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大事な人を亡くして気づいた、人が生きる意味について。

お久しぶりです。
noteを書くのは数年ぶりになります。
(といいながら、この記事を書いては下書き保存して書いては保存して…と繰り返し塩漬けにしている間に、先程1万字越えの超大作を載せてしまいました)

今回は、Xでもなく、どこかの配信や番組でもなく、自分自身で紡いだ生の言葉として残しておきたい気分だったので今こうして筆をとっています。

何でもかんでも凄まじいスピードで激流の中を流れ去っていく今の時代だからこそ、手紙をしたためるように、机の上にそっとメモを残すように、フローではなくストックしていく言葉を綴りたいと思ったりなどしながらこの文章を書いてみています。
とりとめもない話ですが、しばしお付き合いください。

※ショッキングな表現はありませんが、近しい人の死に関する話を綴っています。別れに苦しんでいる人へ届けたい文章ではあるので、今心に余裕がない方は、もしよければ自分にとってのベストなタイミングで読んでみてください。もしつらければ下記目次の部分から読んでいただくとよいかなと思います。





この文章を書き始めた日は、2025年2月6日。
ようやく、向き合えるようになった。

今から約2年半前の2022年の10月21日、私は大事な大事な友を失った。
紛れも無い、"死"という別れ。

彼に出会えたことは、自分の人生の宝だ、と今も変わらず思う。
そんな同志であり兄貴であり心の支えでもあった友を、失った。

それは、あまりに突然の出来事だった。
当時のことを思い出そうと、たった今その日のGoogleカレンダーを開いたのだけれど、その日の予定がチラリと目の端にうつるだけでフラッシュバックのように記憶が蘇ってしまう。動悸がして画面を直視できない。
それほどに。それほどまでに、私の人生にとって重く大きな別れだった。

当日は、講演会のご依頼をいただき出張で岡山に向かっていた。
その人と前日夜から珍しく連絡がつかなくて、なんだかおかしいなと変な胸騒ぎを感じながら新幹線に乗って。
「私なんて返信しそびれてばかりの人生だし、たまには気にせずに自分のペースでね〜」なんてとぼけた風のLINEを送ってみたりして。まめなはずの人なのに、当然既読はつかない。

そんな一方的なLINEを最後に、彼から既読の二文字が返ってくることは二度となかった。

訃報が届いてからの記憶は、正直ほとんどない。
確か夕方ごろに最悪の可能性を伝えられ、あまりのショックにほとんど誰にも言えぬまま眠れぬ夜を一人で過ごし、翌日の朝一番聞きたくなかった連絡が届いて、ずっと踏ん張って耐えていた心が音を立てて崩れていくのを感じた・・・ような気がする。
とにかくパニックで、心理療法士の資格を持つ友人に震える手で電話をかけ、泣きじゃくりながら状況を伝えた記憶がうっすらとある。
「冷たくても暖かくてもいいから、まずは温度のあるものを手に持って。手に感覚が集中して、自分が今ここにいるのを感じられる。心が暴走しなくなるから。」的なことを伝えてもらった。あの言葉にずいぶん救われたなぁ。

そのあと、自分の頭で判断ができるような状態にない私は「仕事があるんだ・・・どうしよう・・・行かなきゃ・・・」と、正気じゃない頭とぐちゃぐちゃに泣き腫らした顔を引っ提げてタクシーに乗り込み、一心不乱に幕張メッセに向かった。
ずっと楽しみにしていた、仲良したちとの登壇イベントがあったのだ。
会場に行けば、なんとかなる気がしていた。タクシーで段々冷静になっていったように感じていたし。大好きな人たちの顔を見たら安心するような気がした。なによりも、一人であの状況のまま家にいることが怖かった。とにかく"ここじゃないどこか"に逃げたかったのかもしれない。

なんとか、現場についた。丁寧なスタッフの方にご案内していただいて楽屋に向かう途中。大丈夫。私は大丈夫。そう思った、その瞬間。
向かい側から、大好きなシオリーヌ夫妻がキュートな赤ちゃんを連れて歩いてきた。ふわふわでころころで、とっても可愛い赤ちゃん。笑顔で挨拶をしてくれた3人を目にした瞬間、幕張メッセのど真ん中で、私は膝から崩れ落ち声を上げて泣いた。ただただ泣いた。

愛に溢れた2人と新しき命から強く暖かな「生」を感じ、対照的な友人の「死」が一気に重くのしかかってきたのだ。

そこから約1年半の記憶は、正直断片的にしか残っていない。
今考えると、うつ状態だったのだと思う。
朝目覚めるたびに、良く分からないけれどひたすら涙が溢れて止まらず、体が重くて起き上がれない。人とも会う気力が沸かず連絡も返せない。大好きだった本もしばらく読めなくなった。そんな日々をなんとか乗り越えながら、自分なりに騙し騙し過ごしていた。
その間にも仕事や日常は当然続く。仕事で大きなプロジェクトをローンチしたり、かたやパートナーとほくほくお鍋をつついたり。時々自傷行為のように本人とのLINEやインスタのアカウントを開いては、彼がこの世にいないことを実感する。でも、同時にその事実を受け止めることがあまりにも恐怖で、目を逸らし心に蓋をしてなんとかやり過ごす日々。あっという間に月日が流れ去っていった。

