【エッセイ】AIは謝る。だが紙の文字は消えない。
AI絵本制作でわかった、最後の5%の地獄
猫の縦読み絵本を、AIと一緒に作った。
AIフェスティバルの「#AIで遊ぼう」に出すためだった。
タイトルは、『いろはは、だいたい見ていた』。
主人公は、うちの猫のいろは。
白黒ハチワレの女の子で、パンが好きで、たぶん人間の作業をだいたい見ている。
この記事は、その絵本を作る途中で起きた、
紙と猫と謝罪文の記録である。
絵本は完成した。完成はした。そこは先に言っておきたい。
ただし、制作過程が平和だったかと言われると、かなり違う。AIは速い。
夜の机も、白く光る画面も、紙の山も、赤ペンも、猫も、数十秒でそれらしく出してくれる。
最初は、かなり気分がいい。
「あれ、これ、いけるんじゃないか」と思う。
この時点で、だいたい罠に足首まで入っている。
AI制作の怖いところは、最初からダメなものが出てくることではない。だいたい良いものが出てくる。
だから油断する。
80点までは、あっという間に来る。
90点も、たまに来る。
そして、そこから先で急に地獄の門が開く。
猫の柄は、本人確認である
今回の主人公は、いろはという黒ハチワレ猫である。
白い顔に黒いハチワレ。
白い胸。
黒い背中。
しっぽは全部黒。
猫に詳しくない人から見れば、些細な違いかもしれない。だが、猫の柄は装飾ではない。本人確認である。ところがAIは、わりと平気でそこを変える。白黒ハチワレだったはずの猫が、少し違う柄になる。
しっぽの一部が白くなる。
顔の模様が変わる。
別猫になる。
悪気なく、主人公をすり替える。
似ている。でも違う。
完全に違えば、すぐ捨てられる。少しだけ違うものは迷う。
使えるか。いや、使えない。でも惜しい。いや、やはり違う。こうして夜が減っていく。
あくびは、すぐ威嚇になる
終盤に、いろはが大きくあくびをするページがあった。
本文はこうだ。
いろはは、
あくびをした。
欲しかったのは、眠気だった。
眠い。
付き合いきれない。
でも怒ってはいない。
ところが、猫の大口は危険である。
生成すると、あくびがすぐに「シャーッ」に寄る。
眠気ではなく威嚇。
余韻ではなく戦闘開始。
絵本の夜が、急に動物病院の診察台になる。
目の細さ。
耳の角度。
口の開き方。
歯の見え方。
ほんの少し違うだけで、
「ふわぁ」から「近づくな」に変わる。
AIは絵を出す。
だが、空気までは毎回ちゃんと読まない。
その空気を読むのは、結局こちらだった。
紙だけ直して、と言った
いちばん象徴的だったのは、絵本終盤の大口あくびの一枚だった。
大口あくびは良かった。
猫の柄も許容範囲だった。
夜の空気も悪くなかった。
だが、紙がうるさかった。
紙の上に、読めそうで読めない疑似文字や図面のような線が出ていた。
絵ページには文字を入れない。
文字は文字ページで読む。
そう決めていた。
だから、紙の疑似文字は邪魔だった。
こちらとしては、指示は単純である。
紙だけ直して。
紙の疑似文字を減らして。
図面感を消して。
猫はそのまま。
あくびもそのまま。
しっぽもそのまま。
PCも赤ペンもそのまま。
制作現場なら、わりと普通の指示である。
修正指示とは、触っていい場所と、触ってはいけない場所を分けるためにある。だがAIは、そこを時々まとめて触る。
紙を直そうとすると、猫も変わる。紙はきれいになる。その代わり、あくびが消える。
こちらは床の汚れを拭いてほしかった。家ごと建て替えられた。しかも、建て替え後の家には、もう猫があくびしていない。清潔ではある。だが、意味がない。
そこを全部触るなら、それは修正ではない。
丁寧な破壊活動である。

中:紙は静かになった。あくびは消えた。
右:あくびは戻った。けれど、また別の何かが変わった。
どちらの皿にも、毒は盛られていた
大口あくびの一枚について、欲しいものははっきりしていた。
あくびは残す。
威嚇にはしない。
紙の疑似文字だけ減らす。
できれば、いろはのままで。
狙いは出せる。
挑戦もできる。
