非日常をさまよった末に辿り着いたのは、一杯の日常だった【海外放浪記】
"There are few hours in life more agreeable than the hour dedicated to the ceremony known as afternoon tea."
Henry James
「午後のお茶」と呼ばれる儀式に
捧げられる時間ほど
楽しい時間はそうはない
ヘンリー・ジェームズ
テレビをつける。
ワーキングホリデーで多くの若者が海外で稼いでいる、というニュースが流れる。私の耳がダンボになる。
日本はヤバイという。人口減。少子高齢化。増える社会負担。低成長。低賃金。長時間労働。円安。古くさい価値観。
私は幸せに生きるために、海外に脱出することにした。大学の休学中や仕事を辞めてから再就職するまでの間、いわゆるキャリアブレイク期間に、海外移住の下見と称して飛び回った。
これは、そんな探検録である。
私の名はトコトコ。現在20代後半。大学を5年で卒業後、会社を3社辞め、現在は京都でフリーランスとして働いている。
現在は毎日幸せを噛み締めて生活をしているが、ここに至るまでがほんっとうに長かった。
特に大学時代は人生に悩みすぎて、モチベーショングラフでいう底辺を這いつくばっていた。
そんな自分を変えたくて、外の世界には求めている幸せがあると信じて、私は旅に出た。
タイ、ベトナム、ニュージーランド、オーストラリア、アメリカ、フランス、オランダ、イギリス…。
この本は海外旅行について書いているが、情景描写はほぼない。〇〇線に乗って、〇〇という場所で、〇〇という美味しいものを食べて…などのキラキラした旅は皆無だ。
では何が書いてるのかというと、その場所で私が何を思い、考え方がどう変化し、どう行動やビジネスに繋げていったのかが書いてある。
過去の私と同じように人生に悩んでいる方、今の働き方にモヤモヤしている方、海外に出たい方の参考になれば嬉しい。
補足🐼:この文章は、Kindle本にしようと思って眠っていた文章です。
海外旅行をきっかけに人生が好転していった様子を書きました。
37,000文字越えの超大作。途中から有料にしていますが、メンバーシップに2ヶ月以上加入の方には無料でプレゼント🎁。agriculture.twins@gmail.comまでご連絡を。
タイ、ベトナム
時期:2020年1月(休学中)
期間:10日間
大学4回生の後期。
就活したくない、大学院にも行きたくないという消極的な理由で1年休学した。
休学中に何をするかまったく決めていなかったが、当時たまたま50代経営者と付き合っており、一緒に古道具の事業を行うことになった。
彼とはしばらく日本国内の古道具を開拓していたが、彼が東南アジアで仕入れをしたいと言い出した。
彼曰く、東南アジアは物価が安く、特にベトナムは戦時中のフランスのアンティークが残っているとのこと。古物商仲間が東南アジアに仕入れに行っているおり、自分も行きたいらしい。
それまで海外は台湾しか行ったことがなかった。英語は得意なのに、なぜか海外自体にあまり興味がなかった。
でも彼が行きたいと言っているし、東南アジアで古道具を仕入れてみたいと思ったのでついていくことにした。
タイに降り立つと、スパイシーな匂いに倒れそうになった。道路の汚さとバイクの多さに唖然とした。人生初めての東南アジアだ。
旅の目的がアンティーク仕入れなので、暑さにめげずに蚤の市やアンティークショップをひたすら巡った。
タイの雑貨屋では安いホーロー製品を大量に仕入れた。次に訪れたベトナムでは、戦時中のアンティークが集まる市場で、フランスのアンティークを安価に仕入れた。
この旅行で思ったのが、「海外旅行は意外と簡単だ」ということ。
ちょっとだけ治安に気をつければ、国内旅行と大して変わらないと思った。高校の山岳部で、物品を山の上で調達できない状況を経験していたので、「地上ならなんでもあるし、なんとかなる」という意識が染み付いていたのかもしれない。
