未知の安全を怖がる身体
安心すると怖くなることがある。
トラウマや慢性的なストレスは、コルチゾールの分泌異常を引き起こすことがあるそうです。
そしてコルチゾールが高い状態が続くと、人によっては「安心感を感じにくい」「人を信頼しづらい」「愛情や親密さを“危険”として認識する」「身体が緩もうとすると逆に不安になる」といった反応が起こることもあるのだとか。
ここで関係してくる Oxytocin(オキシトシン)は、「愛情ホルモン」として知られていますが、実際には“安全・信頼・繋がり”を身体に学習させる方向に働く神経ペプチド。
けれど、長くサバイバル状態だった身体にとっては、「安心する」「誰かを信頼する」「守られている感覚を受け取る」こと自体が、どこか危険に感じられてしまう場合があるのです。
頭では「もう大丈夫そう」「この人は安全そう」と思っていても、
身体のほうでは「いや、待って。それは危険かもしれない」「また傷つくかもしれないよ」と、ブレーキをかけようとする。
つまり、コルチゾール系の反応が強く出てしまい、オキシトシン的な“安心回路”がうまく働きにくくなる、ということ。
特にトラウマ回復の過程では、「幸せになりそうになると不安になる」「優しくされると逃げたくなる」「愛されると身体が固まる」「関係が深まる直前で距離をとる」など、“その先にある幸せ”を神経系がまだ警戒しているような反応が起きることがあります。
回復には、「理解する」だけではなく、「安全な人間関係」「小さな安心体験の積み重ね」「身体感覚へのアプローチ」「呼吸・睡眠・栄養」「自律神経を整える習慣」などを通して、身体に“安全”を再学習させていくプロセスがとても大切なのだと思います。
脳は、理屈よりも“繰り返しの体験”を真実として学習します。
何度も身体で“安心”を経験しながら、少しずつサバイバル状態だった神経系を書き換えていくような感じ。
だから、「よくなってきたはずなのに苦しい」「安心したのに怖い」という矛盾が起きることもある。
外から見ると、“自分で壊している”ように見えてしまうこともあるけれど、実際には、神経系がこれまでの“生き延びる術”を必死に続けているだけなのかもしれません。
そして回復は、「あれ、前より少し呼吸が深い」「前より人の言葉を受け取れる」「逃げずにその場にいられた」そんな、一見とても小さな変化の積み重ねの中で進んでいくことが多いのでしょう。
私は最近、参加させていただいたボディワーク系のセラピーで、中盤を過ぎた頃、かなり浄化されたような感覚と、大きな愛の中にいるような感覚を味わいました。
けれど、その直後、ネガティブな側面の私が「また良くないことが起きるよ」と囁いてきて、とても怖くなったのです。
その声は、私を壊したい“悪者”というより、ずっと私を守ろうとしてきた“警戒係”のようにも感じました。
ただ、今の私にもう、少し強すぎるのかもしれない。
「未知の安全」より、「慣れた緊張」を選んでしまう。
しかも、深い安心や愛に触れた時ほど、その反動で古い防衛反応が強く出てきやすい。
人は、苦しくても“慣れている状態”のほうを安心だと錯覚してしまうことがあるのですね。とても不思議です。
回復とは、ずっと光だけになることではなく、
光の中でも、まだ怖がっている部分を置き去りにしなくなること。
なのかもしれません。
