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自己紹介 - 【過去 学生編】アオハルの半生と反省

こんにちは。
農業経営ブースター アオハルです。

今回は農業ネタではなく、
やりきれる、と信じて自己紹介を

過去 学生編(どんな風に育ってきたか)
過去 立志編(農業への思いがどう芽生えたか)
過去 社会人編(どんな風に仕事してきたか)
現在&未来(今とこれからやっていくこと)

にパート分けて、書いてみます。

みなさんに何か少しでもプラスになるものが
お渡しできたら嬉しいです。



大嫌いな農家の家

静岡県静岡市の中間山地で、
専業のお茶農家の三男として生まれました。

記憶がぼんやりと残る小学校低学年は、
とにかく自分が農家に生まれたこと
嫌で嫌で仕方なかったです。

<ネガティブな感情の塊>
兄、従兄弟からのお古の服、教材→新品を買い与えられない。
どうやら我が家は貧乏だ。
納屋(農機具入れたり、作業したりする場所)に限らず、
とにかく土埃や整理整頓がなされず汚い。
いわゆる3K(きつい・汚い・危険)を文字通り目の当たりにする。
小学生なのに手伝いと称して「労働」を義務付けられる。
まわりの非農家の子どもたちは遊んでいるのに。
年中、仕事していて週2日の休みなんてものは当然なく、
どこも遊びに連れて行ってもらえない。

そんな中、近所の駄菓子屋で買うおやつ、
自然と友人と遊ぶことが何よりの楽しみでした。

とにかく目立ちたい

三男に生まれたこともあってか、
子育てはなかば放任。
あまり両親から愛情を受けた記憶もなく、
(少なくとも当時はそう感じてました)
とにかく承認欲求が強かったです。
その上、背が低いこともあって、劣等感の塊でした。

俺は周囲とは違うんだ」ということを
どんな面でもいいから示したかった。

小学、中学時代は幸い、努力が実って、勉強で
良い成績を残し、「違い」を出せました
入学した高校は、いわゆる進学校。
中学以上に努力したつもりでも、
トップからは程遠く、勉強で挫折です。

だから、走り屋、夜遊び、酒、タバコ、麻雀と
いわゆる不良なことをやってました

今思えば、秀才くんができないようなことを
勝手に自尊心を満たしたかったんだと思います。

大学受験失敗と仮面浪人

不良生活を続けながらも高3となり、
ダサい農業とは真反対な、
カッコいい「建築」を俺はやる!
と決めて、
偏差値だけで志望校を決め、受験しました。

当時の自分は、根拠のない自信だけは
人の3倍ぐらい持ち合わせていて、
俺が落ちるわけないでしょって
本気に考えていました。

結果、一次志望の名古屋大不合格
ちなみに、よく一緒にいた不良仲間は
別学部で名古屋大合格。
素直に祝福できる自分は、いませんでした。

自分が落ちるなんてこと想定しておらず、
願書だけは提出していた静岡大学に、
試験を受けてパスしました。
機械学科で嫌だったんですが
親の説得もあり渋々、入学しました。
(学科自体は素晴らしいです!私にはミスマッチなだけです)

静岡大学の大学生生活は、浜松での寮住まいだったけど、
すぐ隣の部屋で遊び相手もいるし、気の合う友人も
たくさんできてとにかく楽しかった

ただ、それでも受験失敗の悔しさが拭いきれず、
前期で休学して、静岡大学に籍を残したままで
仮面浪人の道を選択しました。

惰性で通うことはできたと思いますが、
俺はこんなもんじゃない、って自分の可能性を
閉じたくなかったんだと思います。


親友をバイク事故でなくす

仮面浪人期間中は、自宅に戻って、
独学で受験勉強です。
それまでの生活と打って変わって、友人が近くにいないし、
自分で自分を律しないと、いくらでもサボれる環境です。
毎日、毎日、何時間勉強できたかだけを
自分の自信の拠り所にしようと記録つけていました。

そんな生活でしたが唯一、地元で遊べる親友がいました。
地元の専門学校に通っていたものの、学校帰りやバイト帰りに
ウチに顔を出してくれました。

その親友が早朝、バイク事故を起こし、
数週間の闘病のちに亡くなりました。

今思い返しても、ここが人生のどん底です。
中高と同じバカをやってきた人間が、急にいなくなる。
人生はなんて理不尽なんだ、と強く思い知らされました。

その親友のためにではないですが、
自分には与えられているこの生きている時間、
大切に生き切ろうと決めました。

大学で勉強以外に投資してたもの

それまで以上に受験勉強に励んだものの、
一次志望の東工大に前期で落ちて、
滑り止めで横浜国大入学しました。
正直、不完全燃焼感が残りました。
今、思い返せば、当時の自分には戦略思考も
徹底する、と言うこともできていませんでした。
高校生なのでそんなものかもしれませんが。

ともあれ、2回目は念願叶っての「建築」を学ぶ学校。
ウキウキでスタートです。
なぜなら農業と違って、おしゃれ、かっこいい。

と思いきや、周囲とのセンスの差、モチベの差を感じ、
早々に飽きてしまいました。
いや、諦めてしまいました

学業(建築)をさぼってしていたことです。

当時はIT黎明期で、ベンチャー企業が台頭してました。
大企業の歯車なんかじゃなく、
自分でやりたいことを自分でまわしているなんて、
なんてカッコいいんだ!

「ベンチャー企業」にぞっこんです

若い経営者の書いた本などをむさぼり読んで、
この時ぐらいからビジネスに関する読書量が急増。
月間に10冊ぐらいは読んでいたと思います。

新しいものをインプットするのが快感でした。
(↑これは今もですが)

ベンチャーLOVE以外は、バックパッカーです。

学部、院時代を合わせて、東南アジアを陸路で回っていました。
建築学科でしたが建物や観光地なんか見て回るより、
断然、現地人と仲良くなって、遊んで、
飲みに行ったほうが楽しかったです。

ただ現地人に睡眠薬飲まされたり、
ぼたっくりにあったりと、
人間を見極める目は鍛えられました。

リベンジした大学院試!

さて、今はどうなのかわかりませんが、
建築学科の中には、都市計画研究室がありました。

ベンチャーにかぶれていた私は、
なんとなく「ビッグ」なイメージの都市計画研究室を
学部で志望して入りました。

背中を追いかけたくなるような先輩もいて、
卒論はなんかわからないが没頭して取り組めて
学会でも発表させていただきました。

自分の就職先、将来と対峙できず、
もう2年モラトリアムを勝ち得るべく、
という後ろ向きな理由から大学院試を決意します。

そして、見事トップ合格を果たしました!
これまで2度、第一志望を失敗していたので
本当に嬉しかったです。

院試に落ちたら、無職なることへの本気の恐怖もありましたし、
先輩からアドバイスもらったり、戦略?や計画組をして、
勉強を進めることができたことが勝因でしょう。
この経験はのちの仕事や、資格勉強にもつながること
がありました。

大学院生時代も世間で思われていそうな研究とは
程遠いレベルで取り組みながら、
就活へと向き合うことになります。

こうして書いてみると、
学生時代はほぼ農業とは無縁に近いですね。
続きはまた。


今回も最後まで読んでいただきまして、
ありがとうございました!


農業経営ブースター / アオハルは、
高い目標に向けて突っ走る農家の伴走支援とか、
(農業生産はできません!)
農業スクール事業とか、講師や教本作りみたいな先生業
もたまにやってます。

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