加えて、東南アジアの雑多な雰囲気も肌に合っていると感じた。私はルールがあれば破りたくなる性格なので、クリーンな国よりもカオスな国の方が好みだと初めて気づいた。
タイの市場でトウモロコシの上をネズミが走り抜けているのを見かけた時、自分の中に潜む野生の血がゾクゾクした。排気ガスと人々の熱気が混じる空の上を、自由に飛び回る青い鳥が、かすかに視界に入った気がした。
しかし、この旅では彼が仇となった。
彼の年齢は50歳。当時の私は22歳。
彼には、東南アジアのじりじり照りつける太陽の下で長時間歩ける体力はなかった。暑さで急に不機嫌になって1人でホテルに帰ってしまうし、歩いていても1時間おきにカフェに入り、練乳たっぷりのベトナムコーヒーで一休みしてしまう。不衛生だからと、路上の屋台飯を一緒に食べてくれない。野菜の上を駆け回るネズミを見ると不快な顔をする。
そう、彼には「カオスを楽しむ」という概念がなかったのだ。
海外旅行で人の本性が出るというが、まさにそうだと思った。彼がこんなに根性のない人だとは思わなかった。
今ならそんな人なら置いていけばいいと思うが、当時の私には彼を置いて旅をする勇気がなかった。泣く泣く青い鳥の残像を目に焼き付けて、彼のペースに合わせた。その旅は完全なる不完全燃焼で終わった。
海外旅行のハードルがぐんと下がった私は、休学中に海外に飛び回ろうと考えた。しかし、この旅行の帰国直後から新型コロナウイルスが流行。海外に行けなくなってしまった。
そのため路線を変更し、古道具の仕入れを再び日本に特化することにした。日本全国を走り回って仕入れと販売に奔走した。
ステイホームで家にいる時間が長くなると、インテリアにこだわる人が増える。結果的に売り上げはどんどん伸びていった。

ニュージーランド
時期:2023年3月〜4月(2社目〜3社目間のキャリアブレイク中)
期間:1ヶ月
会社員にはなりたくなかった。しかし、新卒カードを捨てることにどうしても抵抗があった私は就活を開始。結果、大阪の食品メーカーに就職した。
しかし、おじさんが覇権を握っている昭和っぽい社風がどうも合わず、1年でWEB系スタートアップに転職した。(古物商をやっているくらいなので昭和レトロなデザインは好き)
意気揚々とスタートアップに入ったものの、完全テレワークという働き方が精神を蝕んだ。部屋で1人で仕事をするのは寂しすぎた。
さらに良くないことに、社長は言葉の通じない共感性ゼロのサイコパスだった。社内コミュニケーションがうまく取れなくなり、完全に孤立した。8ヶ月でギブアップして退職した。
この時に思い出したのが、休学時代の東南アジア旅行。日本の会社だから合わないのかもしれない、もしかしたら海外なら自分に合う会社が見つかるのかも。
そう思った私は、海外で働くためにワーキングホリデーの情報収集を始めた。具体的には、ワーホリの支援をしている組織の説明会に参加したり、ネットやSNSでひたすら検索したり。
ビザが取りやすいこと、英語圏であること、気候が穏やかであることを条件にすると、ニュージーランドかオーストラリアが残った。その2つの中では特にニュージーランドが第一候補になった。
せっかくワーホリをするなら、永住権も目指してみたい。調べていくと、ニュージーランドでは、Green Listに挙げられている職業に就けば、永住権を取れる可能性があるということがわかった。
しかし、リストを眺めていてもいまいちピンとこない。
私はマルチポテンシャライトなので、1つの職業で自分を定義することに抵抗がある。
専門性を持つよりはいろんな仕事をこなしたいため、専門性を持つことを条件にしている永住権は、なんか違うと思った。
ネットにはいろんな移住情報が錯綜している。異様にキラキラした移住の話、逆に闇を這いつくばるような移住の話が私に襲いかかる。
それらを見るたびに不安に襲われていたので、用意周到な私は、現地に行ってこの目で確かめることにした。
私は計画を立てられない病にかかっているので、旅行計画を一切立てずにリュック1つでニュージーランドへ飛び立った。(どこが用意周到なんだという指摘も認める)
