音楽史・記事編154.モーツァルトのミサ曲・モテット創作史・・天上の音楽
宗教都市ザルツブルクに生まれたモーツァルトは、幼いころから亡くなるまでミサ曲やモテットなどの教会音楽を作曲し、これらは西洋音楽の伝統的な純正和声によって演奏されます。西洋音楽史において宗教音楽は最も重要な分野でありながら最も理解が難しく、私たちが日頃耳にする機会も少ない状況です。本編では宗教音楽史において最高傑作の作品を残したモーツァルトのミサ曲、モテットについて見て行きます。

〇宗教音楽理解の難しさ
日頃キリスト教となじみが薄い日本人にとって奥深い教義を理解することは難しく、またヨーロッパの人々にとっても宗教音楽が教会という限られた場で礼拝のために作曲されてきたという背景から、宗派が異なれば他の宗派のミサ曲やモテットを聴く機会はなく、バッハやモーツァルトによって教会のために作曲された名曲が一般に知られるようになるまで長い年月を要しています。モーツァルトは多くのミサ曲やモテットを作曲しているなかで現代でもいまだに知られていない名曲が数多くあるように思われます。幸いに現在ではユーチューブによってほとんどの作品を簡単に聴けるようになりました。例えばモーツァルトの宗教音楽の最高峰のミサ曲ハ短調K.427であれば「mozart k427」と入力し簡単に聴くことができますので、さまざまなソプラノ歌手の美しい歌唱でクレド第2曲の「精霊によりて」などをお楽しみください。
〇モーツァルトの創作におけるミサ曲、モテット
モーツァルトは35年の短い人生で、すべての音楽分野の作品を作曲しています。作品番号のケッヘルでは626曲、補遺が245番まであり、おそらく800曲を超える作品を残しています。これらの中には数分の作品もあればオペラ作品のように3時間に及ぶ作品も混在しており、分野別の作品創作割合をフィリップから出版されている180枚のCD版の作品全集で見ますと、1枚当たりの演奏時間が同じであると仮定すれば、宗教音楽は22枚で12%にあたり、ちなみにオペラ作品では45枚で25%になります。モーツァルトは9歳の時に、ロンドンで初めてのモテットを作曲し、11歳の時にはザルツブルクで初めてのオラトリオを作曲し、12歳の時にはウィーンで初めての本格的オペラブッファを作曲し、コンサート・アリアなどを含めれば全作品の半分近くを声楽作品の創作が占めています。ベートーヴェンが多くのピアノ・ソナタを作曲したあとに名作交響曲を創作したように、モーツァルトはミサ曲やモテット、さらにコンサート・アリアを作曲したあとに名作オペラを生み出しており、創作の中心が声楽であったことが伺えます。
〇西洋音楽史におけるモーツァルトの宗教音楽
キリスト教においてヒメヌスとよばれる賛歌が唱えられるようになったのは1世紀頃とされ、4世紀頃にはヨーロッパの各地にウィーン・グラーベンの聖ペーター教会のような聖堂が建設されるようになり、ローマのカトリックの総本山ではサン・ピエトロ寺院が建設され、カール大帝によってヨーロッパにフランク王国の勢力拡大に伴いアーヘンの大聖堂などの建設が進められ、この時期には聖堂ではキリストや聖母マリアを賛美するサンクトゥスとグローリアが叫ばれていたとされ、多くの賛歌が作曲されていたことが知られています。ルネサンス期には教会におけるミサ式次第が定められ、多くのミサ曲が作曲されるようになります。ローマ帝国は東西に分裂し、西ローマ帝国は滅亡するもののローマ・カトリック教会は強大な影響力を維持しヨーロッパ統合の要となり、バルカン半島とイベリア半島がイスラムに占領され、ルーマニアやロシアがフン族やモンゴルなどの遊牧民に占領される中、カトリック教会という宗教の力でギリシャ、ローマの西洋文明を守り抜き、その中で教会で歌われる賛歌やミサ曲はヨーロッパの人々にとっての大きな心の支えとなってきました。
