「勝負師の条件」守屋 淳 著——「3種類の、もう一人の自分」【仮想読書会(6)】
***** 【 仮想読書会が初めての方へ 】 ***********
■6人のキャラクターとの仮想読書会 ~AIと創る新しい読書体験~
■「仮想読書会の進め方」と「このnote」
※1 生成AIには、ハルシネーションがないことを確認してから回答することを求めていますが、本物の読書会と同様に、仮想読書会でも、参加者の発言内容に誤りが含まれる場合があることをご了承ください。
※2 「読書会の学び」にはいろいろな種類があると思いますが、「コンテンツからの学び」と「プロセスからの学び」という分類の仕方もあると思います。
極端な話、たとえ、どこかにハルシネーション(虚偽または誤解を招く「コンテンツ」)が含まれていたとしても、各キャラクターがどのように問いを立てるか、どのように議論を発散・収束させていくかなどの思考「プロセス」について学べる部分はあるという姿勢で読書会の流れを追い、ご自身にとって間違いがあってはいけない大切な部分については、別途詳細をお調べになるという形でご笑覧いただければ幸いです。
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【 今回の仮想読書会の範囲 】
「勝負師の条件 同じ条件の中で、なぜあの人は卓越できるのか」守屋 淳 著
Ⅴ部 「己を知る」という難問 ②もう一人の自分
第十四章「勝負師」は「もう一人の自分」の夢を見るか
第十五章 外部からの眼
第十六章 人はもともと分裂している
第十七章 「自分を超えた自分」はどこから来るのか
第十八章 メタ認知の技法
最終章 卓越し続けるとは〜「勝負師」のあり方〜
※引用に適した文字量などの事情もあり、元の書籍にある詳説のほとんどは、読書メモから割愛しています。今回の範囲に限りませんが、具体的な話や数値など、詳細に興味をお持ちで未読の方は、是非、ご自身でお読みになることをお薦めします。
【 読書メモ(引用、問いなど)】
・本書の冒頭に登場してもらったファンドマネージャーも、「いいファンドマネージャーは、市場の波に吞まれつつ、しかも、吞まれないことが重要」と語っていたことがある。
これは市場のトレンドには乗るが、集団心理には吞み込まれないという意味だが、構図としては同じだろう。(p.240)
・後者で言及されている「もう一人の自分」は、今の自分を客観視する存在という以上に、「今の自分よりも大きくて強い存在」という位置づけになっている。
こうした「自分を超えた自分」という観点は、実は芸術や著述の世界で多く語られている。(p.245)
・スランプというのは「自分にできることができなくなる」わけではない。
「自分にできること」はいつだってできる。
そうではなくて「自分ができるはずがないのにもかかわらず、できていたこと」ができなくなるのが「スランプ」なのである。
それはそれまで「こびとさん」がしてくれていた仕事だったのである。(p.246-247)
・十四章で引用した「もう一人の自分」への言及は、切り分けが難しいものもあるが、およそ三つに分類することができる。
A 身体的な状況や、場の配置を、外部から客観視する。 世阿弥(猿楽師、『風姿花伝』著者)の「離見の見」。倉本昌弘氏(プロゴルファー)の「自分の客体化」。遠藤保仁氏(プロサッカー選手)の「鳥の視点」。
B 自分の思考や心の持ち方、自分のあり方を、もう一人の自分が客観視する。 大森義夫氏(元内閣情報調査室長)、川村隆氏(日立製作所元代表執行役会長)、楠本修二郎氏(カフェ・カンパニー代表取締役社長)、柳井正氏(ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長)、羽生善治氏(将棋棋士)の「もう一人の自分」。秋山真之(海軍中将)の「天上にある自分」。藤本欣伸氏(弁護士)の「役割をこなす自分と、それをコントロールする自分」。
C 自分を超えた自分が、見えないところで働いていて、いざというとき登場する。 羽生棋士の「今の自分より大きくて強いもう一人の自分」。内田樹氏(哲学者、フランス文学者、武道家)の「こびとさん」。(p.249-250)