現地に到着。3月なのにセミが鳴いていて、本当に南半球に来たんだなぁと感慨に耽った。
初めての海外1人旅。初めての西洋の国。
言葉、建物、人種、匂い、雰囲気、何もかも違う。アジアしか知らなかった私には、こんな世界もあるのかと衝撃の連続だった。
ニュージーランドの知人
ニュージーランド到着初日、オークランド在住の日本人の方とお会いした。
知人にニュージーランドに行くと言っていたら紹介され、速攻でmessengerで連絡を入れた。
現地で初めましての挨拶を交わした後、さっそくHowick Historical Villageへ連れて行ってもらった。
歴史的な建物を見学してテンションが上がったところで、現地のローカルスーパーへ。無造作に積み上げられた野菜や果物に圧倒される。
「気になる食材を全部買っていい」という夢のような条件を提示されたので、フルーツやチーズを次々にカゴに入れる。
ここでニュージーランドのスーパー事情を教えていただいたおかげで、後々の買い物にとても役立った。
フルーツは紙袋に入れて自分で金額を印刷する、レシートにガソリンスタンドの割引クーポンがついている(スーパーとガソリンスタンドが併設している)など。やはり、先達はあらまほしきことなり。
ご自宅に到着。
海外の映画でしか見たことがないような完璧なお家だった。光がまばゆく差し込む大きな窓、何人も同時に調理できそうなほど広いキッチン、草木が生い茂っている庭、高い天井。
彼女はニュージーランドへの移住者。移住、子育て、起業を経験した彼女を前にすると、自分が浅はかな人間に感じた。
全ての語り口が「京大を出た」をベースにしている自分。京大を出て何をしているかが大事なはずなのに、私にはそれがなかった。
大学を卒業して食品メーカーやスタートアップを1年未満で退職し、今はニュージーランドでフラフラしている。私には本当に経験も実績もなかった。
家を訪ねてから2日後。実は予定を立てずにニュージーランドに来たことを告げると、オークランド北部にドライブに連れていってくれた。工場の廃墟をみたり、博物館に行ったり、カフェで食事したりした。
この時に入った「Pete & Mary's Eatery」はオーナーが60歳を超えてから起業したカフェで、現在は若い世代に経営を譲っているそうだ。
年を重ねても起業にチャレンジしていること、周りが応援していることが印象に残った。「日本では年齢を気にすぎだよね」という彼女の言葉には、思い当たることがあった。
転職活動の一場面においても、暗黙で20〜30代までしか受け付けない求人、40代以降は転職できないという常識、60代からは同じ仕事をしても下がる給料などがある。年代で人を区切る習性が見事に現れている。

キャリアに柔軟性がある
カフェを出てからは、自然とキャリアの話になった。
ニュージーランドでは、大学を出ると長期旅行に出るのは普通だし、就職して他のやりたい仕事が見つかると颯爽とキャリアチェンジする。
大学の勉強内容と仕事が直結しているので、まずは大学に入り直すことから始まる。その際には補助金が出る。
今楽しいと思えることをやるのがモットーで、周りもそれに対してとやかく言わない。
日本で職を転々をしていると、白い目で見られることがある。
私は短期離職を何回もしているので、履歴書を見せるたびに怪訝な顔をされ、「こいつはダメだ」の烙印を押される。そのたびに怒りを秘密のメモ帳にぶちまけてきた。
私は相性が合わない時は合わないし、居心地の悪い環境で我慢する方がお互いによくないと思っている。だから合わないと思ったらすぐに辞める。
それだけのことなのに、何が悪いんだろう。若者のやり直しを認めないなんて、なんと心の狭い社会なんだ。日本は異様にキャリアに一貫性を求めすぎだと思う。今の時代、石の上にも三年ではなく、せいぜい石の上にも三ヶ月だろう。
そう思っていたので、ニュージーランドのキャリアの柔軟な考え方には納得がいった。その方が絶対に幸せに生きられる。
私はニュージーランド式キャリアを積んでいこうと決意した。
