音楽史・記事編175.ブレンターノ家の人々とゲーテ、ベートーヴェン、マーラー
フランクフルトの豪商ブレンターノ家に後妻として嫁いだマクシミリアーネは文豪ゲーテの作家仲間の閨秀作家ラ・ロッシュの娘であり、マクシミリアーネの息子のクレメンスはドイツの文学者・小説家・詩人となり、娘のベッティーナはやはり女流作家となり、ブレンターノ家の家族はドイツ文学の巨匠ゲーテと深くかかわり、またベッティーナはウィーンを訪問した折にベートーヴェンを訪問しベートーヴェンの音楽に対する考えに感服し、ゲーテにベートーヴェンの思想を伝えるなどゲーテとの間を取り持っています。クレメンスはベッティーナの夫となったアヒム・フォン・アルニムとともにドイツの民話をもとにした「少年の不思議な角笛」を編纂し、マーラーの創作に大きく関わるなど、ドイツの文学、音楽にさまざまに関わりました。本編ではブレンターノ家の人々を中心にゲーテ、ベートーヴェン、マーラーとの関わりについて見てゆきます。

〇ゲーテの「若きウェルテルの悩み」とブレンターノ家の人々
フランクフルトに生まれたゲーテが作家としてデビューした書簡体小説「若きウェルテルの悩み」が出版されたのは1774年24歳の時でした。ライプツィヒ大学、シュトラスブルク大学で法学を学んだゲーテは1771年に帰郷し、ヴェッツラーの最高裁判所で5ヶ月間の法律実務研修を受けますが、その折にシャルロッテ・ブッフに恋心を抱いたもののブッフには婚約者がいたためゲーテは傷心を抱いたままヴェッツラーを後にします。このヴェッツラーでの体験が「若きウェルテルの悩み」の第1部の基調となっています。傷心のゲーテは帰途、エーレンブライトシュタインの女流作家ラ・ロッシュのもとを訪ねますが、たちまちのうちに娘のマクシミリアーネに恋心を抱きます。しかし、マクシミリアーネとの恋は成就せず、マクシミリアーネはフランクフルトの豪商ブレンターノ家の後妻として嫁ぎ、ゲーテはブレンターノ家で先妻の子供たちともたちどころに馴染みますが、後半の第2部のモデルとなったマクシミリアーネの夫に対しては耐え難い嫉妬を感じ、小説ではウェルテルはピストル自殺を図るという悲劇で幕を下ろします。最後の自殺の場面はヴェッツラー時代の友人エルーザレムの三角関係の果てのピストル自殺がモデルとされます。また、小説の最後ではロッテの長男が亡くなったウェルテルにしがみついて離れなかったと書いていますが、この長男のモデルはブレンターノ家のマクシミリアーネが嫁いだ先妻の子のフランツ・ブレンターノであったと見られます。
ブレンターノ家の後妻として嫁いだマクシミリアーネは12人の子供を設けますが、その7番目の子が後にゲーテとベートーヴェンをつなぐことになるベッティーナでした。ベッティーナの母親のマクシミリアーネはベッティーナが8歳の時に12人目の子供の出産した折に亡くなっており、マクシミリアーネはフランクフルトから遠く離れたフリッツラーの修道院の寄宿学校で養育されることとなり、12歳の時には父親も亡くなり孤児となり、16歳でフランクフルトの実家に戻っています。1806年21歳のベッティーナは祖母の作家ラ・ロッシュの家でゲーテが母のマクシミリアーネに宛てた84通の手紙を発見します。あの大作家のゲーテがこれほどまでに母のマクシミリアーネに思いを抱いていたとは・・・ゲーテに魅せられ、夢想家であり行動派でもあったベッティーナはフルンクフルトで一人暮らしをしていた75歳のゲーテの母アヤを訪ね、たちまち意気投合し、そして翌年には妹夫妻の旅行に同行しワイマールのゲーテを訪問しています。ゲーテにはベッティーナが若き日の思い出を携えてきたように思われ、また自伝「詩と真実」執筆のためにもベッティーナが母アヤからの使者のように思われたようです。(1)
(参考:61.ゲーテの「若きウェルテルの悩み」のモデルとベートーヴェン)
〇ゲーテ、ベートーヴェンとブレンターノ家の人々
