花火より、きみを見ていた。
その日、同じクラスの君坂が言った。
「あした花火行かね?」
らしくないな、と僕は思った。
こいつは季節の風情に心よせるような、こまやかなまなざしを持つタイプじゃない。
「へぇ?」
僕はちょっとからかうように、下よりからの視線を君坂に投げた。
「で、誘いたいのは吉田さん、と。」
君坂は一瞬、目線をふいっとずらした。
「もれなく斎藤がくるだろ」
それは僕に対する勝ち札だった。
その名を聞いて僕が「うん」と言わないはずはないと、こいつはふんでいるのだ。
いいさ、乗ってやろう。
人ごみは好きじゃないけど、僕は季節の移ろいをめでるだけの気持ちは持っている。
こうして共同作戦は動き出すことになった。
斎藤日なたを初めてみたのは、去年の夏休み、補講の帰りにたまたま通った書店の前だった。
彼女はピンク色のふせんを眺めながら、書店の入り口に立っていた。
ぶつぶつと言いながら、ウィンドウに貼ってある店名とふせんを交互に見やって、すっと中へ入っていった。
それだけ。
なのになぜだか僕は、彼女の背中が見えなくなるまで目で追いかけていた。
でもその時は、目で追っていたことにさえ、気づいていなかった。
そのまま僕はふつうに帰宅して、ふつうにいつもどおりの一日を終えただけだった。
つぎの週の火曜日。
2限のために音楽室へとむかう僕の目線の先、奥の階段を上っていこうとする斎藤日なたの姿が見えた。
「あ」
その時初めて僕は、彼女をしっかりと意識した。
コミックで言うところの集中線が彼女の周りを囲んでいて、否が応でも視線がすいよせられたんだ。
その時僕は、彼女の名前さえ、知らなかったというのに。
斎藤日なた。
彼女の名を知ったのは、文化祭の準備に忙しくなってきた10月はじめだった。
廊下で友だちに呼ばれるところをたまたま聞いた。
「ひなた・・・。」
思わずこぼれた自分の声にぎょっとして、でも、ふんわりと笑みがうかぶようなやさしい気分が僕をつつんだ。
それから別に接点もなくすぎる毎日の中、廊下で帰り道で、ふとしたところでたまたま彼女を見かけると、ちいさく灯りがともるようなあたたかさを感じて、僕はそのたび、同じようにふんわりとした笑みがこころに広がるような気がした。
学年が変わる季節、僕の目の前にさくら吹雪がふわりふわりと舞い落ちた。
彼女と、同じクラスになった。
さいとう、ひなた。
僕が彼女のフルネームを知った瞬間だった。
斎藤日なたは、自分の名前が好きではないらしい。
変だから、と言う。
もちろん、僕が直接聞いたわけじゃない。
女子の会話が聞こえてきただけ。
もちろん、聞き耳を立てていたわけでもない。誓って。
ひなた、という音になぜ「日なた」なのか、と。
日向でも陽向でも、なんなら当て字でも、もっとかわいい漢字があったはずだと、とがらせた口で言う。
これじゃただの状況説明だ、と。
僕は心の中でふんわりとした笑みの広がりを感じながら、心地よく彼女の声を聞いていた。
顔には出ていなかった。・・・と思う。
「斎藤だろ」
ある日、君坂がとつぜん僕に言った。
「は?」
脈絡がなさすぎて、口から出てきた音がこれだった。
「わかりやすいのな、まじで」
君坂がいじわるく笑う顔を見て初めて、こいつの言いたいことがわかって、瞬間に僕のほおは熱をおびてしまった。
「いつも吉田といっしょだよな」
君坂はすぐに自分の話をはじめて、別に僕が斎藤さんを気にしていることなんかは、どうでもいいようだった。
つまり、斎藤さんと吉田さんがなかよしでいつも一緒にいる、そして君坂は吉田さんが気に入っている、と、そういうことらしい。
君坂洸平はどちらかというと運動部系で、僕みたいなタイプと話が合うのは不思議だと思う。
共通の話題があるわけでも、きっかけがあったわけでもない。出席番号も近くないし、なんでこいつと仲よくなったのか、本当によくわからない。
でも、少なくともこいつは、人をからかったりおとしめたりすることはなく、暑苦しいわけでもなく、僕にとっては居心地のいい友だちだった。
ちょうどいい。
人に対して使う言葉じゃないかもしれないけど、僕は君坂に「ちょうどいい」心地よさを感じていた。
本人に取り立てて言ったことはないけど、たぶんこいつも同じように僕のことを思っているんじゃないかと思う。
お互い、無理していない感じがちょうどいい。
そんな君坂が「明日花火に行こう」と言ってきた。
吉田さんと行きたい。でもひとりで誘うのはなんかやだから、僕にも一緒に来てほしい、お前も斎藤と行きたいだろ、と、こういうわけだ。
いつもの僕なら、即答ノーだったと思う。
なんで乗る気になったんだろう。
正直、自分でもわからない。
3年生だから?
ゆっくりできそうなのは今だけな気がするから?