この女性との出会いは、私の価値観を変えた。ここに書ききれないくらいの人生の示唆を与えてくれた。ロールモデルとの出会いが人生を変えてくれるんだ、と思った。
最近、家出少女を家にもてなしたことがあったけど、それはこの女性が私にしてくれたから。のちのアメリカでの大失恋では、彼女の言葉に慰められた。今後少しでもこの女性に近づけたらと思う。
ニュージーランドに移住するか否か
オークランドの次に訪れたタウランガで、最近永住権を取得した日本人女性にアポを取った。
その女性の職業は獣医。日本の大学を出てからオーストラリアの大学に進学し、そのまま学位を取得。移住の難易度を考えてニュージーランドに移ってきたという。
永住権の申請をしたもののなかなか通らず、コロナを挟んで余計に審査が遅くなり、先日やっと永住権が取れたとのこと。ニュージーランドに住めるのか心配で押しつぶされそうな毎日だったと聞いて、私の眼から光が消えた。
自分がそこに住む権利くらい、自分で決めたい。私は生殺与奪の権を他人に握らせたくない。この時点で海外で永住権を取るという選択肢がなくなった。
ピクニックを楽しむ心の余裕
ニュージーランドは南極に近いので日差しが眩しい。到着初日、刺すような太陽光線に目がやられそうになったので、帽子を買った。
さらにびっくりしたのは、20時になっても真昼のように陽が差し込んでいることだ。ニュージーランドの3月は夏の終わりとはいえ、昼間が長かった。
丘に出てみると、芝生の上でピクニックを楽しんでいる人たちが目に入った。家族だったり、友達同士だったり。なんとも幸せそうな雰囲気だ。
私にとって、ピクニックには豊かなイメージがある。時間やお金の余裕、そして「ピクニックをしよう」と思える心の余裕がないとできない。
振り返ってみると、ピクニックをするような人生は送っていなかった。中学生や高校生の時はずっと勉強していた。大学生では課外活動に追われ、社会人になってからは残業して夜遅く帰宅するのが当たり前だ。
だからこそ、ピクニックを気軽に楽しむ人たちは余計に衝撃だった。こんなに豊かに暮らすことが、この世界で許されるんだと思った。

西洋風の住宅が好き
京都には日本らしい町家が立ち並ぶ一方で、歴史的な洋館もたくさん残されている。洋館が醸し出す外国の雰囲気が好きだった私は、洋館巡りを趣味としていた。
ニュージーランドに降り立つと、一般住宅ですら「洋館」であることにびっくりした。そうか、洋館が見たいなら欧米の国に行けばいいんだと初めて気づいた。わざわざ京都で洋館を探さなくていい。
可愛い色に塗られている壁、ステンドグラスが散りばめられている窓やドア、色とりどりの花が咲いている庭…おとぎ話の世界にいるかのように思えた。
社会人1年目の時に住んでいた大阪では、グレー色の無機質なマンションや工場に囲まれていたので、その差にびっくりした。
本屋でニュージーランドの住宅雑誌を立ち読みしていたら、いかに家を居心地の良い空間にするかが語られていた。
そうか、私は家というハード面もだけど、そこで豊かに暮らすというソフト面にも強く惹かれているんだ。旅行者として家を持たずにフラフラしているよりは、しっかりと定住して生活する方が向いているのかもと思った。

自分の”好き”に素直に向き合ったら、食べ物にたどりついた
この旅は完全にノープランだった。
当然、何もすることがない。知り合いも数人しかいない。言葉もあまり通じない。ついでにお金もない。何もない状況で、自分が何をするのかに興味があった。
私は森や海辺を散歩し、スーパーマーケットでどんな食品が売られているかをチェックし、本屋で立ち読みし、カフェで物書きや読書をし、美術館や博物館に行って、アンティークの買い付けに行った。
その中でも、特に食べ物に興味があることがわかった。
1社目の食品メーカーの商品企画部に配属されており、他社の新商品をウォッチするためにスーパーや展示会の視察に行っていた。
食べ物に興味があり、学習欲を満たすのが生きがいの私にとってはまさに天職だった。それ以降、プライベートでもスーパー巡りが趣味になった。