後のベートーヴェンの不滅の恋人となるアントーニア・フォン・ビルゲンシュトックはウィーンに生まれ、父のビルゲンシュトック伯爵は学者で宮廷顧問官、そして美術品のコレクターであり実家は名画であふれていたとされます。アントーニアが8歳の時に母が亡くなりアントーニアは15歳になるまでプレスブルクのウルスリーネ女子修道院で教育を受け、ウィーンに戻った時には英語やフランス語に通じ、ピアノやギターなどの音楽もたしなむ教養豊かな美しい女性に育っていました。1796年30歳を超えていたフランクフルトの富豪フランツ・ブレンターノはアントーニアに惹かれ、父はブレンターノ家の財力を評価し、1798年ブレンターノ家のフランツとアントーニアはウィーンのシュテファン大聖堂で婚礼をあげフランクフルトに移っています。しかし、アントーニアはフランクフルトの豪商でありイタリア系の大家族の家長の妻としての立場に耐え切れず心身症を患い、父の看病という口実でウィーンに戻り、父親の死後も美術品等の遺品整理のためにウィーンにとどまり続けます。1810年、アントーニアの義理の妹にあたるベッティーナが姉のクニグンダとその夫の法律家であるサヴィニーとともにウィーンのアントーニアの実家であるビルゲンシュトック邸を訪問し、滞在します。
(参考:60.ベートーヴェン、月光ソナタ嬰ハ短調とベッティーナ)
〇ゲーテとベートーヴェン
ベートーヴェンの死の翌日、ベートーヴェンの幼いころからの同郷の友人であるシュテファン・フォン・ブロイニングはベートーヴェンの住まいの引き出しの奥に仕舞われた7枚の銀行券とともに2つの手のひら大の女性の象牙の絵姿を発見します。一つは月光ソナタを献呈したジュリエッタ・グイッチャルディと判明しますが、もう一方の絵姿は長く謎に包まれ、おそらく不滅の恋人その人であろうと推測されていました。不滅の恋人とは誰であったのかについては長く議論され、研究されてきており、おそらくはヨゼフィーネ・フォン・ダイムかあるいはアントーニア・ブレンターノであろうとされてきました。本編ではあらゆる状況を合理的に説明できることから日本のベートーヴェン研究家青木やよひ氏とアメリカの音楽学者メイナード・ソロモンによって提唱されているアントーニア・ブレンターノ説に基づき考察を進めています(2)(3)。また、ベートーヴェンに関しての残された謎として、1812年から18年の年間に書かれた日記についての謎・・・その目的や背景は何だったのか。3つ目の謎としては、ベートーヴェンとゲーテの関係について・・・ベートーヴェンがゲーテに作品を献呈したのにゲーテが返事をしなかったのは何故か。恋多き作曲家であったベートーヴェンは手紙や筆談帳において、特に女性関係については真実を記述することはなく虚偽の記載もあり、このことが謎を深めているわけですが、これらについては状況から仮説を想定し、その仮説について実証・検証を深めて行くほかにないように思われます。
(参考:6.ベートーヴェンの残された3つの謎)
(参考:63.ベートーヴェン、不滅の恋人への手紙とゲーテとの邂逅)
(参考:82.ゲーテはなぜベートーヴェンの献呈に返事をしなかったのか?)
〇「少年の魔法の角笛」の作者アルニムとクレメンス・ブレンターノ
ここでマーラーの交響曲に深く関わった「少年の魔法の角笛」を編纂したアヒム・フォン・アルニムとクレメンス・ブレンターノについて触れておきます。アルニムの妻であり、クレメンス・ブレンターノの妹であるベッティーナはベートーヴェンをゲーテに紹介した人として知られています。ベッティーナ・フォン・アルニムは現在ではドイツにおける女性解放の先駆者とされており、ベッティ-ナのベートーヴェン訪問はベートーヴェンとその不滅の恋人となったアントーニア・ブレンターノとの出会いのきっかけとなり、ベートーヴェンとアントーニアの恋愛はヨゼフィーネをも巻き込む数奇な運命をたどり、ベートーヴェンは人生最大の絶望の淵に叩き落されることとなります。この時期、ベートーヴェンはエルデーディ夫人に対して「苦悩から歓喜へ」と述べ、絶望から立ち返るために10年以上の年月を要しています。この長くつらい経験によってベートーヴェンは音楽史においてロマン派の扉を開き、後期の幽玄の創作を行うようになって行きます。マーラーは「少年の魔法の角笛」にもとづき多くの歌曲及び初期の交響曲を作曲しますが、作者のクレメンス・ブレンターノおよびアルニムとゲーテ、ベートーヴェンとの関係を知っていたのではないかと思われます。
(参考:125.ウィーン・ベートーヴェン記念館(パスクアラティハウス))
(参考:173.マーラーの交響曲創作史)
【参考文献】
1. 青木やよひ著、ゲーテとベートーヴェン(平凡社)
2. 青木やよひ著、(決定版)ベートーヴェン「不滅の恋人」の探求(平凡社)
3. 青木やよひ著、ベートーヴェンの生涯(平凡社)
4. ヴォルフガング・シュライバー著、岩下真好訳、大作曲家マーラー(音楽之友社)
5. 村井翔著、作曲家・人と作品シリーズ マーラー(音楽之友社)
