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音楽史・記事編156.モーツァルトのオペラ創作史・・純正律声楽曲の最後の輝き

 ハイドンの104曲の交響曲はルネサンス期以来の伝統の純正律音律による音楽の最後の輝きとなりましたが、モーツァルトの17曲のオペラは声楽分野の純正律音楽の最後の輝きとなったように思えます。日本ではハイドンやモーツァルト、それ以前の作曲家による純正律あるいは中全音律で演奏されていた音楽はなじみの薄いものとなっているように感じられますが、ルネサンス以来の純正な長3度の和声の美しさは西洋音楽の源であり、本編では声楽分野で伝統の純正律音楽の最高峰を極めたモーツァルトのオペラの創作史を見て行きます。

〇音楽史における純正律声楽曲の最後の輝き
 モーツァルトは幼い時からオルガン伴奏の教会ミサ曲を多く作曲しており、これらは純正音律で演奏されていました。音楽史ではルネサンス期の初期からフランドルでは純正和声によるポリフォニー音楽が作曲されて以来、特に長3度の和声は最も美しいものとして400年に及ぶ西洋音楽の歴史において中心的和声として親しまれてきています。モーツァルトの時代、クラヴィーアの普及とともに新しい調律法として平均律が普及しつつあるなかで、モーツァルトはルネサンス以来の伝統的な純正律あるいは中全音律による声楽分野では最高峰となる17曲のオペラ作品を残しています。特にモーツァルトがウィーンに来てから作曲したジングシュピールの「後宮からの誘拐」、オペラブッファの「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」、そしてジングシュピールの「魔笛」は5大オペラとして親しまれています。さらに、最近ではオペラセリアの「イドメネオ」と「皇帝ティートの慈悲」も秀作として見直されています。ベートーヴェン以降和声は多様化し、さまざまな和声を駆使して感情表現を行うようになって行きますので、美しい主和音の和声に満ち溢れたモーツァルトのオペラは声楽分野でのルネサンス以降の純正律音楽の最後の輝きとなったように思われます。

〇モーツァルト、イタリアオペラのセリア、ブッファの分野で最高傑作を残す

 モーツァルトは1768年ウィーン王宮を訪問し、皇帝ヨーゼフ2世と3時間にわたり懇談しています。おそらく話の内容はフランス、イギリスの訪問、特にロンドンではクリスティアン・バッハや歌手のマンツォーリからイタリア音楽を学んだことなどと思われ、一方のヨーゼフ2世からは啓蒙主義的な合理的な考えから優れた音楽を作曲すればそれに見合う報酬が支払われるべきといった話があったと思われ、おそらくモーツァルトに優れたオペラを作曲すればそれに見合う報酬を支払しようという実質的にはオペラ委嘱の話があったものと考えられます。モーツァルトは3ヶ月にわたってオペラブッファ「ラ・フィンタ・センプリーチェ」の作曲に没頭し完成させるものの、上演には至らずこのオペラはザルツブルクで初演されたものと見られます。なぜこのオペラがウィーンで上演できなかったのか・・・おそらく何らかの妨害が行われたものと見られます。
【参考】25.モーツァルト、ウィーンで初めてのオペラを作曲する
 自らモーツァルトのオペラの初演日を決めたにもかかわらず上演がかなわなかったことから皇帝ヨーゼフ2世はオペラの代わりに、モーツァルトにはウィーンの孤児院の新しい聖堂の献堂式のためのミサ曲を委嘱し、この献堂式には皇帝自身と大公フェルディナンド、大公マクシミリアンとともに臨席し、モーツァルトの音楽に大きな感動を得たようです。
【参考】27.モーツァルトの出世作・孤児院ミサ曲ハ短調K.139
 大公フェルディナンドはイタリアのロンバルディア総督としてミラノに赴任し、イタリアを訪問したモーツァルトにオペラを委嘱しています。大公フェルディナンドはモーツァルトの才能を認め雇い入れようとしますが、モーツァルトと父親のレオポルトに反感を持つ女帝マリア・テレジアに反対され断念します。
【参考】38.モーツァルト、ミラノで婚礼祝典オペラを上演する
 この頃のモーツァルトはイタリアのバロックオペラ伝統のカストラート歌手主導の曲作りを行っており、歌手の意向に沿ったアリアを作曲しています。グルックは歌手主導の歌劇から作曲家主導の歌劇、すなわち作曲家が歌手に会わせて作曲するのではなく作曲家が作曲した曲に合わせて歌手が歌うべきとするオペラ改革を行い、モーツァルトがグルックのオペラ改革を実践するようになるのはウィーンに移ってからになったように見られます。モーツァルトはミュンヘン宮廷のためにオペラブッファ「偽りの女庭師」とオペラセリア「イドメネオ」を作曲しています。これらも皇帝ヨーゼフ2世の意向によってモーツァルトが作曲したものと見られ、歌劇「イドメネオ」は合唱を多用し、音楽史のオペラセリアの分野の最高峰となる作品となっています。
【参考】71.モーツァルト、歌劇「イドメネオ」
 ウィーンでモーツァルトはイタリア人の台本作家ダ・ポンテと出会い、音楽史に残るブッファの傑作を作曲します。モーツァルトがダ・ポンテと組んで作曲した3部作「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」はオペラブッファの最高峰であり、筆者にとっては音楽の楽しみの半分はこれらのオペラにあるといってもいいほどです。オペラでは人間の喜びや悲しみ、愛情や苦しみ、嫉妬や怒りなどあらゆる情感がアリアで歌われ、モーツァルトほど人間の情感を生き生きと表現した作曲家はいないといわれています。
【参考】
75.モーツァルト、歌劇「フィガロの結婚」(1)自由・平等・博愛
76.モーツァルト、歌劇「フィガロの結婚」(2)聖母マリアへの信仰