理由なんてどうでもいいんだ。
僕も斎藤さんと花火を見たい気分になった、それで。
これは後から思ったことだけど、君坂が「明日」のタイミングで言ってくれたからかも知れない。
もし、1週間も2週間も前から持ちかけられていたら、考える時間がありすぎて、正気ではいられなかったと思う。
「明日」
僕にとっては絶妙のタイミングだった。そんな気がする。
なんて言って声をかけたのかはわからないけど、首尾よく君坂は約束を取りつけて戻ってきた。
「やった」と思うよりも「なんで?」の方が勝っていたけど、明日の花火に一緒に行けることになった、そのことが、僕の中にちいさくともり続けていた灯りを、ゆらゆら、ゆらゆらとゆらしていた。
その日の帰り道、いつもより2割増しで饒舌な君坂洸平を生あたたかく見つめながら、僕自身もちょっとはしゃぎだすような気持ちを、少し外側から見ていた。
明日、花火。
ふんわりとした笑みがこころの中に広がっていった。
バス停で待ち合わせた僕たちは、時間よりも40分は早く着いていた。
君坂はめずらしく、襟のきっちりした黒いポロシャツを着ていた。
Tシャツしか見たことなかった僕は、なんだか兄になったみたいな気持ちで、「ふふ」と笑ってしまった。
僕はと言えば、まぁ、ふつう。
いつもの、サマーシャツにいつものパンツ。
それでもちょっとだけいつもより気合を入れて、靴はきれいにしてきた。
君坂と目を合わせて、なんだか吹き出してしまった。
40分も前。
はしゃぎすぎだろ、お前ら。
ふたりで笑った。
女子2人がバス停に着いたのは、待ち合わせよりほんの少しだけ遅れた、8分後だった。
細かい?
仕方ないだろ、こまめに確認しないともたなかったんだから。
時間が近づくにつれて、君坂も僕もなんとなく無言になってしまっていた。
吉田さんと斎藤さんの姿が見えた時、僕たちはふたりして時間が止まったのを感じた。
浴衣。
女子2人は、浴衣姿だった。
吉田さんは、淡い水色にピンクと赤のあさがおが散りばめられた浴衣に、黄色い帯をしていた。花の色も帯もやわらかい色合いをしていて、涼しげだった。
長い髪をまとめ上げていて、耳の後ろから後れ毛がちらちらとゆれて、きれいだな、と思った。
斎藤さんは、黒地に大きめの赤い花が舞うような浴衣に、ピンク色の帯。
彼岸花?牡丹?あれ、ずいぶんちがう花だっけ?
なんだか大人っぽい雰囲気の優雅な花柄だった。
ちがう人みたいだな、と僕は思った。
正直、ふたりの浴衣の印象は、本人たちのイメージからすると、逆の感じがした。
僕の中の灯りが、強くゆらめいていた。
バスに乗り込んでから降りるまで、何を話していたのか僕はまったくおぼえていない。
たぶんいつものように、君坂が話を引っぱってくれていたとは思うけど、僕は自分が声を出したかどうか、まったく記憶になかった。
斎藤さんのふんわりした編み込みが、今にもくずれそうなくらいはかなく見えて、そればかり気になっていた。
花火が始まるまで少し時間があって、僕たちは出店を見て回った。いろんな店の前を通って、いろんないい匂いにひきつけられて。
でも結局、買うまでにはいたらなくて、少し早めに場所を確保することにした。
女の子たちの楽しげなおしゃべりが耳に届くたび、僕のなかの灯りがちらちらときらめいていた。
浴衣の彼岸花が、斎藤さんをいつもよりも遠くに追いやっているような気もした。
こんな雰囲気だったっけ。
ぼんやりと思いながら、ふたりの弾むような声を耳に遊ばせた。
花火が始まった。
大きな音がするたび、はしゃぐ吉田さんの横で、斎藤さんの笑顔はまるでお姉さんみたいだった。
斎藤さんの目に映る花火が僕にはとてもきれいに見えて、すこしだけじっと見つめてしまった。
君坂はと言えば、「おぉ!」「わぁー」なんて声をあげながら、吉田さんと顔を見合わせていたりして。
花火自体はあっという間に終わったような気がするけど、2時間くらいそうしていたような気もして、なんだかふしぎな感じだった。
最後の花火がバラバラバラっと大きな音を立てて舞い上がったあと、人ごみが一斉にそれぞれの帰り道へと移動し始めた。
僕たちはいったん少し流れを避けて、やりすごすことにした。
これからどうする?ってなった時、4つの心はひとつになった。
「コンビニ行こう」
出店で何にも買わなかったから、僕たちはお腹が空いていたし、のども乾いていた。
「飲み物がほしい」
斎藤さんはまっさきに声をあげて、自分ののどを指さすしぐさをした。
飲み物やらおにぎりやら、欲望のままに買い込んで、僕たちは公園に向かうことにした。
ベンチにすわろうと思ったその時、斎藤さんがくるっとみんなの前に立った。
「見て!」
手には手持ち花火のパック。
うれしそうに笑って。
「飲み物を買うんじゃなかったの?」
僕は立ち上がって、斎藤さんの手からライターを受け取って、ろうそくの準備をした。
「ちゃんと買ったよ」
同じクラスの女の子にもどった笑顔で、斎藤さんは言った。
たった今、打ち上げ花火を見てきたばかりだというのに、気づいたら、けむりのにおいに鼻をくすぐられながら、僕たちは夏の一瞬をこころいっぱいにすいこんでいた。
さっきの花火がすごかったことなんか、もうどこにも残っていなかった。
ちいさな花火の音が耳に心地よくて、みんなだまって手元を見ている。
そして僕は―花火より、きみを見ていた。
