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音楽史年表記事編36.ベートーヴェン・交響曲第2番ニ長調とジュリエッタ

 ベートーヴェンはウィーンで多くの弟子にピアノを教えていましたが、1899年に姉のテレーゼとともにウィーンに来てダイム伯爵と結婚したヨゼフィーネには結婚後もピアノを教え続け、毎週ダイム邸では音楽会が催されベートーヴェンはピアノ演奏を行っていました。この音楽会に登場したのがヨゼフィーネの従妹であり、イタリア・トリエステ生まれの17歳の美少女ジュリエッタです。ベートーヴェンはジュリエッタにもピアノを教えますが、たちまちこの美少女に魅了されます。ベートーヴェンはジュリエッタから贈られた手のひらサイズの象牙の肖像画を生涯秘蔵していましたが、このような肖像画が贈られるほど二人の仲は深まります。ジュリエッタはベートーヴェンが初めて結婚を考えた女性とされます。

 ベートーヴェンはジュリエッタに月光ソナタ嬰ハ短調Op.27の2を贈り、交響曲第2番ニ長調Op.36をジュリエッタのために作曲したものと思われます。第2交響曲はイタリアの陽光が燦燦と降り注ぐように喜びにあふれ、またジュリエッタの闊達でコケットな性格が現れています。しかし、二人の恋は実りませんでした。ジュリエッタは若い貴族のガルレンベルクと結婚します。おそらく、貴族と平民という身分差が影響したものと見られます。ベートーヴェンは晩年シントラーに対し、経済力のないガルレンベルクと結婚したジュリエッタは1年も経たないうちに、ベートーヴェンに泣きついてきたが、これをはねつけたと言っています。
 1803年、ベートーヴェンはジュリエッタのための交響曲第2番を初演し、壮大なフィナーレを持つ英雄交響曲の作曲に取りかかります。ベートーヴェンは交響曲第1番を作曲していてときから、3曲の交響曲を壮大なフィナーレで締めくくりたいと考えていたようで、ドイツ・ライン地方の思い出の交響曲、イタリア・トリエステ生まれのジュリエッタのための交響曲、そしてフランスの革命児ナポレオンのための壮大な交響曲を考えたように見られます。

【音楽史年表より】
1801年作曲、ベートーヴェン(30)、ピアノ・ソナタ第14番「幻想曲風ソナタ」嬰ハ短調「月光」Op.27-2
自筆のスケッチの終楽章に1801年の記載があり、1801年の作曲と思われる。1802年3月の出版ではジュリエッタ・グイッチャルディに献呈される。前作変ホ長調ソナタと同様に3つの楽章は連続して演奏される。この作品は本来あるべき4楽章ソナタの第1楽章を欠き、緩徐楽章-スケルツォ-フィナーレで構成される。(1)
故ブルンスヴィク伯爵アントンの妹とイタリアのグイッチャルディ伯爵との間に生まれたジュリエッタは従姉たちとは性格がまるで違っていた。当時16歳前後だったが、すでに人目をひく美貌の持ち主で、ベートーヴェンに弟子入りした彼女は他の従姉たちにおくれをとるまいと、憧れの若い巨匠に対して積極的に自分をアピールしたようだ。(2)
1802年秋作曲、ベートーヴェン(31)、交響曲第2番ニ長調Op.36
約半年に及ぶハイリゲンシュタット滞在中に筆を進め、10月下旬にウィーンに戻り、秋のうちに全曲を完成する。自筆譜は一時期弟子のフェルディナント・リースが作曲者から贈られたものとして所有していたが、現在は消失している。(1)
1803年4/5初演、ベートーヴェン(32)、交響曲第2番ニ長調Op.36
アン・デア・ヴィーン劇場における自主演奏会で初演される。曲はカール・リヒノフスキー侯爵に献呈される。初演日のプログラムは完成されたばかりのオラトリオ「オリーヴ山上のキリスト」Op.85、交響曲第1番ハ長調Op.21、ピアノ協奏曲第3番ハ短調Op.37とこの新作のニ長調交響曲であり、交響曲第1番以外の3曲はいずれも公開初演された。(1)
【参考文献】
1.ベートーヴェン事典(東京書籍)
2.青木やよひ著・決定版ベートーヴェン「不滅の恋人」の探求(平凡社)

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