虚像の王国|9話:世界に勝った日、復讐すら残らなかった
あの頃、まだ信じていた。
「お待たせしました。二〇〇七年度、ベンチャー企業部門、最優秀賞を受賞したのは……高性能水処理プラントを開発されました湧水技研です。受賞されました赤海社長様、ご登壇をお願いします」
周りから、拍手の波が押し寄せた。まばゆいフラッシュが、熱い視線とともに浴びせられた。社員たちが、歓喜とともに立ち上がり、握手を求めてきた。
ゆっくりと立ち上がり、会場の観客が待つ壇上へ足を運んだ。
七年。
何度、首を吊ろうかと思ったこともあった。
金は底をつき、家の電気が止まりかけた。
妻は何も言わなかった。
それが、いちばん堪えた。
だから、勝たなければならなかった。
世の中が、我々の発想に追いついてこれないのだと思うようにしていた。
だが、ついにこの時がきた。
どうだ。
──見ているか。
「高性能水処理プラントの開発にすべての情熱を捧げてまいりました。世界には、まだ綺麗な水すら届かない場所がある。──私はそれを変えたい。アフリカの子供たちが、泥水ではなく、清潔な水を飲める日が来る。砂漠の村に、水が届く日が来る」
壇上から会場を見渡した。
「これは、人類から自然への恩返しなのです」
拍手が続いていた。
──そう信じていた。
今この瞬間だけは、世界に許された気がした。
受賞を境に、世界が変わった。
海外からの商談、出資、融資。
今まで断られてきたものが、すべて向こうから来た。
「御社の技術は画期的で、世の中を変える素晴らしいものです。一緒に夢を見させてください」
あの若い銀行員に、この技術が分かるとは思えなかった。だが、その目だけは、本気だった。言われる条件で金を借りてやった。
三か月後、メインバンクから電話がかかってきた。その日は、技術者と最終打ち合わせをしていたところだった。
「返済期日です。今回は、今までのように利息だけの支払いでは難しいと支店長もいっておりますので、なんとか元金返済を……」
そういえば、元金返済猶予の期日が来ることを忘れていた。それにしても、うちが最優秀賞をとったことを知らないのだろうか。
「あんた、まだうちを潰す気か?支店長に伝えておいてくれ。全額現金で借入を返してやるから、明日取りに来いと」
そういうと、担当者がまだ何かを言っていたが、電話を切った。
翌日、黒塗りの車で、支店長と担当者が花を抱えてやってきた。
「この度は、最優秀賞おめでとうございます。つまらぬものですが……」
胡蝶蘭を、担当者が渡してきた。
腹の出た支店長が、笑っていた。
「そりゃどうも。それにしても、賞をとったのは、三か月も前の話なんだけどね。私どものような弱小企業には興味がないでしょうから、お気遣いなく」
罰が悪いのだろう。
暑くもないのに、額に汗をびっしりかいて、ハンカチで拭っている。
「……いや、お恥ずかしい。いずれにしても、御社の技術力をこれまで高く評価をした訳でありまして……それにしても、世の中に認められて、本当に良かったですな」
「うちの技術。そうでしたっけ」
私は笑った。
「支店長は自分のことを、会社の目利きのプロ、再建のプロとおっしゃっていましたよね。本社を売って畳めと言っていたのは、そちらでしょう」
「赤海社長、そんなに虐めないでくださいよ。これまで通り、仲良くやっていきましょう」
「支店長、私はあなたには感謝してるんです。あなたから受けた侮辱をいつか見返そうとこれまで頑張ってきたのです。おかげ様で、大手の企業からも受注がとめどなく来てますし、御行のライバルからも、大きな融資を破格の条件で受けましたので……」
支店長は、ライバル銀行の名前が出てようやく自分達の置かれた立場をわかったようだ。
「……赤海社長、これまでの無礼、本当に申し訳ありませんでした。なんとか許してください。今の融資の条件は大幅に見直しさせていただきます。どうか」
私は立ち上がり、ブラインドをあげて外を見た。
空が、青かった。
経理に金を持ってこさせた。
「ここに、二億ある。はやく、持ち帰って全額返済してください」
机の上に、札束を積ませた。
帯のついた紙の山が、音を立てて崩れかけた。
「そんな急に。それも、現金で持っていけなんて。ほんと申し訳ありません。御社と取引解消されてしまったら、私も地区担当役員に怒られてしまう……なんとかご勘弁ください」
支店長は土下座をし始めた。
若い担当者が、膝を折りかけて踏みとどまった。
「そんなこと知ったことか。こっちは、潰れる覚悟でやってる。あんたらのような、学校の延長線のように点数稼ぎをやってるやつとは違うんだ。帰って、上司に怒られて来い。サラリーマン」
私はドアを蹴破るような音を立てて、部屋を出た。
七年間の全てが、あの部屋の中で終わったような気がして、体が震えていた。
復讐は、確かに終わった。
──だが、
何も、手に入らなかった。
金は何人もの人間が触れる。
この紙で、笑ったもの、泣いたもの。
札束の山には、人間の匂いが乗り移る。
あんなに欲しかった札束の匂いが、ひどく臭った。