ニュージーランドのスーパー巡りは刺激の連続だった。フェイジョアやドーナツピーチなど、見たことのない果物が並んでいた。
さらに、日本みたいに個包装されておらず、紙袋に入れて量り売りするスタイル。農学部出身で野菜やフルーツに興味がある私にとっては、見るだけで楽しくて仕方なかった。
ニュージーランドは乳製品の生産も盛んだ。棚一面に並べられたチーズを見た時、ここは天国かと思った。種類が多い。1ヶ月の滞在では到底制覇できそうにない。
生鮮品を見るのも楽しいが、特に国柄が出るのが加工品。私は小麦製品が好きなので、クッキーやクラッカーの棚は宝の山に見えた。
ハーブやドライフルーツが練り込んであるもの、可愛らしく型抜きがしていあるものなど、見たことがない商品がたくさんあった。
そして、ベジタリアン、ビーガン、ケト、グルテンフリーなどのオプションがあることにも驚いた。
本屋でも立ち止まるのは料理本コーナー。西洋の料理本は枕にできそうなほど分厚い。日本の丁寧なレシピ本と異なり、文字だけで枕にできそうなくらい分厚いレシピ本が印象的だった。
さすが粉類をオーブンで焼く”baking”の文化が盛んで、パイやお菓子について書かれている料理本も多かった。確かに、海外のお母さんはアップルパイやマフィンを焼いてるイメージがある。
たくさんの料理本を立ち読みしているうちに、食べ物の中でも、ティータイムに出てくる紅茶や焼き菓子に惹かれていることがわかった。そしてぜひ自分でも作ってみたい。この旅で漠然とした食べ物への興味の解像度が上がった。
海外に行った際は、ぜひ本屋に行ってみてほしい。異なる文化に触れることで視野が広がるし、自分の興味を再認識することもできる。

Food Meets Art
プラッター(platter)という料理形式をご存じだろうか?いろんな種類の料理が一つの皿に盛られているもので、boardとも呼ばれる。
インバーカーギルに住む知人とレストランに食べに行った時、初めてplatterに出会った。platterが到着すると、その華やかな見た目に歓声を上げた。こんな夢のような料理があるんだ。

そこにはニュージーランドで旬の食材が盛られていた。生クリームのようにふわふわのバター、グリーンマッスルのトマト煮、豪快なチーズの塊が私の舌と心を魅了した。
plattarには見た目の芸術性以上の概念が入っている。
例えば、さまざまな料理をちょっとずつ試せることで、学習欲が満たされる。
「どれから食べようかしら」という贅沢な悩みは、アフターヌーンティーを彷彿とさせる。おいしい生活とはこのことなんだ、きっと。
platterには、日本の定食やワンプレートご飯とは違う輝きを感じた。
西洋の食材が使われていること、そして1つの皿に盛られていることが重要だ。帰国したらプラッターを極めてみようと思った。
フラットホワイト
ニュージーランドでは「フラットホワイト」という、エスプレッソにスチームミルクを注いだコーヒーが飲まれる。
ニュージーランドやオーストラリアでは、紅茶よりもコーヒー文化が盛んだ。コーヒーを学ぶために渡ってくる人も少なくない。
フラットホワイトという名前がどこか可愛くて気に入った私は、カフェに行くたびに頼んでいた。
すると、だんだんと胃の調子が悪くなり、コーヒーが飲めない体質になってしまった。なんとも苦い思い出である。
ニュージーランドに降り立ったら、ぜひフラットホワイトを(ほどほどに)試してみてほしい。
人生はシンプルだと気づいた
ニュージーランドには娯楽が少ない。
ニュージーランドの人はきっかり定時に仕事を終え、友人と庭でBBQをして、家族と団欒の時間を過ごして1日を終える。
休日は公園にピクニックに行ったり、cozyな家でのんびり映画を見たりする。
本当の幸せを見た気がした。今まで、幸せを得るためにはもっと頑張らなければいけないと思い込んでいた。もっと働いて、稼いで、お金を消費して快楽を得る…
でもニュージーランドでは、それよりももっとシンプルで幸せそうだ。なんで今まで気づかなかったんだろう?
