音楽史・記事編184.シベリウスの交響曲・交響詩創作史
シベリウスの交響詩「フィンランディア」は多くの学生オーケストラやアマチュアのオーケストラの演奏曲目として取り上げられており、中間部ではフィンランドの第2の国家とも言われるなじみ深い旋律が現れます。また、シベリウスの交響曲は後期ロマン派のマーラーとほぼ同じ時期に書かれており、和声的にはブルックナーやマーラーと同じく西洋音楽の伝統の純正音律に回帰するように、またロマン派の多様な和声も織り交ぜ、オーケストラは純正和声を重厚に響かせながらも独自の様式による深遠な美しい音楽となっており、交響曲作曲家としてはベートーヴェン以降の最高の作曲家ともいわれています。本編ではシベリウスの交響曲や交響詩の創作史を、また欧州を中心としたシベリウスの足跡を見て行きます。


〇叙事詩「カレワラ」
フィンランドに伝わる叙事詩カレワラは有史以来、口頭により語り継がれてきましたが、1835年には全50巻に編纂され、その1行は4分の5拍子に収まる構成となっているとされます。シベリウスは生涯にわたって叙事詩カレワラを題材とした作品を残しています。
1890年、音楽院を修了したシベリウスは奨学金を得て、ベルリン音楽留学に出発します。ベルリンではワーグナーの歌劇を聞き、またフィンランドの作曲家カヤーヌスのフィンランドに伝わる叙事詩カレワラに基づく交響詩「アイノ」に感激し、シベリウスは自身も叙事詩カレワラの音楽を書きたいと思うようになったようです。1年ほどのベルリン滞在の後、シベリウスはウィーンに移ります。ウィーンではブルックナーやブラームスなどの大作曲家に弟子入りしようとしますが、いずれも高齢などの理由でかなわず、ロベルト・フックとカール・ゴールドマルクに師事します。ウィーンではカール・リヒター指揮のウィーン・フィルハーモニーの演奏でベートーヴェンの交響曲第9番を聞き感動しています。また、ブルックナーの交響曲第3番の演奏では、「ブルックナーこそが最高の作曲家である」と述べブルックナーを擁護したため、当時ウィーンでブルックナーと対立していたハンスリック派と暴力沙汰を起こし、シベリウスは怪我を負ったとされます。シベリウスはベルリンやウィーンではかなり奔放な生活を送っていた中、作曲ではカレワラを題材としたクレルヴォ交響曲を作曲しています。叙事詩カレワラに登場する青年クレルヴォは悲劇の英雄であり、交響曲はベートーヴェンの第9交響曲をまねてソプラノ独唱、バリトン独唱、男声合唱が加わります。この交響曲の初演の反応は様々でシベリウスのフィンランド音楽に対して聴衆は熱狂的であり、否定的ではなかったと思われますが、おそらくシベリウスはベートーヴェンの第9交響曲とのあまりの格差に悩んだのか?あるいは別の理由からか、生涯この作品の再演を禁じています。シベリウスの死の1年後の1958年に全曲が再演され熱狂的にフィンランドの人々に受け入れられます。
〇シベリウスとグリーグ、チャイコフスキー
シベリウスは、音楽院時代には弦楽四重奏団に参加しており、初期のバイオリンソナタや弦楽四重奏曲はノルウェーの巨匠グリーグの影響を受け、ヘルシンキで演奏されたチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」に追従するように交響曲第1番の緩徐楽章を作曲したとされています。
〇シベリウスとワーグナー・・・ワーグナーの偉業に圧倒されオペラ作曲を断念する
シベリウスは叙事詩カレワラの音楽を交響詩などとして作曲していますが、オペラとしても作曲したいとの考えを持っていました。当時、ドイツのオペラ界に君臨していたワーグナーについてはヘルシンキ音楽院時代からその偉大さについてかねがね聴かされてはいましたが、ベルリン滞在中にワーグナーの歌劇「タンホイザー」と楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を体験して、シベリウスはワーグナーの偉大さに圧倒されるとともに、内容的堅固さよりも外向的壮大さを志向しているその舞台芸術には違和感も覚えながらも模索していたカレワラによるオペラ「船の建造」の創作は物語性や舞台構成の難しさにも行き詰まることとなり、その作品は「レンミンカイネン組曲」として4曲の管弦楽曲として成立することとなります。第2曲にはシベリウスの代表作となる「トゥネラの白鳥」が含まれます。
なお、シベリウスのワーグナー感については「その偉大さ」を認めていたのか、あるいは「嫌悪していたのか」・・・西欧のシベリウス研究者の間でも真逆の考え方があるようで、嫌悪していたとすれば歌劇「ローエングリン」に出てくる白鳥についての違和感、シベリウスにとっては北欧神話の白鳥とはカレワラの「トゥネラの白鳥」であって、このことが嫌悪の原因と考えられます。いずれにしても、シベリウスがカレワラのオペラをあきらめた原因はワーグナーにあったようです。