・このように、自分やその置かれている状況の客観視ができるアスリートたちには、一つ共通する特徴がある。
それは、「自分の技術がなぜ結果を出せるのか」「なぜそう考えたのかの思考過程」を明確に説明できる、という点だ。(中略)
日米で首位打者を獲得したイチロー氏にも、こんな言葉がある。
「ぼくは天才ではありません。なぜかというと自分がどうしてヒットを打てるか説明できるからです。」(中略)
「とにかく、自分のカタチを見つけたい、取り戻したい。その一心で、もう、なりふりかまっていなかったんです。成績は、出ていました。でももしそこで、成績は出ているから今の自分でいいんだ、という評価をしてしまっていたら、今の自分はないですよね。(中略)
自分のやっていることは、理由がある事ではなくてはいけないと思っているし、自分の行動の意味を、必ず説明できる自信もあります。
だけど、それができるようになったのは、九六年までの苦い経験があるからなんですよね。」
「もう一人の自分」を持って、自分を客観視できるようになったからこそ、技術の説明が可能になったというのだ。
そして、これが後のさらなる飛躍を支え続けていった。(p.258-261)
・一つのアイデアが意識に上がってくる前に、脳はあたかも裁判をするかのように、無意識の心が生み出したさまざまな意味を裏づける証拠をしらみつぶしに検討する。
そうして、もっとも優れた推測であると判断されたものが意識に渡される。(p.267)
・筆者は、「日本近代の父」である渋沢栄一を専門の一つとしているが、彼の有名なモットーに『論語と算盤』(ただし、このモットー自体は、漢学者の三島中州が作った)がある。
『論語』と算盤とは、対極的な要素であり、一言でいえば、
・『論語』——人として立派に生き、公益のために尽す
・算盤——経済活動で自分の利益を得ていく
という価値観を、それぞれ象徴している。(中略)
しかし、「論語と算盤」という形で、二つを対置するとどうなるか。
『論語』も算盤も、全体を構成する一要素となり、一段上から俯瞰されて「それぞれの強みと弱みをどう扱うか」という観点から考えられるようになる。
さらに「金を儲けたい人」も「真面目で恵まれない人」もみな抱え込んだ上で、全体をどう設計していくか、という視点を持てるのだ。(p.271-272)
・(前略)複線に冗長化しておいて、止まらないようにする工夫ができているかどうか、ということだと思います。(中略)
「(前略)経営的にいうと、止まるっていうのは死を意味しますから、それを回避するための手段ですね。優秀な人は意識してそれを持っていて、さらに優秀な人は複数のシステムが相互に独立している状態を担保するために、できるだけ違った観点で見るようになります」(中略)
たとえば会社の経営を考えるさい、よく「戦争」と「舞台」という対照的なメタファーが使われる。
「戦争」から経営を考えた場合、自社とライバル企業とはシェアを巡って戦っているので、そこで勝たなければ意味がない。「争」の世界観といって良いだろう。
一方「舞台」の方では、いかに顧客を魅了し、その支持や信頼を得るのかが何より重要になってくる。敵やライバルは関係ない。こちらは「競」の世界観だ。
もし経営者が、どちらかのメタファーしか持たないと、行き詰ったときに乗り換えが利かず、どん詰まりになってしまう。(中略)
「自分のジャンルに活かせるよう抽象化した、他ジャンルの知識や知恵」の活かし方の一つの例でもある。(p.273-276)
・成績が出なくなれば終わるプロの世界では、常に「のっぴきならない状況」「自分を見失いがちな状況」での判断が強いられる。
だからこその「もう一人の自分」なのだ。(p.281)
・意識できない情報が私たちの記憶システムのどこかにとどまり、それがこれまた意識できない形で現在の試行を評価したり、制約の緩和に関わったりしているのである。
意識システムのほうは、こうしたことに全く気づくことなく、ひたすらだめ出しをし続けている。