その日は湖のほとりで読書していた。
ニュージーランドの湖は格別だ。エメラルドグリーン色を浮かべながら、タプタプと心地よい音を奏でている。湖を眺めているだけで心が穏やかになってくる。
ニュージーランドで「人生はシンプルだ」と感じた。その時は単に娯楽が少ないからシンプルだからだと思っていた。
しかし、実際は自分の本当に幸せを感じることーー自然に囲まれながら読書したり、カフェで物思いにふけったり、本屋やスーパーで学習欲を満たしたりーーがわかったから、シンプルに感じたのだ。私の幸せセンサーの軸が定まった。
食べ物に興味はあるものの…
一人旅を始めて2週間ほど経つと、「1人でいること」の影響が大きくなってきた。それは食事の場面で顕著だった。
食べ物が目の前にあると、お腹がいっぱいでも食べてしまう。孤独を埋め合わせるように過食してしまう、もしくは食事を忘れて極端に食べないなど食事量が安定しない。同じものを食べ続ける。決まった時間にご飯を食べることができない。など。
この旅で「1人だと食事が疎かになる」ことが初めて判明した。
食べ物への興味は人一倍ある。
しかし、この旅を通じて、私が求めている食事とは、単なる栄養摂取ではなく、誰かと共に過ごす食卓にあることに気づいた。1人だとこの豊かな食卓が作れない。
そういえば、高校生の時は朝礼が終わったら弁当を食べていた。
「早弁にもほどがある」と同級生は笑っていたけど、食べ物があるとそれ以外考えられない私には死活問題だった。
ペースメーカーがいて初めて私の食事は完成するのだなと思った。自分1人ではただの摂食行為だ。
寂しがりや
私は相当寂しがり屋だ。
「私は一人旅をしていて孤独だ」と思うようになってから、ステンドグラスがドアに散りばめられた可愛い家をみても「一緒に住む人がいないなら意味ないなぁ」と思い、パーティー料理の本を読んでも「一緒に食べてくれる人がいるから、この料理は美味しいんだよな」と思うようになった。
この孤独を解消するにはどうしたらいいのか。人とオンラインで話そうとか、現地で友達を作ろうとかは思わず、まずは帰国してパートナーを見つけようと思った。
とりあえず今いい感じになっている台湾人(後述)と決着をつけたい。その人がダメだったら、マッチングアプリを使ってでも早急に相手を決めよう。
なぜこんなにも寂しがりやなのか考えてみたら、双子だという要因が大きい気がしてきた。
私は二卵性双生児で双子の妹がいる。
誰かが横にいることが当たり前の環境だったので、大学に入って初めて一人暮らしを始めた時も、寂しさに耐えきれず誰かの家に入り浸っていた。
その時は「大学生なんてそんなもんでしょう」と軽く考えていたが、海外一人旅によって寂しさが深刻なことに気づいた。
寂しいなら人に話しかければいいのでは?
そう思った人もいるかもしれない。でも私は100%の内向型人間だ。
初対面の人に話しかけるのはかなりハードルが高い。まして人に会いにガヤガヤした環境に出かけるなんて、到底できっこない。深く狭い人間関係を好むので、大勢の人と話したくない。
他者との関わりを求めつつも、過度な刺激を避けたいという複雑な性格のため、やっぱりパートナーを探そうという結論に至った。
日本に帰国することに
気に入った国があったらそのままワーホリすることも考えたが、1人旅の孤独に押しつぶされそうだったので、オーストラリアとタイを経由して帰ってきた。
旅行をしていると、やりたいことがあってもすぐに出来ないもどかしさがある。
例えば、スーパーで売られているお肉やチーズは塊で売られているので、一人では食べきれそうにない。料理を作ろうと思っても、オーブンやホットクックなどの調理家電がない。
次第に日本に戻ったらやりたいことリストがどんどん増えていった。戻ることを前提とした日常の生活があるからこそ、旅が”非”日常になるんだなと思った。
それと、ニュージーランドの晩夏を過ごすうちに、日本の夏が恋しくなってきた。セミの鳴き声、蛙、ひぐらし、縁側、湿っぽい土の匂い、夕暮れの散歩、夏の夜の心地よい疲労感。私は日本の夏が好きだ。いつか日本の夏愛好会を設立したいと思っている。

ニュージーランドその後
ニュージーランドから帰ってきてからは、優雅な朝の時間が増えた。ニュージーランドで自分の幸せが見えたからだ。
