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音楽史・記事編170.ウィーン少年合唱団

 ウィーンの旧市街のドナウ運河の北にアウガルテンという広大な庭園があり、その一角にウィーン少年合唱団が寄宿しているアウガルテン宮殿があります。ウィーン少年合唱団の歴史は古く、音楽史のルネサンス中期にハプスブルク家からブルゴーニュ公国の妃の婿となったマクシミリアンによって宮廷礼拝堂の聖歌隊として生まれたとされます。この時期、フランドルではポリフォニーによる美しい和声の音楽が歌われており、ウィーン少年合唱団はフランドルの美しい和声を引き継いでいます。

〇ウィーン少年合唱団の歴史・・・美しい歌声の源
 マクシミリアンの時代、ブルゴーニュ公国はフランス南東部のブルゴーニュ、ドイツ・フランス国境のロートリンゲン(ロレーヌ)、現在のベルギー、オランダのフランドルを領有する広大な領地を持っていました。イタリアのフィレンツェでルネサンスが起ったころ、フランドルではイギリスから3度と6度の和声が伝わり、それまでの5度と4度の和声に加え、グレゴリオ聖歌の時代のギリシャ音律に代わり不純な和声をまったく含まない純正音律によって音楽が作られるようになったようで、デュファイなどのフランドル楽派によって美しい和声によるポリフォニー音楽が作曲されるようになっています。ここで調律史に触れておきます・・・ギリシャ音律ではオクターヴ、5度、4度を純正にして音階を形成していますが、純正律では3度、6度も純正にし、全音は9:8の大全音と9:10の小全音を組み合わせて音階を形成します。このように純正率の調律は難解かつ困難でしかも調性が変わるごとに調律することが必要があり、実用的な調律法とは言い難く、さまざまな純正律の調性に対応できる楽器は、数千本のパイプで構成されるパイプオルガンに限られます。ルネサンス中期ころまで、さまざまな調律法が試され中全音律といわれる調律法が現れ、古典派期のハイドン、モーツァルトの時代まで広く一般的に使用されたとみられます。中全音律では3度を純正とし、5度を若干狭くし、全音を大全音と小全音の間にとる調律法で、美しい3度の和声が得られ、3度以外の和声は気にならない程度のうなりがあるものの、一番の利点は限られた範囲での転調が可能という点にあるようです。
 合唱に戻りますが、声楽では変声期前の少年の歌声が最も美しいとされ、教会では変声前の少年たちが聖歌を歌っていたと思われ、この伝統はイタリアにも受け継がれ、バロック期にイタリアで始まったオペラでは、声変わりがしないように去勢して成人したカストラートと呼ばれる男性歌手たちが活躍するようになります。
 ハプスブルク家のマクシミリアンがブルゴーニュ公国に婿入りする前、ブルゴーニュ公国は男系が途絶え公女マリーがただ一人が残されることとなり、ブルゴーニュ公はフランスとプロイセンの影響力から逃れるためか、ハプスブルク家のマクシミリアンを許婚としていました。ブルゴーニュ公が亡くなるとブルゴーニュ継承戦争が勃発し、ブルゴーニュ公女マリーはマクシミリアンに助けを求め、マクシミリアンはブルゴーニュを守るためはるばるウィーンからかけつけます。フランドルに到着したマクシミリアンはマリーと結婚しフランドルを継承しますが、フランス南東部のブルゴーニュはフランスに併合されることとなります。
 したがって、ウィーン少年合唱団はフランドルの地で誕生したということになります。やがて、マクシミリアンは神聖ローマ皇帝となりますが、フランドルにとどまっていたようで、孫のカールはフランドルで皇帝カール5世となっています。カールはハプスブルク家とスペイン王家との二重結婚によりスペイン王となり、神聖ローマ皇帝位につき、日の沈まぬ世界帝国の皇帝として君臨することとなるものの、40年後ハプスブルク家はオーストリア・ハプスブルク家とスペイン・ハプスブルク家に分裂することとなります。皇帝カール5世の人生は、ルターによる宗教改革の勃発などによる戦乱に明け暮れヨーロッパ各地を転戦したようですが、少年聖歌隊を同行させていたとされます。神聖ローマ帝国はオーストリア・ハプスブルク家を相続したフェルディナンド1世が皇帝位に即位し、ハプスブルク家の聖歌隊はウィーンに拠点に定めたものと見られます。