しかし、その間に無意識的な認知と学習のシステムが、適切な試行のよい部分を評価して、それを生み出すリソースの強度を高める一方、まずい試行の原因となるリソースの強度を弱める。
こうした無意識のはたらきによって、私たちは徐々に変化していく。
結局、ひらめきとは、意識できない自分のみごとさに驚くことなのだと言えよう。(p.286-287)
・夜道を歩いているとき、なにかの気配を感じて思わず立ち止まることがある。
眼球がつねに微細に振動しているからで、サッカードと呼ばれるこの眼鏡運動から入力される情報は通常、無意識で処理されているが(そうでないと世界が揺れ動いて倒れてしまう)、なにか異常なことを察知するとそのときだけ意識にのぼる。
これがいわゆる「第六感」で、「見ていない」ものに気づくだけでなく、意識が聞き取れない音や、意識が感じられない空気の流れなどを瞬時に察知し、「直観知能」によって適切な対応をとるよう身体を操作している。(p.287-288)
・無意識というのは、人にまさる判断という切り口から言えば、実に悩ましい存在だ。(中略)
日常の判断のほとんどは、無意識の自動操縦になっているが、そこに『何か違う』『今までと同じじゃマズイかも』とツッコミを入れてくれるのが無意識ベースのもう一人の自分だ。
また、論理的にものを考えているときに、その論理の構成マズイだろ、と気づかせてくれたりもする。
無意識が意識よりも「論理的」というのも不思議な話だが、確かにこういうことは普通に起こる。
いずれの場合も、多くは微妙な違和感のような形で、まずは表現される。
こうした微妙なシグナルを察知して、いったん立ち止まれるか否かは「もう一人の自分」を持つ上で重要なポイントになる。(中略)
当たり前の話かもしれないが、心身の健康は「勝負師」の条件として不可欠なのだ。
さらに四章で取り上げた「幅広い知識や教養」に含まれる芸術体験も、無意識への栄養として必須になってくる。
それは「ひらめき」に何より必要な、脳の「ゆらぎ」の数や幅を構築してくれる大きな源泉となるからだ。(p.293-295)
・冒頭に登場してもらったファンドマネージャーが、次のように語っていた。
「人って、小さく勝って、大きく負けがちになります。なぜなら、儲かっていると利益を確定したい気持ちが強くなり、損していると、またそのうち戻ってくるだろうと希望的観測を抱いて放置してしまうから。そして、暴落に巻き込まれて後から考えると驚くほどのド安値で売却してしまったりするんです。(後略)」
こういった不安心理に揺さぶられて、たとえば個々の取引ではトータル七勝三敗のはずなのに、金額的には大負けという結果が珍しくなくなる。
逆にすぐれたファンドマネージャーは、大きく勝って、小さく負ける」ので、トータル二勝八敗なのに、運用成績は大幅な黒といった技ができる、というのだ。(p.296-297)
・「判断」という切り口からすれば、感情や欲望など無い方がましともいえる存在かもしれない。
では、なぜそんなものが人の心に棲み着いているのか。
理由は単純、感情や欲望なくして人の強いモチベーションや、物事を決めるさいの優先順位付けが生まれないからだ。
将棋の谷川浩司棋士(十七世名人)にこんな言葉がある。
「負けん気と平常心のバランスはなかなかに難しい。私の年代になると、負けた時の悔しさを失った時点で『そろそろ引退が近いか』ということにもなってしまう。」
熾烈な勝負の場に身を置き続けるためには、感情ベースの強いモチベーションが必要なのだ。
さらに、アスリートの心理の研究にも、ちょっと意外な指摘がある。
「最高のパフォーマンスをしているアスリートの多くが、怒りや復讐、憤慨などの感情を抱いていることである。」
最高のアスリートたちであれば、もはや煩悩など超越して、明鏡止水の境地に達しているかと筆者などは思っていたのだが、意外なことに、逆だというのだ。
人間という乗り物は、感情や欲望という名のガソリンや焚き付けがないと、勢いよく前に進めないらしい。(中略)
ただし、メカニズムとして理解できても、これは煩悩だらけのわれわれ凡人にはなかなか実践し続けるのが難しい。