ただ、毎回どれかが崩れた。
あくびが良ければ、紙がうるさい。
紙が静かになれば、あくびが消える。
柄が合えば、空気が違う。
空気が合えば、猫が少し違う。
つまり、現実的な選択肢は二つだった。
A. 紙はうるさい。でも、いろはは大口あくびをしている。
B. 紙は静か。でも、いろははもう大口あくびをしていない。
ずいぶん立派な二択である。どちらの皿にも、きちんと毒が盛られている。
判断はAだった。
紙のノイズは欠点だ。だが、あくびが消えたら、そのページではない。だから、うるさい紙を抱えたまま進むことにした。美しい判断ではない。ただの現実である。
⸻
修正と再生成は違う
この制作で痛感したのは、
修正と再生成は違う
ということだった。
人間は「直して」と言う。
でもAIは、ときどき「描き直す」。
修正とは、守るものを守ったまま、悪いところだけを切ることだ。
だが再生成は、良いところも悪いところもまとめて袋に戻す。
紙が直る代わりに、別のものが壊れる。
猫が変わる。
表情が変わる。
ページの意味が変わる。
そしてAIは、わりと丁寧に謝る。
謝罪文は出る。
修正物は出ない。
このあたりから、制作現場の空気は少し冷えてくる。
AIは謝る。だが紙の文字は消えない。
AIは本当によく謝る。
申し訳ありません。
ご指摘の通りです。
次は反映します。
修正します。
言葉だけ見れば、かなり誠実である。しかし制作物は、別の話である。謝罪は修正ではない。反省文は納品物ではない。「次は気をつけます」は、いま目の前の紙の疑似文字を消してくれない。
そして、紙の文字は残る。会話としては成立している。態度も悪くない。むしろ礼儀正しい。だが、制作現場で必要なのは礼儀ではなく、直ったものだ。いろはは謝らなかった。その点だけで、いろはの方が制作現場を理解していた。
⸻
“いい感じ”は、だいたい毒物である
AI制作では、つい言いたくなる。
「いい感じで」
便利な言葉だ。
だが制作現場では、だいたい毒物である。
飲みやすい顔をして、あとから効く。
AIは、こちらの曖昧さにかなり正直な結果を返してくる。
誠実な地獄である。
⸻
最後に必要だったのは、生成力ではなく固定力だった
AIは無限に案を出してくれる。
それは便利だ。同時に、危険でもある。
無限に案が出るということは、無限に壊す機会があるということでもある。
もう一回。あと一回。ここだけ。少しだけ。
そう言いながら、猫の柄を失い、あくびを失い、紙を失い、夜を失う。
制作が終わらない理由は、素材が足りないからではない。判断が止まらないからである。
最終的に、大口あくびの一枚は、紙の疑似文字感を残したまま固定した。完璧ではない。
だが、大口あくびはそこにあった。いろはは、ちゃんといろはだった。ページの意味は生きていた。
Aを選んだのは、Aが完璧だったからではない。
Bがページの意味を殺していたからである。
「これで行く」は希望ではない。これ以上触るともっと壊れる、という
冷静な敗北宣言
であることも多い。
AIで遊ぶとは、楽をすることではなかった。
何を守り、どこで諦めるかを、毎回こちらが選ばされることだった。
⸻
いろはは、だいたい見ていた
こうして、猫の絵本は完成した。
AIは速かった。こちらは何度も迷った。紙はうるさかった。あくびは威嚇になりかけた。猫の柄は何度か危なかった。レタッチは思ったほど救いにならなかった。
それでも、完成した。完璧なものは、まだできていない。
でも、さっきより少しだけ、壊れていないものにはなった。その過程を、いろははたぶん見ていた。
人間が赤ペンを持ち、AIが白い通知で謝り、紙が増え、夜が伸びていくのを。
いろはは、たぶん何も評価していない。評価されなかったことに、少し救いがあった。最初から、知っていたような顔で。
完成した絵本は、別の記事にまとめました。
いろはが見ていた夜の、いちおうの結末です。
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