〇シベリウスとブルックナー
シベリウスがウィーンで「ブルックナーこそが最高の作曲家である」と述べたことからも、特にシベリウスの後期の交響曲にはブルックナーの影響が色濃く表れているように思われます。ブルックナーはオルガン奏者の大家でもあり、中世の教会旋法による歌曲や合唱曲の作曲も行っています。これらは純正音律で演奏され、ブルックナーの重厚なブラスの響きは純正和声そのものです。シベリウスは交響曲第6番では教会旋法を取り入れており、特に交響曲第3番以降では純正で重厚な和声が鳴り響きます。シベリウスはブルックナーが行ったように純正な主和音を基本に、ベートーヴェン以来のロマン派の多様な和声を取り込み、独自の様式による交響曲作曲家となっています。
〇イギリスでの称賛…6回の訪英
イギリスは古くから北海周辺のスカンジナビアのバイキングが活動して地域でもあり、またアングロ・サクソン族やジュート族はスカンジナビア南部の現在のデンマーク地方からの移住者でありスカンジナビアの文化圏でもありました。イギリスは古くからドイツのヘンデルやオーストリーのハイドンを受け入れるなど様々な国の音楽家を受け入れる伝統があり、特に北欧の叙事詩に基づいたシベリウスの音楽は好意的に受け入れられてきています。シベリウスはヘルシンキで交響曲を初演すると、イギリス演奏旅行を行いイギリスのロンドン、リヴァプール、マンチェスター、バーミンガムなどで新作交響曲を演奏し、熱狂的に迎えられています。
〇ベルリンでの出版
シベリウスは出版をベルリンで行っていました。主な契約出版社はブライトコプフ&ヘルテル社であったようで、ベルリンには出版社ジムロックも本社を構えており、ブラームスの4つの交響曲はジムロックによって当時としてはかなりの高額で買い取られ出版されています。ベルリンでの留学に不満を感じていたシベリウスは出版社からウィーンの音楽事情を聴き、ウィーンを訪問しヨーロッパの巨匠ブラームスへ弟子入りをしようと考えたのかもしません。しかし、ウィーンのブラームスやブルックナーはいずれも高齢でシベリウスの希望はかなえられることはありませんでした。
〇アメリカ行きと第1次世界大戦の勃発
シベリウスは1914年アメリカのコネチカット州で行われていたノーフォーク音楽祭に招かれ渡米しています。音楽祭では新作の交響詩などを演奏していますが、オーケストラはニューヨーク・フィルハーモニックとボストン交響楽団の混成で恐らく80名以上の大オーケストラであったらしく、シベリウスはヘルシンキでは40名程度の小オーケストラを指揮しており、アメリカのオーケストラの技量のすばらしさに感嘆しています。アメリカでは非常に歓待され、エール大学からは名誉博士号が贈られ、また、頻繁に歓迎パーティが開催され、社交を好むシベリウスを喜ばせています。さらに、過去にアメリカを訪れたドボルザークやチャイコフスキーのようにナイアガラの滝の観光なども楽しんでいます。しかし、帰国の船上で第1次世界大戦勃発の知らせがあり、シベリウスの以降の生活が一変したようです。戦争によりベルリンからの出版費の送金が途絶え、ヘルシンキ郊外のシベリウス家は妻と5人の子供、4人の使用人を抱える大所帯の維持が難しくなり困窮し、使用人の解雇も考えるようになったとされます。第1次世界大戦のさなか、シベリウスは交響曲第5番を作曲しています。その初稿は1915年シベリウス生誕50周年を記念する国家的行事として初演されます。フィンランドではロシアからの独立の機運が高まり、戦乱の中でのシベリウスの生誕記念演奏会は特別の意味があったものと考えられます。1917年フィンランドはロシアからの独立を果たし、スウェーデン、ロシアと続いた長い従属から解放され、初めてフィンランド人による国家独立を果たしました。1919年第1次世界大戦は終わり、フィンランドでは新しい憲法が制定され、シベリウスは交響曲第5番の最終稿を完成させ初演しています。更にシベリウスはブルックナーに倣ったのかルネサンス時代の教会旋法の研究をはじめ、交響曲第6番はドリア旋法で作曲しています。このためシベリウスは交響曲第6番には調性を記入していませんでした。しかし、どのような理由かわからないまま出版ではニ短調という調性が書かれており、シベリウスはドリア旋法とニ短調は近い関係にはあるものの全く別物であると苦情を述べています。
〇シベリウスとグリーグ、ニールセン
北欧の巨匠グリーグとシベリウスは会ったことがあるのかどうか・・・ノルウェーの古都ベルゲンに住んでいたグリーグはベルゲンと首都のオスロでたびたび演奏会を開いており、シベリウスと会ったとすればオスロが考えられますが、シベリウスが最初にオスロを訪問した1900年にはグリーグは創作活動を終えようとしていた時期にあたり、晩年はベルゲンに多く滞在していたことからオスロでの面会はなかったものと思われます。また、シベリウスはグリーグが亡くなった後の1921年にベルゲンを訪問しています。なお、デンマークのニールセンはシベリウスと同世代であり、ほぼ同時期に交響曲を作曲しており、写真も残っていることから、コペンハーゲンで交流があったことが知られています。
