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音楽史・記事編139.イスラムの侵攻、十字軍の派遣と音楽史

 今回はイスラム勢力の拡大とそれに伴う十字軍の派遣、十字軍派遣を扱った音楽史について見て行きます。次図に示すように、ギリシャ文明の伝統を受け継ぐローマ帝国は、北からはゲルマン民族の侵攻を受け、ゲルマン人とはキリスト教の教義を受け入れさせることにより講和し、さらに南からのイスラムの侵攻を受け、東からはフン族やマジャール人、モンゴル人など遊牧民の侵入にさらされています。結果的には西ローマ帝国のイベリア半島はイスラムのウマイヤ朝に領有され、さらに東ローマ帝国はオスマン・トルコに滅ぼされ消滅し、バルカン半島までがイスラム化します。このような状況の中、西ローマ帝国はローマ・カトリック教会を中心に国土を守り抜き、また激動を乗り越えるなかで、キリスト教会を中心にグレゴリオ聖歌やポリフォニーによる中世音楽、ルネサンス音楽を発展させてきました。キリスト教を深く信仰することはローマ帝国の人々の心の支えであったように思えます。

〇イスラム教の成立とローマ帝国への侵攻
 カール大帝のローマ皇帝戴冠により西ローマ帝国は復活を遂げます。しかし、アラビア半島に勃興したイスラム勢力の拡大により、この時期までにローマ帝国は最大領土の半分はイスラム化し、750年までにはヨーロッパ本土のイベリア半島までがイスラム帝国・ウマイヤ朝の勢力下におかれます。
キリスト教は旧約聖書の創世記やモーゼの十戒などを受け入れ、キリストの伝道した教義を新約聖書に著し、キリスト教は聖地エルサレムから急速に西のコンスタンチノープル、ローマ方面に広がりました。一方、610年にはアラビア半島の聖地メッカのムハンマドによってイスラム教の伝道が始まります。イスラム教はモーゼやキリストなどを預言者として認めており、キリスト教が旧約聖書を受け入れ新たな教義を始めたように、イスラム教は旧約聖書、新約聖書の教義を受け入れさらに新たな教義に至ったとされ、イスラム教徒にすれば最も進んだ教えと考えているようで、これを広めるためにキリスト教を国教と定めたローマ帝国の周辺部から浸透を始めており、現代にまで至る西欧諸国とイスラムとの軋轢の始まりと見られます。イスラムがローマ帝国に浸透を始めたとき、ローマ帝国は異教を禁じていました。しかし、ローマ帝国が異教を禁じたのはキリスト教が異教を禁じていたからではなく、ローマ帝国が政治目的として異教を禁じており、すなわちローマ帝国では政教分離のもとに異教を禁じていました。しかし、イスラム教ではその聖典であるコーランに、異教徒は蛮族であるとし、神聖なイスラムを世界に広めて行くという理念が教義として記載されているようで、国の憲法、法律などのすべての上位に聖典コーランが位置するものとされ、イスラムの世界では政教分離がなされず、このことが異なる民族との融和を難しくしているように思われます。西欧諸国では時代が変わり政治体制の変更によって異教徒との融和を図ることもできましたが、イスラム諸国では状況による程度の差はあるにしても、聖典コーランが異教を排しているため他の宗教との融和を難しくしているということのようです。
 610年聖地メッカで興ったイスラム教は632年までにはアラビア半島に広がり、さらにローマ帝国領内にまで拡大して行き、西は北アフリカからモロッコへ、711年には西ゴート王国を滅ぼしイベリア半島にまで侵攻します。東方面でもローマ帝国の支配地であったペルシャ湾沿岸からさらにパキスタン方面へ拡大しています。

