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音楽史年表記事編26.ベートーヴェンとドロテーア・フォン・エルトマン男爵夫人

 ベートーヴェンのピアノの弟子で最も演奏技術に秀でた演奏家はドロテーア・フォン・エルトマン男爵夫人です。生涯にわたってベートーヴェンを弾き続けたエルトマン男爵夫人によって、ウィーンではベートーヴェンのピアノ曲が忘れ去られることはありませんでした。
 フランクフルト出身のエルトマン男爵夫人は1798年にオーストリア陸軍の士官シュテファン・エルトマン男爵と結婚して、1803年にウィーンに来ましたが、グラーベン近くの音楽出版社ハスリンガーでベートーヴェンの楽譜を探していたところ、当のベートーヴェン自身と出会ったとされます。
 エルトマン男爵夫人は既にピアニストとして完成しており、その演奏は完ぺきだったとされ、彼女はベートーヴェンを自分の生涯の課題として長く演奏活動を続け、ベートーヴェンもその演奏に心から満足し、音楽の守護聖女になぞらえて「ドロテーア・ツェツィーリア」と呼んでいました。そして、1817年には軍人の夫に従ってウィーンを離れるエルトマン夫人に、夫人への献辞を添えてピアノ・ソナタ第28番イ長調OP.101を贈っています。

 エルトマン男爵夫人は1820年からイタリアのミラノに住んでいましたが、音楽シーズンごとにウィーンを訪れベートーヴェンのピアノ曲を演奏しています。彼女の演奏活動によりウィーンでは長くベートーヴェンのピアノ曲の演奏が続けられました。
 ベートーヴェンが亡くなった後の1831年に、ミラノのエルトマン男爵夫妻を訪問したメンデルスゾーンはエルトマン夫人から、幼い子供を亡くし悲嘆にくれる夫人にベートーヴェンが慰めの音楽を1時間以上も弾き続けた思い出を聞いています。(1)

【音楽史年表より】
1816年11月、ベートーヴェン(45)、ピアノ・ソナタ第28番イ長調Op.101
1816年5月に作曲が開始され、11月に完成したものと見られる。翌年の出版ではドロテア・フォン・エルトマン男爵夫人に献呈される。(2)
ロマン・ロランはこの曲を分析しながら、ベートーヴェンは4年の間に人間が変わってしまったと述べているが、特に第3楽章のアダージョでは、神と向き合いながら問いと答えをまさぐっているかのような深く静かな抒情性が支配している。この曲はシューマンに大きな影響を与えたもので、これによってベートーヴェンは音楽史上、ロマン主義への扉を開いたといってよいが、同時にこれは彼自身の後期様式への入口であるとも言える。(1)
【参考文献】
1.青木やよひ著・ベートーヴェンの生涯(平凡社)
2.ベートーヴェン事典(東京書籍)

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