一瞬だけならやれたとしても、持続的に実践するのであれば、その人の「あり方」や「生き様」の下支えが必須になる。(p.299-302)
・自分を客観視するのに有効な方法として、自分を自分でわざと突き放してみる、というやり方もある。
この切り口で、ジュリアス・シーザー(カエサル)、ダグラス・マッカーサー、シャルル・ドゴール、堀栄三、酒巻久(キヤノン電子会長)には、ちょっと面白い共通点がある。
堀栄三とは、大本営陸軍参謀や、戦後に自衛隊統幕情報室長を務めた日本のインテリジェンスの第一人者だった人物。(中略)
それは、自分を三人称にした本や文章を残している、ということなのだ。(p.308-309)
・作家のスージー・ウェルチ(ゼネラル・エレクトリックのCEOを勤めた、二十世紀を代表する経営者の一人ジャック・ウェルチの配偶者でもある)は、こう述べている。
「今すぐに出る結果、近い将来に出る結果、遠い将来に出る結果をじっくり考え抜くことによって、先を見通すことができるのではないか、と。 十分後にどうなるか、十カ月後にどうなるか、十年後にどうなるか。」
これは「10-10-10(テン、テン、テン)」という呼び名がついている。
未来を考えるための手法として基本的に考案されているが、自分の決断を客観視するのにも、うまい想像力の使い方ではないだろうか。(p.312-313)
・彼(ゲーリー・クライン、心理学者)は、事前検屍(プレモータム)という手法を提唱している。
検屍とは死体(この場合は失敗したプロジェクトなどの比喩)をあらためることであり、それを事前にやってしまおうというのだ。
「練習問題では、まず、計画立案者たちに、彼らの立案した計画が数ヶ月後に実行された結果を想像するように依頼する、そして、その計画は失敗に終わったと仮定する。つまり、失敗したという事実だけが分かっているとする。そこで、失敗した原因と考えた内容を説明しなければならない。『もちろん、それはうまくいかないことになっていた。なぜなら……』と説明できるような原因を探さなければならない。
すなわち、ここで自分の計画への執着を捨てさせるのである。
そして、失敗の原因を明確にすることで、自らの創造性を発揮させようとしているのだ。」
このやり方で計画の脆弱性や問題点をあぶり出すこともできるし、それ以上に、「自分の計画への執着を捨てさせる」、つまり自分の計画を客観視することが可能になるというのだ。(p.314-315)
・「ナンバーワン・ナンバーツー戦略がはっきりと頭に浮かんだのは、ドラッカーが投げかけた非常に厳しい、ふたつの質問がきっかけだ。
すなわち、『まだその事業に経験がないと仮定して、これからあらためて新規参入するつもりがあるのか』。
答えがイエスなら『その事業に対してどのように取り組むつもりなのか』」 もし、今の自分が、既存の事業をやっていない自分だったとしたら、どう判断するのか、とドラッカーは問うたのだ。
この結果ウェルチは、業界でナンバーワンないしナンバーツーの地位を維持できる事業に特化するという戦略をとり、在任中GEの時価総額を二〇倍以上に膨らませた。(p.317)
・自分の客観視は、ワーキングメモリ、つまり、一時的な情報の記憶容量が大きくないと、充分にできないというのだ。
端的にいえば、記憶力が良くないと徹底したメタ認知は難しい。
しかもメタ認知は、やり続けていくと脳に疲労が蓄積して、消耗する。
その結果として、心的なエネルギーが枯渇するほど、メタ認知も難しくなってしまう。(p.321-322)
・つまり「もう一人の自分」に象徴されるメタ認知は、よほど強靭な脳の基礎体力があるか、脳の「乖離」機能のスイッチが入って常時作動している精神状態でなければ、
・間隔を空けて、自分に対する定点観測として
・ここぞという勝負の瞬間に使うものとして
くらいに考えていた方が無難なのだ。
とくに生き残りの厳しい環境下で、脳を普段から酷使している場合、これはぜひとも押さえておくべきポイントとなる。(中略)
裏を返せば、ここぞという局面でメタ認知し続けるためには、自分をリラックスさせ、心的なエネルギーを回復させるような場を定期的に作ることも、重要なポイントになってくる。(中略)