〇十字軍の派遣
 イスラム勢力の拡大は止まらず、1095年にはアナトリア半島を占領し、イスラム軍は東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルの目前にまで迫り、東ローマ帝国皇帝はローマ教皇ウルバヌス2世に救援を依頼する事態となり、ローマ教皇はフランスのクレルモンで公会議を開き、十字軍の派遣を決定します。ローマ帝国はローマ・カトリック教会を中心に帝国内の異なる政治勢力を結集し、イスラム勢力に対抗することとなり、1096年ヨーロッパの各諸侯や騎士たちはコンスタンチノープルに集結し、占領されたアナトリア半島に攻め込み、1099年には聖地エルサレムの奪還に成功しています。しかし、十字軍が退却するとイスラム帝国は反撃に転じ、結局十字軍の派遣は1272年までに9回に及んでいます。十字軍の派遣はゲルマン系の人々に相当の負担を強いたものと見られ、ローマ教皇は帝国内の各国に諸侯、騎士などの軍人の提供を求め、軍人の提供ができない場合は軍事費の拠出を求めており、特にゲルマン系の人々の不満が高まったことが想像されます。軍事費の拠出はやがて免罪符の販売による資金調達に姿を変えて行き、やがてカトリック教会とは関係のない皇帝選挙のための資金集めのために免罪符が利用されたともされ、ゲルマン系の人々にはカトリック教会の腐敗と見られ、ルターの宗教改革につながっていったように思われます。

〇北欧のヴァイキングによる航海術
 一方、西暦800年頃から北欧のヴァイキングの海洋進出が活発となっています。北海、バルト海に進出したヴァイキングはイギリス北部のスコットランドから大西洋北部から北アメリカ大陸に至ったとされます。このような遠洋航海を可能にするためには、水や食料の確保、天体観測などの航海術が必要となり、特に長期の航海のための食料については、後にハンザ同盟の主な取引産物となる水産物の干物によるものと考えられます。北欧では大量の真鱈の水揚げがあり、乾燥させた真鱈は長期の保存に向き、水に浸すだけで簡単に食すことが可能であり、航海用の食料に適しています。ヴァイキングによる遠洋航海術はイギリスやスペイン、ポルトガルなどヨーロッパ各地に伝わり、この時期以降大航海時代が到来し、ヨーロッパの人々は世界各地に進出して行きます。

〇十字軍派遣の音楽史
 イタリアはフランク王国の3分割によって実質的にはイタリア王国として成立したものの、ドイツのオットー大帝の占領により神聖ローマ帝国に組み込まれ、以降フランス、スペインにも領有されるなど、ローマ教皇領を除けばイタリア王国としての体はなしておらず、しかしローマ・カトリック教会はヨーロッパの諸侯の心の支えとなり、戦乱のなかでもフィレンツェのギリシャ芸術復興をめざしたルネサンスの活動など宗教、芸術文化面ではヨーロッパ史を主導しています。宗教戦争である30年戦争ではヨーロッパは動乱の時代を迎えていましたが、音楽史においてはイタリアにおいてバロック音楽の扉が開かれています。神聖ローマ帝国皇帝を擁するハプルスブルク家は衰退し、これに乗じてフランスのナポレオンが登場し、そしてナポレオンの没落によって、新たなヨーロッパ体制の模索が始まり、イタリアではようやく統一国家への胎動が始まったように見られます。この時期にイタリアに現れた作曲家ヴェルディは1842年に歌劇「ナブッコ」をミラノで初演し、イタリア国民に歓呼で迎えられます。イタリアの人々は祖国を失ったヘブライ人に自らを重ね、劇中で歌われる合唱曲「行け、わが思いよ、金色の翼に乗って」はイタリアの愛国心の象徴となります。ヴェルディは翌年の1843年には次作の歌劇「第1回十字軍のロンバルディア人」を初演します。エルサレムでの改宗と洗礼の場面があるこの歌劇はオーストリア人のミラノ大司教から宗教上の尊厳と社会の安寧秩序を乱すものとして廃棄されようとしましたが、イタリアの人々の愛国心は高まり、オーストリアの妨害を乗り越え歌劇の初演を実現させています。イタリアは2度の独立戦争を、オーストリアを相手に戦い、1861年にはイタリア王国を成立させ真の独立を果たしています。
 北欧ノルウェーの古都ベルゲンに生まれたグリーグは戯曲「ペールギュント」への音楽やピアノ協奏曲イ短調で知られていますが、1872年に戯曲「十字軍の王シグール・ヨルサルファル」のための音楽を作曲しています。このことは十字軍の時代に北欧のノルウェーはローマ・カトリック教会の影響下にあり、ノルウェー王シグール1世が第1回十字軍に加わり、武功を立てたとされ、イスラムに占領されていたスペインを除き、ヨーロッパのほとんどすべての国々の諸侯が一枚岩となり陸路コンスタンチノープルを目指し、イスラム軍と勇敢に戦い、ヨーロッパおよびキリスト教文化をイスラムから守ったということを教えています。

