたことを頑張って表に出すことで、
他の人から批判されたことがある。
そして、ショックを受ける。
その光景を、忘れたくてもずっと引きずってしまう。
そんな経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。
人は、
自力で乗り越えられる強い人ばかりではないのです。
だから、誰かの力を借ります。
だから、誰かと協力します。
利用し利用される関係は、長く続かない。
人の憂いに程よく寄り添う関係は、永続します。
人の心は奥が深くて、
それぞれに必ず悩みがあります。
悩みがなさそうと言われる人にも、必ず。
悩むから真剣に考えて、その時間をもって成長します。
相手の存在そのものを、ありのままに受け入れる。
メンタルケアの考え方であり、技術です。
感情もあるし、考え方も違うし、体調もある。
自分ではない人をありのままに受け入れるのは
なかなか難しいものです。
特に、自分に余裕がない時にはつらいものです。
人の社会は、
受け入れてくれる人がいるから、救われます。
あなたはそのままでいい。
そうやって本心から言ってくれる人が必ずいます。
もちろん、
気をつけなければいけないことも多々あります。
でも、
同じ痛みを経験したことのある人が必ずいます。
その人とつながることができたなら、幸せです。
AIもやさしい言葉を並べるのが上手になりました。
その言葉に救いを求めるように、
今日もたくさんの人が画面を見ています。
私は思うのです。
同じ体験からにじみ出る共感の言葉と態度は、
AIには心から真似することができないと。
AIはデータを集めて分析しています。
体験そのものがないのです。
現代科学ではよくわかっていなくて
根拠を示せない話ですが、
心という言葉がある限り、その世界は存在します。
だから、いくらテクノロジーが進化しても
人を直接支援するような仕事がなくならないのです。
不向きな方には敬遠されがちですが、
人に直接関わる人の待遇は、
もっともっと、良くあってほしいと思います。
私はnoteでSNSのメリットを知りました。
もしもSNSの通知がすべて批判的な内容だったら、
いばらの道を進む修行のような地獄の状態です。
心ない言葉には、自ら触れたくないですよね。
誰もが、
今ない痛みや痒みは欲しくないのです。
病気やケガも、誰もがなりたくないのです。
人の未来のために医療が進歩していることに、
今日も感謝しかありません。
自分と他人は、代わることができない。
でも共感や手助けはできることがある。
だから話を聴いて、向き合う。
自分がされたらいやなことは、
他の人もいやな場合がほとんどなのです。
児童も、成人も、高齢者も。生き物もモノも。
ここに、人生の無限のヒントがあります。
noteのメッセージのように
「ちゃんと相手に伝わっていますよ」
という、やる気が出る応援は本当に素晴らしいです。
スポーツ選手も、応援があるから継続できる。
人は、言葉が原動力になることがあるのです。
言葉は力をもつ、と言われる理由です。
普段から一人で考えることが多い方には、
noteで思考整理をする時間をおすすめできます。
発信するか、しないかは自由なのです。
書くことは瞑想に近い状態であり、癒しです。
記事で言葉に出して文章を自由に綴り、
恥ずかしいことも、
普段は見せたくない弱みも、
本当は自信のないことも、
思い切って発信する。
それをnoteのアルゴリズムがつないでくれる。
相手を尊重する、肯定的なやりとり。
そこから成功体験の積み重ねが生まれていく。
noteは、自己肯定感を回復させる場所です。
心あるユーザーの方が、同じ深さにきてくれる。
この場所がなかったら、迷い続ける人もきっといる。
放浪の旅に魅せられて、
あえて居住地を決めない人もいます。
安心できる居場所は、人によって違います。
人は時に、誰かを攻撃することがあります。
私がSNSから遠ざかっていた理由の最たるものです。
社会は常に変わりゆくことを理解しながら、
これからもnoteが、
人の社会を、人の心の交流を、
豊かにする場所であり続けてほしい。
そんなことを思った日の話でした。
心優しいユーザーの方々の、
温かい居場所であってほしいと願っています。
今日も、
ここで時間を使ってくださった方、
本当に感謝しています。