カトリックの宗教音楽の伝統の中でモーツァルトは最高傑作を残すことになります。モーツァルトは戴冠式ミサ曲ハ長調K.317、モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618や「レクイエム」ニ短調K.626などの名曲を残します。特にヴェスペレ「証聖者の盛儀晩課」K.339の最後の詩篇やハ短調ミサ曲K.427のクレドの第2曲「エト・カルナートゥス・エスト(精霊によりて御からだを受け)」について、カルル・ド・ニ著・相良憲昭訳・モーツァルトの宗教音楽(1)によれば典礼音楽の最高峰とされ、次のように記載されています・・・ソプラノが合唱の上を飛翔しているような声は、この世のものとも思えないほどで、これこそすべての様式を超え、音楽の発展史の流れを超越した典礼音楽の最高峰の一つであり、永遠の完成品ともいうべき曲なのである。
〇三大ミサ曲とモーツァルトのハ短調ミサ曲・・・天上の音楽へ
一般に、セバスティアン・バッハのロ短調ミサ曲BWV232、モーツァルトのミサ曲ハ短調K.427、ベートーヴェンの荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)Op.123を3大ミサ曲と呼んでいますが、それぞれのミサ曲には異なる創作背景があります。バッハのロ短調ミサ曲はプロテスタントであるバッハがカトリックの典礼に基づき作曲したバッハの作品の中では異例の作品であり、領主であるバイエルン選帝侯がポーランド王でもあったことからカトリックに改宗したため、バッハはカトリックの典礼に基づいたミサ曲を献呈することを目的として作曲した、あるいはプロテスタント・ルター派はラテン語のカトリック典礼を否定することはなかったためバッハは宗派を越えた讃歌を作曲したともいわれています。また、ベートーヴェンの荘厳ミサ曲については西洋音楽の伝統の純正和声の次の時代の革新的な平均律に基づいた、多様化する和声によるロマン派の和声様式に基づいた新しいミサ曲であるという側面があります。一方、モーツァルトはキリスト教誕生以来1700年以上に及ぶキリスト教の歴史の中ではぐくまれてきた伝統的な賛歌の歴史、また純正音律によって作曲されてきた宗教音楽の歴史の中で最高峰の作品を創作し、その音楽はまさに神と音楽が融合した、音楽史において最も美しい天上の音楽を創り上げています。
〇ミサ典礼とモーツァルトのミサ曲
ここで、西洋音楽の根幹をなすミサ曲などの宗教音楽の理解をすこしでも高めるため、ミサ曲の典礼次第について見て行きます。また、参考にヴェスペレの典礼を添付します。ローマ・カトリック教会では1570年にミサに関する式次第がローマ・ミサ典書として定められ、ミサ曲においてはキリエ、グローリア、クレド・・・についてラテン語の通常文による歌詞によって作曲されるようになったとされます。死者のためのミサ曲であるレクイエムについてもミサ典礼を基本とし、グローリアは省略され、続唱のセクエンツィアが追加されています。また、モーツァルトは多くのモテットであるオッフェルトイウムや器楽曲の教会ソナタを作曲しています。オッフェルトリウムはミサにおいて、クレドのあとに追加で奉納唱として歌われ典礼の通常文ではない固有文で歌われ、ザルツブルクではオッフェルトリウムの前に器楽曲である教会ソナタが演奏されていたとされます(1)。教会ソナタはオルガンと小規模な弦楽あるいは管弦楽で演奏され、司祭が祭壇に昇るときに唱えられるグラドゥアーレ(昇階唱)のような位置付けであったようです。


【音楽史年表より】
1779年4/4日あるいは4/5初演、モーツァルト(23)、ミサ曲ハ長調「戴冠式ミサ」K.317
復活祭の折にザルツブルク大聖堂で初演される。最近ではほとんどの解説書がこの曲はマリア・ブラインではなくて、ザルツブルク大聖堂のために作曲されたとしている。しかし、大聖堂のオーケストラには通常ホルンがないのに、このミサ曲ではそれが用いられていることから、大聖堂のためという説に疑問を持つ研究者もいる。戴冠式の名のおこりは明らかにザルツブルク地方における、ある伝統に寄っていると考えられる。ザルツブルク北郊にあるバロック様式のマリア・プライン教会では、この土地からほど遠からぬバイエルン地方から、この教会に持ってこられた聖母マリアの画像が1744年に戴冠された。1751年にはローマ教皇がその冠を祝福した。この伝統によって、モーツァルトはこの教会のために、1779年の聖霊降臨後第5の主日のためにミサ曲を作曲したのである。なお、モーツァルトは終曲アニュス・ディにおけるソプラノのソロをほとんどそのまま「フィガロの結婚」の第3幕の伯爵夫人のアリア「美しき日はいずこ」に用いている。モーツァルトは伯爵夫人に、神の子羊(アニュス・ディ)である聖体を初めて拝領した汚れなき幼い日々を思い起こさせているのである。(1)
