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音楽史年表記事編46.ベートーヴェン、交響曲第6番ニ長調「田園」

 ベートーヴェンは1799年5月、親友ズメスカルの紹介でウィーンを訪れたズメスカルの従姉妹のテレーゼ・ブルンスヴィクとヨゼフィーネ・ブルンスヴィクにピアノのレッスンを行いました。そして、翌年4月末にはハンガリーを訪れ、マルトンヴァシャールのブルンスヴィク伯爵邸で過ごしています。ベートーヴェンは当主のフランツ・フォン・ブルンスヴィク伯爵とは手紙でSie(あなた)ではなくDu(おまえ)を使っていますが、これは親友のズメスカルの仲介により、ブルンスヴィク伯爵とはすぐに親しい関係になったからと思われます。
 ベートーヴェンのマルトンヴァシャール訪問は、ベートーヴェンにとって一つの転機となったように思われます。大自然を好むベートーヴェンにとって、マルトンヴァシャールは真の自然に囲まれた場所であり、宮殿の周囲には広大な農地や牧草地の他、森や池が点在していました。ベートーヴェンはこの時期以降、傑作の森と呼ばれる名作を次々と作曲して行きます。マルトンヴァシャールの大自然はまさに創作意欲を駆り立てる源泉となりました。

 ベートーヴェンは中期の3曲セットの交響曲の2番目の田園交響曲によって、ヨゼフィーネが生まれ育ったマルトンヴァシャールの大自然を描きます。そして、それぞれの楽章には標題が付けられています。3曲セットの交響曲の様式はハイドンによって始められました。ハイドンは第3曲の交響曲第8番ト長調「晩」の最終楽章に「嵐」という標題を付けています。ハイドンはエステルハージ家のパウル・アントン侯の所望により3曲の「朝」「昼」「晩」の交響曲を作曲しましたが、これはヴィヴァルディの「四季」からヒントを得て作曲されたもので、パウル・アントン侯は既にアムステルダムで出版されていたヴィヴァルディの「四季」を愛聴していました。「四季」にはそれぞれの楽章に標題が付けられていますので、ベートーヴェンの田園交響曲に付けられた標題は、ヴィヴァルディの標題を模したものとも言えます。
(第1楽章)田舎に到着したときの愉快な感情の目ざめ
(第2楽章)小川のほとりの情景
(第3楽章)田舎の人々の楽しい集い
(第4楽章)雷雨、嵐
(第5楽章)牧歌・嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち
 ベートーヴェンはこの田園交響曲を1808年ウィーン郊外のハイリゲンシュタットで作曲します。第2楽章の小川のほとりはハイリゲンシュタットの情景かもしれませんが、多くの田舎の情景はハンガリーのマルトンヴァシャールでの思い出によるものと考えられます。

【音楽史年表より】
1800年4月末~7月、ベートーヴェン(29)
ベートーヴェン、ハンガリーのブダペストへ旅してプントとホルン・ソナタ ヘ長調Op.17を共演し、その間に同地のブルンスヴィク伯爵家の客となって、若い当主で音楽好きのフランツや末妹のシャルロッテとも親交を結ぶ。(1)
1808年初秋作曲、ベートーヴェン(37)、交響曲第6番ヘ長調「田園」Op.68
1808年の初春から作曲が開始され、半年ほどで完成される。フランツ・ヨーゼフ・フォン・ロプコヴィッツ侯爵およびアンドレアス・ラズモフスキー伯爵に献呈される。この交響曲は主にウィーン郊外のハイリゲンシュタットで作曲が進められる。この作品にはベートーヴェンの交響曲で唯一の標題が記されている。この異例の標題についてベートーヴェン自身「シンフォニア・パストレッラあるいは田舎での生活の思い出、絵画描写というよりも感情の表出」と述べている。この言葉は初演時使用のバイオリンのパート譜に記された。(2)
12/22初演、ベートーヴェン(38)、交響曲第6番ヘ長調「田園」Op.68
ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場でのベートーヴェンの自主演奏会で初演される。(2)
【参考文献】
1.青木やよひ著・ベートーヴェンの生涯(平凡社)
2.ベートーヴェン事典(東京書籍)

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