音楽史年表記事編22.モーツァルト、ロンドンで初めての交響曲を作曲する
1764年4月、モーツァルト一家はロンドンに到着し、早速王宮を訪問しイギリス国王ジョージ3世に謁見し、国王からは丁重にもてなされます。また、ロンドン在住のクリスティアン・バッハを紹介され、クリスティアン・バッハからはイタリア様式の音楽を学びました。
モーツァルトは年末にかけて初めての交響曲第1番変ホ長調K.16を作曲しますが、この曲にはモーツァルト最後のジュピター交響曲のドレファミのジュピターの主題が現れます。E・F・シュミットも指摘していますが、ジュピターの主題はハイドンが1763年に作曲した交響曲第13番ニ長調に現れていますので、モーツァルトがこの主題を使った可能性は否定できません。モーツァルトはパリでパリ・ソナタK.6とK.7を出版していますが、この出版社ではすでにハイドンの交響曲の出版が行われており、ここでモーツァルトがハイドンの交響曲第13番の楽譜を見た可能性もあります。また、ザルツブルクではヨーゼフ・ハイドンの実弟のミヒャエル・ハイドンが楽士として仕えていましたので、ミヒャエル・ハイドンを通してヨーゼフ・ハイドンの交響曲第13番を知った可能性もあります。ジュピターの主題はグレゴリア聖歌に現れる主題とされますが、フランスでは長くグレゴリオ聖歌の主題を使った作曲が行われていたといわれていますので、フランスでグレゴリオ聖歌の主題を知った可能性もあります。
いずれにしても、モーツァルトはその後もこの主題を使った作曲を行いました。モーツァルト20歳の1776年末から77年初めには、ミサ曲ハ長調「クレード・ミサ」K.257を作曲、モーツァルト29歳の1785年12/12にはバイオリン・ソナタ変ホ長調K.481を作曲し、いずれもジュピターの主題が登場します。
また、クリスティアン・バッハはイタリアのミラノで、マルティーニ師からフックスの対位法を学んでいますので、おそらくモーツァルトにマルティーニ師を紹介したと思われます。

【音楽史年表より】
1763年8月から12月作曲、ハイドン(31)、交響曲第13番ニ長調Hob.Ⅰ-13
第4楽章にモーツァルトのジュピターの主題「ドレファミ」が現れ、対位法的展開が行われる。緩徐楽章ではチェロの独奏。ドレファミの主題はグレゴリオ聖歌に現れるもので、当時グレゴリオ聖歌の主題の使用は一般的に行われていた。(4)
1764年4/12、モーツァルト(8)
モーツァルト一家、ロンドンに到着する。(1)
4/27、モーツァルト(8)
モーツァルト一家は王宮に赴き、国王ジョージ3世に謁見する。父レオポルトは国王夫妻の親切な人柄と宮廷での丁重なもてなしについて、手紙で伝えている。(1)
6/5、モーツァルト(8)
モーツァルト姉弟が出演する最初の公開演奏会が開かれ、神童をひと目見ようと多くの聴衆がつめかける。(1)
8月初旬9月末、モーツァルト(8)
モーツアルトの父レオポルトが重病にかかりチェルシーで療養する。(1)
1764年末作曲、モーツァルト(8)、交響曲第1番変ホ長調K.16
イギリスを訪れたモーツァルトは当時ロンドンで活躍していた共にドイツ人のカール・フリードリヒ・アーベルと大バッハの末子ヨハン・クリスティアン・バッハの影響を受けさっそくこのロンドンで、クリスティアン・バッハの交響曲を手本に初めて交響曲の作曲を試みるという、彼の創作活動において重要な成果をもたらした。(2)
緩徐楽章にはモーツァルトが最後のジュピター交響曲のフィナーレで用いたドレファミの動機がホルンで強調されて使われている。しかも、ハイドンは前年1763年に、同じ動機を用いた軽妙なフィナーレを持つ交響曲第13番を作曲している。この当時ハイドンの作品はパリではとくに人気があって、早くて1764年の1月か3月にはラ・シュヴァディエール社とヴニエ社からはじめて彼の曲のいくつかが出版されているから、少年モーツァルトが1764年にパリに滞在したときにこの交響曲の楽譜を見たと推定しても、まったく理にかなわぬというほどではない。しかも、1764年1月にはモーツァルトの曲のいくつかがハイドンとおなじところで印刷されている。2人の巨匠が交わるもう一つの点は、ハイドンの弟ミヒャエルである。ミヒャエルはこれより少し前の1762年、ザルツブルク宮廷楽団の指揮者に任ぜられており、この地位にあって兄の曲をかなりこの地方の音楽界に親しみあるものにしたであろうことは明らかである。(3)
1776年末から77年初め作曲、モーツァルト(20)、ミサ曲ハ長調「クレード・ミサ」K.257
1776年11/17にザルツブルク大聖堂で演奏されたシュパウア・メッセの可能性がある。サンクトゥスにドレファミの主題(ジュピターの主題)が用いられ、小クレード・ミサK.192に対し、大クレード・ミサと呼ばれる。(1)
1785年12/12作曲、モーツァルト(29)、バイオリン・ソナタ変ホ長調K.481
第1楽章にジュピター交響曲フィナーレのモチーフ(ドレファミ)が現れる。このソナタは献呈の辞こそないが、1786年8月にドナウエッシンゲンのフェルステンベルク侯がモーツァルトの最新作というふれこみを嘘と知りながら買ってくれた作品の一つである。(2)
1788年8/10作曲、モーツァルト(32)、交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551
終楽章にはフーガが用いられているが対位法的様式は特筆に値する。フーガの技法を十分に駆使し、ホモフォニーとポリフォニーの両社の完全な融合をはかっているといわれる。また、ザスローは「ハイドンはこの曲に敬意を表して交響曲第98番変ロ長調の緩徐楽章、第95番ハ短調のフィナーレにモデルとして投影している」と述べている。曲はモーツァルトの死後1793年にモーツァルトの妻コンスタンツェによって、パート譜としてJ・アンドレ社から出版されている。(1)
【参考文献】
1.モーツァルト事典(東京書籍)
2.作曲家別名曲解説ライブラリー・モーツァルトより(音楽之友社)
3.ラング編・国安洋・吉田泰輔共訳・モーツァルトの創作の世界、E・F・シュミット著、モーツァルトとハイドン(音楽之友社)
4.中野博詞著・ハイドン交響曲(春秋社)
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