〇交響詩「フィンランディア」・・・フィンランドの第2の国歌
松原千振著・ジャン・シベリウス(1)を参考に見て行きます・・・フィンランドは大国の狭間にあって、13世紀からはスウェーデンによる長い支配、1800年代はじめからロシアの支配を受けてきました。19世紀後半、ヨーロッパ中で民族の自由と独立が叫ばれるようになると、フィンランドでは愛国の合唱が生まれ、歴史を描く演劇、絵画、文学などが創造されていくようになります。そして、シベリウスは「歴史的情景」Op.25を作曲し、「フィンランディア」はもともとこの作品の一部でした。さらにさかのぼれば、1899年11/4に行われた「報道記念日の音楽」の終曲が「フィンランディア」であり、その際の名称は「フィンランドは目覚める」であり、演奏はスウェーデン劇場で行われたとされます。こうして生まれた「フィンランディア」は後半のメロディに歌詞がつけられ、合唱曲としても歌われるようになります。「フィンランディア」には2つの異なった目的の歌詞が創られます。一つは1930年代の終わりに書かれた、コスケンニミエの歌詞で、1番の詞はフィンランドの自然を歌い、2番ではその国の強さを語っています。もう一つの詞はヴァイノ・ソラによるもので、作品113の「フリーメイスンのための典礼音楽」の終曲でもあり、讃美歌的要素の強いものとなっています。シベリウス自身もこの合唱曲をかなり大切に考え続け、混声合唱、男声合唱、児童又は女声合唱などの各版があり、80歳前後に至ってもこの編曲を続けていたようです。「フィンランディア」はシベリウスの作品中もっとも著名な音楽であり、世界のあらゆるオーケストラがプログラムに取り入れるようになり、さらにこの音楽によって帝政ロシアの支配下にあったフィンランドという存在、民族の存在を世界の人々に知らしめたという事実は、万巻の書物や多様な報道に勝る音楽の力であったといえます。
【音楽史年表より】
1896年4/13初演、シベリウス(30)、管弦楽のための4つの伝説曲(レンミンカイネン組曲)Op.22
ヘルシンキでシベリウス自身の指揮ヘルシンキ・フィルによって初演される。フィンランドに伝わる叙事詩「カレワラ」については当初、オペラとして着想された。それまでオペラの勉強をしたことがなかったシベリウスにとって、当時のヨーロッパのオペラ界において最大の柱であるワーグナーを学ぶことが必須であると考え、バイロイトでのワーグナー祭に赴いて、パルジファルをはじめいくつかのオペラを聴き、同時にスコアを買って研究を行った。しかし、まだ、ミュンヘンにいる妻のアイノに宛てた手紙で、シベリウスはオペラよりはむしろリストの試みた交響詩がふさわしく、自分は音の画家、あるいは詩人であるとしている。(5)
1896年4/13初演、シベリウス(30)、管弦楽のための4つの伝説曲(レンミンカイネン組曲)第2曲「トゥオネラの白鳥」Op.22の2、
ヘルシンキで初演される。「カレワラ」の第16章、第17章のワイナモイネンの舟作りのくだりによる。(5)
1899年11/4初演、シベリウス(33)、交響詩「フィンランディア」Op.26
ヘルシンキのスウェーデン劇場で上演された愛国歴史劇「歴史的情景」中の劇中音楽として、作曲者自身の指揮、ヘルシンキ・フィルハーモニー協会の演奏で初演される。シベリウスは1900年付随音楽の最終部を改訂し作品26を与える。同年11月カルペランにより提案された「フィンランディア」という題名が最終的に付けられ、この題名が1901年2月の管弦楽版で初めて用いられる。1905年ブライトコプフ&ヘルテル社から出版される。(7)(5)
1902年3/8初演、シベリウス(36)、交響曲第2番ニ長調Op.43
フィンランドのヘルシンキにて、作曲者自身の指揮で初演され、大成功を収める。すぐに3回の追加コンサートを行い、いずれも満席であった。曲はカルペラン男爵に献呈される。1903年ブライトコプフ&ヘルテル社から出版される。(5)
【参考文献】
1.松原千振著、ジャン・シベリウス・交響曲でたどる生涯(アルテスパブリッシング)
2.菅野浩和著、シベリウスの生涯と作品(音楽之友社)
3.フットゥネン著、館野泉日本語版監修、菅野浩和訳、シベリウス・写真でたどる生涯(音楽之友社)
4.イラリ・ランピラ著、館野泉監修、稲垣美晴訳、シベリウスの生涯(筑摩書房)
5.作曲家別名曲解説ライブラリー・北欧の巨匠(シベリウス)(音楽之友社)
6.ニューグローヴ世界音楽大事典「シベリウス」・Robert Layton(館野泉)(講談社)
7.最新名曲解説全集(音楽之友社)
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