〇モーツァルト、ドイツ語ジングシュピールを確立し、最高傑作「魔笛」を作曲
 ドイツ語のオペラであるジングシュピールは、オペラとして発展してきたというより、モーツァルトの歌劇「魔笛」の台本を書いたシカネーダーのように娯楽のためにドイツ各地を巡っていた劇団によるドイツ語劇として上演されてきたようで、ヘンデルの時代のイギリスのバラッドオペラである「乞食オペラ」のドイツ語翻訳上演やフランスのオペラ・コミックのドイツ語上演に起源があるようです。モーツァルトがウィーンに定住した時期は皇帝ヨーゼフ2世の改革の時代であり、ヨーゼフ2世はそれまで敵対していたプロイセン王フリードリヒ2世と講和しヨーゼフ2世はドイツ語によるオペラの上演のためにモーツァルトにオペラ「後宮からの誘拐」を委嘱したものと見られます。モーツァルトの「後宮からの誘拐」はドイツ語ジングシュピールの分野では初めての本格的オペラとなり、モーツァルト存命中最も上演回数の多い歌劇となり当時はモーツァルトの代表作とされていたようです。
【参考】73.モーツァルト、歌劇「後宮からの誘拐」
 モーツァルトはザルツブルクで旅回りの一座のシカネーダーに出会い、シカネーダーはその後ウィーンのヴィーデン劇場の支配人となり一般民衆向けのドイツ語劇などを上演していたようです。そして、モーツァルトの妻コンスタンツェの一番上の姉のヨゼファーがシカネーダー一座のバイオリン奏者のホーファーと結婚していたことから、ウィーンでもモーツァルトとシカネーダーの交流があったようです。ウィーンではイタリアオペラを中心に創作を行っていたモーツァルトですが、皇帝ヨーゼフ2世が亡くなり後ろ盾を無くしていたモーツァルトはシカネーダーから民衆向けのドイツ語オペラの作曲を依頼され、こうしてドイツ語ジングシュピールの最高峰となる歌劇「魔笛」が誕生します。モーツァルトは「魔笛」の初演を見届け亡くなりますが、その後「魔笛」はウィーンで大ヒットとなり10年にわたり異例のロングラン公演が続けられます。ボンからウィーンに移ったベートーヴェンも早速ヴィーデン劇場でモーツァルトの「魔笛」を見たものと思われ、ベートーヴェンはモーツァルトがハイドンのために作曲した6曲の弦楽四重奏曲とともに歌劇「魔笛」をモーツァルトの最高傑作と述べています。
【参考】
89.モーツァルトの歌劇「魔笛」(1)シカネーダーと庶民のオペラ
90.モーツァルトの歌劇「魔笛」(2)バッハの音楽
91.モーツァルトの歌劇「魔笛」(3)闇から光へ