朝には近所の小川に散歩に行き、花を摘んできてテーブルに飾る。朝ごはんは欧米風にパンと卵とフルーツ。そしてミルクティーを飲みながら今日やりたいことを考える。これが私が求めていた幸せだ。

しかし、これが続いたのは2週間くらいだった。
海外旅行の時間は”ハレ"の時間といえる。旅行していると、強制的に自分と対話する時間ができる。これは仕事に追われていると、ついおろそかにしてしまう時間だ。
自分が人生で大事にしたいことや理想の生活が見えてきたが、それをどう”ケ”の生活に、特に仕事選びに生かせばいいのかが全く見えなかった。
仕事終わりにピクニックができるような会社に勤めたいと思っても、そんな検索ワードではどこもヒットしない。
フリーランスの今でこそ「自分の理想を全部叶えてくれる会社はないから、自分で作るべきだ」と思うが、その当時は再度会社に勤めるつもりでいた。
知人に自分に向いていそうな仕事を聞いたり、ネットに落ちている職業診断を受けたり、転職エージェントに相談したり。
毎日パソコンの画面に酔うくらい張り付いていた。でも、どれだけ適職を探しても、選択肢が増えるばかりで一向に定まらない。
悩んでいる間にも、お金はじわじわとなくなっていく。焦りだけが日に日にましていき、気持ちの余裕がなくなってくる。
お金が目減りすることに危機感を抱いた私は、東京のとあるコンサル会社に面接に赴いていた。
コンサルなら幅広いジャンルの仕事がこなせるから、職業を選べない自分にはピッタリじゃないかと思った。さらにコンサルに入れば、サラリーマンとして成長できる気がした。
ニュージーランドで描いた理想の働き方や、京都に住むという第一条件すらすっ飛ばし、2週間後の入社を決めてきた。
私は突発的な出来事に対処するのは得意だが、長期スパンの意思決定は苦手だ。
こうやってすぐに決めるとロクなことがない、と分かっているはずなのにしてしまうのは、「お金がない」という焦りが強烈だったからだ。
最終面接後に、双子の妹とカフェでお茶をした。
「君はその場の雰囲気に流されやすいから、気をつけたほうがいいよ」と忠告された。転職先が決まってすっかり浮かれポンチだった私の上を、言葉が通り越していった。
アメリカ
コンサル会社に入社する前にアメリカ行きのチケットを購入。その最大の目的は”彼”と会うことだ。
彼とは、言語交換サイトで知り合ったアメリカの大学院に通う台湾人。趣味で日本語を勉強しており、京都に住む日本人を検索したら私がヒットしたらしい。
村上春樹の小説が好きな彼とはすぐに気が合った。最初はたわいのない会話をするだけだったが、次第に小説の読書会をするようになった。
彼が音読して私が日本語の発音をチェックし、その内容についてディスカッションした。
彼の大人びた解釈に触れるたびに私の心がときめいた。年は二つしか変わらないのに、留学などでさまざまな経験を積んでいるからか、頭脳がすこぶる優秀だからか、精神年齢がかなり高かった。彼への尊敬の念が、いつの間にか愛情に変わっていた。
ニュージーランドで「パートナーを見つけたい」と思っていたこともあり、彼にアタックしようと決意。
画面越しの彼しか知らないので、現地で立体の彼を確かめてから告白しようと思った。会社から特別に休暇をもらってアメリカに渡った。
なんとGoogleに勤める親戚がいた
この旅のビッグイベントがもう一つあった。アメリカにいる親戚に会いにいくことだ。
アメリカ行きを周囲に言いふらしていたところ、気の遠くなるほど遠い親戚(私の母親の従兄弟のお嫁さんの従兄弟の子供)がアメリカにいることが判明。しかもあの世界的大企業のGoogleに勤めているという。
ここで「Googleに勤める親戚がいるなんて、どんな特別な家系なんだ」と思った方もいるかもしれない。しかし、周りに言いふらしていたからこそ遠い親戚が見つかったのだ。海外に出る際は、とにかく吹聴して歩くことをおすすめする。
私のように内向型の人は、自分の代わりに喋ってくれる「拡声器」をうまく活用しよう。私の祖母は”拡声器”と呼ばれている。彼女に何か情報を与えると、拡散を望んでいるかどうかにかかわらず、ご近所さんや親戚中に話が伝わっている。
今回もそのようにしてアメリカ行きが知れ渡り、アメリカ在住の親戚を見つけることができた。