息抜きやマイペース、私生活で何もしないことは、成果を出し続けている人間にとっては、語義矛盾を恐れずにいえば、「心的なエネルギーを回復させるための、必死のリラックス」という側面もあるのだ。(p.323-325)
・和田氏(スクウェア・エニックス前代表取締役社長)も、「自分自身や、周囲のプロフェッショナルの評価が大切」「世間の評価はまったく気にしない」と言い切る経営者であり、次のような発言があった。
「環境や状況や舞台の差はあれども、経営者は良くても悪くても、説明できなければダメ。良くても説明できないのはダメ、悪くても説明できるのは良い。僕が経営者を判断する軸は、ひたすらそれですね」(中略)
「(前略)僕の説明責任の定義は『セミプロにわかるよう説明すること』。最低限の素養のある相手に説明できない奴は、自分でわかっていないということ。
そこで権限を振りかざしてはいけない。これは自分の経営者としてのOSの話」(p.330)
・この点では澤上氏(さわかみホールディングス会長)もまったく同じ、世間の価値観や他人の評価を気にしない典型のような人物だ。
それは常に未来を見ているからであり、口癖が、「お先にごめんね」という点にも表れている。
要は、今ここでゴチャゴチャやっていたい人は、好きにやっていればいい。
自分は未来を目指して先に進むから、と常に口にしているのだ。
そんな澤上氏に、モチベーションの源泉をうかがうと、意外にも、こんな答えが返ってきた。
「怒りですね。社会に対する怒り。いってみれば公憤。たとえば、貧しくて困っている子どもがいる、これをなんとかせにゃあかん、と」
十七章で触れたように、怒りは何よりのモチベーションの源泉になる。
しかも、澤上氏のような社会問題に対する怒りは、個人的な怒りとは違って「よりよい判断」のノイズになりにくい。
嫉妬や怨恨と違って、目が眩みにくいのだ。(p.333-334)
・(前略)前章までを読んで頂いてわかるように「勝負師」であり続けることが、とにかく面倒で、手間がかかるという事実だ。
まず、「人にまさる判断」をし続けるためには、自領域はもちろん、隣接する領域の膨大な知識を追いかけ続けなければならない。
同時に、幅広い教養を積み続けることも必須になる。
しかも、「もう一人の自分」などを使ったメタ認知など、厳しい自己節制も要請される。これらは「勝負師」のいわば、最低要件だ。
このように面倒で脳を消耗することを続けていくためには、非常に強い動機が必要になる。
もしそうした動機を、地位や名誉、金銭といった世間的価値観からくみ出した場合、それらがある程度満たされてしまえば、続ける動機が失われていく。
一方、四人に共通する「自分のなし遂げたいことや、ありたい姿」とは、私欲ではなく、高い志や使命感、プロフェッショナルとしての矜持といった要素に支えられている。(中略)
また、彼らは強い公的な目的意識や、役割意識を持っているからこそ、それをなし遂げるための「もう一人の自分」を持ちやすくもあった。(p.335-336)
・「自分は戦争経験者でした(終戦時に六歳)。本当は文学が好きだったんですが、科学技術立国で、日本を良い国にしたいと思って日立に入ったんですよ」と川村氏(日立製作所元代表執行役会長)は述べたことがある。(中略)
この川村氏の例でも明らかなように、「自分のなし遂げたいことや、ありたい姿」は、一般には理解されないことも多い。
人は自分のレベルでしか、残念ながら他人を推し量ることができないからだ。
すると、川村氏のように邪推されたりする。つまり、毀誉褒貶がつきまとう。
実際、四人の方も毀誉褒貶にさらされている、ないしは、いた面がある。
しかし、本人たちは当然のように気にしていない。
選ぶ道が異なれば、物事を測る物差しも、見える景色も異なるのが当たり前だからだ。(p.338)
<問1>
今回の範囲を読んで、
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「自分ができるはずがないのにもかかわらず、できていたこと」ができなくなるのが「スランプ」