〇モーツァルト、凄まじい怒りの大アリアを作曲
 モーツァルトはオペラにおいて、「フィガロの結婚」のケルビーノのアリアやロジーナとスザンナの手紙の二重唱などの美しいアリアを残している一方で、怒りの大アリアを残しており、これらはモーツァルトのオペラのハイライトともなっています。1781年ミュンヘンで初演した歌劇「イドメネオ」ではフィナーレの前でエレットラが女の怒りを大爆発させます。これほどの怒りの音楽は音楽史において画期的であり他には見当たりません。さらに、ウィーンに移ったモーツァルトはドイツ語のジングシュピール「後宮からの誘拐」でコンスタンツェの大アリア「どんな拷問が待っていようと」を作曲し、あまりの迫力に初演時には臨席した皇帝ヨーゼフ2世に「モーツァルト君、すこし音符が多すぎるようだね」と言わせるほどでした(73.歌劇「後宮からの誘拐」参照)。
 さらにオペラ「ドン・ジョバンニ」ではドンナ・エルヴィーラの女の怒りのアリアを、オペラ「コシ・ファン・トゥッテ」ではフィオルディリージが怒りのアリアを歌い、極めつけはジングシュピール「魔笛」の夜の女王の怒りのアリアです。夜の女王の怒りは最高潮に達しコロラトゥーラの最高音の音域を超えるほどです。モーツァルトは妻のコンスタンツェと姉のアロイジアの歌唱力から妻の一番上の姉のヨゼファーのコロラトゥーラを確信し、シカネーダー一座でソプラノを歌っていたヨゼファーに夜の女王の役を与えています。ベートーヴェンは交響曲において壮大なフィナーレを残しているように、モーツァルトはオペラにおいてベートーヴェンに負けないくらいの壮大な音楽を残しており、美しい旋律のアリアとともに、コロラトゥーラの大アリアはモーツァルトのオペラの魅力となっています。

〇モーツァルトのオペラがロマン派のフランス・グランドオペラ、イタリア・グランドオペラ、ドイツ・ロマンオペラの基礎を築く

 モーツァルトのオペラは後のロマン派のオペラに多大な影響を与えており、モーツァルトのオペラがロマン派のグランド・オペラやロマン・オペラの源となったようにも思われます。ドイツオペラではベートーヴェンの「フィデリオ」やモーツァルトの妻コンスタンツェの従兄にあたるカール・マリア・フォン・ウェーバーの「魔弾の射手」は明らかにモーツァルトの「魔笛」の影響を受けて作曲されたものと見られ、イタリアオペラでもロッシーニはモーツァルトの「フィガロの結婚」をオペラ作曲法の教材として徹底して研究を行っており、モーツァルトに学んだロッシーニはヨーロッパの歌劇場を席巻する作品を残しています。さらにロッシーニはフランスへ渡り「ギョーム・テル(ウィリアム・テル)」を作曲し、フランスのグランド・オペラを創始し、イタリアにおいてもドニゼッティやベッリーニを経て、ヴェルディ、プッチーニのイタリア・グランドオペラが生まれています。フランス・グランドオペラの影響を受けたドイツのワーグナーはベートーヴェンの圧倒的な管弦楽法を取り入れ独自のオペラ作品を創作し、オペラ芸術を叙事詩と音楽を一体化し、すなわち演劇芸術と音楽芸術を融合した楽劇にまで高め、4夜にわたって上演される楽劇「ニーベルングの指輪」を作曲しています。ワーグナーの楽劇に影響を受けたリヒャルト・シュトラウスはいくつかの楽劇を作曲した後はモーツァルトに回帰し、「フィガロの結婚」のオマージュともいえる名作「バラの騎士」を、「魔笛」のオマージュである「影のない女」を作曲しています。このようにロマン派のフランス・グランドオペラ、イタリア・グランドオペラ、ドイツ・ロマンオペラはいずれもモーツァルトのオペラを起源としており、モーツァルトはグルック、メタスタージョ、ハイドンのオペラ改革を実践しあらゆる分野の最高峰のオペラを作曲した真の改革者であったといえます。

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