1780年3月作曲、モーツァルト(24)、ミサ・ソレムニス ハ長調K.337
モーツァルトがザルツブルクのために書いた最後のミサ曲。枝の主日(復活祭直前の日曜日)のためと推測される。18世紀末のウィーン宮廷礼拝堂の保存楽譜一覧によると、モーツァルトのミサ曲としてはこのK.337が第1位、K.317が第2位に位置づけられていた。 (3)
このミサ曲のアニュス・ディもソプラノのソロで始まるが、明らかに「フィガロの結婚」の伯爵夫人のアリア、第2幕の最初のカヴァティーナ「愛の神よ、御手を」を先取りしたものであることは疑いを容れない。オペラの中にもちいたことの意味はけっして瀆聖などではなく、むしろ「無益だった日々」を霊的に清めるという意味を持たせているのである。このことは劇中の伯爵夫人のおかれた状況を想い出し、また彼女によって歌われる歌詞を再読してみれば容易に理解できよう。この曲はモーツァルトの手になる最後のアニュス・ディであるが、これほど美しい終曲をもつミサ曲は他には存在しない。(1)
1783年10/26初演、モーツァルト(27)、ミサ曲ハ短調K.427
ザルツブルクの聖ペーター教会で初演される。2つのソプラノパートのうち1つは新妻のコンスタンツェ、もう1つはザルツブルク宮廷のソプラノ・カストラート歌手が受け持ち、モーツァルトの指揮のもと、聖ペーター教会合唱団および宮廷楽団の協力を得てこのミサが奉じられたことが、モーツァルトの姉ナンネルの日記から読み取れる。(3)
このミサは美しいソプラノの声をもっていたモーツァルトの妻のコンスタンツェに関係する奉納のミサであるから、第1ソプラノの独唱は彼女を念頭にいて書かれていることは間違いない。コンスタンツェ・モーツァルトの声楽や才能について確かな資料が残っている。(1)
1791年6/17初演、モーツァルト(35)、モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618
テキストは法王インノケンティウス6世ともいわれ、古くからミサにおけるテキストとして伝承されてきた。バーデン保養中の妻コンスタンツェの世話をしてくれた友人の合唱指揮者アントーン・シュトルへの答礼のために作曲され、贈呈された。(3)
シュトルは何年も前からヨーゼフ・ハイドンやモーツァルトの友人でもあった。ヒステリー症だったハイドンの妻はシュトルのところに身を寄せ、そこで死んだ。モーツァルトがアヴェ・ヴェルム・コルプスの初演のときに、自らバーデンの教会のオルガンを弾いたということもありえないことではない。おそらくこの初演は四重唱か小さな合唱と弦楽器の独奏者たちによって行われたのであろう。カール・ガイリンガーは「わずか46小節しかないこの曲の、このような限られたスペースの中に、古典主義の情熱と美しさをこれほど注ぎ込んだ人はかつてなかった・・・」と述べている。(1)
1791年7月~12/4作曲、モーツァルト(35)、レクイエム ニ短調K.626(未完)
ウィーンのフランツ・ヴァルゼック・フォン・シュトゥパハ伯爵からの作曲依頼による。ヴァルゼック伯爵は1791年2月の夫人の死に際し、それを弔うミサ曲レクイエムを自作と称して奉献することを思い立ち、モーツァルトはその代作者として指名される。(3)
【参考文献】
1.カルル・ド・ニ著、相良憲昭訳、モーツァルトの宗教音楽(白水社)
2.ブノワ、デュフルク、ガニュパン、ジェルマン共著、岡田朋子訳、西洋音楽史年表(白水社)
3.モーツァルト事典(東京書籍)
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