音楽史年表記事編55.伊仏英米における交響曲創作史

シンフォニーはイタリアのサンマルティーニによって始められましたが、前期古典派の作曲家によって、おびただしい数の交響曲が作曲されます。交響曲の作曲はドイツが中心となりますが、ここではフランスを中心に、イギリス、アメリカの創作史を見て行きます。イギリスではボイスがイタリアのシンフォニー様式の交響曲を作曲し、またフランスではゴセックがドイツのマインハイムとウィーンの様式を融合し交響曲を作曲します。モーツァルトは西方大旅行で、ロンドンのクリスティアン・バッハのイタリア様式の影響を受け初めての交響曲を作曲します。また、2度目のパリ訪問では、マンハイム楽派の音楽を学び、強弱法を使ったパリ交響曲ニ長調K.297を作曲しました。
ハイドンは生涯で104曲の交響曲を作曲しましたが、後期の23曲の交響曲はフランスのパリからの委嘱およびロンドンのザロモン演奏会のために作曲しています。ハイドンはパリの演奏団体のコンセール・ド・ラ・オランピックから6曲の交響曲の委嘱を受け1785年から86年に作曲し、その総譜をパリに送付しています。オランピック演奏会にはウィーン宮廷からフランス宮廷に嫁いだマリー・アントワネットが聴きに来ていましたので、おそらくフランス王妃のためにハイドンが作曲したものと思われます。交響曲第85番イ長調は「王妃」と呼ばれていますが、第2楽章の主題はマリー・アントワネットお気に入りのフランスのロマンスからとられたとされています。さらに、ハイドンはロンドンの興行師ザロモンに招かれ、2度にわたり訪英し12曲の交響曲を初演しています。いずれの交響曲もおなじみのものですが、最後のロンドン交響曲ではイギリス民謡「ロンドン橋」の「子どもが通る、大人が通る」の部分の主題を使っています。
ロマン派期のフランスでは個性的な作曲家が交響曲を作曲しています。ベリルオーズはベートーヴェンが亡くなってわずか3年後に幻想交響曲を作曲しています。ベルリオーズによってオーケストラはますます巨大化して行きます。オルガン奏者であったサン=サーンスは交響曲第3番ハ短調でオルガンとピアノを取り入れています。オルガンは純正律で響き渡りますので、この曲ではおそらくピアノも純正に調律されたのでしょう。バッハとベートーヴェンを研究したフランクは64歳という年齢で、交響曲ニ短調を作曲します。フランスに純粋音楽を復興されるという反骨精神の現れとされますが、フランス印象主義音楽がもてはやされる中、このような個性が傑作を生みだしました。
19世紀後半になりますと、多くの作曲家が新興国アメリカに招かれ交響曲などを演奏するようになります。その中で、ドボルザークはアメリカ・ニューヨークの音楽院に教授として招かれ、交響曲の傑作である交響曲第9番ホ短調「新世界から」をニューヨークのカーネギーホールで初演しました。この交響曲は、初演時から圧倒的な人気を博しています。
【音楽史年表より】
1830年12/5初演、ベルリオーズ(26)、幻想交響曲Op.14
パリ音楽院でベルリオーズの友人フランソワ・アブネックの指揮により初演される。リストもこの初演を聴く。ベルリオーズはこの作品を作曲する2年ほど前にベートーヴェンの交響曲を聴いて大きなショックを受けている。(1)(2)
のちに結婚することになるアイルランドの女優ハリエット・スミスソンへの思慕をベースに、ベルリオーズは5話からなる想話を創作して、これを5楽章の構成の交響曲にした。「夢、情熱」でのテンポの対比、「断頭台への行進」での特徴あるリズム、「魔女の夜宴の夢」でのまばゆいオーケストレーションなど、新しいアイデアにあふれた交響詩を予告する大作。終曲ではグレゴリオ聖歌の「怒りの日」を用いたテーマを含む3つのテーマを組み合わせ、終楽章では固定楽想がさまざまに変奏されて現れる。(3)
ベルリオーズはこの年のローマ大賞を受賞し、受賞に定められたローマへの音楽留学に旅立った。1845年、総譜がシュレージンジェル社から出版され、ロシア皇帝ニコライ1世に献呈される。(4)
1886年5/19初演、サン=サーンス(50)、交響曲第3番ハ短調「オルガン付き」Op.78
ロンドンのフィルハーモニー協会によって、作曲者自身の指揮で初演される。この交響曲はサン=サーンスの豊穣多岐な作品の中の最も傑作であり、かつ最もフランス的な完璧な音の建築として永久に残るものである。この曲には「フランツ・リストを記念して」と書かれている。この交響曲で注目すべきは第1楽章にフーガを採用していることである。彼がフーガを採用したことは完全にただ一つの主題による一箇の統一した世界を作ろうとする要求から生まれたようであって、この要求がさらに発展し、純化されて、ついに交響曲第3番に到達したと考えられる。(1)
1887年1/9初演、フランク(64)、交響曲ニ短調
1885年~86年に作曲され、87年1/9パリ音楽院で初演される。フランクは敬虔な態度でひざまずいて神へ近づこうとした。彼は静かにバッハとベートーヴェンを研究し、それを祖先として自己の音楽を築く。それはまさに世代の時流に対する無言のそして厳しい抗議である。真剣に音楽を考えている若い作曲家がフランクの周囲に集まり、それは衰亡に瀕していた古典主義的な純粋音楽をフランスに復興することを理想とした一派である。フランクはベルリオーズと同様に、時流に逆らった偉大な作曲家であった。(1)
【参考文献】
1.最新名曲解説全集(音楽之友社)
2.福田弥著・作曲家・人と作品シリーズ リスト(音楽之友社)
3.ブノワ他著・岡田朋子訳・西洋音楽史年表(白水社)
4.作曲家別名曲解説ライブラリー・ベルリオーズ(音楽之友社)
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