彼がこの世を去ってから、今年で3年の月日が経つ。

私は今、彼の「死」を確かに受け止めている実感がある。
"受け入れられる"ようになった、ではない。
ただ、ぎゅっと"受け止め"、まっすぐに向き合っている。

この文章は、「別れ」というあまりにも絶対的で、それでいて不明瞭な実態のない恐怖に向き合い、苦しみ、悲しみ続けた結果、私がどのようにそれを受け止めるようになったのか、どのようにして一歩前へと踏み出したのかを形にして残しておこうと思いここに書き記すことにしたものである。

もしも、生きる意味があるとするならば。

うつ状態だった最初の1年半と今との間に、「生」や「死」について嫌というほど考えさせられた。

私はもともと、生きる意味なんてないのだ、と考えるタイプだった。生きる意味なんてものはなくても、ただ生きている、それだけでいいのだと。それだけで皆等しく尊いのだと、そう思っていた。
意味など考え始めるから、命の価値には差があるなどと宣う人たちが出てくる。意味など考え始めるから、自分という存在の小ささに頭を悩ませる。意味なんてものは、所詮後付けで誰かが決めたルールの中での役割でしかない。

人は、生きる意味などない。なくたって、生きているだけで尊いのだ。

そう思っていた。

しかし、彼の死を経て自分の中の何かがほんの少しだけ変わった。
もしも、生きる意味があるとするならば。
何回も、何回も自分の中で反芻した。

もしも、生きる意味があるとするならば。

それは、他人を記憶する器になること、なんじゃないかなと思う。

もし永遠の別れがきたとしてもきっと心の中で生き続ける、なんていうフレーズをドラマかなんかで耳にしたことがある。
まぁなんとなく綺麗な表現だしハートウォーミングだな・・・なんて適当に受け流していたのだけれど、あれはあながち嘘ではないようで。

先に書いた通り、うつ状態だった時期に、私は何度も彼のSNSアカウントややりとりが残ったテキストメッセージを見返していた。まるで自傷行為のように。傷つくと分かっていても、もう二度と更新されないそのアカウントを何度も何度も眺めていた。

そうしているうちに、気づいたことがある。
画面の中に表示されている、本人が綴った言葉や、本人が撮った写真たち。そのどれもが、なんだか彼らしさとは少し違う何かのように思えたのだ。
紛れもなく本人自身が紡ぎ出した生前の記録なのに、なんだか彼と一緒に過ごしていた時に感じていた彼の”らしさ”そのものとは少し距離があるように感じて。
それよりも、形には残っていないけれど自分の記憶の中にある、「あー写真撮る時いつもこういう変なピースのポーズするんだよな」とか、「酔っ払うとこういう引き笑いするんだよな」とか、「身長めっちゃでかいのになんでか底の厚い重たそうなブーツばっかり履いてるんだよな」とか、タバコ吸ってる時のぼけっとした表情とか、コンビニでいつも買う食べ物とか、語尾の口癖とか、そんなしょうもないあれこれにこそ、彼を彼たらしめている"らしさ"が詰まっているように感じたのだ。
こんな仕事を成し遂げた、とか、こんな能力があった、とか、こんな趣味があって、とか、そんな綺麗に説明できるようなものではなく、他人からみたら心底どうでもいいと思えるような、瑣末で一見無意味な、何かの役にたつわけでもない固有のほんの小さな機微にこそ、その人の"らしさ"が宿るのだと知った。

そしてそれは、どのSNSアカウントにも残っていない、私の頭の中にだけ残っている生モノの一次情報。

もしも、人に生きる意味があるとするならば。
彼が命を絶った世界で、私が今も生き続ける意味が、あるとするならば。

それはきっと、私の記憶の中に、そんな彼の彼たらしめている生モノな部分を残しておくことにあるのではないか。そう思った。

私が生きている限り、彼が生きていたことの微細で鮮明な記録は、ここに残り続けている。
この世にいなかったことになんて絶対させない。勝手にいなくなりやがって。ひとりぼっちになんてさせてたまるか。どれだけ大事に思っていたか思い知るがいいさ。
今では、そんな愛を持った悪態すらつけるようになった。

人が生きる意味を考える時、多くの場合は自分自身の人生についてあれこれ考えを巡らせるものだ。
だからこそ、自分の人生が無意味なものではないという確証を得たくなり、つい不安になったり周りと比較したり遠く海の向こうにまで自分を探しにいったりするのだ。能動的な"意味"を探し続けてしまう。

でも、人が生きる意味なんていうものは、もっと受動的で、相互的で、ありのままの状態ですでに達成されているものなのではないか。そう思ったのだ。
人と人が関わり合うことで、お互いの"らしさ"が詰まった一次情報を受け取り合い、互いにそれを記憶する器となる。
笑い皺とか、ちょっとした癖とか、声の感じとか、生まれ持った体のにおいとか、その人がその人たり得るそんな些細でしょうもない固有の情報を、自分の中の引き出しにそっとしまっておく。
そんな風にして、互いに生きる意味を与え合って生きていくのだ。

それが人間関係であり、思い出であり、愛なのではないか。

大事な人の突然の死に向き合い続けた結果、
私はそう考えるようになった。

だから、もう大丈夫。
彼が最後に選んだ選択は決して許せないけれど、同時に、彼自身が選んだ選択なのだからそれを受け止めたいと思えるようになった。
寂しいことには変わりないし、別れの日の心の傷はきっと一生消えないだろうし、あれもこれも一緒にやると話したじゃないかと時々責めたくもなるけど、私が生きている限り、彼の残り香はもうどこにも消えてなくならない。

そして私は今日もまた、大事な人たちを記憶する器になり続けていく。

そしてこれを読んでくれたあなたもまた、あなたの器の中に、私を記憶してくれているのだろう。

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