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なのであって、
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「自分の技術がなぜ結果を出せるのか」「なぜそう考えたのかの思考過程」を明確に説明できる
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部分を増やしていくことが、勝負師として、「いつだってできる!」ことを増やしていくためにも非常に重要ではないかと思いました。
そして…福沢諭吉が自身の著作を「無学の老女」に読み聞かせて理解可能な表現に改稿していたという逸話(※)を思い出しました。
幕末から明治初期にかけて識字率が男性で40-50%、女性で15%前後という状況下、かつ、漢学素養を示す複雑な漢文表現が権威とされていた状況下で、市井の無名な老女を「理想の読者像」と位置付け、彼女の理解度を基準にして平易な執筆を心掛けることで、「自身の考えを客観視して、他者に受け容れられやすくなるように説明する力」を高めていったのではないかとも捉えました。
みなさんが自分自身、あるいは、遭遇した状況を客観視する力を高めるため(それを説明する力を高めるため)に取り組まれていることには、どんなことがあるのか、教えてください。
※『福翁自伝』福沢諭吉著(1899年)第9章「文事に志す」より抜粋:
余が文を作るには、必ず無学の老婆を相手に、之に読み聞かして解するや否やを試み、解せざる時は更に之を書き改むるを例とせり。故に余の文は平易を主とし、複雑なる漢語を避けて常の談話に近きを旨とせしなり。
<問2>
「選ぶ道が異なれば、物事を測る物差しも、見える景色も異なるのが当たり前」であって、「世間の評価はまったく気にしない」という主張、「人にまさる判断」(←他者と異なる判断)をし続けるには、「あり方」や「生き様」の下支えが必須になるという主張が、心に残りました。
みなさんの「あり方」や「生き様」を支えるモチベーションの源泉と、それを持つに至ったきっかけ(具体的なエピソードなど)を教えてください。
【今回の成果の一部を共有】
赤松さん(芸術家)
「もう一人の自分」という概念が芸術創造のプロセスと深く関わっていることを再確認しました。
特に本文のp.246-247にある「こびとさん」の比喩は、創作における無意識の役割を表現していて共感します。
私自身、作品制作中に「何か別の力が動いている」感覚を経験することがありますが、それを単なる神秘体験として片付けるのではなく、意識的に育てられる能力として捉え直すことができました。
今後は日常的に「作品を外から見る時間」を設け、その観察を言語化する習慣をより強化していきたいと思います。
皆さんとの対話から、異なる分野でも「内なる他者」との対話が創造性を高めていることを知り、大きな励みになりました。
青柳さん(実務家)
組織運営の観点から、「もう一人の自分」を持つことの重要性を再認識しました。
p.273-276の「複線に冗長化」の考え方は、人材育成や組織構造にも応用できると感じています。
また、皆さんの話を聞いて「客観視の訓練には意識的な休息も必要」という気づきを得ました。
当社でも360度評価やコーチングを導入していますが、それを「他者の視点を借りて自己を見る訓練」として位置づけ直すことで、より効果的に活用できそうです。
特に黄田さんの「旅人の視点」というアプローチは新鮮で、チームの問題解決セッションにも応用できると思いました。
今後は「メタ認知の疲労」に配慮しつつ、チームメンバーの「自分の強みの言語化」を支援する取り組みを進めていきたいと考えています。
黄田さん(フリーランス)
「勝負師」として成長するためには、自分の成功体験を説明できることが重要だという点が大きな気づきでした。
これまで直感や運に頼っていた部分も、意識的に分析し言語化することで、再現性を高められると感じています。
p.296-297の「小さく勝って大きく負ける」という指摘も、自分のキャリア戦略を見直すきっかけになりました。