〇最後に
 十字軍の派遣が途絶えると、東ローマ帝国はイスラムのオスマン・トルコに滅ぼされ、オスマン・トルコはバルカン半島を領有するようになり、ヨーロッパにおいてはオーストリーの神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)がイスラム勢力と対峙することとなり、オーストリーの首都ウィーンは2度にわたりオスマン・トルコに包囲されるものの、イスラムに対するヨーロッパの防波堤の役割を担って行くこととなります。このような対外的に厳しい状況の中で、ウィーンで音楽文化が花開いたということは、ウィーンの人々はかつてのローマ帝国の陽気なラテン文化の遺伝子を引き継いでおり、また他民族の人々が行き交う街の多様性の影響によるものかもしれません。

【音楽史年表より】
1843年2/11初演、ヴェルディ(29)、歌劇「第1回十字軍のロンバルディア人」
ミラノ・スカラ座で初演される。前年のナブッコの成功により、スカラ座支配人メレッリは新作オペラをヴェルディに委嘱する。当時のイタリアの愛国詩人トマッソ・グロッシの未完の長編叙事詩「第1回十字軍におけるロンバルド人」をテミストーレク・ソレーラが脚色した台本による。しかし、ヴェルディの新作がエルサレムの聖地を舞台とし、ステージ上で改宗と洗礼という宗教上の重要な儀式が行われると知ったオーストリア人でミラノ大主教のガイスルク枢機卿が宗教上の尊厳と社会の安寧秩序を乱すものとして作品を破棄すべく、支配人メレッリとソレーラ、それにヴェルディに出頭を命じた。ミラノの警視総監トッレザーニは強腰であったが、ミラノ市民は反オーストリア感情からヴェルディを強く支持した。イタリア人トッレザーニは第1幕でジゼルダの歌う「祈り」の冒頭の言葉の「アヴェ・マリア」を「サルヴェ・マリア」と訂正するという巧みな処置によって、この作品の初演の日を迎えることができた。第4幕で歌われる力強い合唱「おお、主よ、ふるさとの家々を」はナブッコの有名な合唱と共に人々の共感を得て広く愛唱された。(1)
1872年4/10初演、グリーグ(29)、戯曲「十字軍の王シグール・ヨルサルファル」のための音楽
ノルウェーの偉大な文豪ビョルンソンによる戯曲「十字軍の王シグール・ヨルサルファル」のための劇音楽として、クリスチャニア(現オスロ)の王立劇場でヨハン・ヘンヌムの指揮で初演される。第1回十字軍に参加し武功をたてたノルウェー王シグール1世の冒険物語による。この劇の上演のために、1872年に付随音楽の作曲がグリーグに依頼された。1892年に管弦楽用組曲Op.56として編曲される。(2)

【参考文献】
1.作曲家別名曲解説ライブラリー・ヴェルディ(音楽之友社)
2.作曲家別名曲解説ライブラリー・北欧の巨匠(グリーグ)(音楽之友社)

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