その親戚のご両親は、30年ほど前からアメリカで日本食レストランを経営している。子ども2人をアメリカの大学に通わせ、高級住宅地に一軒家を持てるくらいには繁盛しているようだ。
サンフランシスコ滞在中は親戚の家に泊めてもらい、せっかくなのでGoogle本社を案内してもらった。
mountain viewのGoogle本社では、「これが世界の大企業か」と驚くしかなかった。
・朝昼晩の食事が家族の分も出る
・屋内外にアートが展示されている
・トレーニングジム完備
・キッチンにテイクフリーのお菓子やドリンク など
敷地内に流れている小川でコーヒー片手に会議することもあるらしく、日本でもそういう柔軟な働き方ができたらいいなぁと思った。
しかし、そのGoogleよりも印象に残ったのが、Google勤めの親戚の日常生活だった。
平日の朝。年の近い兄妹と一緒に、近所のベーグル屋に朝食を買いに行った。
この何気ない日常の一コマが頭に焼きついている。なぜここまで惹かれたのか考えてみたら、それは私が追い求めているのに手に入れていない「余裕」があるからだと思った。
・仕事がある平日の朝に、朝散歩してベーグルを買いに行く心の余裕(危うくベーグルをグーグルと書くところだった)
・朝ゆっくり起きて散歩に出かけても間に合う時間の余裕
・ベーグルを大量買いできるお金の余裕
・兄妹でお散歩するほど仲が良い関係性の余裕
そしてやっぱり私はオーブンで焼いた小麦製品に興味がある。ベーグルと一緒に買ったガーリッククリームが癖になる味だった。私の記憶は、食べ物があると強く焼きつけられるのかもしれない。

親戚曰く、毎日15時には仕事を終えて帰宅しているとのこと。帰宅後はソファでゴロゴロしながら趣味のイラストを描いたり、編み物をしたり、映画を見たり、お菓子を片手にYoutubeを見ていたり…
一方の私は、東京のコンサル会社で典型的な社畜になっていた。
5時30分に起床、2時間満員電車に揺られて出勤、20時過ぎまでサービス残業、寝るのは23時過ぎ。休日は自己啓発の本を読んだり、自分の副業を育ててみたり。
しかし、この時はまだ転職して1ヶ月半だったこともあり、まだその社畜生活を楽しんでいた。社会から必要とされていることに気分が高揚した。暇に押しつぶされそうになっていたニート時代よりマシだった。
親戚は私よりゆるく働いているように見えたが、Googleだから高い給料をもらっているはずだ。しかも趣味で描いているイラストでも「意図せずして」マネタイズできているらしい。Youtubeを見ながら食べていたお菓子は、協賛企業からの贈呈品だそうだ。
アメリカに行って初めて「こんな働き方をしたい」という気持ちが芽生え始めた。
これだけ余裕がありそうな親戚でも、サンフランシスコで夫婦で2人暮らしをしていたが、実家に戻ってきたという。「30歳超えても親に頼ってるよ」と言っていたのが印象的だった。無理して完璧な大人にならなくてもいいんだと教えてくれた。

I don't know
貨物列車のような電車に乗って、サンフランシスコからサンタバーバラへと向かう。ついに彼に会いに行く。
サンタバーバラはロサンゼルスから車で1時間ほど北にある都市。海と山に囲まれたのどかなリゾート地だ。1822年までスペイン領だった影響で、スペイン風の建物が残っている。彼がいなかったらサンタバーバラを知ることなく一生を終えていたと思う。

画面越しで何度も会っていた彼だが、実際に会うとぎこちなくなってしまう。思っていたよりも背が高く、声も低い。マスコットキャラクターのように見えていた彼が男性に見えた。
博士論文がピークだと言っていたので構ってくれないことを覚悟していたが、連日観光案内をしてくれた。カフェ、レストラン、裁判所、公園、美術館…。
「僕ももうすぐこの街を出るから」と言いながら色んなところに連れて行ってくれた。でも、私はどんな綺麗な景色よりも彼の横顔を見るのが好きだった。
彼の大学に遊びに行った夜。ホテルの部屋に呼び出して、ストレートに想いを伝えてみた。
ここから先は
¥ 850
最後までお読みいただきありがとうございました😊 チップをいただけると、オスカー・ワイルドの「幸福な王子」に出てくる美しいサファイアが届けられた若い劇作家のように執筆がはかどります。 「これは誰か、熱烈なファンからのものだ。 これでnoteが完成できる!」