また、白石さんの「研究日誌」の話を聞いて、私も毎日のマーケティング活動の「なぜそうしたか」を記録する習慣をつけようと思います。
フリーランスとして「必死のリラックス」(p.325)の時間をきちんと確保することで、長期的なパフォーマンスを維持していく大切さも再確認できました。
「旅人の視点」を仕事に活かす方法をさらに磨いていきたいと思います。
緑川さん(起業家)
教育者として「説明できることの重要性」を深く考えさせられました。
特にp.258-261のイチロー選手の言葉「自分がどうしてヒットを打てるか説明できる」は教育の本質に通じると感じています。
生徒たちが「なぜそう考えたのか」を説明できるようになることが、真の学びではないでしょうか。
今回の読書会で「『もう一人の自分』を育てるための教育プログラム」というアイデアが浮かびました。
特に黒木さんの「立場のロールプレイ」や赤松さんの「観客の視点」という方法は、授業にも取り入れられそうです。
また本文のp.271-272の「論語と算盤」のように、一見矛盾する価値観を高い視点から統合するという考え方は、教育の「効率と創造性」「規律と自由」といった二項対立を乗り越えるヒントになると感じました。
この視点を新しいカリキュラム開発に活かしていきたいと思います。
白石さん(物理学者)
科学と芸術が「無意識の働き」という点で接点を持つことに気づかされました。
p.286-287にある「ひらめきとは、意識できない自分のみごとさに驚くこと」という表現は、科学的発見のプロセスにも当てはまります。
しかし同時に、その「みごとな無意識」は、日頃の意識的訓練と分析の積み重ねによって磨かれるものだと実感しています。
赤松さんの「言語化の重要性」や黒木さんの「異なる立場からの視点獲得」という方法は、科学教育にも応用できると思いました。
特に「事前検屍(プレモータム)」(p.314-315)の手法は、研究計画の評価に取り入れる価値があると感じています。
今後は学生に「自分の研究内容を一般の人にも説明できるか」という問いかけをより意識的に行い、彼らの「メタ認知能力」を育てることに力を入れていきたいと思います。
黒木さん(政府官僚)
政策立案において「もう一人の自分」による客観視がいかに重要かを再認識しました。
特にp.308-309の「自分を三人称で見る」という方法は、政策文書作成時に試してみたいと思います。
また、p.333-334にある澤上氏の「社会に対する怒り、公憤」というモチベーションの源泉については深く共感しました。
しかし同時に、単なる怒りではなく、それを建設的な政策に昇華させる冷静さも必要だと感じています。
青柳さんの「異文化経験による客観視」や緑川さんの「教育による可能性の解放」という視点は、政策の効果を多角的に評価する上で参考になりました。
今後は政策立案チームに「プレモータム」の手法を積極的に導入し、より頑健な政策形成を目指したいと思います。
また、白石さんとの対話から、科学的知見をより政策に活かす仕組みについても考えを深めることができました。
主宰者:7人目
今回は『勝負師の条件』を扱う最終回でした。これは、「人にまさる判断」を持続的に実現していくために、さまざまなインタビューを通して得た情報を筆者なりに整理した書籍でした。
今回の範囲では、「人にまさる判断」をするためには、「客観視の力」が重要で、それを鍛えるために「思考プロセスや行動と成果の関係について、言語化して分析して説明できること」を重視しているという内容だったと捉えました。
「問1」でも触れていましたが、「こびとさんに頼らずに、意識的に『いつだってできること』を増やしていく」ために、自分自身や置かれた状況などについて言語化して検討する取り組み(10-10-10やプレモータム、モチベーションの源泉の言語化、公憤を建設的に昇華させる方法の検討など)を採用し、「世間の評価を気にしない存在」になっていきたいと思いました。
◆今回の成果から、どんな問いや展開が浮かびますか?◆
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