〇ウィーン少年合唱団の活動と美しい和声の実現
 ウィーン少年合唱団は宮廷礼拝堂の聖歌隊という歴史から、現在でも毎週王宮の礼拝堂での聖歌の合唱演奏を行っており、またウィーン国立歌劇場やフォルクス・オパーでのモーツァルトの歌劇「魔笛」の3人の童子役など、オペラでの子役に出演しており、マーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」の児童合唱などにも出演し、日本や世界各地での演奏会も年間80回程度行われているようです。礼拝堂における聖歌はパイプオルガン伴奏で行われ、ルネサンス以来の純正音律の美しい和声で歌われます。パイプオルガンは中世の教会旋法も含めあらゆる調律法に対応できるため、純正な音律によって伴奏を行うことができます。バッハによって平均率で調律することなく24すべての調整で演奏することが可能であることが実証され、ベートーヴェン以降は当時一般的に普及していた平均率のピアノによる作曲が行われるようになりました。しかし、ベートーヴェンも3度の和声の美しさを否定したわけではなく、和声の多様化のなかで純正でない3度の和声をも、音楽での情感や激情を表現するために利用しているように思え、声楽やオーケストラ、室内楽など現代でも、特にドミソの主和音が現れた時などは基本的にうなりのない純正な和声で演奏されます。ここで問題となるのは平均律によって調律されるピアノの伴奏における声楽の歌い方です。平均率では純正な主和音の和声は得られませんので、合唱などの歌い手は美しい和声を響かせようとするとき、バロック時代の通奏低音のように歌い手が伴奏の音程に合わせることができず、歌い手自らが純正和声を響かせることが必要となります。純正音律で訓練されているウィーン少年合唱団はこの問題にどのように対応しているのか・・・おそらくウィーンでの合唱時にはピアノであっても中全音律によって調律されているピアノを使用している可能性があり、あるいは純正なパイプオルガンを使用しているのか・・・日本などの海外公演では平均率のピアノを使用してると見られ、伴奏編曲は工夫を凝らされ、ピアノ伴奏が美しい和声の邪魔にならないように、ピアノ伴奏はオブリガートのように控えめに演奏しているように見えます。
 日本でも合唱団や吹奏楽の練習訓練において、美しい和声を響かせるために電子機器のハーモニーディレクターなどが使用されています。近年の電子楽器の発達はめざましく、AI技術の応用によって音楽における調性の自動判別や主和音の純正化ができる伴奏機器が現れれば、合唱の演奏でいつも伴奏の音律によって音程を合わせることができるようになり、美しいハーモニーの実現がたやすくなるように期待でき、合唱曲の選曲においてもルネサンス期から古典派期の多くの名曲の演奏も可能になり、モーツァルトの合唱の名曲「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618などが合唱曲として選ばれ、西洋音楽の伝統の美しい純正音律の合唱や声楽の美しさに身近に触れられるように思われます。

【音楽史年表より】
1791年6/17作曲、モーツァルト(35)、モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618
テキストは法王インノケンティウス6世ともいわれ、古くからミサにおけるテキストとして伝承されてきた。バーデン保養中の妻コンスタンツェの世話をしてくれた友人の合唱指揮者アントーン・シュトルへの答礼のために作曲され、贈呈された。自筆譜はウィーン国立図書館に所蔵される。(1)
シュトルは何年も前からヨーゼフ・ハイドンやモーツァルトの友人でもあった。モーツァルトはシュトルに自分の教会音楽の楽譜を貸したり、ミヒャエル・ハイドンの教会音楽の楽譜を手に入れてやっただけではなく、村の小さな教会でシュトルが聖歌隊を指揮していると、これに加わったりもしていた。モーツァルトがアヴェ・ヴェルム・コルプスの初演のときに、自らバーデンの教会のオルガンを弾いたということもありえないことではない。おそらくこの初演は四重唱か小さな合唱と弦楽器の独奏者たちによって行われたのであろう。カール・ガイリンガーは「わずか46小節しかないこの曲の、このような限られたスペースの中に、古典主義の情熱と美しさをこれほど注ぎ込んだ人はかつてなかった・・・」と述べている。(2)

【参考文献】
1.モーツァルト事典(東京書籍)
2.カルル・ド・ニ著、相良憲昭訳・モーツァルトの宗教音楽(白水社)

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