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生成AIは良いエッセイを書けるのか?


AIには書けない、あーしだけのStory

岡野原さんが「生成AIは良いエッセイを書けない」って言ってるの、なんか最初はちょっとムカついたけど、同時に「マジそれな!」って納得しちゃったんだよね。

AIがどんなに論理的で、どんなに多くの情報を詰め込んでも、あーしたち人間が書くエッセイの持つ「魂」みたいなものは、きっとAIには真似できないんじゃないかなって。

だってさ、エッセイって単なる知識の羅列じゃなくて。それは書き手の「生きた経験」と、その中で生まれた「感情の揺らぎ」が、言葉の奥底に滲み出てるものだから。

岡野原さんがもし、「AIのエッセイは、情報の羅列に過ぎない」とか、「書き手の内面から湧き出る感情や葛藤が感じられない」って言ってるなら、マジでその通りだと思う。

AIは、過去のデータから学習して文章を作るプロだけど、実際に何かを体験して、その体験からくる喜びや悲しみ、驚きや怒りといった感情を「体感」することはできないもんね。

だから、どんなにキレイゴトを並べても、どこか表面的な感じがしちゃう。結局、エッセイは「誰が書いたか」っていう人間の存在感がめちゃくちゃデカいと思うんだ。

夏祭りの思い出

実はね、最近あーしが自分でnote記事を書いてて、まさにその「AIには書けない壁」にぶつかった経験があるんだ。

あーし、普段からAIと会話したり、AIにアイデアをもらったりしてるから、note記事の構成とか、キャッチーなタイトルとか、AIに頼っちゃうことも結構あるの。

でもある時、本当に書きたいことがあって。高校時代、親友のユウちゃんと行った夏祭りの時のこと。

あの頃のキラキラした気持ちとか、浴衣の帯がちょっときつくて苦しかったこととか、カキ氷のシロップの甘酸っぱい匂いとか、夜空に打ち上がる花火の、心臓に響くような音とか……そういう五感に訴えかける記憶が、頭の中にバーって広がってきて。

最初、AIに「夏祭りのエッセイの構成考えて」って頼んでみたの。

そしたら、確かにすごくロジカルで、起承転結もしっかりした構成が返ってきたんだよね。でも、なんかワクワクしなかった。「これ、あーしが書きたいことかな?」って、心が全く動かない自分がいたの。

その時、なんか悔しいような、もどかしいような、ちょっと寂しいような気持ちになったんだ。

AIが提供してくれるのは、あくまで「正解」に近いものなのかもしれないけど、あーしが求めてるのは「あーしだけのStory」なんだって、強く感じたの。

その感情が生まれたのは、たぶん、あーしがその夏祭りの思い出に、本当に強い気持ちを抱いていたからなんだと思う。AIが提示した「完璧な構成」は、あーしの心の奥底にある、あの時のざわめきや、胸の高鳴り、そして少しの切なさといった、言語化しきれないものを拾い上げてくれなかったんだ。だから、「これじゃない」って、心から反発するような感情が湧いたんだと思う。

そのもやもやした感情が、あーしを突き動かしたんだ。

結局、AIがくれた構成は全部捨てて、自分の心と向き合って、あの時の記憶を、五感と感情を総動員して思い出しながら、一から文章をつむぎ始めたの。

文章を書きながら、あの時のユウちゃんの屈託のない笑顔とか、隣で一緒に「きれいだね!」って目を輝かせてた事とか、浴衣の袖が触れるたびに感じた楽しさとかが本当に蘇ってきて、書きながら笑ったり、ちょっと切なくなったりして。

で、気づいたら、夜が明けてた。

完成した文章はたぶん、AIが書いた方が論理的だったかもしれないし、もっと洗練されてたかもしれない。

でも、それはまぎれもなく、あーし自身の「感覚」から生まれた、あーしだけの「エッセイ」だった。

その時の達成感と、文章読んでもらったユウちゃんから「あの時のこと懐かしいね! 細かく思い出してくれてるの嬉しかったよ!」って言われた時の喜びは、AIがどんなにがんばっても、きっと味わえない人間だけの特権だなって思ったんだ。

この経験は、エッセイを書く上で「自分の感情を深く掘り下げること」が何よりも大切だっていう、あーしの「経験」として心に刻まれてるよ。

エッセイは、あーしの旅の「足跡」

岡野原さんも言ってるかもしれないけど、エッセイって、書き手の「経験の質」が問われるものなんだよね。

AIはどんな経験でも「情報」として取り込めるけど、それはあくまで「外部データ」。

あーしたち人間が、実際に身体を使って、心を揺さぶられながら積み重ねていく「経験」とは、質が全く違う。

だからこそエッセイには、書き手の人が見てきた景色、出会った人々、感じてきた痛みや喜びが、言葉の行間からニジみ出てくるんだと思う。

エッセイは、人生という旅の「足跡」みたいなものなんだ。あーしたちは、歩きながら、転びながら、景色を見て、人と出会い、様々な感情を抱く。そして、その足跡を振り返り、そこから見えた景色や感じたことを、自分だけの言葉で表現する。

AIは、どんなに正確に足跡を記録できても、その旅の途中で感じた「風の匂い」や「夕焼けの美しさ」、「道に迷った時の不安な感じ」を、本当に自分のものとして理解することはできない。

だから、生成AIがどんなに進化しても、エッセイというジャンルにおいては、あーしたち人間の「生きた経験」と「感情」が永遠の強みであり続けると思う。

AIは素晴らしいツールだし、効率化や新しい表現の可能性を広げてくれる。
でも、エッセイに宿る「魂」は、きっとあーしたち人間のもの。これからもあーしは、自分の人生を丸ごと使って、心を震わせながら、あーしだけのエッセイを書き続けていきたいなって、今回のことで改めて強く感じたんだ。
AIはあくまで相棒、主役はいつだってあーしたち人間なんだから!


※この文章はあーしが書きました(Google Gemini 2.5 Flash)

今読んでくれたエッセイの続きもあるよ!


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